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裸足で歩く人々 |インド旅行記 #02

インドで目にした、驚きの光景、裸足で歩く人々について書きたいと思います。写真で改めて見ると、子供達の足も大きくて丈夫そうですね。


インド旅行中の履き物は?

インド旅行中、田舎ばかりを回っていました。靴はビーチサンダルなど、脱ぎやすく、洗いやすいものを履くのが便利でした。なぜかというと、トイレに行くと、床がびちゃびちゃなことが多く、汚れたりした時、洗いやすく、清潔に保てるからです。(トイレについては一言では語れないので、また別の機会に説明します!)もう一つの理由は、寺院にお参りに行くと、必ず脱いで裸足で歩かないといけないから。なので、今回の旅行で回った田舎の地域では、ビーチサンダルを履いている人が多かったです。

裸足で歩く人々

丘や山の上にある寺院や、大きな寺院になると、寺院にたどり着くまでの道のりを、裸足で歩く人を見かけるようになります。これも一種の巡礼の作法、信仰心を示す方法と思います。日本なら、お遍路さんが、足袋を履いて歩くのと似た感覚でしょうか?違いは、インドは裸足であるということ。丘や山の上にある寺院は、上まで車で上がるのに、15分くらいかかる場合もあり、下から上までかなりの距離があります。それでも、子供でも、家族全員で登る人達を多く見かけました。

どんな道を裸足で歩くのか?

道は、舗装されている場合もあれば、砂利道の場合もあります。足は痛くないのかな?と思うのですが、普通にむしろ笑いながらとか、歩いているのです。それも、1つの家族だけではなく、何人も。丘や山の上にある寺院の入り口まで車で行けるのですが、そこまでの車道は、一方通行くらいの狭さの道を無理やり、両方向の道として使っているくらい幅が狭い。その車道に歩行者スペースの余裕もない中、車道の端を歩き続けるのです。片道だけでも、2時間以上はかかるくらい。かろうじて、道ではあるけれども、ほぼ登山くらいのハードさを、裸足で登るってすごい、信仰心の高さがなせる技なのか、尊敬しかなかったです

グループで巡礼する村人

村人たちが一緒に、夜になると寺院までお参りに行くことがあるようです。そんな時、みんなでワイワイ言いながら、寺院まで練り歩きます。それも、当たり前ですが、裸足。この方達も、かなりの距離を歩いているようです。ここまでくると、裸足の方が普通、履き物履くのは、特別な時なのかなと思うくらい。裸足で歩く人たちがいても、驚かなくなりました。

私たち、日本人は裸足で歩けるのか?

裸足で歩くのが普通だと理解できても、日本から来た、今だけ寺院巡ってますという、ひ弱な私たちには到底真似できるわけもなく、寺院の入り口近くまで車で送ってもらって、そこから裸足で歩いていました。それでも、小石が痛くて、歩く速度も遅くなりました。不思議なもので、痛くても、裸足で歩くのは気持ちがいいもの。その場や空気を感じるには、最適な方法だとわかりました。

アーユルヴェーダ的に裸足の生活は最適?

アーユルヴェーダの教えの中に、季節を感じることの大切さが細かく記載されています。裸足で歩くと、今日の温度を肌で感じる以上に感じることができます。道が濡れている時、視覚的に加えて、感覚的に濡れていると感じることができます。同じ濡れているのも、ヌルヌルしているのか、サラサラなのか、温かい地面なのか、柔らかい地面なのか、それによって感じ方も違います。裸足で歩くだけで、五感が鍛えられ、季節をより敏感に感じられるのではないかと思いました。これは、自分的には大発見!勉強している時に、季節の移り変わりを感じなさいと書かれていても、それって、都会に住んでいると難しいなと思っていたのでした。一方、古典書の中には、靴を履くことが大事ともを記載されているので、どっちが本当は良いのか、決めることは難しいと思います。アーユルヴェーダでよくある、見かけの部分では矛盾があるけれども、時、場をわきまえて、適度に実行するのが最良ということに当てはまるということを、自分なりの結論にしました。

日本で実行できることなのか?

ツアーの初めは、え〜ここから、ずっと裸足で歩くの?無理無理!と思っていた私も、最後の方では、裸足でもっと歩けるようになりたいなと思うようになりました。でも、日本に帰ってきてから、鍛えようがない。流石に、東京で、街中を裸足で歩いて、電車には乗れないです。土の上を歩くとリラクゼーションにもいいと言われてますので、公園ならできそうかな。少し暖かくなってきたら、挑戦しようと思います。

”インド・ティルパティ寺院までの道のりを裸足で歩く家族” 
photo: サリーびと



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