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お茶でもどうぞ|2025.1.23日記

6時半起床。
だのにわたしは、(散歩行こうかなぁ)(今朝は何のお茶をいただこうかなぁ)なんて、あれこれ考えながら、結局布団で昼前まで蓑虫のようにすごす。
これに対する感情は特になく、ただ、「そうしてあげられてよかったね、sakiちゃん」と自分に声をかけてあげると、心なしかわずかに体温が上がったきがした。

相変わらずお茶時間(お茶菓子七割)ありきの食事をたのしんでいるが、年末年始の食べても食べてもまだ食べられる欲が、ようやく落ち着いたように感じる。

お腹が重く、苦しくなりはじめていたようにもみていた。
わたしは常日頃から具体的な「これ食べたい!」という欲はあまりないが、時々「でも、これとは、決めていました」ということは、多々あるきがする。

例えば、お腹空いてるからどこでもいいからお店に入ってご飯食べよう、とはならない。

車窓からお店を眺めながら
(うどんって、きぶんじゃないんだよなぁ…。)
(行きつけの喫茶店は好きなんだけど、今じゃないんだよなぁ…。)
(あ!ここ色んなお茶があって、アフタヌーンティーの雰囲気が味わえるカフェだったよなぁ。だけど、今じゃないんだよなぁ…)

そうして内と外を擦り合わせていくうちに

(あ、わたしはサラダが食べたいのか!)
(あ、わたしはチキンが食べたいんだね!) (あ、主食ガッツリよりもアラカルトいろいろが愉しみたいし、デザートがあるお店がいいんだね!)

と自分の内から引き出され、そのまま、素のままの原石が現れる。

時間がかかっても、(面倒だなぁ)と思っても、《自分は今、この瞬間、何を、どうしたいのか》を、今は引き当てることに努めたい。

この日記も、今のわたしのきもちと言葉をシンデレラフィットさせたいという心持ちでさせて頂きます。日々、精進します。

お茶時間では、中国岩茶の出涸らしと台湾茶。
沸点に達した熱々の湯でないと、茶葉は開かぬまま、出し切れぬままだと感じた。

熱いまま、そのまま、目一杯出し切るって、味わい深さ、風味豊かさにも直結するのだなと感じた。

昨日手つかずの山の奥深くで摘み取られた煎茶、対馬山茶を飲みきった。

そして、ちょうどそのタイミングでお茶の本場からお茶が配送された報せを受けとる。
内容が予定と少し違うらしい。愉しみだ!

しかし、タイミングが絶妙である。

今日もますます、ごきげんな一日を⚪️










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sakikawasumi
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