幽霊、2024年9月の仕事。
9月の仕事は『ZAITEN』の連載コラム。
ZAITEN『時代観察者の逆張り思考』
10月号は「フワちゃんとGAFAとトニー谷の芸能史」。
不破遥香というタレントが、Xでのやす子への暴言ポストで大炎上した話をマクラに、パックス・アメリカーナの日本芸能史。
昨日、『24時間テレビ』でそのやす子のマラソンを観ていたが、そういえば去年、『24時間テレビ』の話を書いていた。
番組のターニングポイントは1992年(第15回)の番組リニューアルで、バラエティ路線へ転換したことで現在まで延命しているが、その時点で番組の社会的使命は終わっていた。
延命したとはいえ、更にそこから32年も経てば、日テレバラエティ詰め合わせ路線もとっくに飽きられているわけで、いっそのこと、報道・ドキュメンタリー路線へ回帰しても良いのでは?とも思うが、それはそれで金がかかるから無理なんだろうな。
時間と手間はかけるべきだと思うが。
能登半島地震やこども食堂にフォーカスを当てるのは悪いことではないし、現場レベルでの反省はいくつも見られた。
『ヒューマングルメンタリー オモウマい店』特別編の能登の寿司店4ヶ月取材は実質2週連続の続きものだったが、時間と手間をかけただけの価値はあった。
ただ、コンプライアンスに慎重になりすぎて萩本欽一の伝記ドラマの描写がおかしくなっていたのは苦笑いだった。
ストリッパーが「踊り子」になっていて、観客に女性がいるという。
いまは文学フリマでレポート同人誌がいくつも作られるなど、サブカル化しているが、昭和30年代の浅草フランス座に女性の観客はいないだろう。
治安的に。
このドラマ枠、時代考証まわりで毎年何かしらのツッコミどころがあるので、そのあたりも慣れてしまっているが。
附記徒然。
サブカルの宜しくないところは、マニアックなジャンルほど年々、排他的にカルト化し、評者への嫌がらせが横行することで、その結果、かつて扱っていたジャンルへの興味を失っていく。
それでなくとも、ジャンルライターの仕事から離れているので、もはやサブカルとは言い難い、マスで非マニアックな趣味しか残らなくなっていく。
テレビ・ラジオの定点観測みたいになっているのはそういうことだ。
もっとも『ZAITEN』でアニメ、ゲーム、アダルトメディアの話をするのも場違いなので、現状としてはこれで良い、ということになる。(漫画はギリギリだろう)
昨年の今頃はもう少し仕事を増やすべきだと思っていたが、時評と過去の記憶で書く仕事はそもそもそれほど読者と噛み合うものではない。
世代的な問題もあるし、批評的言説に対する世間の拒絶反応も年々増している。
現在の肩書はコラムニストだが、好意的に紹介することでアフィリエイトを稼ぐYouTuberではないので、ある程度は批評的言説にならざるを得ない。
同業者(ライター)の友人もいない。
昔はいたが、『ZAITEN』や『サイゾー』で書いているという、あまりにもアウトローな立ち位置なので、接点を持つとライター界隈の仲間内から吊し上げられるとのことで、皆、疎遠になった。
とはいえ、友人になりたいと思えるようなライターも思いつかない。
そう思えるライターはだいたい死んでしまった。
これで食えると思えないから辞めたので、復帰した際もこれで食うぞ、とは思っていなかったが、書くという行為そのもの以外で楽しいと思えることもないので、『ZAITEN』の連載が終わったら、再び廃業するのだろうな、という気がしている。
復帰当初は、自分が見てきたジャンルの歴史を書き残しておきたい、という欲望もあったが、皆、自分の信じたいものしか信じないのだから、流れに棹差すのは無意味だ、と結論づけた。
世は無常なり。