本選びに悩む
最近梅田の紀伊国屋書店で本を選んでいると
24歳の女性に声をかけられた。隣に連れの方
もいたが社会人になって読書を始めていきたいが
本屋でどれを選んでいいのか悩んでいるのだという。
なるほど・・・そんなものは己の感覚に従って
手当たり次第ガリガリ読めばいいんじゃないか
・・・と喉元まで出掛かったが・・・控えた。
20代には20代なりの悩みがあるのだろう。
ワケ知り顔で上から目線で説教くさいこと
言ってくる人間がそういえば僕は大嫌いだった。
けれどその年齢になってくるとその方たちの
心境のようなものもまあ分かる。
ちょっと微妙な心境だ。そう
人はそうして歳を取っていく。
話が逸れた。で、その女性から質問されて
以来、本屋でどの本を選んだらいいのか
悩んでる20代の人に何か伝えられる
ことがあるのではないかと思うようになった。
というか僕が二十代だったころに声を
かけられるならどのようなことを
言うだろう?そう考えながら書いている。
✴︎
そこで本屋でどの本を選ぶべきかと悩んだ
時は大きく分けると3つのジャンルで
選び悩んでいることが多いのではないか?
と思い至った。それは図式化すると以下のように
まとまった。
本屋で本を選ぶとき漠然と
3種類に分別して今日はどれにしようか
と選び悩んでいるように思う。
Cに向かうほど専門性が強くなっていく。
Bになると何となく専門書が
身近に感じられていく。
たとえば名著を漫画化して
読みやすくなった本とかは
けっこうこの辺りに当たるような
気がする。
で、たまにAという本に出会うことがある。
ランナーズハイならぬ読書ハイになる瞬間である。
おそらく一度でもこの体験をしてしまうと
またあのような感動的な体験をしたいと
人は熱望し、次々と本を読む。ある種
活字ジャンキーと言われる方々がそう
言われる理由だ。
でもなかなかAと出会うことは稀で
あるように思う。そしてそれは読む
タイミング、それは年齢であったり、
読む環境もその読書体験に影響する。
あまりに背伸びして読んだり、
歯を食いしばって通読するの
考えものであるように思う。
みんなが名著だと言っているのに
私には全くよさが分からない、悔しい!
と、たとえば『罪と罰』を歯を食いしばって
通読した所でいい読書体験になる可能性は低い。
僕がそうだった笑。
何事もそうかもしれないけれど、読書も
積み上げの学問やスポーツと同じだ。
初級者の人が上段者と取っ組み合いをしても
歯が立たないのと同じで、初級者の人が
上段の本を取ってもさっぱり分からなくて
歯がゆい思いをしたこともあるだろうと思う。
でもそれはその人の知性が足りないのではなく
単にタイミング(つまり読む時期)の問題で
あるように思う。
でも、それでいい。このくそったれ!
全くワケわかんねーぞ!
と悔しい感情が湧けばこっちのものである。
その感情が次の本を手に取るモチベーションに
繋がっていく。
また、ABCという要素は最終的な
ところ自分自身で本から見出して
行くものでもあるように思う。
たとえば僕はHUNTER×HUNTER
という漫画が好きだが、この本を
ただのエンタメとしてサーっと読むことも
出来ればそこに哲学を見出すことも
可能だろう。
さて、また話が逸れた。僕も含めて
本を選ぶ時に人は根本的に今の自分とは
違う自分になりたい、とささやかな渇望
を抱いているのではないだろうかと思う。
いい本は人を鼓舞し、感動させ、また
実生活で役に立つ。一見、小説などは
すぐに役に立つとは思えないことも
あるかもしれない。
でもたまにふと、ああ
あの時、あの本で伝えたかったことは
こういうことだったのかもなという瞬間がある。
そういう時に思う。読書に無駄な読書
というものはなかったなと。
そういう意味ではある種読書とは精神的な
予防接種に近いとも言えそうだ。
すみません、まとまりが無いですけど・・・
今の自分にぴったりの一冊は以外と
何気なしに手を伸ばしたその一冊
であったりもする。あまり深く考え
過ぎなくてもいいのかもなとも思う。
ここまで書いてあれですが・・・笑。
それでは。