折れない心!アンプティサッカーと言う挑戦
アンプティーサッカー(切断者サッカー)と言うパラスポーツをご存じでしょうか?
生まれながらにして、手や足に先天性の障害を負った方や、人生の途中で事故等によって、手や足を切断せざるを得ない事になってしまった方々によるサッカーです。
障がい者スポーツに必要とされた専用器具を必要とせず、日常の生活やリハビリ医療目的で使用しているクラッチと呼ばれる杖で競技を行う為に、足に障がいを持つ人々にとって最も気軽に楽しめるスポーツとして普及して来ました。
アンプティーサッカーの基本ルール
人数:7人制 試合時間: 25分ハーフ ピッチサイズ: 国際基準 60m X 40m
◎ルール詳細
・アンプティサッカーはフィールドプレーヤー6名とゴールキーパー1名の計7名で行われます。
・フィールドプレーヤーは基本的には下肢切断者、ゴールキーパーは上肢切断者が担当します。
・フィールドプレーヤーは移動の為にクラッチを使用するが、クラッチを故意にボール操作に使用した場合は、ハンドとなる。
・ゴールキーパーはペナルティエリアから出る事はできない。
・タッチラインをボールが割った場合は、スローインではなくキックインでゲームが再開される。
・フィールドプレーヤーは転倒した状態でボールを蹴る事は出来ない。
・オフサイドルールは適用しない。
・選手交代は何回でも可能。
・国際大会での試合時間は前後半25分の、合計50分間で行われ、ハーフタイムは10分間です。
アンプティサッカーとの出会い
私がアンプティサッカーを知ったのは、今から8年前の2014年アンプティサッカー日本代表がメキシコでのワールドカップに出場した年に遡ります。
ある日、私の友人の桜海老漁師と料理研究家の先生が、私の経営するカフェレストランに来て、「アンプティサッカーと言うパラサッカーがあり、地元静岡市の青年が日本代表のゴールキーパーとしてワールドカップに出場してメキシコに行くのだけれど、その渡航費の殆どは自費で捻出しなくてはならず、それを少しでも応援してあげたい」と話されました。
初めて聞いたアンプティサッカーと言う言葉。
私は当時50歳でしたが、全くの初耳でその存在は知りませんでした。
応援するという事
ワールドカップ日本代表に選出された彼は「長野哲也選手」静岡市に生まれ、社会人となり、ある日仕事中に機械に右腕を挟まれ切断せざるを得ない状態になってしまった。それから彼はアンプティサッカーに出会い、ゴールキーパーとして活躍する事になったそうです。
彼が高校生の時に所属していた地元サッカーのクラブチームのコーチやバイト先のラーメン屋の店主が彼を応援していて、それを友人の前出の2人が相談されたとの事でした。
その当時、桜海老漁師と料理研究家の先生には私の人生を左右するほどお世話になり、生き方自身も変えられるほどの影響を受けておりました。
私が飲食店の経営が大変な時期に出会い、人を応援する素晴らしさと応援する事で自分自身が成長して元気を貰える事を教えて貰ったからです。
その人生の恩人2人にお願いされた私は、直ぐに応援する事を考えました。
自分の立場や状況で何が出来るのだろうか?
妻と2人で考えました。
私たちは飲食業で、
わざわざ店に足を運んで頂き、さまざまざ人の人生のほんの一瞬の時間だけど、我々が思いを込めて調理した商品を食べてもらい楽しんでもらう事を生業としている。それを応援する事に変える事が出来ないだろうかと。
「そうだ、シフォンケーキをお客様に食べて頂き、その売り上げ全てを彼の渡航費用にしてもらおう」創業以来、自家製ケーキとして妻が作って来た人気のシフォンケーキは店でも食べれるし、テイクアウトも簡単にできます。
お客様が当店(サリーズカフェ)のケーキを楽しんで頂き、それがアンプティサッカー選手の力になるので有れば、買って食べてくれたお客様も応援した事になります。
「シフォンケーキを食べてアンプティサッカーを応援しよう‼️」
と言う事でSNSや店頭で発信してみたところ、
たくさんのお客様が、お店に来シフォンケーキを食べて下さり、テイクアウトでお持ち帰り頂けました。
お陰でシフォンケーキの売り上げ全額を寄付させて頂く事が出来ました。
そこの関わる全ての人達がハッピーな気持ちになる。
自分達が出来る範囲で応援する事がお互いをハッピーにしてくれる。応援するってこう言う事なんだとアンプティサッカー選手を応援した事で気付かされました。
静岡にアンプティサッカーチーム誕生!
ワールドカップは無事に開催されて、
日本代表はグループリーグで
日本1ー0アメリカ
日本3ー0トルコ
日本3ー0イラン(※不戦勝)
決勝トーナメント/順位決定戦
日本0ーアンゴラ
最終戦績11位でした。
その時に応援した有志が集まりその後「アンプティサッカーを応援する会を作り、当時静岡には、まだアンプティサッカーチームがない事で「静岡にアンプティサッカーチームを作りたい」という目標が出来て、たくさんの協力者のご尽力によって「ガネーシャ静岡AFC」が誕生する事に繋がりました。
静岡市にはJリーガーの三浦和良、三浦泰年兄弟のお母様、良子さんがお寿司屋さんを経営しており、良子さんもアンプティサッカーを応援する会に加わって下さり、私の店や良子さんのお店で相互に会合や交流を深めていた事もあり、そのご縁でガネーシャ静岡AFCの名前は三浦泰年さんが命名して下さいました。
アンプティサッカーを知って下さい
今では、私にアンプティサッカーの存在を教えてくれた桜海老漁師の原正英さんがガネーシャ静岡AFCの代表となり、料理研究家の本田淑美先生やたくさんのボランティアスタッフがそれを支えて、練習会のお手伝いや大会への帯同で選手達を支えて下さっております。
選手とボランティアスタッフは時々小学校、中学校、高校の校舎に赴き、アンプティサッカー体験会でクラッチを使い片足でボールを蹴ってみて、それがどれほど大変であるかを知り、彼らが事故などで障害を負ってしまった経緯やアンプティサッカーとの出会いを聞く事で、障害を負っても前向きに人生を生きる素晴らしさと、生きる事への勇気を伝えております。
折れない心
障害を負った時に負った心の傷は如何ばかりか、なぜ自分が手や足を失わなければならないのだろうか?手や足が片方無い事で、周りの目が気になり外に出る事が嫌になる。死んでしまいたいと思った事もある。
家族の心的なご苦労と気遣い。
アンプティサッカーに出会い、彼らは頑張れば自分も家族も前向きに生きられる事を知り、お互いを応援し合い思いやり、チームの為に全力を注ぐ。
一歩踏み出す事で始まった人生のセカンドステージに彼らは「折れない心」を持って今日も日々練習に励んでおります。
その心を少しでも応援出来る様に、私はこれからも自分ができる範囲でアンプティサッカーを人に伝えて応援したいと思っております。
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