幽霊、2024年11月の仕事。
11月の仕事は『ZAITEN』の連載コラムと、久々に『現代ビジネス』の『時代観察者の斜め読み』。
ZAITEN『時代観察者の逆張り思考』
12月号は「或るサブカル言論人たちの死」。
立て続けに福田和也と唐沢俊一が亡くなったので、久々にサブカル言論界隈の話。
筆者の立場は「とうに文化には飽きてしまっているが、生来の教養と矜持が足枷になって堕落できないので、代わりに孤高を選ぶ」だが、その観点から書いている。
現代ビジネス『時代観察者の斜め読み』
昨年の大晦日以来、久々の現代ビジネス『時代観察者の斜め読み』連載、「NHK紅白歌合戦裏番組の歴史」全5回一挙掲載。
時事ネタだから掲載時期を調整した結果とはいえ、それを差し引いても膨大な分量なので、そりゃ10ヶ月ぶりにもなるよな、と思った。
もしこの先も続くとしたら、たぶん年イチくらいの連載になるんじゃないか、と思うけど、どうなるのかな。
附記徒然。
今回で『ZAITEN』連載『時代観察者の逆張り思考』は86回目になっていて、気がつけば『サイゾー』連載『批評なんてやめときな?』の全82回を超えていた。
『ZAITEN』のコラム読者は、佐高信や適菜収や古谷経衡や井川意高とかの読者が大半のようで、日経の広告にも記載されていないので、たぶん担当編集の河野さん(いつの間にか編集長に昇格していた)の物好きな好意だけで続いている。
そもそも、『批評なんてやめときな?』を見て、サイゾー編集部に連絡してきた時点でかなりおかしい人物なのだが。
当時はこのnoteもなく、web上ではまったく活動してなかったので連絡先が分からなかったからだが、当時の編集長だった真鍋さんも加えた3人で会うことになり、最新号を手に取ったときは「……この雑誌で何を書けばいいんだろうか?」と首を傾げていた。
しかし、「あ、リニューアルで連載陣が入れ替わるので、自由に書いてください」と言われたので、その通りに書いている。
さすがに当初は『批評なんてやめときな?』と棲み分けるため、『ZAITEN』は政治経済ネタ中心、『サイゾー』はサブカルネタ中心にしていたが、『サイゾー』が季刊化で無名なライターの連載を一斉に切ることになったので、いまは『ZAITEN』で両方扱っている。
もっとも、86回の連載で過去イチ反応が良かったのは、今回の衆院選でも激戦区になっていた筆者の地元のローカルな政治ネタで、ヘイトスピーチで話題の人になっている著名な右派ジャーナリストのブログ記事にまるまるパクられていたのは、大笑いしていた。
大笑いしたのは、このジャーナリストが、以前『ZAITEN』に持ち込みに来ていた=読者ということが判明しているからだが、担当さんはかなり苦い顔をしていた。
古谷経衡や井川意高のコラムと違って、筆者のコラムは『ZAITEN』公式サイトで公開していないから、パクってもバレないと思ったんだろうな。
まあ、良くも悪くも無名だからこそ、筆者のコラムは細々と続いている。
いまどき、テレビやラジオのコメンテーター活動で日銭を稼がない署名ライターなんて経済的に成立するわけがないのだが、おかげでイデオロギー的にイキった「劣等民族」発言で物議を醸すこともない。
まあ、うっかりオフィス・トゥー・ワンとかに所属したら久米宏の批判が書けなくなるしな。前にTBSネタのときに書いたら、古谷経衡への配慮とやらで没を食らったんだけど。
今回の『時代観察者の逆張り思考』の〆でも書いたが、筆者は蜘蛛の糸に縋るサブカル言論人の競争から早々に降りた東京の世捨て人で、もともと希薄な同業者との人付き合いも、20年代に入ってからいよいよ皆無になっている。
なので、誰かと関係があるように言われると笑ってしまう。お前の時間は止まっているのかと。
たとえば、2009年に批評家を辞めた理由のひとつは、『サイゾー』の特集記事をきっかけに宇野常寛という批評家との関係を糾弾されたからだが、2019年頃には疎遠というか絶縁していたので、その批判は現在、有効ではない。
理由はよく分からないのだが、とあるパーティーで荻上チキが「こいつと縁を切れ!」と筆者を指差しながら「忠告」していたので、忠実に従ったのだろう。
サブカル言論人の世界は、そういう訳の分からない処世術ばかりだ。
だったら、誰とも付き合わぬほうが気が楽だ。
それはそれとして、『サイゾー』の連載は100回まで書くつもりだったので、終わったのはかなり残念だったが、『ZAITEN』がこの調子で続けば、あと一年と少しで100回達成となる。
『批評なんてやめときな?』を書いているときは、これが最後まで残る仕事だろうな、と思っていたが、いまは『時代観察者の逆張り思考』が最後まで残る仕事だろうな、と思いながら書いている。
山口瞳が『週刊新潮』で連載していた『男性自身』みたいなものか。
筆者が語れる範囲で歴史に書き残すべきことがあれば、単著を書くべきだったのだろうが、結局、田舎サブカル人種に悪用されることへの嫌悪感のほうが先に立って、何も残さなかった。
自分に教養というほどの教養があったのかどうかは分からないが、矜持だけは抱いて死んでいこう。いまはそう思っている。