幽霊、2024年10月の仕事。
10月の仕事は『ZAITEN』の連載コラム。
ZAITEN『時代観察者の逆張り思考』
11月号は「TBS「ラジオの落日」と「テレビの迷走」」。
TBSラジオの営業担当者が広告主に無断でCMの内容を差し替えて三村孝成会長辞任へ至った件と最近のTBSテレビの諸々、という話題。
附記徒然。
同世代や年上の人たちのノスタルジーを肯定し、慰撫するような原稿を書きたくなかった。
批評家や評論家の仕事を辞めた理由のひとつだ。
批評とは消費文化のマニュアルを作ることである以上、現在進行形で次々と生まれてくる作品の正否を評価しなければ意味がない。
そのためには過去を切り捨て、隔絶しなければならなかった。
1980年代後半に60~70年代の名作マンガをアニメ化や実写化する一種のリバイバルブームがあり、首を傾げていたことがある。
漫画業界の流行の地殻変動が早すぎて、アニメ業界が対応できなかったので窮余の策だったのだろう。
それがプラスに働いた例は『ゲゲゲの鬼太郎』で、現在まで続くコンテンツになったが、リム出版の『8マン』のような悲劇もあった。
昨今も80~90年代のアニメ化作品をやたらとリメイクするブームが起きている。
数年前のそれはパチンコ、パチスロ化に伴う副産物だったのだが、いまはシティポップブームと絡めて音源を売ったりしている。
『うる星やつら』のことだが、これは原作漫画寄りに作り直すという大義名分があった。
『ウイングマン』実写版もそういう意図なのだろう。
80年代のアニメ化というのは、(当時の風潮も相まって)他の時代と比べてもいい加減だったから、その気分自体はよくわかる。
ところが、『らんま1/2』は声優まで前のアニメ版と同じで、本当にただのリメイクっぽいので、いったい誰がハンコを押したのだ、と困惑する。
ちなみに、00年代の筆者はかなり真面目に怒っていた。
こんなことをノスタルジーの塊のような対談相手に話していた。
なんでこんな真面目に話していたんだろうかな。
今だったらこういう会話の場には出向かないだろうし、同世代や上の世代と話すこと自体、かなりきつい。
実際、この時点で精神的限界に達していたので、以降は仕事を縮小していくことになったのだが、決定的に嫌になったのは、そうして入ってきたはずの若い人たちですら、早くもノスタルジーに囚われていることに気づいたからだ。
5歳くらい下の若い人たちが(彼らもいまは40代だが)、筆者よりも保守的な言説で上の世代に媚びていたのを見て、馬鹿馬鹿しくなったのだ。
廃業して5年くらい経って、精神的にいささか快復したので、コラムニストで復帰したのだが、自発的に現在進行形の作品を評価することは止めた。
まあ、一言二言程度は触れているのだが、批評家の看板で書くと、それ自体がパターン化してしまうというか、心底どうでもいいと思っている作品まで手癖で捌いてしまうからだ。
批評家の看板を背負うと、過剰にその職務を全うしようとして壊れることにも気づいたのだが、何を喰わせても金太郎飴のように同じようなイデオロギー批判しか出てこない同業者が多いのも嫌だった。
だから、たまに依頼されてテレビドラマの感想を書いたりはするが、ノスタルジーの匂いしかしない作品はそもそも視界に入れないようにしている。
ノスタルジアの風呂に浸かっている人々は相変わらずで、死ぬまでそれは変わらないだろうから、言うだけ無駄だ、という諦念もある。
コラムの連載も長くなると、世間や界隈への怒りが薄まってきて似たような主旨の回も出てきて、少し嫌になることもあるのだが、できるだけ時事の話題を加えて変化をつけようと思っている。
まさに今回のコラムがそれなんだけどね。
附記徒然の続き。
ある仕事で、30年前のライター活動初期のことを訊かれたので、少し触れておく。
もともと同人サークル「FAKE OFFICE」として、雑誌の創廃刊情報の同人誌を作っていたのが、司書房の編集さんにスカウトされて『ラッツ』のハシラを書くことになったのが最初の仕事だ。
この名義ではコアマガジンの『ホットミルク』でも「雑誌事評」を書いていたが、サークルメンバーの4人で書いていたので、誰がどれを担当していたのかは曖昧だったりする。
後に「更科修一郎」になる筆者は、実はスカウト以前も少しライター仕事をしていたのだが、ほとんど無記名や使い捨てのペンネームだった。
ソロ仕事用の名義として「更科修一郎」を使うようになったのは1996年に書いた『雫』というアダルトゲームの紹介記事からだが、この名義とて、従弟と2人の合同ペンネームだった時期があるから、ややこしい。
逆に従弟のペンネームに間借りしていたこともあるし。ジャンルや縄張りの問題で。
ようは、仕事の種類でペンネームを使い分けていた。
名前がそれほど重要ではない時代だったのだ。
完全にソロ仕事用の名義になったのは、00年代に入ってしばらく経ってからなので、このあたり、過去のアーカイヴを参照する際にややこしいことになっているようだ。
まったく関係ない人物と間違えられたり。
そういう記事を読むと、本人に確認のメールのひとつでも送ればいいのに、と思うのだが、筆者はかの業界的には死人ということになっていて、接触すると仲間内で吊し上げられるとのことで、こちらとしては苦笑いを浮かべるしかない。