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おかしなものだが、縁というものは私の操縦できないところでスイッチしているらしい。小中や…
79回目の8月6日 広島へ向かう電車のなかでいても立ってもいられない、という状態でとりあえ…
昨日は広島の平和記念公園に向かう電車の中で思い立ってnoteを書きかけた。しかし慰霊式式典…
20世紀の第二波フェミニズム運動のスローガンに掲げられたこの言葉は、まさに"対抗的な公共…
どうも頭の中にあるカレンダーの年が変わらなくなりつつある(私の場合は感覚が2022、3年で…
2025年1月18日に行われた大学入学共通テストの公共・倫理の試験内容について、思いついたこ…
ちょっと思うことがあり、いまnoteを書いている。 なんとも言えないモヤモヤが胸を覆うことの多い季節なのかもしれないが、どうにも生きるというのはそう楽ではなく、楽しいものでもないらしい。 いかにしてうまく空気を読み、ほどほどにウケるか。 こんな強迫観念に支配されて人と関わり合うのは、とても辛く、親しミル表現をするならば、とても”しんどい”ものなのかもしれない。私はあまり、空気を読んだりほどほどに好かれて安全を確保するといったことに関心を払っていない。あるいは関心を