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嫌いなクリスマス。ほんの少し自分に優しくなれた

私にとって1年で最も気分が沈む時期が終わった。終わったからといって気分が晴れるわけではないけど、ピークは超えた。

クリスマスイブとクリスマス。

イブは愛犬の命日で、クリスマスは火葬をした日だ。

7年前のあの日からクリスマスが嫌いになった。

元からクリスマス大好きだったわけでもないし、「ケーキを食べられる日」というくらいの認識しかなかったけど、街がイルミネーションで飾られ始めると、街のきらびやかさと反比例するように私の気分は暗くなるようになった。

去年書いた記事。

今読むと、だいぶ強がっているなと感じる。

「悲しみを乗り越えた」なんて書いてるけど、乗り越えていない気がする。

どうなったら「悲しみを乗り越えた」と言えるのだろう?

泣かなくなったら?思い出さなくなったら?

そもそも悲しみって乗り越えなきゃいけないの?

そんなことを思うのは、祖母との急な別れもあったからだろうか。

今月上旬、祖母がなんの前触れもなく亡くなった。お別れをする心の準備もさせてもらえなかった。

私はおばあちゃんっ子と言えるほど祖母と特別仲良しというわけではなかったけど、色々な思い出が頭に浮かんでくると「ああ、私は可愛がってもらってたんだな」と思えて、涙が出てきた。

けれど、未だに悲しみに浸りきれていない。

子供みたいに「うわーん」と声を上げて泣いていたのに、急に「泣き腫らした顔で仕事に行きたくない」とか「お風呂入らなきゃ」などと冷静になって涙が止まってしまう。

なんて薄情な人間なんだろう、と自分が嫌になる。

悲しみに浸りたいのに浸れない。

子供の頃、家族が亡くなっても泣かない両親を見て、「大人って泣かないんだ。強くなるんだな」と思ったけど、きっとそうではない。

忙しすぎるんだ。

どんなに悲しくても明日はやって来て、仕事に行かなきゃいけないし、掃除や洗濯だってしなければいけない。

生きるのに忙しすぎて悲しみに浸る時間がないんだ。

悲しみの度合いによっては、悲しくて何も手がつけられなくなったりするかもしれないけど、今の私は悲しくても冷静さを持ててしまう。

でも、気を抜いたら愛犬のことも祖母のことも思い出して涙が出てくる。

やっぱりクリスマスなんて、12月なんて嫌いだ。

そう思っているけど、今年はほんの少し、1時間半だけは幸せな気分にもなれた。

松室政哉さん(ムロくん)のおかげだ。

12月23日に開催された「松室政哉が歌ってみた。5回目」。

クリスマスイブ前日に開催だし、「10月からクリスマス」と言うほどクリスマス大好きなムロくんのライブなので、クリスマスソング中心になることは事前に知らされていた。

承知の上でチケットを買ったくせに、楽しめるかどうか不安だった。

だってクリスマスソングってやたらとキラキラしてて甘ったるくて幸せそうで。

クリスマスという時期だって、楽しく幸せに過ごして当然という雰囲気があって、私はいつも居心地の悪さを感じる。「クリスマスが悲しい」と言うなんて空気読めないやつみたいな。

だから去年の記事も、嘘は書いていないけど、なるべく空気を壊さないように気をつけて書いた。

そんな不安をムロくんは拭ってくれた。

「クリスマスが辛い人もいるだろうけど」

最初のMCでこう言ってくれたのだ。

会場からは「ひどーい」という声も上がったけど、私は嬉しかった。

「みんなクリスマスって幸せだよね」という前提で歌われるのと「クリスマスが辛い人もいるだろうけど、それでもやっぱりクリスマスくらいは幸せな気分になってほしい」という前提で歌われるのとでは全然違う。

何気ない一言だったけど、クリスマスが嫌いな私もこの場にいていいんだと思わせてくれた。

そこからは純粋に音楽を楽しめ、自然と笑みも溢れた。

セトリ↓

特に10曲目の「ラストクリスマス〜クリスマスイブ / Wham!、山下達郎」は感動した。

流れが自然すぎて、「あれ?これって違う曲だっけ?」って思うほどだった。

11曲目の「WHITE BREATH / T.M.Revolution」はそう来たか!とテンションが上がった。お客さんみんなそうだったんじゃないかと思うくらい会場の熱も上がった。

今回は、アンコールを除いて全編カバーのライブ。カバーがただのカラオケにならないのは、ムロくんが原曲を大切にしながら自分の色も出せるからだと思う。

あっという間の1時間半だった。

そして、その1時間半は間違いなく幸せだった。

会場を出た後は、愛犬や祖母のことを急に思い出して、涙を堪えながら歩いてしまったけど、あの幸せな記憶は沈んでいた私の気持ちを1ミリ引き上げてくれた。

それが理由だからかわからないけど、クリスマスイブもクリスマスも7年前の同じ日のことよりも、もっと前の愛犬と過ごした幸せな時間の方をたくさん思い出せた。

それでも愛犬がもういないことに変わりはなくて、悲しくて泣いてしまったけど。

きっとこれからも私は12月もクリスマスも嫌いなままだろう。

嫌いなままでいい。

けれど、ずっと不貞腐れてるのではなく、ちょっとした楽しみや幸せも見つけていきたい。

もしかしたら今まで、「悲しいんだから幸せを見つけちゃダメだ」と思い込んでいたのかもしれない。

悲しいからといって「悲しい」しか感じちゃいけない理由はない。

同時に色んな気持ちを持っていいんだ。

自分にほんの少し優しくなれた。

今年はそんなクリスマスだった。

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