お茶でもどうぞ|2024-11-15 日記
二度寝して七時半起床。
起き抜けで、トランスワークで習ったあぐらから立位を試みたら、難なくできた。一番苦手(と自分で思い込んでいる)なので空っぽの状態で試したかった。
思い込みや癖、忖度からでなく箍が外れ、全感覚を全開放してあげるには、顕在的・潜在的諸々全て空っぽなこと、なのか。
空っぽ=虚しいではないのは言える。
守るものなんてはじめからなくて、ただ心身健やかに風通しよく在りたいだけ。
どんなときも、どんなものごとや人にも対等に「聴いてみよう」と知ろうとすること、聴こうとする体勢や姿勢をもてる器を育てたい。
自分自身が、ふかふかの心地いい居場所となる。
それが、誰かの何かのせいなど外的なものの所為にするでもなく、自分が心地よければ、どこにいても、誰といても、心地よい場が開かれるのではないかと、思っている。
今朝のお茶はトゥルシー。散歩に出ようかお茶時間にしようか迷ったけれど、ほっと一息♨
トゥルシーって、トータル感がある。
天と地突き抜けている。
あれこれ兼ね備えているようなきがする。
植物みんなそうか。
今朝の夢は、保育をしていて舞台で誕生会か何か催しを開いている。子どもたちのお茶が足りなくなったので給湯室まで取りに行く。その間に娘たちのお茶や衣装を見立てる。わたしは体育館位天井高くて広いところを飛び回っていた!わたしは飛べることがデフォルトだった。
主任交代したてでこのポジションこんなに大変だったのか!と実感する。かつての主任が出勤し玄関ですれ違うが、全くフォローしてくれなかった。"わたしもフォローしていなかったからだな"と感じた。給湯室さえもわからず、廊下を歩いていた子どもたちに訪ねると「こっちだよ!」と教えてくれる。
おとなと子どもの違いだろうか。したことがかえってきたのだろうか。
今日もますます、ごきげんな一日を〇