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お茶でもどうぞ|2025.1.16日記
7時半に目覚める。
洗濯をしてストーブを点け白湯を沸かす。
お茶時間と行きたいところだが白湯をすすり、今日は健診を受ける日。
床拭き掃除をして身支度し、健診へ。
駐車場が狭い!こんなの狭すぎる!
駐車するのにひと苦労。
「こんなのどうやって駐車するんだよー!」と独り叫びながら駐車していた時、ふと(わたしは耳を傾けているな)と感じた。
もし、イヤフォンで音楽を聴きながら駐車していたら、耳が塞がっていること、音楽が愉しみでなく邪魔に感じるなど、氣に障ることが多すぎると感じた。
如何なる環境、状況、状態でも、心に触れること、《感じること》はある。自覚、認識する以前に、すでに感じているから。
心に触れることと、氣に障ることとの違いはなんなのだろうかと、自分に問うてみた。
心に触れることは、陰陽、善し悪し、ポジティブとネガティブなど、対極と感じられることはどちらも存在し、それでも明るい方へ向かい伸びゆく植物のように、病院がなくとも傷口を舐めたり必要な草花を食して自己治癒する動物のように、いのちを生きる喜びから在ること。
因果からでなく、《今ここ》から、感じること。
氣に障ることは、これまで生きてきた環境や癖からみていること。トラウマ、カルマだろうか。
穴のあいた服を着て、火の中でも雨水も直ぐ肌に感知し、浸透してしまうような感覚だろうか。
真偽や真価を問いたいのではなく、そもそも
感じたことは感じたままで、そこにあれこれと粘土みたいにくっつけられるものではないのかもしれないなと思った。
健診で胴回りを計測してもらったら、そこそこ数値が大きくなっていて、(なるほど、そりゃ食事+お茶菓子で増えるよな)と納得した。
食後にお茶菓子を頂くことにすっかり味をしめてしまい習慣になっていて、お茶菓子がないと物足りなく感じるようになった。
お茶菓子ありきの食事みたいになっていて、愉しいのでいいのだけれど、胴回りがきになる。
血圧が昔から異様に低く、よく「朝起きにくいですか?」など健診のたびに尋ねられることがあったが、今回は①2回計測したうち、数値が異常に差がありすぎる=正確に計測出来ていない、②2回計測したうち、数値の差があるため計測し直し、③2回計測したうちそもそも血圧低いのですねとなり、3度も計測した。
血圧を終えないと次の工程を踏めずで、足踏みした。
採血はよく「血管薄いですね」と、何度も採血し直されあげく、手の甲から採血されたこともあった。前回は「あれ、二本めがなかなかいっぱいにならない…」と搾り出すように採血したが、今回はスムーズに二本無事取り終えた。
病院帰り、どうも地に足つかず公園に行き、風にあたりながら湖の周りを歩いた。
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ようやく、わたしが着地したきがした。
今日もますます、ごきげんな一日を⚪️
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