幽霊、2024年12月の仕事。
12月の仕事は『ZAITEN』の連載コラム。
ZAITEN『時代観察者の逆張り思考』
1月号は「学閥主義の世俗離れで行き詰まる公明党」。
タイトル通り、衆院選での公明党惨敗の話。
『週刊新潮』の時間が三十年止まっている乙骨テンプレ記事に失笑している人や、正木伸城とかの信濃町出身者特有の引かれ者の小唄に苦笑いしているどぐされマニア向けの下世話で身も蓋もない話。
そんなニーズがあっても困るのだが、年末になると学会話を書いているような気がするな。昨年も現代ビジネスで書いてた。
附記徒然。
残りの2024年の仕事は『ZAITEN』2月号の連載コラムだけだ。
コラムニスト復帰から10年、幽霊のように、ほとんど誰も見ていない低空飛行のまま、よく続いたものだと思う。
とはいえ、批評家を名乗っていたのも10年くらい(1999〜2009年)なので、それより長く続きそうなのは嬉しく思う。
批評的な言葉の文化圏は、現世利益のポピュリズムと党派性に蝕まれ、すっかり「文化的ならず者」たちの世界になってしまったが、もうそれに関しても他人事だ。好きにすればいいよ。
連載コラムではせいぜいおちょくるつもりだが。
「編集者が本当にクリエイティブな仕事ができる定年は35歳だ」と、雑誌編集者だった頃の上司が口癖のように言っていたが、確かにその通りで、もうこの歳で雑誌の編集は難しいだろう。
体力的な問題もあるが、40を過ぎた頃から無常観が強くなるというか、世の流行り廃りへの粘り強さがあからさまに失われていくからだ。
批評家やコラムニストの類はその無常観を言語化することもできるから、もう少し定年が遅いのだろうが、こちらも年齢的に長期連載のコラムだけが続く最晩年に入っている。
山口瞳『男性自身』、森茉莉『ドッキリチャンネル』、山本夏彦『笑わぬでもなし』、小林信彦『本音を申せば』……昔から「最晩年のコラム」が好きだったから、それが最後に残ったのは僥倖と言える。
いまどきそんなものを書きたがる者も、書かせる媒体も珍しいので、せめて努力と研鑽は怠らないようにしたい、とは思っている。
最晩年も長く続くに越したことはない。
とはいえ、新規の仕事も一応請けている。
そもそも、復帰後の窓口になってもらっていたサイゾー編集部や弟から、「そろそろ独りでやれ」と言われて始めたのがこのnoteだ。(復帰の時点ではまだ完全に文章仕事への気力が回復してなかったので、窓口を任せていた)
連絡先は以下の通り。
辺境で野垂れ死ぬのはあと何年か。
そんなことを常に思いつつ、2025年もコラムは続く。