「なぜ私は私なのか」
知識欲を満たしたい時に
「知らない単語をWikipediaで調べて、その説明から芋づる式に知らない単語をさらに調べる」
ということをたまにやります。
今日はそういう気分だったので、ふと「共感覚」で調べたところ、タイトルのような問題に行き着きました。
以下、全ての引用はWikipediaからのものです。
そのため、若干信頼性には欠けるかもしれません。ご承知おきを…。
「なぜ私は私なのか」
説明の冒頭にはこうあります。
哲学の一分野である形而上学、または心の哲学の領域で議論される問題のひとつ。この問題は様々な形で定式化されるが、最も一般的には次のような形で表される問題である。
世界中に今現在 沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてきて、これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?」(Why am I me, rather than someone else?)
誰もが人生で1度は思いそうなことですが、確かに不思議ですよね。
考えれば考えるほど分からなくなるような……そんな感覚になります。
哲学の世界でも未だ正解は出ていないようで。。
ですが、解答の候補が載っていました。いまのところ以下の6つのようです。
1. 「擬似問題である」
2. 「私しかいない」
3. 「ただそうなっている、としか言えない」
4. 「私は生けとし生けるもの全てである」
5. 「私は全世界である」
6. 「「私」も消滅している」
どれが一番みなさんの感覚に近いでしょうか?
wikiのページの「解答の候補」という項に載っている説明を見る限り、私は5番がしっくりくるかな、という感じがします。
哲学をかじったことすらない私にはどれも考え方が難しすぎるので、ほんとうになんとなーーくの感覚ですが。笑
たまにこういう問題に触れると、世界って謎だらけだな、と改めて感じてしまいますね。
私がここにいることすら謎だなんて……なんとも考え甲斐のあることです。
この問題の関連で「コウモリであるとはどのようなことか」や「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」などという問題もあるようです。さらに難しそう。
哲学など興味のある方はこちらも調べてみたら面白いかも?
よければ、ぜひ。笑