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私がわざわざ『フェミニズム』という理由

こんにちは。更級志織です。私は今でこそフェミニストで、こんな記事を書いていたりしますが、以前は人並みにフェミニズムに対する忌避感はありました。その原因はなんだったのか、説明してくれる本に出会いました。その本の内容を交えつつフェミニズムに対する忌避感の正体を説明します。

その本とは韓国の『私たちには言葉が必要だ〜フェミニストは黙らない〜』です。軽く内容を紹介します。韓国では江南女性殺人事件以降、女性たちが男性から女性差別に関する質問を受ける機会が増えたそうです。女性たちは自分の被差別体験を話しますが、男性たちは理解しないどころか、「そんなのは差別ではない」と心ない言葉さえ投げかけます。作者はそんな男性たちを強く非難します。そして、女性たちにわざわざ男性に女性差別について根気強く教える必要はないといいます。男性が女性問題に理解を示さない、あまつさえ被害者の言葉を否定するとき、女性たちは、『ああ、この人は差別されないんだな、女性じゃないから』と思い、被差別属性である自分の立場を思い知ります。

往々にして、女性が男性に女性差別について教えるとき、まるで相手が腕を組んで離そうとしない強者で、こちらが必死にその腕にしがみつく弱者のような気になる時があります。本来ならこの現象はおかしいです。男性は女性差別に関しては女性に『教わっている』立場です。男性は女性より女性差別に関してよく知っているということはあり得ません。女性は生まれた瞬間から差別を体感しています。言語学習でいうなら、ネイティブです。

では、本題の『なぜ私たちはフェミニズムに忌避感があるのか』を説明します。その原因はおそらく、『女性専用のもの運動が気に入らない』という感覚です。長い間、パブも議会も男性専用でした。男性はすべての問題を決めてきました。女性のことでさえなんでも決めました。中絶すべきかどうか、いつ結婚するのが望ましいか。

フェミニズムは女性専用の問題です。フェミニズムが時に男性の利益になることもありますが、あくまで副次的な産物です。

議論の場を独占していた男性はフェミニズムの台頭に、自分たちの立場を否定されたような気がするはずです。ぼくたちがなんでも決める。ぼくたちが頭を突っ込んでよくない問題はない、そう思ってたところにいきなり「女性のことは女性で決めます。頭を突っ込まないでください」と言われたら驚くのも当然です。

フェミニズムが女性専用の問題なのが気に入らない男性たちは代わりに『男女平等』という言葉を提案します。男性差別もある、ぼくたちを無視するな、と。

果たして、『男性差別』など存在するのでしょうか。私はそうは思いません。男性が可愛いと馬鹿にされる?だから男性差別はあると言っていいのでしょうか。

ずっと、男性は人間で、女性はトロフィーだったと私は考えます。だから女性は着飾ることを要求されます。男性は着飾れない、女性は着飾ることを要求される、だからといって『どっちどっち』にするのには無理があります。男性が可愛い格好をして笑われるのは、女という格下の存在みたいだからです。

男性がデートで食事代を支払わなければならないのは、長い間、それを口実に恋愛関係においても家庭においても女性を支配していた、女性差別をする代わりに支払わなければならなかったコストではないでしょうか。

歴史において、さまざまな規範を作ってきたのは男性です。徴兵制だってそうです。それを男性差別だとかいってまるで女性が男性を差別しているかのような言説には賛同できません。

そもそも、たとえ男性差別もあるからといってフェミニズムが女性専用であってはいけない理由がありません。『男女平等といえ、フェミニズムというな。』という男性は、そんなことを言う前になんでもかんでも自分たちが頭を突っ込んで当然と思うその心を問い直してはいかがでしょう。わたしは『私たちには言葉が必要だ』の作者と同じく、まるですでに男性と女性が同じ機会があるかのように『男女平等が大事』なんて言いません。誤解を恐れずにフェミニズムの達成、女性の権利拡大、と言います。




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