『偽る人』(揺れる)
母の亡霊にいつまでも
小さな簡易机の上で、恭子はパソコンを開いたまま茶色い手帳をめくっていた。
一年ごとに簡単なスケジュールと毎日のメモが書き込めるその手帳は、去年亡くなった母親の房子が残したものだ。房子は九〇歳を過ぎても老眼鏡をかけて本を読み、判読し難い小さくくにゃくにゃした文字で手帳に毎日なにがしかのメモを書き込んでいた。
亡くなってから、房子が残したおびただしい荷物や書類を整理していったが、とても整理しきれない。何冊もある手帳や金銭出納帳、銀行や郵便局の通帳、日記などは、落ち着いてから読もうと思って、よけていたものだ。
手帳のメモには、その日購入した物の代金が細々書かれていたり、その日行った所、会った人が書かれていたりする。その合間に、短い日記のようなものが書かれていたりするのだ。
ただでさえ小さなスペースに書かれた小さな文字は、ずっと見つめていても、なかなか読めない。象形文字のような、虫のような、それらをずっと判読しようと見つめていると、苛立ちに似た気持ちが起こってくる。
私は一体何をやり続けているのだろう。いつまで房子に関わっているのだろう。
誰のためにやっているのだろう。この作業が、本当に、いつか報われることがあるのだろうか。そもそも「報われる」というのは、どういうことだろう。私はどうしたら、報われるのだろう。誰に分かってほしいのだろう。
今となっては、それもあやふやな気持ちになってきている。
手帳に書かれている房子の震えて波打つような字を目をこらして見ていくと、頻繁に自分の名前が出てくる。
「恭子と夕飯を〇〇で食べた」その下に、ある時は自分が支払った、〇〇円、と。ある時は、恭子が支払った、と。
生前、房子が買い物してきた時(自分の物であったり、他所に上げる物であったり、自宅用に買ってくれた物であったり)、いくらだったの?と訊いても、房子がはっきり答えることはなかった。たいてい、忘れた、とか、分からない、と言った。そのくせ、こうして細々と、買った代金などをメモしていたのだ。
房子は実の親でありながら、恭子に本心をさらけ出すことはなかった。恭子に話したいのは、息子の嫁であるやすよの愚痴と悪口だけであり、恭子がそれを制すると、もう一切話をしなくなった。恭子はただの愚痴のはけ口でしかなかったのだ。
房子は人前ではすっかり別人格になった。オーバーにやさしい演技をしたり、他人をお世辞でほめちぎるので、房子の実像を誰も知らない。誰もが、房子をやさしく上品な人だと思い込んでいた。
思えば、亡くなるまでそうした人物であるように、完璧に振舞い続けた房子に、ある意味敬意さえ表したくなる。人気を得るために、そこまで普段の自分を隠し、自我を抑えることは、恭子にはとてもできない。
親しく話し合うこともなかった房子が、いったい何を考えていたのか知りたくて、恭子は手帳の小さな字をのぞき込み、判読しようと時間を使っている。
亡くなってなお、恭子には、房子が自分を産んだ親だとは信じられない気持ちがある。
始まりは
それは十年以上前のある日。昼近くのことだった。
恭子は何日も前から家中の掃除をして、二階の一室のベッドを整えて、電話を待っていた。もうすぐ到着するだろうイタリア人の留学生からの電話だった。
留学生を受け入れるのは、その年二人目だった。
恭子の家は、日本にある語学学校のホームステイ先の一軒になっている。語学学校が始めようとしていた新しい企画にちょうど乗ることができたのだ。その学校にとって、恭子の家が初めてのホームステイ受け入れ先ということになる。
食費や光熱費その他の経費がかかるから、手元に残るのは多くはないけれど、ステイ料をもらうのはありがたかった。
見知らぬ外国人を受け入れるのは、どんな人が来るのか楽しみでもあるし、お金をもらう仕事であるわけだから緊張する。
留学生がいる間、掃除はトイレも含めて念入りにやるし、ベッドのシーツや布団カバー、枕カバーも頻繁に交換する。
その日も鏡も曇りのないように布で拭いたし、ゴミ箱の中も点検して、ティッシュも箱の中にちゃんと入っているか確かめた。
朝から動き回ったおかげで、恭子は昼頃にはもう、かなり疲れていた。でも、新しい外国人を迎える緊張は続いている。
どんな人が来るんだろう、と思った。
最初に来たのはアルゼンチン国籍の中年の女性だった。カナダの語学学校で英語を教えているといういう彼女は明るい人で、マンネリしている家の中に新しい空気が入り込んだような気がした。
駅まで車で迎えに行くことになっている夫の卓雄は、さっきから台所で、コップを片付けたり、トースターの配線を替えたり、どうでもいいようなことをやっていて、そわそわ落ち着かない。何かある時の卓雄はいつもこうだ。ずっと前、恭子がお産で病院に行こうとしている時には、急に玄関をほうきで掃き始めた。何をやったらいいのか分からなくなるのだろう。
お昼は何にしようか、と恭子が考えている時、電話が鳴った。留学生からだと思った。卓雄も壁の時計を確かめた。
ところが、電話は驚いたことに、母の房子からだった。
「今から行くから!」
房子は切り口上に、それだけ言った。憮然とした、低く、暗い声。それでいて、こちらに有無を言わさない強引さを持っている。
え? 今? 房子が? なんでこのタイミングで。
房子は恭子の家からバスと電車で一時間ほどの所に兄幸男の家族と住んでいる。幸男の嫁のやすよとは仲が悪く、ろくに口もきいていない。やすよと衝突しては恭子に不満を言いにくることがよくあった。
それにしても、こんな時に、勘弁してほしかった。今はとてもそんな余裕はない。数日前から動き回って、準備万端整えて、ただひたすら留学生を待っているのだ。
けれど、恭子は房子にそんなことを言えない。今までだって、房子に逆らうようなことを言ったことがなかった。普通の親子のように、遠慮のない関係ではない。気持ちとは裏腹に、はい、勿論大丈夫、待っていますよ、と反射的に温かい声で言ってしまう自分がうらめしかった。
困ったな、と受話器を置いてから恭子は思った。
きっとまたやすよと何かがあって、不満を言いに来るのだろう。今のこの家の状況を伝えたいけど、今は困る、なんて、とても言えない。
「おかあさんが今から来る、って」
ざわざわした気持ちで恭子が卓雄に伝えると、
彼はふーんと、普通に返事をした。明らかに、留学生のことでいっぱいいっぱいで、房子のことはちゃんと頭に入っていってないようだった。
やがて房子は、兄幸男の車でやってきた。
いつものように、玄関前に灰色の車が停まり、幸男と房子が降りてきた。
幸男はデパートの大きな紙袋3つを車内から運び出す。彼の眼鏡の奥の小さな目は、真面目な表情をとりつくろいながらも、苦笑いしているように見えた。四十代の頃から薄くなり始めた髪の毛はさらに無くなって、頭のてっぺんのかなり広い部分が地肌そのままで、てらてら光っていた。
房子は恭子と卓雄がいる六畳の和室の隅に、紙袋に囲まれるようにして、ちんまり座りこんだ。
言葉は発しなくても、房子の骨ばった肩や背中や体全体から、ピリピリ尖った電波を発しているのを感じた。
発しているのが言葉にならないくらい激しい怒りであることは、すぐに分かる。房子はこうして、周りを威嚇してきたのだ。
房子の紙袋の中の荷物を見て、あぁ、泊る気なのだ、と恭子は思った。いつものように、ただ怒って飛び出しただけじゃないのだ。
部屋はどうしよう。これから留学生が来るというのに。そんなに長い間ではないと思うけど・・・。いろいろ考えると、不安でいっぱいだった。
けれど、恭子の口からは、
「ゆっくりしていってね。」
と房子にかけるやさしい言葉が自動的に出てしまう。
房子は暗い顔をしたまま、体を硬くして、ほとんど口をきかなかった。
幸男は苦笑いしながら、房子とやすよの衝突について軽く口にした。まるで他所の家族のちょっとしたドラマであるかのようだった。
「どうする? しばらくここにいる?」
幸男は子供に訊くように、やさしく房子の顔を覗き込んだ。60歳を過ぎた幸男は、あちこちに脂肪がついて、年齢相応に崩れた体形になっている。週何回かジムに通っているとは聞いているが、ただの半分はげたくたびれたおじさんでしかなかった。
しかし、どう考えても、不自然だった。房子も房子だが、幸男も、恭子や卓雄を前にして、房子が泊まることの許可を得ようともしない。こちらの都合など訊くこともないのだ。
幸男に訊かれて、房子は黙ってこっくり首を縦に動かした。八十五歳の房子が、幸男の前で、子供のようでもあり、少女のようにも見えた。
「二、三日すれば落ち着くでしょう。じゃ、帰りますね。」
幸男は腰を上げ、つられて房子も立ち上がった。
幸男は恭子達に向かって、一言、
「じゃ、頼みますね」
と言った。
「頼みますね」の言葉に、お願いする謙虚さは微塵もない。当たり前のように言った。
こちらの都合を訊くこともなかった。自分の家での出来事を詳しく説明して、申し訳ないけど、と謝ることもなかった。親なんだから、預かるのが当然だろう、というような様子だった。
幸男にしてみれば、房子の今後の展開は読めていなかったのだろう。最初は、房子がいつもの喧嘩の後のように、その日のうちに帰ると思っていたのだろう。
けれど、それにしても、こちらの都合を訊くくらいはしても良いだろう。
いきなりの電話で、このタイミングで、房子の部屋を用意しろというのだろうか。
その日の房子は、いつもよりかたくなだった。これまで何回かそんなことがあったように、幸男の車に乗り込んで帰ることはなかった。よほどの怒りだったのだろう。房子は玄関の外まで出て、車に乗り込んだ幸男を、頼りない顔をして見送った。
不満のはけ口として
幸男が帰ると、房子の口が急に軽くなった。怖い顔をして、嫁のやすよの悪口を言いつのり始めた。
『恭子ちゃんの所に行く、行く、って、行ったことがないじゃないですか』
房子がやすよに言われたという言葉だ。房子はやすよの口調を悔しそうにまねた。怒りで口元がぶるぶる震えている。
「それはひどい言い方ね」
仕方なく、恭子は相槌を打つ。でも、きっと房子だって、またひどい言動だったのだろうと思った。
結婚する前、恭子は実家でずっと、やすよに対して見下した態度をとる房子を見てきた。気の強いやすよにも、同情するところがあると思う。
やすよはもと人妻であり、アルバイト中に出会った幸男が横恋慕して奪った経緯がある。やすよは中学しか出ていなかったし、お金もない。子供ができて、仕方なく籍を入れたのだ。
かわいい息子のために経済的に援助はし続けたものの、房子はあからさまにやすよを支配し続けた。
けれど、近年、そのやすよがだんだん自分の意見を強く主張するようになってきていた。
卓雄と恭子の前で、房子は煎茶をすすり、ちょうどひとつ残っていた豆大福を食べると、少し落ち着いた様子を見せた。ソファーにズボンをはいた足を大きく開いて座り、膝の上で両肘をついて、お菓子と湯呑茶わんを持った。幸男の前で見せた暗さはなかった。
房子の髪の毛は、だいぶ以前からほとんど無くなっている。
もともと薄毛だった。四十代の頃から部分的に毛を足し、部分かつらにして、そのうち普通のウィッグになった。
初めは黒いウィッグだったが、今は白髪が混じって、全体がグレーに見えるものだ。
ふさふさのウィッグをかぶった房子は、外見は十歳は若く見える。けれど、ウィッグを取ると、わずかばかり綿毛のような白髪がぽわぽわ頼りなく揺れているだけの頭になり、人相がまるで違ってしまう。何年か前に転んで内出血して、溜まった血を抜くために穴を開けた後が、むきだしの地肌に陥没して残っている。
普段接することの少なかった恭子は、お茶をすする房子の、少し丸まってきた背中をしみじみとながめた。
恭子にはともかく、卓雄にさえ、突然転がり込む無礼さを詫びない。房子のその行為を、誰もなじることができない。
老いてもなお、暗黙のうちに恭子を支配し、自分に都合良く使う房子には、強い自信が隠れている。
娘婿である卓雄を前にしても、平然としていられる自負がある。
威丈高な房子を前にして気圧されながら、それでも恭子は、房子を大事にしてあげようと思った。今まで離れていることが多かった分、できることは何でもしてあげたかった。
卓雄はいつものように、房子や幸男になんのわだかまりも見せていない。
それは、時に頼りなく、時に助かった。
それからしばらくして、留学生からの電話が入った。イタリア人の女の子だが、思ったより上手な日本語だった。
やすよの悪口
夏の暑さがこれほど堪えたことはない。階段を上りながら、汗がしたたる。
六十歳近くなって、こんなに激しい労働をすることになるとは、恭子自身思ってもみなかった。
恭子の家は、古い家を買って、四人もいた子供達のために増改築を重ねている。
元の家はかなりしっかりしていて、二階の床が高く、その分階段の一段一段が普通より高い。留学生が来ると、その急な階段を日に何度も上り下りした。
家族だけなら気にならなかった二階のトイレをいつも清潔に保つ必要があったし、掛けてあるタオルも取り換えるし、階段の埃も掃除する。
二階は各部屋の窓を開け放していても、熱気がこもる。二階のトイレの掃除など、拷問に近かった。掃除のたびに、恭子は汗でびっしょりになったティーシャツを取り換えた。
房子が来てからは、その階段の往復が、何倍もになっていた。
房子は、自分からやすよに頭を下げる気などさらさら無かった。やすよが「私が悪かったです。帰ってきてください」とでも謝らない限り、帰る気はない。
房子は、実家の自室でしゃべりまくったように、連日恭子にやすよの悪口を吐き出し続けた。それも、同じことを何度でもくり返した。
「私の物はみんなじゃまにして、和室に詰め込むのよね」
和室とは、実家の一階の端にある六畳の客間だった。ふいの来客用に造られたのだが、ほとんど使われていなかった。
「私の洗濯物だけ取り込まないで放っておくのよね。」
房子は、以前から、自分の衣類だけ自分で洗濯機を回していた。やすよの洗濯は、すすぎが足りなくて、洗濯されたタオルを水につけると泡だらけになる、と不満で、自分の物は自分で洗って干していたのだ。それでも、やすよが意地悪しているとは、恭子には思えない。うっかり手も出せないので、房子のしたいように放ってある、というところだろうと思った。やすよは確かに気が強く、はっきり物を言う。けれど、意地が悪いと思ったことはなかった。
「外から帰ってくると、インターホンでただいま、と言うだけ・・」「顔をだして挨拶すればいいと思うけど、『文明の利器がありますから』って言うんだから・・」
房子はいまいましそうに言った。ずっと押さえつけてきたやすよに、正面から強く反論されて、悔しさを抑えきれない。
これだって、恭子にはやすよが理解できないわけではなかった。やすよは以前からひざを痛めている。その後手術をして金属を入れるほどで、相当痛くて辛そうだった。
房子は、そんなやすよに温かい思いやりを見せたことはなかった。やすよにしたら、高齢の房子に何かをして欲しかったわけでもなく、ただ気遣って欲しかったのだと思う。やさしい言葉のひとつもかけて欲しかったと。
恭子が知っている房子とやすよとの最後の諍いは、激しかった。怒りのあまり、房子が狂ってしまったのではないか、と思ったほどだった。
ある日、実家の幸男から、恭子に電話がかかってきた。房子が大変だから、すぐに来てくれ、と言う。幸男が恭子に応援を頼むとは、よほどのことだ。
房子はやすよへの憤りのあまり、台所で包丁を取り出して、まな板に切りつけている、と言う。「悔しい!」「悔しい!」と言って、取り乱している、と言った。
急いで恭子が実家にかけつけると、房子は二階の自室の隅で、暗く固まっていた。恭子が話しかけても、口をつぐんだままだった。
東側の出窓を背にして置物のようにまるまって座っているのは、色黒でくすんだ老婆だった。可哀そう、という気持ちより、憐れみの気持ちが恭子を襲った。
房子の中に充満しているのは、ずっと見下してきていたやすよにプライドをつぶされた悔しさと憤りだ。あんな女に、というすさまじい怒りだった。
それを、どんな言葉で癒してあげられるのか分からない。ただただ哀れみの目で見てしまうのだ。
しばらく静かに話しかけているうち、房子はようやく少し平静を取り戻した。暗いままではあったけれど、もう包丁で切りつけるような激しさはなさそうだった。自分の家のことも心配だったので、恭子は幸男の車で自宅に帰った。
房子のせいで、その後幸男と口もきかない関係になってしまったけれど、もともとは普通の兄妹だった。房子が幸男をかばえばかばうほど、房子の願いとは裏腹に、兄妹の関係は悪化したのだ。
それまで、異常なほど深い房子と幸男の関係を呆れてはいたけれど、幸男を憎むようなことは決してなかった。
「歳のせいか、最近は、塾でも生徒にヒステリックに教えたりするんだよなぁ」
車を運転しながら、幸男が苦笑いしながら言った。房子は小学校の教師を退職してからずっと、塾を開いて教えている。卒業後、職を転々と変えた幸男は、結局房子の塾で講師として働いていた。
「まえ《以前》は優しかった?」
「そりゃぁ、やんさしかった・・」
幸男は、鼻をふくらましたような声で「やさしかった」に「ん」をつけて言った。塾で、というより、ずっと自分にやさしかった房子を思い出している甘い響きがあった。
恭子は、自分に対する房子に、愛情や優しさなどを感じたことは一度もなかった。房子に対しては、自分が尽くすことばかりだった。
「やんさしい」と、うっとりしたように言える幸男が、羨ましかった。
違うよ。昔から房子は優しくなかった。心の中で恭子はつぶやいた。いつも感情的で、イライラしていた。そういう房子ばかりを恭子は見てきた。幸男は、そんな房子を目にしたことがないのだ。
房子という人
房子が来てからというもの、土曜日も日曜日も、卓雄の車でスーパーなどに行って、房子が当座必要な下着や靴下などを買い物に行くことで一日がつぶれるようになった。房子が疲れないように車椅子も買った。
その車椅子や、店に備え付けてある車椅子に房子を乗せて、店を見て回った。
四人いた子供達のうち、三人がそれぞれ結婚したり独立していって、今は恭子の家には末っ子で大学生の息子凛だけが残っている。
もう、長かった子育てはほとんど終わっていた。
そこに突然房子が来て、房子のために休日もつぶれてしまう。恭子は卓雄に申し訳ないと思った。
けれど、卓雄はそのことについて不満を言うわけではなかった。不満を言わないでやってくれることはありがたい。半面、言わないだけに、余計、申し訳ない気持ちが増した。
そんな恭子達に対して、房子は「ありがとう」ひとつ言うわけではない。何をやってあげても、当然のような顔をしていた。
一緒に生活して驚いたことに、房子はほとんど挨拶の言葉を発しなかった。
「おはよう」とか、「いただきます」「ごちそうさま」。そうした普通の挨拶の言葉を一切言わない。
「ありがとう」もほとんど言わなかった。
食事に呼ぶと、二階から降りてきて、テーブルの前に黙って座る。そして、恭子がお茶を入れたり、ご飯を盛っている間に黙って食べ始めていた。恭子は呆気にとられた。
行儀も悪かった。足を組んで椅子にもたれて座る。頼りない箸の持ち方で、房子に取り分けたテーブルのお皿からおかずをとると、床にポロポロこぼす。食べる前には湯飲み茶わんのお茶の中で箸をしゃかしゃかかき回して濡らす。入れ歯に挟まった物を箸でつつき回して、その箸をティッシュでぬぐうこともしないでテーブルにそのまま置く。
見ていて気分が悪くなるようなことばかりだった。
房子が恭子によく言っていたやすよへの不満のひとつに「自分の箸で漬物をとる」というのがあった。そんなささいなことに目くじらをたてる房子が、それ以上の行儀の悪さなのが信じられなかった。
中でも恭子が一番気になったのは、房子が手を洗わないことだった。
房子はやすよが(房子に)「『手を洗いましたか』って、いっつも言うのよね」と何度も言った。それまで何気なく聞いていたのだが、一緒に生活してみて、これは堪えがたかった。見ないふりをしようと思っても、不潔でたまらない。
トイレから出ても、外から帰っても、例え病院から帰っても、房子は手を洗わなかった。房子は出かけた時のそのままの服装で一日過ごしたし、そのまま夕飯も食べた。
洗わない手で、房子はりんごの皮をむいた。お茶を入れるのに、茶筒から洗わない自分の手の平にお茶の葉を入れて分量を量って急須に入れた。そうやって洗わない手で入れてくれたお茶を、恭子は飲むのが気持ち悪かった。ずっと一緒に生活していたやすよが「手を洗いましたか」と言うのは当たり前だった。言われる房子の方が恥ずかしい。
それでも、房子に「手を洗って」とは言えなかった。
房子は外で、上品で教養のある先生で通っている。その人に、子供に言うような当たり前の注意を言うことが、ためらわれた。
もともと、恭子は房子に普通の親子のように親にぽんぽん言えるような気安い間柄ではなかった。小さい頃から親しく接してこれなかった房子に、遠慮があった。
しかし、嫌なことをがまんすることは、気持ちも体も疲れる。毎日堪えることで恭子はストレスがたまっていった。
けれど、房子と暮らすうちに、恭子は房子の行儀の悪さだけでなく、知らなかった裏の面をいろいろ見ていった。
最初にびっくりしたのは、イタリアの女の子が来ていた時だった。
彼女はまだ十六才だったけれど、日本のアニメやドラマを観て日本が大好きな子だった。日本語も語学学校で勉強するまでもなく、上手だったので、房子ともよく会話ができた。房子も、気さくで明るいその子が気に入っていたようだった。
ある日、房子は彼女が古着屋で買ってきた着物の裾上げをやっていた。房子は編み物が好きだったが、縫物は得意ではない。けれど、彼女のために、房子は自分からやってあげると言っていた。
居間である和室に敷いてあるカーペットの上に座って、房子は老眼鏡をかけて着物の裾をちくちく縫っていた。
恭子はいつものように忙しく動き回っていた。ところが、どうしたはずみか、隣りの台所からその和室に入ろうとして、敷居のちょっとした段差に片足を思い切りぶつけてしまった。
そのあまりの痛さに、恭子は飛び上がり、大きなうめき声を出した。右足の親指が、みるみる腫れあがり、爪が紫色になっていった。
けれど驚いたことに、たった数メートル先に居る房子は、着物から目を離すことも、こちらに顔を向けることもなかった。何事もなかったかのように、無表情に針を持つ手を動かしている。
これには本当に驚いた。
勿論房子は耳が悪いわけではない。恭子の叫び声が聞こえなかったはずはない。恭子は驚いたと同時に、ゾッとした。この人は、心が壊れているのか、と思った。
右足の親指はじんじん痛み、爪は赤黒く変色していっていた。爪は、もう死んでしまったに違いなかった。
恭子はスマホを右足に近づけて、爪の写真を撮って、娘達に送った。誰かにこの苦痛を共有してほしかった。
娘達から、すぐに心配するメールが返ってきた。
それは、恭子が房子に感じた最初の衝撃だった。
房子の行儀の悪さや冷たさを知るにつけ、恭子はつくづくやすよに同情した。
気の強いやすよだからこそ房子に対抗できるようになったけれど、それ以前に彼女がどんなに我慢してきたか、恭子は知っていた。気が強いけれど、やさしい所もあるのを知っていた。
房子はそれからも毎日延々とやすよの不満を繰り返した。恭子の中では、房子に言いたいことがたまっていた。言えない自分が情けなかった。
けれどある日、恭子はとうとう思い切って言ってしまった。
「おかあさんも悪い」と。
房子は一瞬暗い顔をして黙った。暗い顔というより、恐ろしいくらい他人の顔だった。そして、それっきり房子は自分から恭子に話をすることがなくなった。
話と言っても、房子が恭子にしゃべるのは、やすよへの不満話ばかりだった。恭子はただのはけ口でしかなかった。
実家に住んでいた時も、恭子のことで何かを尋ねたり、心配することなどまるでなかった。恭子が小さい頃から、房子は実の娘にまるで関心のない母親だった。
恭子が房子に言いたいことも言えなかったのは、昔から房子がほとんど家に居ることがなく、親しい間柄ではなかったこともある。恭子にとって房子は、母親というより、たまに顔を合わせる父親のような存在だったのだと思う。小学生の頃、近所の女の子が、自分の母親にぽんぽん文句を言うのを聞いて、びっくりしたものだった。後になって思えば、それが普通の親子の姿だったのだろう。
けれど、今回の房子の強引な行動に対して恭子が何も言えなかったのには、もうひとつ訳があった。それは、卓雄にも言っていない房子との間のやりとりだった。隠していたわけではないけれど、その全貌を言うのがはばかられていた。
卓雄は恭子に対して度量が狭く、気が短い時もあったが、房子に対しては明るくやさしい婿だった。
房子はやすよの不満を言う以外は、暗く、寡黙になりがちだった。それでいて威圧的だ。そんな房子に、卓雄は屈託なく話しかけた。
遠慮してストレスをためている恭子や、卓雄におかまいなく、房子のわがままはエスカレートした。実家を飛び出してから幸男に任せてある塾が気がかりで、恭子の家から塾に通うと言い出したのだ。塾というより、心配なのは幸男のことだ。
恭子も、卓雄も、恭子の娘達も反対した。
元気だと言っても、房子はもう八十六才だ。房子の実家からは塾まで電車でたった四駅だった。けれど、恭子の家からは、バスと電車を乗り継いで行かなくてはならない。バッグや持ち物もあった。
けれど、房子は皆の反対を押し切って、強引に行こうとする。
それを聞いて、恭子の長女である久美が房子を最寄の電車の駅まで送っていくことを決めた。久美は恭子の家から車で十分ほどのところに結婚して住んでいる。
房子は勿論久美の申し出を喜んで、さっそく駅まで乗せてもらって出かけた。
けれど、塾の帰りの迎えは遅くなる。久美にはさすがに無理な時間だった。その負担が、卓雄にかかってくるとは、思いもよらなかった。
前の月から始まっている猛烈な暑さは、七月になると、昼間玄関を出たとたんにすぐ家の中に駆け込んで戻りたくなるほどになった。異常な熱気は夕方を過ぎてもおさまらない。
その日、卓雄は会社から帰ってくると、背広とワイシャツを脱いで、半袖シャツとステテコ姿になった。エアコンを最強にしていても、卓雄の額に汗がにじんでいる。
「おかあさんは、やっぱり行ったの」
テーブルに座って卓雄が訊いた。
「しょうがないなぁ」
時計を見ながら言った。七時を過ぎていた。
イタリアの留学生カティアは、その日は外で友達と夕飯を食べてくると言っていた。
彼女は日本語にはほとんど不自由しない。語学学校もさぼりがちで、日本のいい男にハントしてもらうのだと言って、原宿などによく出かけて行った。
可愛い顔をしているのに、勿体ない、と恭子は思った。けれど、夕飯が要らないのはありがたかった。
「帰りは何時になるんだろう」
卓雄は房子のことを心配した。あんなに反対したのに、押し切って行った房子を案じている。人が好過ぎる、と思った。
夕飯の支度はできている。お金に余裕があるわけではなかったけれど、留学生には勿論、房子には自分達のおかずに一品追加して出していた。
「駅まで迎えに行くよ」
卓雄が言った。
それはあんまりだった。
「何時になるか分からないし・・」
「いいよ、待ってるよ」
どうして卓雄は房子にこれほどやさしいんだろう、と思う。
卓雄は恭子に電話番号を訊いて、みずから塾に迎えに行く、と電話をした。車に乗るからビールも飲めない。食事も帰ってからにする、と卓雄は言う。
恭子は胸が痛かった。房子の横暴さに腹が立つ。そして、それを強く阻止できない自分にも腹が立つ。悔しかった。本当は、卓雄に気を使わせないように、自分が母親のわがままを諫めなければならないはずなのに。
もともと親子らしくない房子との関係だったけれど、恭子には房子に対する負い目があった。房子は生涯認めなかったけれど、恭子の家に我が物顔で強引に押しかけ、威圧的な態度をしていた原因は、そのことに違いなかった。
卓雄には詳しくは話していない。言わなければ、と恭子は覚悟を決めた。
借金
それは、借金というより、房子が「私が死んだら、兄妹ふたりに半分ずつあげる」と常々言っていた退職の時のお金を、今渡してもらえないだろうか、という恭子のせっぱつまった頼みだった。
幸男が既に、そのお金をもらったことは房子から聞いていた。
恭子はその一年ほど前に、恭子達の小さな家に隣接した古い家つきの土地を購入していた。
その家の元の持ち主は子供のいない老夫婦で、恭子とは時々話をしたり、おかずを交換したりという関係はあった。 夫のほうは気さくな人柄だったが、先に亡くなった。妻の方も、しばらく姿が見えない、と気になっているうちに、ひとりで亡くなっているのが発見されたのだ。
亡くなった夫の兄妹はいたけれど、それぞれ家を持っていたので、家はリフォームされ、売り出された。家は大きくはなかったけれど、庭は広かったので、価格はかなり高かった。
庭の部分は盛り土して、五十センチほども高くなっている。というより、北側の家々から向こうは、がくんと低くなっていた。
ある時、南側のその広い土地に建物が建つ話を聞いて、日が当たらなくなるのを恐れて、無理して買い足したと、亡くなった妻から聞いていた。
恭子の家の土地の角を一坪分くらい四角くえぐっているその庭を、少しだけ売ってもらえないかと、生前妻に訊いてみたことがあった。けれど、その時はやんわり断られていた。
売り出しの看板が立てられたその家つきの土地を、恭子は羨望の目で眺めていた。
当時地方に転勤していた卓雄が、ほどなく帰ってくる。地方にいる間に買った車を持って。そのための駐車場が欲しかった。隣接する土地は貴重だ。けれど、その家つきの広い土地は、手が出ないほど高かった。
南側の庭部分だけ売ってもらえないかと、売り出している不動産屋に相談してみたが、庭だけでは無理だと言われた。
不動産屋は亡くなった老夫婦の知り合いのようだった。恭子に、既に購入希望者がいるけれど、恭子の家が購入するのなら、優先すると言ってくれた。購入希望者は不動産業の人だと言う。
恭子は不動産屋のその中年の男の真面目そうな目に圧倒された。卓雄の大体の収入や、自宅のローンの残金や借金の有無などを訊いて、真剣に電卓をはじいている。
当時バブルの尾をひいて、土地がまだ高い時であり、恭子の家のあたりは土地が不足しているころだった。
その時、恭子達はかなりの株を持っていた。経済に一切口を出さない卓雄は、その額がどのくらいかも知らなかった。
恭子は電話で卓雄に相談した。株を売って、自宅のローンを完済して、残った株も、資金の足しにしよう、と卓雄に話をもちかけた。
不安は勿論ある。恭子達は若くない。ただのサラリーマンであり、四人の子供達を大学まで出すために既に大金を使っていた。中古で買った自宅の改修にもかなりのお金を使っていた。蓄えなど、株の他にはわずかしかない。でも、返済が続かなかったら、売ってしまえばいい。隣接した土地は、借金をしても買え、と言うではないか。
決断を迷っている時間はなかった。恭子は熱を帯びて卓雄に相談した。相談というより、自分の中ではほとんど決めて、確認をとろうとしていた。卓雄もまんざらではない様子だった。駐車場が隣りにあるのはありがたい。やれる自信があるなら、恭子に任せる、と言った。そして、さんざん迷った末に、思い切って購入してしまったのだ。
歴史にも残る株の大暴落に見舞われたのは、その少し後だった。大きなローンを抱えた恭子は、たちまち経済的に窮した。
困ったら売ってしまえばいい、と考えていたけれど、そう簡単なことではなかった。
空けてあった家も、他人に貸すことになり、貸家と庭の間にフェンスを作った。
フェンスだけでない。あちこち直したり、経費がいろいろかかった。今さら後戻りなんてできなくなっていた。
房子に借金を頼もうと思うまで、恭子はさんざん苦しみ続けた。保険をいくつも解約したし、借りられるものはすべて借りた。
それでも毎月の返済が大変だった。持っている株は売るにはみじめなくらい下がり過ぎていた。
子供達のために増築した部屋が、いくつも空いているので、留学生を受けることにもしていた。
その日、恭子はJRのM駅までバスで出かけて行った。M駅には房子が口座を持っている銀行のひとつがある。房子の家からひとつめの駅だった。そこで房子と会うことになっていた。
房子は毎日塾に通っていたし、何かと予定を入れて、忙しい人だった。
前日恭子が電話で自分の窮状を打ち明けて借金の話をすると、房子はそれほど驚いた様子でもなく、淡々と応じた。
隣りの土地を購入するにあたっては、房子にも報告していた。幸男にも、言っていた。隣りの家を貸す前には房子も見に来て、部屋でお茶を飲んだこともあった。その頃は、まだ恭子には、房子を旅行に連れて行く余裕もあった。
房子は電話で、「それは大変」とか、「困ったわねぇ」とか、おおよそ言いそうなことは何ひとつ言わなかった。その反応の薄さに、寛大というより、むしろわずかだが冷たさのようなものを感じた。
実の親とは言え、借金の話は情けなくて辛い。恥ずかしかった。
駅のロータリーの階段下で、恭子は房子を待っていた。そこで房子とは何度か落ち合ったことがあった。ロータリの周りには花屋や喫茶店など、小さな店が並んでいる。
房子は約束した時間に階段を下りてきた。お気に入りの茶色いイビザの革のバッグの他に、塾に行くための本などが入ったナイロンの手提げ袋を持っている。遠目に見ても、ふさふさのグレーのウィッグをつけた房子は、それほど高齢の年寄りには見えなかった。
房子は恭子と目が合っても、にこりともしなかった。忙しい合間をぬってきたこともあるのだろう。硬い表情だった。そのまま近くの銀行に向かってふたりで歩いた。
房子は昨日の電話の時と同様に、恭子に何も訊かなかった。恭子を咎めている風でもなく、同情している様子もない。まったく無表情だった。
「ごめんなさい。お金、大丈夫?」
恭子はおずおずと聞いた。恥ずかしい、と思っている様子を見せるのも恥ずかしいので、できるだけ平気を装った。
こんな時、どういう態度をとったらいいのか分からない。卑屈になるのも嫌だったし、笑顔で話しかけるわけにもいかない。房子の表情を読み取ろうとするけれど、何を考えているのか分からなかった。
「ただ、お金を使ってしまって、後で何かあって困らないかと・・・」
房子は硬い顔のまま、それだけ言った。
銀行では、窓口で、あっさりと厚い紙幣の束が渡された。軽い衝撃だった。持って歩くのが怖いような大きな金額のお金が、まるでパンフレットの束のように、恭子達の目の前にぽんと置かれたのだ。札束には、ひとまとめずつ帯封がしてあった。
房子はそれを恭子に渡すと、表情を変えずに、
「じゃあ気をつけて」
とそれだけ言った。見事なくらい感情のない声だった。そのまま、きびすを返して、駅に向かおうとした。
「ありがとう」
恭子は万感の思いで言った。他に言葉が見つからなかった。これで助かった。少なくとも、あの地獄の日々からは解放される。
ありがたかった。申し訳ないし、恥ずかしい。
そう思いながら、胸の中をうっすら冷たいものが通り過ぎる。
房子の表情は、さっぱりしているというより、冷たかった。あの冷たさは、どこからくるのだろう。
「何やってるの! こんな大金を!」
と、咎められた方が、よっぽど居心地が良かった。
「バカね!」
と軽蔑され、ののしられた方がマシだった。その方が少しはすっきりする。その方がよっぽど温かいと思った。
帰りのバスの中では、バッグをしっかり抱えていた。終点のバス停で降りると、恭子は駅前の銀行に急いだ。
窓口は既に閉まって、シャッターが降ろされている。その手前に七、八台並んでいるキャッシュディスペンサーの一台の前に立って入金のボタンを押した。機械の口が開く。恭子は帯封を切って、札束を入れた。機械の中で札束はバラバラと大きな音をたてて数を確認されて吸い込まれていった。
ぼおっと放心したように見つめながら、恭子の気持ちは妙に醒めていた。これがずっと恭子を苦しめ続けていた正体かと思うと、あっけないような気もした。機械の表示がもとに戻ると、恭子は次の帯封を切った。
バラバラバラと風を切るように紙幣が数えられていく。そうしてはまた、機械の中に吸い込まれていく。
「ごめんなさい」「ごめんなさい」恭子は心の中で房子に詫びていた。
なおさら地獄
房子に借りた額を恭子から聞くと、卓雄は低くうなり声をあげて険しい顔で考えこんだ。
借金のことを黙っていたわけではなかった。さらっとは伝えたはずだ。けれど、そこまでの額だとは言っていなかった。
「それじゃぁ、おかあさんに何も言えないなぁ」
ふっと息をついて、卓雄が言った。恭子を責めているようではなかった。
「ごめんなさい。言えなかった・・・」
恭子は唇をかみしめた。まさか、ここまで苦しい状況になるとは思ってもみなかったのだ。「家を売ろう」
卓雄がきっぱりと言った。恭子ははっとして卓雄を見た。
そう言われるのが嫌で、借金のことを黙っていたのだ。売れない。今売ったら手数料や経費を考えると、大損で、ここまで堪えた自分の苦しみが、水の泡になってしまう。卓雄の気持ちも分かるけれど、卓雄はずっと苦しんできた恭子の気持ちを知らない。
暗い沈黙がしばらく続いた。そこへ房子から、今から塾を出るという電話があった。もう七時半を過ぎていた。房子が塾を出て駅に向かって電車に乗る時間を考えて、家を出なければならない。
「行ってくる」
卓雄が席を立って、ティーシャツをさっと着て、ズボンをはいた。卓雄の声は、さほど暗くはなかった。もともとみずから迎えに行くと言っていた卓雄だ。テーブルに並べた夕飯のおかずは手付かずだった。
恭子はなんとも言えない気持ちになった。あの借金が、こんな形で重くのしかかってくるとは思いもしなかった。卓雄にこんなに迷惑をかけている。恭子は卓雄に申し訳ない気持ちと、苦々しい気持ちとでいっぱいだった。
やがて卓雄が房子を連れて帰ってきた。卓雄は普段と変わりなくふるまっていた。
房子は、塾の冷房が効きすぎて寒かった、と体を縮ませた。
房子がいつまでも寒い、寒いというので、恭子は仕方なくエアコンを止めた。恭子達にしたら、まだまだ堪えがたい暑さだった。
足が冷たい、凍るようだ、と言うので、恭子は房子の足を自分の両手で包んだ。房子の足は、確かに氷のように冷たかった。しばらく暖め続けた。
それでも房子は礼を言うどころか、にこりともしなかった。卓雄にも、事務的にお礼を言っただけだった。
しかし、房子は幸男のことだけはことさら強調して話した。帰りは駅まで幸男が送って、電車の中まで乗り込んで、ペースメーカーを入れている房子を気遣って、
「障害者なので席を空けてください」
と乗客に向かって叫んだと言うのだ。いかにもうれしそうであり、得意そうだった。その幸男の行為が、どれほどのものだったというのだろう。
お腹を空かせている房子は、いつものように手も洗わないで、足を組んで椅子に座り、左手をだらんと下げて、片手で食事をした。
その上食後に、居間でテレビを観ながら、その日自分で買ってきていた大きなモンブランをペロリと平らげた。そのケーキ屋のケーキは、ひとつが特別大きかった。
自分達より品数を多く食べた房子の、どこにその大きなケーキが入っていくのだろうと、恭子は呆れて眺めていた。
房子のお金のおかげで、恭子はなんとか苦境を乗り切った。けれど、決して余裕があるわけではなかった。当座の借金を返すことはできたけれど、毎月のローンの返済は重い。貸家からの家賃は、家自体が小さく古いので、それほど大きな金額ではなかった。留学生を受け入れ、忙しい生活をしながら、何とかやっていかなくてはならなかった。
そうして苦しくなると、恭子はつい弱音を吐いてしまうことがあった。すると決まって、卓雄は家を売れ、と眉間に皺を寄せて言い出した。
それまで堪えてきた苦しさを思うと、そんなに簡単に言わないで、と恭子は恨めしく思う。けれど、すべては自分のあの決断から始まったことには違いなかった。
一方、房子は塾のお金や年金が入るので、生活するお金には困っていなかった。口座は他にもあると聞いている。
房子は以前、塾で講師として働いている幸男に、お金を渡している話をしたことがある。
若い時からずっと、房子に頼ってきた幸男は、五十才を過ぎてもずっと、寄生虫のように房子にたかり続けていた。
「『今月も足りないので、ください』と言って、塾のお金をみんな持っていっちゃうのよねぇ」と、房子は恭子に言った。恭子だけでなく、恭子の子供達も聞いている時だった。幸男は房子の懐を、頼めばいくらでもお金が出てくる「打ち出の小槌」とでも思っていたのだろう。
房子は幸男について、都合の悪い話はめったにしない。そんなことを自分から言うのは珍しかった。
その時の房子は、幸男にたかられて困っている、というより、むしろうれしそうだった。むしろ幸男に頼られることが生きがいのように見えた。
房子の荷物
房子はもともと恭子の家に永住する気などなかったはずだ。当初は、いつものように、すぐに帰ると思っていたのだろう。
勝気な房子はやすよに頭を下げる気などない。やすよが「私が悪かったです。帰ってきてください」と言うのを待っていたのだろう。
しかし、やすよも以前より強くなっていた。
地域で活動するうちに、仲間も増えて、房子に見下されていたそれまでとは違ってきていた。
あまりに冷たく身勝手な房子が、勝手に怒って出て行った。やすよはそう思っていたし、謝ったり、お願いする気など、さらさらなかった。
幸男と分かれ分かれになることなど考えられない房子にとって、事は思っていたのとは違う方向に進んでしまっていた。意地っ張りの房子は、帰るタイミングを逸してしまったのだ。
房子は少しずつ、恭子の家に永住する決意を固めざるを得なかった。恭子達にとっても、当初想像していないことだった。
それでも、最初は恭子も、親孝行をしようとはりきっていた。最悪のタイミングではあったけれど、老いていく房子に尽くしてあげたい気持ちはあった。
房子はとうとう住民票も恭子の家に移した。そうしないと、介護のサービスも受けられず、不便なことや、面倒なことがでてきたのだ。
房子の当初の荷物は紙袋三つだけだった。泊まるのに当座必要な最小限の物だけだ。
恭子は房子のために、二階の一部屋を急遽用意した。子供達が使っていた部屋がいくつか空いていたけれど、その部屋が割合大きかったし、なんとかすぐに使えそうだった。
それでも、家具を移動したり、荷物の置き場所を作っていくのが大変だった。留学生の世話をしながら、ベッドの用意をして、カラーボックスやテナーを持ってきて、房子が持ってきた衣類などを整理して入れていった。卓雄と三人で休日に買い足していった物もあった。
それでも、ちゃんと生活するには、足りない物だらけだった。そこで、房子の家に、荷物をとりに行くことになった。それが、恭子の体を壊すほど過酷な作業になったのだ。
幸男からは、相変わらず説明も謝罪も礼の言葉もなかった。その不満が、恭子の中で少しずつ膨れた。幸男に対する不満と、幸男をかばう房子に対する不満だった。
恭子もかつて住んでいた実家である房子の家は、中央線のK駅から歩いて十分ほどの静かな住宅街にある。恭子の家からバスと電車を使っていくと、一時間ほどかかった。
家は、恭子が結婚して出た後、建て替えられて、ロフトがついたまったく違う家になっていた。
房子の部屋は、二階にある日当たりの良い和室だった。六畳の部屋の南側に三畳ほどの板の間がついている。
その部屋は、恭子がいつ行っても、歩くスペースもないほど物があふれていた。
北側の壁一面に、つくりつけの大きく立派な洋服ダンスが広がり、房子ひとりには充分過ぎると思われる収納スペースになっている。
それでも収まりきらない物を、ベッドの下の引き出しや、タンスふたつ、そして廊下を挟んだ家族用の納戸に入れてあった。納戸は家族用と言っても、ほとんどが房子の荷物であり、積み重ねられたテナーの中に、毛糸や編んだセーター、それに本などがぎっしり詰め込まれていた。
それだけの収納するところがあっても、片づけの苦手な房子は、部屋中に物を散乱させていた。
欲しい物を何でも買いまくる房子は、部屋のスペースも考えずに、マッサージチェアや編み機、赤外線の治療器など、大きな物を買う。大人ふたりは優に寝られそうな茶色い塗りのベッドは、部屋で一番大きく場所をとっていた。そのベッドとテレビ台の周りは、たいして歩くスペースもないのに、あちこちにさまざまな箱を積み重ね、デパートや店の紙袋が置かれている。
ベッドの上には、いつ着たのか分からない、ティーシャツや冬のカーディガン、毛糸の巻きスカート、パジャマ、コート、風呂敷、タオルなどが、ぐちゃぐちゃに積まれていた。
それは、恭子がいつ行っても、見慣れた光景だった。
房子の部屋にあふれるそれらの荷物を、何回かに分けて、大きな車で運び出すことになった。
最初は恭子も一緒に行った。房子と、卓雄、それに、房子の弟の悠一も行った。悠一は房子の実の弟であるが、房子と十八も歳が離れている。房子の一番の相談相手だった。
最初に行ったのは夜だった。
その日はやすよが出かけて家にいないと聞いていた。やすよが留守であることを、どうして知ったのかを、恭子は房子に尋ねなかった。
恭子は、あれ以来幸男と口をきいていない。こちらに説明も断わりもなく房子を預けたままの幸男の無礼を許せなかった。
それにしても、やすよの不在を狙って、こそこそ家に入る行為が、恭子にはどうにも落ち着かなかった。やすよはいつ帰ってくるのだろう。房子が留守中に来ることは知っているのだろうか。
恭子達四人は、玄関からすぐに二階に上がっていった。二階の廊下も洗面所も、ひっそりしていた。左奥の房子の部屋に直行して電気をつけた。相変わらず散らかった房子の部屋が目の前にあった。恭子は、他の部屋や廊下から、やすよがじっとこちらの様子を窺っているような不気味さを感じた。
久しぶりに家に入る房子は、どういう心境だったのだろう。この家は、早くに亡くなった夫、つまり恭子の父親とふたりで借りた土地に建てた家だ。それを、息子達と住むために、資金をすべて房子が出して建て直した家だ。すべてが房子の物のはずだった。
房子は自分の部屋を鋭く見回した。そしてまず、タンスの中からアクセサリーなどをごそごそ出し始めた。宝石に疎い恭子には名前も分からない紫や赤、緑、ブルーのネックレスやブローチが箱に入ってしまわれていた。真珠のネックレスもあった。
それから、洋服、下着、コート、と次々に取り出し、ベッドに積み上げた。それらを、恭子が持っていった紙袋に入れていった。
卓雄と悠一が紙袋を家の外に停めてある車に運んでいった。布団も何枚か運んだ。ダンボールもいくつもになった。箱の数もおびただしい。すごい荷物だった。
しばらく運んだところで。悠一が、
「ねえさん、もう入らないよ。」
と小声で言った。
けれど房子は、
「これも要るわ。これ高かったのよねぇ。」
と、部屋の隅に立てかけてある掃除機をあごでしゃくって見せた。どっしりと重そうな掃除機は、外国製らしい。大して使ってないようで、細長い器械は赤くつやつやしていた。
悠一は、呆れた顔をしながら、それを持ち上げて、車に運んだ。
やすよが帰ってこないうちにと、できるだけ急いだつもりだったが、それでももう、二時間は経ったようだった。
ずっと人がいなかった房子の部屋は、そこだけ時間が止まっているようだ。東側の出窓の上にごちゃごちゃ置かれているオランダ旅行で買ってきた木彫りの靴や、立てかけたスイスの絵皿、チャイナ服を着た人形などが冷ややかに恭子を見つめている。恭子は、盗みの共犯であるような後ろめたさに、落ち着かなかった。
とりあえず、房子が気のすむだけの荷物を運び出し終えると、恭子達はドアを閉め、階段を静かに降りた。
今日は留守だと聞いている幸男達の息子が、どこかの部屋にいるような気もした。
一階のガラス戸越しに見える奥の居間は、豆電球の灯りがついているだけで、薄暗い。アプライトピアノとテーブルと長いソファーが置かれたその部屋は、恭子にはなじみが薄かった。実家を訪ねると、房子はいつもすぐに自分の部屋に恭子を誘ったからだ。
本当は、やすよも交えて楽しい話ができればよかったのに、房子は座る所もないほど散らかった自分の部屋で、息せき切って、やすよの悪口を言い始めた。
こんなことをする、あんなことをする、とすべてを悪意にとって言った。恭子は仕方なく、うんうんと頷いて聞いていた。
娘の恭子を、ストレスのはけ口にしか見ていない房子は、恭子の近況など知りたいわけでもない。ただ、自分の愚痴だけを矢継ぎ早にしゃべった。
居間の薄明かりをちらっと見ただけで、戸を開けることもなく、房子は玄関で靴をはいた。それから慣れた手つきで鍵をかけて、車に乗り込んだ。
この日、やすよが留守であることを房子に伝えたのは、勿論幸男だ。幸男は一体、どういう気持ちで房子に伝えたのだろうか。
やすよは留守中に房子が荷物を来ることを知らされていたのだろうか。恭子が訊いても、房子は、
「さぁ?」
と言うだけで、それ以上何も言わなかった。
房子は久しぶりに訪れた自分の家を車の中から冷たい目でながめて、
「まだ持ってくる物がたくさんあった・・・」
と、大きな声でつぶやいた。
疲れ
恭子の家に着くと、既に十一時近くになっていた。近所は静かだった。灯りもぽつぽつとしかついていない。
車から膨大な荷物を運び出すのに、昼間なら、近所の人々は何事かと、興味深々で覗き見るだろう。好都合だった。
恭子は既にぐったり疲れていた。
車から玄関前に荷物を次々に降ろし、階段下まで運ぶのは、卓雄と悠一だった。そして、それらを二階に運ぶ一番大変な役回りが、何故か恭子になった。
たくさんの段ボール、ハンガーに吊るしたままのコートやシャツ、ブラウス、スカートなどを持って、時に足元が見えなくなる階段を踏み外さないように気をつけながら、何度も二階に上がっていく。
化粧品や蛍光灯スタンド、細かい飾り物も階段の下にバラバラと置かれている。それらを抱えて、急ごしらえの房子の部屋に運んだ。
房子の部屋はすぐにいっぱいになり、一階の居間や台所、隣の部屋までダンボールや箱類、紙袋が積み込まれた。たったひとりの荷物とは到底思えない量だった。
男達の仕事はそれで終わり、悠一はごくろうさま、と皆にねぎらわれて帰っていった。悠一の家、つまり房子の実家は、恭子の家から私鉄の電車に乗って三十分、徒歩も合わせると四,五十分ほどのところにある。
卓雄も翌日の仕事があるので、風呂に入って寝る支度を始めた。
房子は、疲れた、と言って、荷物でいっぱいになった台所の椅子に腰かけて、お茶を入れて飲んだ。
けれど、恭子は休んではいられない。とりあえず、房子がすぐに必要な物をダンボールから出した。二階の房子の部屋も、寝られるように片づけなくてはならなかった。
すでに真夜中になっていた。階段を何度も上がり降りした。体がどんどん重くなっていくのが分かった。
それまで休まずに上がれていた階段が、途中で一息つかずにいられない。呼吸が苦しかった。
それから数日かけて、恭子は荷物を開いては二階に運んで、部屋を片付けていった。
階段を、いったい何往復しただろう。途中でめまいがするようになった。それでも休んではいられなかった。
その間にも留学生の世話は続いていた。
房子の急ごしらえの最初の部屋は小さくはなかったけれど、たまたま空いていた陽の当たらない部屋だった。そこで、留学生の入れ替わりの時に、房子のために、今度は別の日当たりの良い部屋に替えることにした。家中で一番広く、明るい部屋だった。
そのため、また荷物の移動をして、房子のための部屋造りをした。房子の衣類や荷物は膨大だったから、片づけても片づけても終わらない。その部屋には収納のための物入れがたくさんついていたけれど、それでも収まりきれない。量販店に行って、新しくまたカラーボックスやテナーを買ってきて整理してしまっていった。ハンガーラックもひとつでは吊るしきれず、別の部屋のも持ってきた。
房子はそうやって動き回る恭子を、ねぎらうわけでもない。無表情にながめているだけだった。
房子が来てから、荷物の片づけだけでなく、恭子の体にキツいことが他にもあった。
房子は昔からの癖で、毎日夜更かしをした。
部屋で遅くまでテレビを観ては、深夜に風呂に入ろうとした。しかも房子の風呂はたいてい一時間近くかかる。後から知ったことだが、房子は風呂で汚した下着を洗っていたようだった。
房子は夏でもズボンの下にズボン下を履いている。その他にも着替えの荷物が多かったので、風呂の前後には恭子が着替えやタオルを持って運んだ。急な階段の上がり降りは、荷物を持った房子には大変だったからだ。
それに、風呂の中で倒れたらと心配で、房子の風呂が終わるまでは寝られない。
房子に早く風呂に入るように頼むと、先に寝たらいい、と平然と言った。けれど、真夜中に、年寄りを風呂に残して、先に眠れるわけがなかった。なおも頼むと、じゃあ、もう入らなくてもいい、と機嫌の悪い顔をした。
房子のこういう強い言い方に出会うたびに、房子は心が折れそうになった。房子は足が冷たいと言うので、房子ひとりのために毎日風呂をわかす。風呂に入らないで寝るなんて、あり得なかった。「入らなくていい」と言うのは、ただの脅しだ。
結局、翌朝、留学生の朝食の準備のために早起きする恭子は、寝不足が続くことになった。
そのうち、夕食を終え、片づけ終わると、恭子は額のあたりがひどく痛むようになった。それとともに、とてつもない疲労感が襲ってきた。
壁にもたれて座っていると、ぐらぐら揺れている気がする。目を閉じると、頭の中で何かが破裂しているように、ばぁんばぁんと鳴っている。血管が破裂していっているような気がした。
何かおかしい、と恭子は思った。
留学生
留学生のホームステイは、家計のために続けていたけれど、恭子はもともとこの仕事が好きだった。
彼らは日本が好きで、この国に興味を持ってきてくれる。中でも、マンガやアニメが好きで日本に来る若者が圧倒的に多かった。
普段は愛国心のかけらもないのに、彼らを迎えると、恭子は自分が日本人であることを強く意識した。せっかく来てくれる彼らをがっかりさせてはならない、日本をますます好きになってほしいと思い、親切で温かい「良い日本人」であろうと努力した。不思議なプレッシャーがかかった。
彼らはネットで日本についてよく勉強していたし、むしろ恭子よりよく知っていた。
そしてまた、自分の国についても詳しかった。話していると、何も知らない恭子は恥ずかしくなるくらいだった。
留学生との話は夕食の時に始まって、その後まで続くことが多かった。
かれらは、その日の語学学校での出来事や、遊びに行った所、買ってきた物について、陽気に話をした。
ステイ後に旅行に行く人も多かった。旅行したい場所を伝えて、恭子にいろいろ相談してきたりした。
留学生は、年齢もまちまちだったし、大人も老人もいた。国もさまざまだった。
不思議なことに、彼らは日本には興味があっても、真剣に日本語を勉強する人は少なかった。会話も日本語ではなく、英語が多かった。
英語がぺらぺらではない恭子は、必死に彼らの話を聞き、相談に乗り、時には旅行先のホテルの手配をしてあげることもあった。自分しか相手ができないと思うと責任重大で、彼らと話す時、恭子は英語に全神経を集中させていた。
卓雄は英語が得意ではないけれど、時々話している内容が分かると、笑顔で会話に加わった。
房子は彼らの前ではにこにこやさしい顔をしていた。房子自身参加していたい気持が伝わってくる。けれど、そのうち疲れて二階に上がっていった。
彼らとの話は、時々食後長引いた。
留学生が二階の自室に引き上げた後、恭子はテーブルの上の食器を急いで流しに片づけて、閉店前のスーパーに駆け込んだ。
彼らの食事をなるべく豪華にしてあげたい。けれど、食事にお金を使い過ぎると、ステイ料がなくなってしまう。少ない経費で、できるだけ豪華な料理を出せるように、恭子は夜のスーパーに自転車を走らせるのだ。
スーパーは、行く時間が遅すぎると、目ぼしいものは何も無くなっている。けれど、早すぎると値引きされている物がない。タイミングが難しかった。
スーパーのかごを持って、恭子は目ぼしい物を物色した。半額になっているスイカやメロンなどのカットフルーツは翌日の朝食に使える。割引された切り身の鮭は、夕飯にムニエルにして出そう。いろいろ考えながら、手早く買い物をしていった。
留学生はシャワーを朝浴びる人が多かった。
夏、汗をかいたままベッドに入るのが信じられなかったし、寝具が汗臭くなるのは困るけれど、仕方ない。シャワーを浴びている間に、恭子は朝食を整えた。
好評なのはホットドッグのようなものだった。これは簡単なのに評判が良いので、週一回くらいは朝食に出した。恭子は切れ目を入れたロールパンに、それぞれ何種類かの材料を入れた。レタス、キュウリ、トマト、チーズ、それにウインナーやローストビーフ、コロッケなどを加えた。ホットドッグではない時にはメインのお皿にハムやソーセージ、卵や野菜など、いくつかの料理を載せる。ヨーグルトとその時々のフルーツ、そして紅茶やジュース、牛乳などの飲み物を、その人の好みに合わせて出した。
すると、ある留学生は、それを写真に撮って、学校で友達に自慢する、と言った。それを聞いて、恭子はますます張り切ってしまうのだ。
留学生は、時に、ふたり重なることもあった。以前契約していた留学機関から日本語を教えることも頼まれて、日に何時間か教えることもあった。そういう時は、お金もたくさんもらえたけれど、激しく忙しかった。
普通留学生には昼食は出さない。けれど、その場合、午前と午後に分けて日本語を教えるために、間に昼食も作って出す。あんまり忙しいと、冷食をチンして出すこともあった。
恭子は朝食を出してから、洗濯と片づけをして、その後ずっと休む暇もない。まるで、早送りのフィルムを回しているような一日だった。
それでも、ステイ料だけよりずっとたくさんのお金がもらえるので、ありがたかった。
その息もつけないほど忙しい日々がやっと一区切りついた日のことだった。ふたりの留学生を送り出した後、それまで気が張っていた恭子は、へなへなと座り込んだ。しばらく動けなかった。
なんとか二階に行って、ペットボトルや紙類などのゴミを分別して集め、シーツや枕カバー、タオルケットなどをベッドからはがして持ってくると、何回かに分けて洗濯機を回した。そこまでするのがやっとだった。
夕飯の支度をする気力などまったく残っていない。意識がなくなりそうなほどだった。
それまで、自分がろくな物を食べなくても、留学生と房子の分は、がんばって何品も作ってきた。けれど、どうやっても、もう、動けなかった。
仕方ない、その日は自分達も簡単で粗末な余りものの夕飯で済ませ、房子も冷凍庫にあるスパゲティーで済ませてもらおうと思った。房子の夕飯の用意ができないなんて、初めてのことだった。
房子はあれからずっと、毎日のように塾に通っていた。行きは久美に駅まで車で送ってもらい、帰りは卓雄に駅まで迎えに来てもらう。それが習慣になってしまっていた。
しかも、最近は塾を出る時の電話は、
「いいかしら」
のひとことだけになっていた。暗号のような短いその言葉で、ビールも飲まず待っていた卓雄は車を出すのだ。お腹がすいて、食卓に用意されたものを少し食べ始めていても、箸をおいて立ち上がった。
恭子は、房子の「いいかしら」の威圧的で、当然のような物言いに、むっとした。支配されている気分になった。そして、卓雄に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
その日、塾から帰ってきた房子は、粗末な冷食のスパゲティをまずそうにフォークで口に運びながら、苛立っていた。
帰ってくる早々、房子には、ごめんなさい、今日はひどく疲れているので、とてもごはんを作れないから、冷食でがまんしてね、と言ってはあった。けれど、日頃贅沢をさせている房子の夕飯とは、あまりに違い過ぎる。房子の苛立ちと怒りが、びんびん伝わってきた。
でも、今日は、とても無理・・・。気が遠くなりそうな頭の中でそうつぶやきながら、恭子はなんとか耐えて座っていた。
すると、
「漬物かなんかないの!」
房子が尖った声で叫んだ。
瞬間、ふっと怒りがこみあげた。鬼のような人だと思った。恭子の疲れなど想像しようともしない。
恭子はよろよろと立って、冷蔵庫の中を物色した。目ぼしい物が何もない冷蔵庫の奥に、少し古くなった白菜の漬物が見つかった。それを切って出した。
房子は、そんなものではやはり不満なのだろう。不機嫌な顔のまま、出された漬物を黙ってつまんだ。いつものように、皿も持たず、左手をだらんとたらしたままだった。
恭子は放心状態のまま、そんな房子をぼおっと眺めていた。
骨折
房子が恭子の家から塾に通い始めて二か月近く経ったある日のことだった。恭子達が心配していたことが起こった。房子が塾の教室で、生徒のひとりとぶつかって転び、股関節を骨折してしまったのだ。
夕方、塾から幸男が電話をしてきた。卓雄が出ると、迎えに来てほしいと言う。房子を送ってくる講師の余裕などないのだ。
卓雄は急いで車を走らせた。いつものように駅ではない。片道四十分以上もかかる塾までだった。
何となく不安で、恐れていたことが起こって、恭子は、みんなの反対を押し切って塾に出かけた房子のわがままを恨めしく思った。久美達の反応も同じだった。
房子の塾は、昔は自宅のあるK駅にある会館を借りて、もうひとりの男の教師とふたりで経営していた。その後房子ひとりがN駅にマンションを借りて、中の三部屋を使って、今の塾を続けている。
講師も常時五人くらいはいた。塾があるマンションは、駅から五分くらいの、小さな店が並んでいる細い路地の商店街にあった。房子はずっと小学校の教師をしてきたので、その時の父兄のつてで、生徒がとぎれることはなかった。
帰ってきた房子は、顔をゆがめて痛がっていた。それでも、その時は、房子自身も骨折しているとは思ってもいなかった。
その後幸男から房子の携帯に電話が入り、翌日の打ち合わせをしようとした。幸男も、房子が大した怪我だと思っていなかったのだ。房子は塾の中心であり、すべてを牛耳っている。その房子の怪我で、幸男はあわてていた。
幸男からの電話で、房子は予定を確かめるために、ベッドから立ち上がって、バッグの中の手帳を取りに行こうとした。
ところが、歩こうとしても、ひどく痛む。一歩も動けなかった。
それを見て、恭子があわてて病院を探した。時間外だったし、いくつか緊急に診てもらえるところを電話であたっていった。そして、運よく私鉄に乗って四つ目の、総合病院で診てもらえることになった。そこで片方の大腿骨の骨折が判明したのだ。
房子は昔からたくさんの薬を飲んでいる。その中に、ワーファリンもあった。血液をさらさらにする薬だ。関節に金属を入れる手術をすると、その薬のせいで血が止まりにくくなる危険がある。そこで、その薬の効果をなくすために、手術前に一週間要したので、房子の入院はかなり長い期間になった。
恭子は房子の着替えを持って、毎日病院に通った。ちょうどスペインからふたりの留学生の男の子が来ている時だった。彼らは日中語学学校に出かけて行く。その間に、あわただしく病院に向かった。
それでも恭子は、房子が家にいる時より、ずっと気持ちが楽だった。
食事や風呂が無いこともある。けれど、何より気を使わなくてもいいのが楽だった。
無事に手術が終わると、房子は明るい4人部屋に入った。奥の窓際だった。
まだひとりで動けない房子は、ベッドでじっと横になっていた。けれど、恭子がカーテンを開けて近づいて行っても、にこりともしなかった。来るのが当たり前、というような、不愛想で、冷たい顔だ。
そう言えば、恭子は房子の笑顔を見たことがない。他人には別人のように優しい顔を見せるのに、いつも憮然とした房子の顔しか見たことがなかった。房子の笑い声などは勿論、聴いたことがなかった。
病室での房子は、いつにも増して怖い顔だった。
恭子がベッドの隣りの戸棚に持ってきた着替えを風呂敷包みごとしまい、着替えた下着やパジャマを持ってきた紙袋に入れている間、房子は、ずっと冷たい顔をして見ていた。そのうえ、恭子がひとつの仕事を終わらせないうちに、次の指示をする。「そこを閉めて!」とか、「水を取り換えて!」とか、つぎつぎに指示をして、恭子がもたもたしていると言わんばかりに、同じ指示を苛立ったように繰り返した。「ちょっと待ってよ」と言いたくなる。じっと我慢した。
花瓶の花の水を替えに行った時には、病室にもどると、カーテンが少し開いているといって、房子はベッドから無言でカーテンの隙間を指さした。怖い顔だった。開いていると言っても、わずかだ。それに、房子のベッドの周りのカーテンは、少しくらい開けていても、誰からも見られることはない。
「すぐ帰ってくるんだったから」
と恭子が言うと、
「だから開けていったの?」
と、恐ろしく冷たい顔で房子は怒った。
車椅子を乗り降りするのに手を貸しても、にこりともしない。ブスッとして、恭子がやるのが当然のような態度だ。少しでも抜かりがあると、咎めたり、いつもの嫌な態度をした。
お見舞いにもらったお金を渡した時もひどかった。房子は、恭子の目の前で乱暴に中の封筒を破って、
「お金ないんでしょ。はい!」
と恭子に無造作にお札を渡した。露骨で屈辱的な渡し方だった。まるで、乞食にほどこしをしているようだ。悔しくて、胸にぐっとくるものがあった。
確かにお金は大変だった。その日は留学生は夕飯を外で食べてくる。けれど、卓雄の夕飯を作る時間はない。ふたりでどこかで食べるしかなかった。
「いろいろお金がかかるでしょ。使ってね」
とでも言ってくれたら、どんなにうれしかっただろう。
房子の部屋を後にして、病院の入り口の自動ドアから外に出たとたんに、涙がぼろぼろ出た。通りに続く石の階段を降りながら、
「私は何?」「私はただのお手伝いさん?」
と、胸の中で繰り返す。屈辱感でいっぱいだった。
無理に無理を重ねて、体は限界を超えている。
それにひきかえ、と恭子は思い浮かべる。房子の手術前に目にしたある光景が、目に焼き付いて離れなかった。
手術直前のことだった。幸男が来ていた。幸男とはあれ以来口をきいていないが、病院のことは伝えてあった。
房子はひとり部屋のベッドに寝かされていた。そのわきに置かれた来客用の丸い椅子に幸男が座っている。幸男は房子の顔をのぞきこむようにして、両手で房子の手を握っていた。
その時恭子が目にした房子は、恭子が今まで見たことのないような表情をしていた。幸男に手を握られながら、うれしそうでもあり、はにかんでいるようでもある。まるで恋人の前で頬を染めている乙女のような顔をしていた。幸男の前で、こんな顔をするのだ、と恭子は息を飲んだ。
恭子が何をしてあげても、奴隷に対するような機嫌の悪い顔をするのに・・・。
見たくないものを見てしまった。脳裏から消し去りたい、と思った。
病院を出て、滲んだ目でぼおっと歩きながら、恭子は以前やすよから聞いた幸男の話を思い出していた。
やすよに同情するところが多々あった恭子は、彼女と割合良く話をした。結婚前は仲も良かった。
やすよと房子との仲がどんどん悪くなって、結婚してから実家を訪ねていっても、房子がすぐに自室に招き入れようとするので、恭子はやすよとだんだんきまずくなっていた。お茶を入れてくれるやすよが、どうせ私の悪口を言っているんでしょ、と思っているのが分かる硬い表情なのが辛かった。「何を話しているのかしらね」と、やすよがあからさまに言ったこともあった。
恭子だって悪口なんて聞きたくない。やすよが居るところで普通に話したかった。
やすよの話
恭子がやすよに会いに行ったのは、房子が来てしばらくたってからだった。幸男とは口もききたくなかったけれど、やすよと電話で何度か話をした。気が強く、遠慮なくしゃべってしまうところはあったけれど、やすよは幸男より、そして房子よりずっと話の分かる人だと思っていた。
それに、外ではまったく態度が違って、やさしい人になる房子の本当の姿を知っている人は、やすよしかいなかった。幸男と房子の異常な関係の深さを分かっているのも、やすよしかいなかった。
電話で話すと、やすよは恭子の話をよく分かってくれたが、房子が娘の恭子にまで冷たいことは信じられないようだった。
幸男と遭遇したくなかったので、やすよにK駅の地下の喫茶店まで来てもらった。
地下にはいくつも小さな店が並んでいる。午後の喫茶店は六、七割の席が埋まっていた。
久しぶりに会うやすよは、以前にも増して太っていた。やすよは恭子より頭ひとつ分くらい背が低い、目立って小柄な体形だった。
やすよが紅茶、恭子がアイスコーヒーを注文してから、恭子が口を開いた。
「忙しいのに、悪かったわね」
「ついでに買い物をして帰るから、いいわよ。」
やすよは短く言った。もともと余分なことを言うような人ではなかった。悪く言えば、愛想がなかった。
紅茶とアイスコーヒーが運ばれ、恭子がいつもの房子の様子を話すと、やすよは紅茶をすすりながら聞いていた。
「分かるわよ・・・」
紅茶のカップを置くと、やすよが言った。手首の皺が何重にも折り重なっている。
「早紀が赤ん坊の時にね、夜泣きがひどかったけれど・・・」
早紀は幸男とやすよの長女だった。幸男が人妻だったやすよを奪ったあげく、一緒になり、できてしまった子供だ。ふたりの結婚に勿論反対していた房子だったが、息子のために、仕方なく認めることになったのだ。
その赤ん坊である早紀が夜中によく火がついたように泣いた。それを幸男がうるさがって機嫌が悪かった。
やすよは毎晩のように早紀を負ぶって、寝かせるために外に出て行っていた。長い間帰ってこないやすよを、恭子はいつも気の毒に思っていた。
「その時、おばあさまが幸男さんに、何て言ったと思う?『眠れないでしょうから、私の部屋に来て寝なさい』って言ったのよ」
やすよは房子のことを「おかあさま」とか「おばあさま」と呼ばされている。「おとうさま」「おかあさま」・・、そういうふうに呼ぶのが、房子の方針だった。それが美しく、立派な家庭だと房子は思っていた。幸男も房子を「おばあさま」と呼び、房子も幸男を「おとうさま」と呼んでいた。
恭子は息を飲んだ。
「でも、まさか・・・」
「幸男さんは寝に行ったわよ。」
やすよは自嘲的に言った。
「あれは、一番悔しいことだった・・・。忘れられないわよ。」
幸男のマザコンぶりは知っていた。けれど、そこまでだとは思いもしなかった。
「私だったら、そんな男、即離婚してる!」
恭子は語気を強めて言った。
「後になってその話をすると、幸男さん、気まずいのか、黙っているけど・・」
やすよは驚くほど冷静だった。房子と少し離れてみて、昔の辛さ、悔しさも薄らいできたのか、あるいはもう、房子のことなどどうでも良くなったのか、醒めた話し方だった。
恭子も、実家を訪ねて行った時に、幸男と房子の異様な関係を感じたことがよくあった。
ある夜は、幸男より早く塾から帰っていた房子が、夜遅くに帰ってきた幸男にお茶を入れ、ソファーに座っている幸男の肩を、後ろに立ってもんであげていた。八十歳を過ぎた房子が、若い幸男の肩をもんでいるのは、あまりに異様な光景だった。
やすよにそのことを言うと、
「そうよ。そんなの、いつものことだったわよ。」
やすよは、鼻で笑うように言った。
「幸男さんが深夜に帰ってくると、私が降りて行く前に、おばあさまが二階から駆け下りて行くのよ。まるで張り合っているみたいに。」
久しぶりに、やすよもいろいろ思い出すようだった。それでも、やすよの表情に、もう怒りは見えなかった。
「変な関係よねぇ」
また自嘲気味に言った。呆れた顔で、でも、もうどうでもいい、という感じだった。
やすよはいろいろ思い出して話をした。こんなこともあった。
幸男たちが一緒になって、それまでの家を壊して建て直した時、房子の部屋の南側の板の間は、隣りの幸男夫婦の部屋と木の扉一枚で仕切られていた。
ところが、夏の暑い日、房子は風通しが悪いでしょう、と言って、鍵を開け、ドアを開けっ放しにしてしまったのだ。
その話は、房子本人からも聞いたことがある。房子はいかにも善意でやったように恭子に話していた。けれど、やすよにしたら、たまったものではない。夫婦のプライバシーも何もない。まだ当時は房子に言われるままのやすよだったが、そればかりは堪えかねたようだった。幸男に訴えたのだろう、その後扉を閉めると、開かないようにして扉の前に大きなタンスも置いた。当然のことだった。
房子には、ごく普通の神経がないのだろうかと、その時も恭子は呆れていた。ただの愚かな人なのか、それとも分かっていて故意にやっている意地悪な人なのだろうか。けれど、この頃は、恭子はそこまで房子を悪くは思っていなかったし、房子を咎める勇気もなかった。
もうひとつ、やすよからひどい話を聞いた。
幸男は比較的新しく塾の講師としてやとった女性と深い関係にあるという。その女性のことは、房子からもよく聞いていた。名前を中村百合子と言う。恭子も何度か塾で会ったことがある。三十代後半か四十代初めくらいの、可愛らしい顔をした人だった。
百合子は講師の募集を見て来たのだが、必要な教科専門ではなかったし、経歴に難があったという。にもかかわらず、幸男が採用を決めていた。
房子は当初百合子が気に入らなくて、恭子にも不満ばかり言った。他の講師のことは「さん」をつけて話すのに、百合子のことは「中村が・・」と、いつも呼び捨てにして、憎らしそうに話した。「口を開けないで話すから、もにょもにょして、何を言っているのか分からない」「教え方が下手だ」と、文句ばかり言っていた。恭子にはそれが、やすよと同じく、幸男の心を奪う憎い相手として見ているように思えた。
ところが、ある時から急に房子の態度が変わった。急に「さん」をつけ、双方の誕生日には贈り物の交換までするようになっている。不思議だった。
やすよは百合子の存在を知っているのだろうか、と思っていた。
「夜中に何回も電話してきたわよ。」
と、やすよは言った。
「無言電話も何回も・・・」
「どうして?」
と訊くと、
「知らない。どうでもいいわよ。」
と、やすよは冷たい口調で言った。
「離婚しちゃえば?」
恭子は本気で言った。あんな、半分頭のはげた、中年過ぎのマザコン男のどこがいいの、と思う。
やすよは本当に、これっぽっちも動じないようだった。
「どうでもいいのよ・・」
また、鼻で笑うように言った。
幸男より四歳も年上のやすよは、かつて幸男が夢中になった可愛さはもう無い。年齢とともにかなりの脂肪を身につけ、あごは二重にたるんでいた。今さら離婚などという面倒なことをする気力がないようにも見えるし、幸男から完全に気持ちが離れたわけではないようにも見えた。
それにしても解せないのは房子の態度だった。息子の不倫相手と仲良くする母親なんて、いるのだろうか。百合子と仲良くすることが、やすよに対する嫌がらせなのだろうか。
幸男も房子も狂っている、と思った。
恭子の脳裏に、また、昔の強烈なシーンが蘇る。それは、幸男とやすよの、ドラマの一シーンのように凄惨な光景だった。恭子が結婚するずっと前のことだ。
ある時、やすよが恭子に、暗い、思いつめた顔で言った。まだ早紀が一歳にもなっていない頃だった。
「恭子ちゃん、この指輪をもらって」
やすよは自分の指から細い指輪を抜き取ると、突然そう言った。
「え、どうして?」
訳が分からず恭子が訊くと、
「もう、要らないから」
とだけ、やすよは言った。結局指輪はもらわなかった。
その少し後だった、恭子は幸男の緊迫した声で呼ばれた。庭からだった。
急いで窓際に行ってみると、庭に幸男とやすよがいた。やすよは早紀を負ぶっている。裸足だった。そのうえ、やすよは全身濡れている。灯油の臭いが漂っていた。
狭い庭で、幸男とやすよは向かい合っていた。幸男がじりじり迫っていく。やすよは後ろの植え込みの方に後ずさりしていっていた。やすよの手にはライターが握られているのが分かった。
「それをよこせ」
幸男がライターを奪おうとする。けれど、なかなか奪えなかった。
恭子はどうしていいか分からず、立ちすくんでいた。まるで、ドラマのようだった。
その後のやりとりは恭子の記憶から飛んでいる。憶えているのは、やすよの姿が数時間見えなくなり、その後家に帰ってきていたことだけだ。恭子はやすよが着ていた油まみれの服を、洗濯機で洗った。
それからのやすよは地獄の日々だった。長い時間灯油を被ったままだったので、油による火傷で、全身の皮膚がただれてべろべろに剥けてしまっていた。全身包帯に包まれたやすよは、痛さにうめきながら布団に横たわっていた。
その時も、幸男は不倫をしていた。飲み屋で働いていた女性と深い関係になったという。
結婚していることも隠し、相手の女性は本気になっていたという。
何も知らなかった恭子は、幸男の親友からそれを聞き出した。
驚いたことに、その時も、房子はその女性の存在を知っていた。そして、恭子にしゃべってしまった幸男の親友をなじったのだ。
狂ってる、と恭子はつくづく思ってしまう。房子は幸男の家庭が壊れることを望んでいたのだろうか。
幸男がおかしい。けれど、そういう人間を作り出したのは房子だ。
「バチが当たったのよ。」
やすよは幸男の最初の不倫の時に、恭子にボソッと言っていた。
「別れた夫に申し訳ないことをしたと思っている・・」
その時、やっぱり自嘲するようにやすよは言っていた。
やすよが育った家庭も複雑で、彼女は愛人の子であり、ひとり娘だった。養子に入ってくれていた夫と示談金を払って別れ、若くはない母親ひとりを残して家を出てきていた。
房子と幸男
房子は三十代で夫、つまり恭子達の父親を亡くした。
そもそも結婚生活は短かった。夫の幸高は戦争で中国に渡り、帰ってきた時には片足に銃弾を浴びたせいでびっこをひいていた。暮らしは、堪えがたいほど貧しかったと、房子はよく口にした。
その極貧の中、自分は食べなくても、食べたと言って夫に食べさせた、と房子は美談のように恭子に話していた。だから恭子はそれをすっかり信じ込んでいた。
わがままで、かんしゃくもちで、貧乏させた、ろくでもない男だと、会ったこともない(実際は会っていたのだが)自分の父親のことを想像していた。けれど、後年の房子を知るにつけ、その話を一方的に信じるのはきっと間違っていると思えてくるのだ。
幸高は恭子が生まれてすぐに結核にかかり、長く入院したまま亡くなった。恭子が五歳ごろだった。だから、恭子は父親の顔も覚えていない。
房子はそれからずっと、結婚して辞めていた小学校の教員の仕事に復職して働いた。最初はお手伝いさんを頼んでいた時期もあったようだが、都内に新しく家を買って、関西にいた実の母シカと歳の離れた弟の悠一を呼び寄せて五人での生活を始めた。K駅で幸高と暮らしていた家は、アパートにした。
房子は若い頃、目の大きな整った顔立ちの人だった。三十代で未亡人になった房子の身辺にはいつも男性の影があった。恭子がそれに気づいたのは、成人してからのことだ。
塾を最初に始めた時も、都内に家を買った時も、そばに男性の姿があった。都内のその家の隣りには、房子の知り合いの男性が住んでいた。
恭子が憶えている限り、房子はほとんど家に居なかった。休日でも、長い休みでも、家に居ることはない。平日は恭子が眠ってから帰ってきた。
房子は、恭子には、いつも遅くまで仕事をしていると言っていた。学校が終わってからも、家庭教師をやっていたのも事実だ。けれど、それがすべてではなかった。それを後になって知っていった。
深夜に帰ってくると房子は、恭子達が寝ている隣りの、襖一枚で仕切られた部屋で、シカが入れたお茶を飲んでいた。房子が帰ってくるまで起きていたいと、恭子はいつも思ったけれど、それは強く阻止された。
キツいシカに比べて、会えない分だけ房子を美化してしまう。その頃の房子は、恭子にとって、会いたくてたまらない優しい母親だった。
その房子像が、少しずつ変わっていった。
忙しい房子はいつもイライラしていた。キツいシカに対して、恭子もびっくりするほど威圧的だった。
極端に節約家だったシカがご飯を炊く時に、払った冷たいご飯を上に載せて蒸すと、働いてきた自分にこんなご飯を食べさせるのか、と言って、怒る。嫌いなカレーを作ったと言って、声を荒げる。疲れて休んでいる房子を気遣って布団をかけたシカに、「あぁ驚いた。心臓が止まるでしょ!」と大声をあげる。
自分の母親にそんなことを言うのを聞いて、恭子は驚いたものだった。あんなにキツいシカが、房子の前でオロオロしているのが不思議だった。
その頃から、幸男は少しずつ問題を起こしていた。シカはまだ学生だった悠一を可愛がり、頼っていたが、幸男のことでは不満を言う。それが気に入らなくて、房子は、
「おかあさんは幸男のことばかり目の敵にする」と怒った。
幸男が中学に入ると、房子が幸男に夢中なのがはたからも分かった。家庭教師をつけ、忙しい中、幸男の学校によく相談に行った。
受験時期になると、夜勉強している幸男の部屋に、毎晩お茶とお菓子を運んでいった。そして、部屋で長い時間話し込んでくるのだ。
恭子はその様子を羨望の目で眺めていた。自分も受験の時はそうしてもらえる、と思っていた。
ところが、恭子が高校受験の時になると、幸男が大学受験だった。
二階の階段を上がったすぐの部屋で夜勉強していると、帰ってきた房子が階段を上がってくる音が聞こえる。恭子は息をひそめて自分の部屋の戸が開けられるのを待った。
けれど、房子は恭子の部屋の前の廊下を通って、突き当りの幸男の部屋に行ってしまう。
そしてまた、長い時間過ごすのだ。
やがて幸男の部屋の戸が閉まり、廊下を歩いてくる房子のスリッパの音がする。今度こそ、と恭子は胸をときめかせる。部屋の戸が開けられるのを待つ。
けれど房子はやっぱり恭子の部屋の前を通り過ぎて、そのまま階段を下りて行った。
もしかしたら、少し時間を置いてから来てくれるのかもしれない。淡い期待とともに恭子はしばらく待つ。
けれど、房子が恭子の部屋を訪れることはなかった。お風呂に入るために階下に下りていくと、居間の電気は薄暗く変わっていて、奥の和室の戸は閉められている。シカも房子も、もう寝たのだ。
夜帰ってきて、ただいまと声をかけてくれることもなく、顔を見ることもなく、房子は眠ってしまうのだ。恭子は「忘れられた子供」だった。
薄闇の中で風呂場の電気をつけて、恭子は風呂に入った。
もしかしたら、恭子が階下に駆け下りて、「お帰りなさい!」と声をかければ良かったのかもしれない。そんな快活な子供だったら、忘れられなかったかもしれない。
でも、そうではないのだ。それではダメなのだ。忘れてなんか欲しくなかった。恭子の部屋の戸は、曇りガラスの戸だから、起きているのは勿論外から分かる。房子が自分から戸を開けて来てくれなければ、意味がないのだ。
タイル張りの四角い小さな湯舟に浸かりながら、恭子は鼻をすすった。
房子の深い愛と応援を受けながら、幸男は受験に失敗した。志望した国立大学を落ちてしまった。そして、浪人して臨んだ翌年もまた落ちた。
それからだった。幸男の人生が狂い始めたのは。浪人時代から、すでに荒れ始めていた。パチンコ屋に通い、それ以前にはシンナーも吸った。夜に家出をして、房子を泣かせたこともあった。
結局幸男は意に染まぬ夜間の私立大学に入学して、昼間は悠一の親友が経営しているガソリンスタンドで働いた。
そして、その会社で働いていたやすよに夢中になってしまったのだ。
十七歳も離れた弟だったが、悠一は房子の良い相談相手だった。その悠一が苦笑いしながらよく言った。
「できの悪い息子ほど可愛い、とはよく言ったものだ」と。
やすよの元夫との示談の話に骨折ったのは悠一だった。トラブルがあるたびに、悠一はなにかと房子の力になっていた。
小さい頃から甘えることも、相談をすることもなかった母親の房子だったが、恭子に幸男のことを話す時、決まって言う言葉があった。
「恭子は放っておいても大丈夫だけど、幸男は放っておくと、曲がっていっちゃうから」
それは、いかにも母親らしく説得しようとしているようでありながら、言い訳がましく、恭子にとって、突き放されたように寂しい響きがあった。
自分の気持ちを訴えるのが下手だった恭子が、何かを房子に言おうとすると、いつも、
「恭子は難しい」
と言われた。
親が自分の子供を「難しい」と言ってしまうのは、子供に寄り添って理解することを放棄した、冷たい言葉だった。
幸男の人生
幸男にとって、人生は思い描いていたのとはどんどん違っていったのだろう。そして、日々悶々としていたのだろう。
ある日、恭子に重大な決意を告げた。それは恭子へのお願いのようなものだったが、そんなへりくだったものではない。
それは、驚くことに、国立大学をもう一度受験する、という一方的な宣言だった。勿論房子は既に知っていた。家族がありながら、そんな無謀なことは、房子の援助なくしてあり得なかった。
恭子は音大のピアノ科を卒業して、一年間中学校の音楽講師として勤めた後、恩師の勧めで、自分には荷が過ぎた大きなジョイントコンサートを無事終えたばかりだった。大好きなシューマンの協奏曲を、大きな会場でオーケストラと協演した。数か月の間、悪夢にうなされながら、不安でいっぱいのまま、毎日練習し続けた。
その本番が無事終わって、ほっとした途端だった。
幸男は恭子にこう言った。
今までうるさい音にがまんして、協力してやった。今度はこちらに協力してくれ、と。
そして、具体的な要求をしてきた。
自分は予備校に通って、もう一度大学を受験する。そして、中学校しか出ていないやすよには、高校卒業の資格をとらせるために勉強して、定時制高校に通わせる。そのために、恭子の協力が必要になる、というものだった。
協力とは、具体的には、家事と、早紀のお守りのふたつだった。
やすよの高校受験は、本人が望んだものではない。中卒ではなにかと具合が悪いと思った房子と幸男が考えたことだった。
やすよはそれから、毎日中学校の勉強をさせられた。幸男がみてやったり、ひとりで机に向かったりしていた。そうやって勉強している姿は、恭子にはけなげに見えた。自分の運命を夫や姑に牛耳られ、翻弄されている。それでも、やすよには従うしか道はない。恭子は勿論協力を惜しまない気持ちだった。
やすよはその後、無事定時制高校に合格した。そしてそれから四年間、夜の学校に通うことになった。
やすよにとっても、恭子にとっても、忙しい毎日が始まった。
夕飯は、出かける前にやすよが下ごしらえする。作り方の説明を受けて、恭子がその後引き受けた。
早紀の世話は幸男と恭子が分担した。幸男は勉強の合間に早紀をお風呂に入れた。誰もがいっぱいいっぱいの生活だった。
けれど、意外だったのは、やすよ本人が高校生活を楽しんでいるように見えたことだった。
クラスメート達は、年齢にしたら、一回り以上も離れていた。けれど、やすよはおねえさん的存在として、慕われていたようだった。
定時制高校の生徒は、昼間働いている者が多く、授業中居眠りをしている姿も多く見られるとやすよは言った。そんな彼らの中で、やすよはむしろ余裕があったのだろう。
それに、やすよにしたら学校は、誰にも支配されない唯一の息抜きの場だったのかも知れない。高校の話を、恭子にも楽しそうに話した。
そんな忙しい生活が続いた後、幸男は無事志望していた関西の国立大学に合格した。希望していた学部ではなく、農学部だった。けれど、まずは国立大学一期校という、幸男のプライドは充たされたようだった。
そして、まず幸男が関西に移り、しばらくして家族が住めるアパートを見つけて、幸男一家はそちらに住むことになった。やすよも関西の高校に転入した。
ふたりの学費も、アパート代も生活費も、勿論みんな房子が出していた。
それからの家事は、全部恭子がすることになった。恭子は何件かのピアノを教えに行く以外は、家で洗濯や食事の支度を全部した。
おまけに、その当時の家は、二階をアパートに残していたのだが、その一部屋に入った女子は幸男がお世話になった方の娘さんだということで、その女の子の食事も幸男から頼まれた。
ただでさえ、房子の食事の支度や家事は、時間に追われ、緊張した。そのうえ、他人の食事まで作るのは、若い恭子にとってかなりのプレッシャーだった。
その子は東京の大学を受験することになっていて、夜はお風呂も入りにきた。両親に愛情いっぱいに育てられたように見える、素朴
な感じの子だった。
恭子がそういう忙しい合間に出会ったのが卓雄だった。卓雄は恭子と同い年だったが、二浪して、翌年の春に卒業することになっていた。一部上場の会社に就職も決まっていた。そして、最初の赴任先が東北の都市に決まった。
付き合い始めてから、卓雄が東京を離れるまで、数か月しかなかった。
その数か月間の、短い時間卓雄と会っても、恭子は、房子とアパートにいる受験生の女の子の夕飯を作るために急いで家に帰った。房子から家計費をもらい、家計簿に買い物の明細までメモした。房子だけではなかったために、気張って何品もおかずを作っていた。
ずっと主婦を続けていた恭子は、その翌年の末に卓雄と結婚式をあげて、東北に行った。そこで、ひとり残る房子のために、やすよが東京に帰ってきたのだ。
その時のことを、房子は後に、何かの話の合間に、恭子が「親を捨ててでも結婚する」と言ったと言うので、びっくりした。
後年になっても、房子は数々の嘘をついた。
恭子が言ってもいないことを言ったと言い張ったり、事実とまったく違って記憶を塗り替えて、それが絶対に正しいと主張した。それらのたくさんの房子の嘘の中でも、これは恭子にとって最も堪え難く、悔しいものだった。
房子は何を思い間違えしているのだろう。恭子が房子に、間違ってもそんな言葉を言うはずがなかった。房子がそんなふうに、事実を塗り替えて記憶していたとするなら、房子のために費やした、あの大事な青春の日々を返してほしい、とさえ思う。恭子の気持ちを踏みにじる房子の冷たさに、思い出すだけで胸が苦しくなり、怒りがこみあげた。
(房子の嘘やデタラメは後年いくつも発覚した。
房子は後に幸男の就職に卓雄や恭子が尽力
したことは何も頭になく、自分の力だと言う。
また、後年、長女の久美が音大に行った際にも、自分が高い授業料を援助しているように親戚に吹聴していることも分かった。その時は、親戚がたまたま恭子の前でそのことを口にしたので、恭子が「え?」と房子の顔を見ると、房子はまずかった、という顔をして首をすくめていた。
一介のサラリーマンである卓雄のボーナスの大半を使って、恭子は決して楽でない中、子供達の学費を出していた。
それを、あたかも自分がしたように吹聴して、偉いね、すごいね、のひとつに加えようとした房子。どうしてここまで他人に自分を良く見せたいのだろう。
あえて否定するタイミングがなかったので、その場は黙っていたけれど、恭子の中に、悔しい思いばかり残った。)
その後大学を卒業して東京に帰ってからも、幸男の生活は安定しなかった。
農学部を出たため、ワインの勉強をすると言って、ドイツに一年間ホームステイに行ったが、ただの農作業の手伝いをやらされただけで帰ってきた。勿論これも房子の援助によるものだ。
その後職につけず、卓雄の仕事上のツテでコンビニに勤めたり、恭子の口利きで酒の会社に勤めた。けれど、どれも長続きしなかった。
結局、房子の塾の講師としての場をもらって、以来ずっとそこで働いているのだ。
房子がいなくなった後、塾のネットの宣伝には、塾長である幸男が、国立K大学を卒業、ドイツに留学、とたいそうなプロフィールが書いてある。さんざん親のすねをかじって、家族ぐるみで生活を支えてもらった過去を隠して、幸男は「塾長先生」として、上から目線で物を言う人になっている。
たぶん、幸男には、自分のその甘えや主体性の無さが、まったく見えていないのだろう。
房子に庇護されたその生き方が、普通だと思ってきたのだろう。
「裸の王様」みたいだ、と恭子は思った。
幸男が塾で働くようになってから、房子は幸男と一緒に過ごす時間が増えていた。というより、一日の大半を一緒に過ごすようになった。
何でも幸男に相談したし、共通の話題が多くなる。房子にとっては好都合なことだった。
やすよと張り合うようになったのも、房子の優越感からだったのだろう。
一方、やすよには息子もできて、学校のPTAや地域の活動に加わり、役職にもつくうちに、次第に強く自分を主張するようになっていった。もともと気の強い人ではあったが、房子に押さえつけられていた反動が徐々に出た感じだった。
それでも、やすよの言うことは、房子よりずっとスジが通っていた。
房子の退院
房子の骨折の後の入院は長かった。結局一カ月以上もかかった。留学生が出かけている時間を見計らって、恭子は毎日着替えなどを持って病院に通ったが、房子のきつい態度はずっと変わらなかった。
四人部屋は、外科や整形外科の患者が入院していたので、他の科と違って回転は速く、同室の顔ぶれはその間にどんどん入れ替わっていった。
ある日恭子が病室に入っていくと、入り口近くのベッドには、新しく中年の女性が入っていた。五十代後半くらいに思われた。
その女性は、それまでずっと、奥のベッドにいる房子と話していたようだった。
「すごいわぁ。山上さんの爪の垢でも煎じて飲まなきゃ。ほんとに偉いわぁ。」
その女性は、感動したように房子にそう言っていた。房子はベッドの上で、いかにも上品そうな微笑みを浮かべていた。
恭子はその時、房子が話していたことが想像できた。それは、房子が今まで他の人に話しているのを何度か耳にしてきたことだった。謙遜し、奥ゆかしそうに見せながら、房子はいつものように、自分の経歴をぺらぺら話していたのだろう。
早くに夫に先立たれ、苦労したこと。女手ひとつで子供達を育てたこと。歳の離れた弟も含めて三人を大学に行かせたこと。家を建てたこと。塾を経営していること。他人が感心するような、いいところばかりを話したのに違いなかった。
家事も子育ても、すべて母親に任せてきたことや、老いた母親の面倒を一切弟に任せてきたことなどに決して触れない。幸男の素行についても勿論触れない。悪いことは何も言わないのだ。奥ゆかしさを装いながら、自分のいい話ばかり披露しまくるのだ。
その女性はまた、部屋に入ってきた恭子を見ながら、こんなことも口にした。
「あら、いいおじょうさんじゃないの」
いかにも軽い口調だった。
それは、どういう意味だろうかと恭子は思った。
もし替わりに、幸男がここに現れたら、やっぱり「あら、いいぼっちゃんじゃないの」と言っただろうか。
明らかに、「あら」から先の言葉には、聞かされていたのとは違う、驚きの響きがあった。
房子はいったい何を話したのだろう。大金を借りる、やっかいな子だ、とでも話したのだろうか。それは、幸男だって同じはずだ。いや、幸男はもっともっとひどかった。
自分の自慢に満ちた話は吹聴するのに、娘のことは悪く言う。房子には、毎日忙しい時間を縫って通う恭子への感謝の気持ちなど、まるでなかった。
この同室の女性は、小さな美容院を持っている人だった。この誉め言葉に気を良くした房子は、たった数日一緒だけだったにもかかわらず、退院後に他の人達への内祝いと一緒に、高価な魚の粕漬のセットを贈っていた。一緒にデパートに行って、宛名の代筆をした時には分からなかったけれど、お礼の電話がかかってきて、話の内容から、その人だと分かったのだ。驚いてしまった。
房子は、やすよや恭子にこれほど冷たい人でありながら、たった数日同室になった人の人気取りをする人だった。
それから退院するまで、房子はリハビリにはげんだ。驚くほど一生懸命だった。
毎日療法士と一緒にリハビリ室に通う時間があった。房子はその他に、自分でもベッドに腰をかけて片方ずつ膝を上げたり降ろしたり、必死にやっている。九十歳に近づいている老人とはとても思えない熱の入れ方だった。
そこには、なんとしても塾に復帰したい、幸男を助けたい、という並々ならぬ房子の気迫と執念が垣間見られた。気迫と執念、そして、根性、だった。
やがて、やっと退院の日が来た。その日は恭子にとって、ことに忙しい日だった。
スペインから男の子ふたりの留学生が来ている。勿論別室だった。そこに、夕方から、それまで何度かきていたフランスの老人が来ることになっていた。フランスの有名なシャンソンのライブハウスでピアノをずっと弾いている、恭子にとっては今や大事な友人であるお客さんだった。
房子が来るまでは、三人の客でも泊まれたけれど、もう空いている部屋がなかった。そこで、急遽ピアノが置いてある部屋を客用に仕立てた。遮光カーテンを買ってとりつけ、すきま風が入りそうなドアには、カーテンの陰に段ボールをはりつけた。
フランスの老人からは、もう滞在費をもらっているわけではない。お互いが大切に思っている相手だ。急ごしらえの部屋でも、喜んでくれるはずだった。
そんな突貫工事のような作業を直前までやっていた。
するとその朝、房子から電話で、退院についての指示がきた。同室の人達はみんな、朝食後すぐに退院する、だから、その時間に来てくれ、と房子は言う。
けれど、その時間には、スぺインの彼らはまだ学校に行っていない。彼らを送り出してから行くのではダメかと頼んだけれど、房子は頑なに拒否した。
仕方なく、恭子は留学生達にいつもより早く家を出られないかと頼んでみた。すると彼らは快く了承してくれた。
朝早く出かけても、彼らは多分行くところもないはずだった。仕事として引き受けている以上、こんなことを頼むのは、恭子は心苦しかった。たった一時間くらい、病院にいるのが、そんなに気まずいことなのだろうか。房子のわがままに、胸がきりきり痛んだ。
そうしたわがままを押し通して、房子は一ヶ月ぶりに家に帰ってきた。けれど、それからの日々は、恭子にはハードすぎる毎日になったのだ。
房子は手術した足を怖がって、座ることもできなかった。
着替えを手伝い、お風呂も一緒に入った。一緒に、と言っても、ゆっくり入っている余裕などないから、恭子は服を着たまま、風呂に入った。
十月の半ばだったが、まだそれほど寒くはなかった。けれど寒がりの房子は寒い、寒いと言った。
房子を壊れ物のように丁寧に湯舟に入れて、ゆっくり温まった後、体を洗う。プラスチックの腰かけに座った房子の背中や胸を洗っていくのだが、シャワーの湯は止めているうちに、すぐ冷たくなった。ちょっとでも温度が低いと、房子は冷たい!と怒る。恭子はシャワーをひねるたびに、しばらく湯を出して、温かくなったのを確かめてから房子の体にかけた。
すると、その数秒待つのが寒いと言って苛立ち、房子は「体がすっかり冷えた。もう一度湯船に入ろうかしら」と嫌味のように言うのだ。
恭子は少しでも失敗がないようにと気を使い、緊張しっ放しだった。房子の言葉や態度に、いちいち、怯え、神経をすり減らし、疲れ果てた。
電話の時も大変だった。
二階の電話が鳴って、房子にだとわかると、別の部屋から電話の前に椅子を運んできた。房子はもう、畳の上に座ることはできなかった。
ベッドから起き上がれない房子に手を貸すのだが、恭子が慌てて手を引っ張って、
「痛いよ!」
と、怖い顔で怒られた。泣きたくなった。
慣れていない恭子が悪いのだが、善意でやったものを、もっとやさしく言えないものかと思った。恭子なら、自分の子供達に、間違ってもこんな言い方はしない。
カオス
房子と留学生が居る一日は、恭子にとって緊張の連続だった。房子のことでは緊張するし、ストレスがたまる。留学生の世話は、経済的にはありがたいけど、仕事なので、失敗がないようにと、緊張した。
毎朝睡眠不足で起きると、恭子は身支度をして、まず台所周りをきれいにした。房子が夜飲んだお茶や、卓雄のお酒のコップなどが、片づける暇もなく、そのまま残されていた。
それからすぐに洗濯機を回して、ゴミを出す用意をした。留学生の洗濯物は、数日まとめて出すようにしてもらっていたが、ふたりや三人の時は、シーツなどと重なると膨大な量になる。洗濯機をずっと回し続け、干す、畳むを一日中やっていた。
家族ではないので、畳み方にも気を使う。しわを伸ばして角をぴしっと整える。パンツ一枚でも、形よく見えるように畳んでいった。
ゴミを出し終わると、留学生の朝食の用意をした。これが一番力が入る。
彼らの食事が無事終わると、庭の花に水をやりにいく。日が高くなるまでに済ませなければならなかった。それから急いで房子や卓雄と恭子の食事の支度をした。
ここまでの一連の作業を、焦って汗を流しながら、一気にこなしていった。
食事は、卓雄と二人分だけなら気楽だった。けれど、房子は食べられないものや嫌いなものが多く、気を使う。前日の残り物で済ますわけにもいかない。房子の朝食には、毎朝、留学生と同じように、必ず果物を出した。
掃除も気が抜けなかった。トイレのマットや便座カバーも頻繁に洗う。家族だけの時と違って、一日中気が張っていた。
そして、一番大変なのは、やはり夕飯だった。作るのに時間がかかり過ぎて、どうしても遅くなってしまう。誉めてもらえるようなものを用意したくて、料理に気合を入れ過ぎたのかもしれない。
あまりに重労働だった。自分の体のことなど考えていられず、ただ一日をこなしていくだけだった。
それでも、留学生との交流は楽しみでもあり、充実していた。房子は何をやってもありがとうとも言ってくれないけれど、彼らはいつも明るく反応してくれる。自分が、彼らの役に立ち、喜ばれることがうれしかった。
彼らはまた、恭子達が知らない日本の観光地にも詳しく、自分の国でありながら知らなかったことを、いろいろ発見させてくれた。
房子は家にいる時は、テレビを観たり、編み物をしていることが多かった。携帯電話で誰かと長く話していることもあった。
房子にとって、一番有意義な時間の過ごし方は、多分仕事をしてお金をかせぐことだった。房子には、お金がこの世で一番価値があり、お金の力で何でもできる、と思っているふしがある。
お金をかせぐ機会がない時には、房子はせっせと編み物をした。時間とともに、なんらかの形ができあがる編み物は、房子にとってやりがいのある、充実した行為だったのだろう。大量に毛糸を買っては、編針でセーターやマフラーを何枚も編んだ。
房子は編み終わると、それで満足するらしく、できあがったセーターを、自分でも何枚も持っていたけれど、惜しげもなく他人にあげてしまったりした。
恭子も今まで何枚も編んでもらっていたし、諍いの前には、房子はやすよにもあげていた。
房子のぬくもりを感じるものは、このセーターやマフラーだけだと恭子は思う。房子の手編みのセーターは、とても温かくて、どれも大切にしていた。
房子の退院の日に何回目かの来日をしていたフランス人のピアニスト、ルイは、良い人だったが、結構手がかかった。彼は七十代半ばだったけれど、好奇心も向上心も旺盛だった。旅行には二台のパソコンを持ち歩き、学んだ日本語の文章や、各地で撮った写真など、たくさんの物を保存していた。
けれど、その好奇心や向上心の割に、ほとんど日本語をしゃべることができなかった。
また、ルイは恭子にパソコンの写真を見せてくれたり、日本語で書いた日記のチェックを求めるのだが、歳のせいか、操作にトラブることがよくあった。文章が消えてしまったり、入れるところを間違ったりして、何度も何度もやり直して苛立つ。そのたびに、長い時間付き合うことになった。
幸い、パソコンに関しては、スペインの留学生達が操作に精通していたので、大助かり
だった。
その彼らも、日本語はさっぱりで、日本に来たのは、やはりアニメの影響らしかった。
日本のマンガやアニメは、一部の外国人の間で絶大な人気があるらしい。彼らは、学校が終わると街にくりだして、大きなビニール袋いっぱいに、丸い透明なプラスチックに入ったおもちゃをたくさん購入してきた。「がちゃがちゃ」と言われる機械から出てくるものだ。中には、アニメのキャラクターの人形など、ひとつひとつ小さなグッズが入っていた。
食べ物の好みは、それぞれ違っていた。ルイは決して生ものを食べない。外国人には珍しく焼き魚を好んだ。
スペインの彼らは、まぐろの刺身を出すと喜んでくれた。刺身をたくさん出した時には「王子様みたい!」と、むじゃきに大喜びした。
房子は、彼らの前では穏やかな笑顔をたやさなかった。英語で話すことはできないけれど、彼らと一緒にいるのは好きなようだった。
房子は、以前旅行で買って箱に入れたままの珍しいお土産を持ってきては、彼らにあげたりした。房子の部屋には、あちこちの引き出しの中に、国内の旅行で買った布のコースターや根付けなどがごろごろしまわれていた。
房子は彼らが出かけて行く時に、階下に居れば、玄関までわざわざ見送りに出てきた。卓雄が出かける時も見送る。けれど、恭子が買い物に行こうとすると、すぐそばにいても、恭子の方を見もせずに、気の無い声で「行ってらっしゃい」と言うだけだった。
留学生やお客もいて忙しかったけれど、恭子も卓雄も、房子のことはいつも気遣っていた。特に、階段の上り下りには気を使い、房子には何も持たせないようにして、できるだけそばについて助けていた。
それなのに、あろうことか、房子は退院後少ししてから、また、塾に行くと言い出したのだ。恭子達は唖然としてしまった。
思えば、辛いリハビリをがんばってきたのも、塾に行って、幸男を手伝うことを考えていたからだろう。それを励みにしてきたからだろう。年寄りのあのがんばりは驚異だった。
けれど、どう考えても、今の房子が塾に行くのは無理だった。
骨折をしたのも、みんなの心配と反対を押し切って出かけた結果だった。こんなに大変なことになって、恭子達に迷惑をかけたというのに、房子はまだ懲りないのだろうか、と呆れた。
いや、呆れる、と言ったら軽すぎる。もっと強い、苛立ちに似た気持ちだった。周りのことに何も配慮せず、自分と幸男のことしか考えていない房子の身勝手さに、嫌悪感すら覚えた。
杖をついて、荷物を持って、「どうやって塾に行くの?」と言うと、房子はムッとした顔をした。
また怪我をするでしょ、今度はもっとよろけやすいのだから、と言っても、房子は怖い顔をして黙っていた。
恭子は疲れ切っていたし、房子の横暴さにがまんできなくなっていた。
房子に振り回されて、卓雄を巻き添えにするのは、もう御免だった。そんなことは、もうできない。
もう、送り迎えはしない、と思い切って房子に言った。車で迎えに行くのは、塾に行くのに賛成していることになる。いつまでも甘えるのは、止めてほしかった。
すると、呆れたことに、房子は憮然としてひとりで塾に出かけたのだ。杖をついて、荷物を持って、バスと電車を乗り継いで。
塾に行くには、駅を降りてからキツい坂を上る。マンションの中にある塾に行くには、手すりのない階段を上らなくてはならなかった。
後から聞いた話では、塾の他の先生が、車椅子を持って駅まで来てくれた、ということだった。階段は、抱えてもらったという。
そんな迷惑をかけてまで行こうとする房子の我の強さに、恭子も卓雄もほとほと呆れた。
塾が終わると、もう迎えに行かない、と言ってあったため、房子はバスに乗って帰ってきた。
その我の強さに嫌気がさしながらも、家で待っている恭子は、やはり房子が心配になってきてしまう。杖をついてひとりで帰ってくる老いた房子を思うと、だんだんいたたまれなくなった。
時計を見ると、そろそろバスが着くかもしれない時間だった。卓雄はまだ帰っていない。恭子は外に畳んでしまってある車椅子をセットして、バス停まで急いだ。最寄りのバス停まで、五分くらいだった。
バス通りを渡って、酒屋の前にあるバス停まで行くと、恭子は薄暗い通りの、バスがやってくる方向に目をこらした。標識が置かれただけのバス停には、座る椅子もない。待っている人は誰もいなかった。
車椅子に手をかけながら、恭子は通りをじっと見ていた。車のヘッドライトが恭子の前をつぎつぎ通り過ぎて行った。バスも何台かやってきては停まった。けれど、降りてくる人の中に、房子の姿はなかった。
何時にバスに乗ったのかさえ、分からない。
そうして待っているうちに、恭子の中から苛立ちも怒りもしだいに消えていった。ただ、房子の無事だけを祈った。自分の我を通したとはいえ、杖をついた年寄りが、こんな薄闇の中、バスに乗って帰ってくるのが憐れでたまらなかった。
と、目の前にまたバスが停まった。開かれたドアの向こうをじっと見つめていると、運転手の脇からゆっくりステップを踏んで降りてくる房子の姿があった。先の丸い茶色の革靴が、杖とともに、頼りなくステップを踏む。片方の足だけに体重をかけて、かたんかたんとぎこちない降り方をした。房子の服装は茶色いズボン、黄土色のチェックのハーフコートという、いつも見慣れたものだった。
それまでずっと下を見ていた房子は、ステップから地面に降り、正面を見て、恭子を認めると、少しびっくりした顔をした。けれど表情を崩すことはなかった。車椅子を見て、黙って腰を下ろした。
迎えに行かない、と言われたのが、よっぽど腹立たしかったのだろう。房子はありがとう、とも言わなかった。
恭子も、明るい顔で、おかえりなさい、という気分にはなれない。複雑な気持ちだった。房子に対する苦い思いが消えたわけではないけれど、心底ほっとしていた。
普段房子の強さを見せつけられて、房子が九十歳近い年寄りであることを忘れていることさえある。この骨ばった体のどこに、あの強さがあるのだろうか、と思った。
家に続く道には人の姿もなかった。道路のでこぼこに反応して、車椅子はいちいち動きづらくなった。
母を嫌う
それでも房子は、しばらくは、そうやって無理して塾に通った。本当に根性がある人だった。
どれほど塾が気がかりなのだろう。
いや、塾というより、房子が心配なのは幸男だ。妻子がいる60代のくたびれた初老の男になっても、房子にとって、幸男は自分が庇護してあげなければいけないか弱い息子だった。
房子と幸男に関して、恭子が忘れられない出来事がふたつある。それぞれ時期はだいぶ違っている。
ひとつは、恭子の子供達がまだ学校に通っている頃のことだ。長女の久美が中学生。あとの三人は小学生だった。
ある日の夕方、房子から電話があった。これからヨーロッパ旅行のお土産を持って行く、と言う。幸男が塾に行く前に、車でそちらに行ってくれるから、と房子は言った。
房子は若い時から旅行の会に入っていて、頻繁に海外旅行に行っていた。仲の良いお友達と、国内旅行にもあちこち行っている。それらの旅行のたびに、房子はお土産を買ってきてくれた。
ところが、忙しい房子は、そのお土産を持ってきてくれるわけではなかった。いつも、取りにおいで、と言う。
子供を抱えた恭子にしたら、それは、それほどありがたくないことだった。バスと電車を乗り継いで、往復二時間かけて、カメオのブローチやチョコレートをもらいに行くのは、むしろ面倒だった。
けれど、それが、数少ない房子と会う機会であったし、時々房子がお昼にお寿司をとったり、行きつけのレストランでごちそうしてくれることの方が楽しみで、出かけて行った。
房子にしても、昼間恭子がひとりで来るのは、やすよの愚痴をぶつける絶好の機会だった。
それにしても、幸男が房子を車に乗せて、お土産を届けるなんて、珍しいことだった。
房子から電話があったその夕方、恭子はいつものように慌ただしく用意した夕飯を、子供達に食べさせるばかりになっていた。
男の子達は外で遊んで汚い体で帰ってくる。
足を洗ったり、着替えさせたり、夕飯までにも忙しい。
それでも、恭子は子供達のご飯には力を入れていた。居間の座卓の上には、ハンバーグや野菜の炒め物など、四人分の料理が並べられていた。
房子からの電話を受けて、一瞬、子供達に食べさせ始めようかと恭子は迷ったけれど、お土産を届けたらすぐに帰るだろうと思って、とりあえず、ふたりが着くのを待っていた。
そこに房子と幸男が到着した。
房子はお土産のお菓子を恭子に渡すと、幸男がわざわざ来てくれたことを、ことさら強調して恭子に告げた。
幸男は食卓のそばにあぐらをかいて座り、久美がふたりにお茶を入れてきた。
他の三人の子供達も、食卓のそばに座っていた。
その時だった。房子が信じられないことを言った。
「おとうさま、お腹が空いているでしょ。これ、いただいたら?」
びっくりした。ほんとに驚いた。なんてことを言うんだろう、と思った。
食べ盛りの子供達四人。まさに食べようとしていた時だ。料理が子供達の分しかないのは、すぐに分かる。
一瞬あっけにとられたけれど、仕方ない、
「どうぞ、どうぞ」
と言うしかなかった。冷や汗が出た。
すると、これも信じられないことに、
「じゃあ」
と言って、幸男が食卓で座り直して箸を取ったのだ。そして、目の前の一人分の料理をがつがつと食べ始めていた。
ハンバーグや野菜がたくさん入ったポテトサラダ・・、豪華ではないけれど、子供達の好物を一生懸命作ったものだった。
子供達は、幸男が肩を丸めて前のめりになって、つぎつぎお皿を空にしていく姿をじいっと見ていた。
幸男が空腹だとしたら、待っている子供達だって空腹だ。料理が並んでいるのを見れば、彼らがもう食べるばかりだったことが分かる。この状況を、この大人達は何とも思わないのだろうか。房子にとって、小さな孫達より、息子の空腹の方が優先するのだろうか。
ただじいっと幸男を見ているだけの子供達が、かわいそうだった。
幸男が食べ終ると、大したお礼の言葉もなく、房子達は帰っていった。
恭子は一人分足りなくなった料理を、他の皿から少しずつ集めて用意した。切なく腹立たしい作業だった。
後になっても、恭子はこの時のことをよく思い出した。後になればなるほど、房子と幸男の気性をよく表している、と思うのだ。
急なことだったので、恭子はまさか幸男がここで夕飯を食べるとは思ってもみなかった。
けれど、房子にしたら、お土産をわざわざ持ってきてくれた幸男に、夕飯くらい当然でしょ、と思ったのかもしれない。
房子の目の中には、いつだって、幸男しか映っていないのだろう。
もうひとつの出来事は、比較的新しい。
やすよに対する不満を吐き出したい房子は、何回か恭子の家にやってきた。
その日も、房子はさんざんやすよの不満を言った後、疲れた、具合が悪い、と言って、ぐったり辛そうに横になっていた。
恭子は房子の肩をずっともんであげていた。
そこへ幸男が迎えにきた。玄関のすぐ外に車が停まるのが分かった。
恭子はすぐにドアを開けて、出て行った。
すると、それまで死んだように横たわって、動けなかった房子が外に出てきたのだ。びっくりだった。
車は、少し長く停めるには、位置をずらさなければならない。房子は疲れた顔はしていたものの、車の後ろにしゃんと立って、
「オーライ、オーライ」
と声を出して、幸男の車を誘導し始めていた。今しがたまでの房子とは、驚くばかりの変貌ぶりだ。
幸男のためなら、瀕死の体でも、気力で起き上がりそうな房子の怖さと凄みを目にした気がした。
幸男とはずっと会っていない。
房子を犬でも預けるように安易に置いていってから、幸男からのきちんとした挨拶などなかった。
幸男と最後に会ったのは、房子の頼みで、実家から房子の靴の箱を十個くらい抱えて持ってきた時だった。房子が恭子の家に来て、しばらくたってからのことだ。
「どの靴だか分からないから、全部持ってきちゃったよ」
車から靴箱を積み上げて運びながら、幸男は苦笑いを浮かべて言った。その時はまだ、幸男は恭子の怒りに気づいていなかったのだろう。いつもと変わりない様子で言った。
そして、玄関の前で、またあの一言を言った。
「じゃ、お願いします」
二回目の「お願いします」だった。ほんとに一言、軽く言って帰って行った。それっきり会っていない。
電話でも話さなくなったけれど、房子のことでどうしても電話をしなければならなかった時、幸男は、
「はい、こんにちは」
と、普段塾で生徒達に言うように、軽く、偉そうに電話に出た。恭子がむかむかして幸男の非礼をなじると、
「親の面倒を子供が看るのは当たり前だ」
と、また偉そうな口調で言った。
恭子は親の面倒を看たくない、とは思ってもいない。けれど、こちらに永住するのなら、その前に、きちんと説明して頼むべきだということが、どうしても分からないのだ。房子と同じく、「じゃ、お願いします」の一言が、「礼を尽くした」と思っているのだ。
だいいち、幸男にしても、房子にしても、卓雄のことをどう思っているのだろう。どれほど軽く見ているのだろう、と腹立たしかった。本来なら、長男である卓雄は、房子ではなく、自分の両親を看なければならない立場なのだ。卓雄の両親は、遠く離れていて、それはかなわなかったけれど。
房子に幸男への不満を言うと、房子は必ず、
「幸男は礼を尽くした」
と言った。
幸男の態度にも腹が立つが、それをかばう房子に腹が立った。悔しかった。
なおも言うと、房子は、
「私がここに来たのが悪かった」
と簡単に言う。
あんなに強引に押しかけてきておいて、今さら何を言うんだろう、と思った。
房子はどんな時も、決して幸男のことを悪くは言わない。房子が一言、幸男の無礼を指摘してくれさえすれば、恭子の気持ちも晴れるのに、決して認めようとしなかった。
そして、しまいには、
「恭子は幸男が嫌いなんでしょ」
と、子供じみた言い方をした。
幸男のことを、もともと嫌っていたわけではない。以前は幸男を呆れることは多かったが、仲は良かった。嫌いになったのは、房子のせいだ。幸男をかばえばかばうほど、恭子は房子から気持ちが離れていく。
幸男を嫌う気持ちの根本には、房子に対する反感がある。幸男と房子と、どちらを嫌う気持ちが強いのか、恭子自身にも、時々分からなくなった。
房子の年齢を思うと、切ない気持ちになる。やさしくしてあげようと思う。けれど、その一方で、幸男への不条理な溺愛と、強さを見せつけられると、恭子の中に、不満が渦を巻いた。
恭子は幸男を拒絶して、家に入ることも許さなかった。
気の強い房子でも、さすがに恭子のその拒絶の前には屈していた。幸男を家に招くことはできなかった。
そうは言っても、幸男が心配でたまらない房子は、携帯電話でよく話をしていた。
ただ、幸男と話すタイミングが難しかった。
自宅では、やすよが居る。塾では余裕がない。
房子がメインでなくなった塾は、少しずつさびれていっていた。大手の塾が進出して、生徒も講師も奪われていっていたのだ。
ある時、恭子の頑なさにおじけたのか、房子は外で幸男と会うのに嘘をついた。
「K駅の地下の商店街で、後ろからポンと肩をたたかれてね。振り返ったら、老人会で一緒だったⅠさんで、昼ごはんを一緒に食べましょう、ということになって・・・」
房子はぺらぺらと、呆れるほど饒舌に作り話をした。
房子が突然誰かと昼ご飯を食べてくるなんて、あり得なかった。事前に予約していたレストランに、幸男と行っていたことが、すぐに分かった。
恭子は、幸男が家に来ることは拒否しているものの、外で会うのを止めているわけではない。何故嘘をつくのだろうと思った。
実の娘に、信じられないほど饒舌に作り話をする房子に、恭子は寒々をした気持ちになり、不信感を募らせた。
高血圧
無理して塾に通っている間、房子は帰ってくると相当疲れているようだった。
気が付くと、ソファーで固まって眠っていた。夕飯を食べながら、茶わんを持ったまま眠っている時もあった。
時々、上を向いて大きく口を開けたまま、いびきをかいていたり、今にも崩れ落ちそうに、だらんと下を向いていたりする。そういう時の房子は、枯れて干からびた百歳過ぎのおばあさんのように見えた。からから、ぼろぼろの体は、ちょっと触ると粉々になってしまいそうだった。
風邪をひくので声をかけると、房子はいつも、眠ってなんかいない、ずっとテレビを観ていたと言った。塾へ行って疲れたとは思われたくないのだろう。
そのうち、房子はさすがに塾に行くのを諦めたようだった。そうすると、今度は時間を持て余して退屈しているように見えた。
そこで、恭子は近所の新聞屋が出している広告のちらしに、房子が勉強を教える広告を載せるように頼んでみた。ちらしは毎週新聞に折り込まれ、小さな枠の中に広告を数行入れて、掲載料は月4回で千円くらいと安かった。
名前は「おばあさん教室」として、房子の短いプロフィールや宣伝文句を考えて書いた。
授業料は、年寄りなので格安にした。
房子はお金に困っているわけではない。塾に行かなくなった今、房子が自分を必要とされる喜びを感じて、生活に張りが出ればいいと思っただけだった。
始める前には、房子は気乗りがしていないようすだった。自分の塾と比べて、あまりに安かったからだ。幸男にも、電話で話して馬鹿にされたと言う。
幸男に、恭子の気持ちが分かってたまるか、と思った。
そうは言っても、まず、生徒が来るかどうかが問題だった。けれど、ありがたいことに、そのうちぼちぼち来るようになったのだ。
そして、この教室が、ある期間、房子の生活に張りを与えたのは明らかだった。房子は、「おばあさん教室」に次第に熱を入れ、生徒に合わせた問題集などを買い込んで、自分でも下調べなどにはげむようになっていった。
房子は教員時代、算数が好きで、難関の私立中学の入試問題を解くのを得意にしていた。
それで、恭子も房子の力を買いかぶっているところがあった。
ところが、歳のせいなのか、房子の力は思ったほどでもない。房子は問題集と解答を取り寄せて、恭子が、こんな易しいものを、とびっくりするほどの問題まで、一問一問教える前に解いてみていた。
しかし、こうした日々を送りながらも、房子の恭子への強い態度は相変わらずだった。。
夜更かしが好きな房子は、テレビを観て、時には四時くらいまで起きている。恭子が夜トイレに起きると、たいてい房子の部屋の明かりが煌々とついていて、テレビの音がしていた。そのため、房子は昼過ぎまで寝ていることがよくあった。布団に入っても、目がさえて眠れない、いつもの睡眠薬を飲んでも効かない、と房子は言った。
一日のサイクルがずれているから、もっと早く寝るようにしたら?と言っても、恭子の言うことなど聞くような人ではなかった。
何か言っても、嫌な顔をして黙る。これは本当に房子の悪い癖だった。親子なのだから、言い合って、喧嘩になってもいいと思うけれど、昔から、房子と喧嘩や言い合いなどをしたことがなかった。
ある日の房子はとても意地が悪かった。
房子が排便の時に血が出たと言うので、近所で紹介してもらった大腸の専門病院に出かけた。
そこは電車を乗り継いで行く、遠くの病院だったが、予約して行ったその日は、あいにく雨だった。
恭子はいつものように、二人分の荷物を全部片手に持って、もう一方の手で房子の手を引きながら、エレベーターやエスカレーターを探して、遠回りして歩き、やっとの思いで病院がある駅に着いた。そこまで行くのも、房子がいつものように、どんなにゆっくり歩いても、速い、疲れた、と息を切らせて文句を言った。
病院まで歩くのにも、苦労した。雨の中、病院を探しながら歩くのだが、房子に傘をさしかけるために、持っていた房子のナイロンの袋がはみ出して、濡れてしまう。
すると、房子はそれを見て、
「あ~ぁ、濡れちゃった」
と、露骨に嫌な顔をした。
病院では、ジュースが飲みたいという房子のために、外の自販機まで買いに行った。
房子が診察が終わって出てきたので、房子が座っていた椅子から、房子が羽織っていたものを急いでどかそうとすると、
「せっかくきれいにたたんでいたのに」
と、怒った。房子の言葉に、いつもびくびくしていた。
どうしてこの人は、いつもこんなに不機嫌でわがままなのだろう、と恭子は気持ちが折れていく。自分のことを、女中ぐらいにしか見ていないのだろうと、そのたびに思った。
恭子が房子に我慢するのは、多分、もう借金のためだけではなかった。昔から感じてきた房子の威圧感や親しみの無さはずっと消えない。加えて、房子の衰えてきた体も、恭子に我慢を強いているような気がした。
けれど、恭子の中で、房子に対するストレスが日ごとに溜まって行った。
房子の歳を思い、冷静になって、いつも考え直すけれど、不満の塊は溜まり続けていた。
房子とのトラブルの原因は、幸男とのことが多い。それに加えて、秘密や嘘。身勝手さや恭子への労りの無さや冷たさ。そして、実の親子でありながら、まったく気持ちが通い合わないことだった。
そんな中、恭子は初めて医院で自分の健康診断を受けることになった。
健康診断の通知は毎年送られてきてはいた。
けれど、それまでは面倒で受けたことがなかった。その年は、卓雄が定年間近だったために、ラストチャンスだと思って、たまたま予約していたのだ。
房子が来てから、もう一年近くになろうとしていた。
健診を受ける前、恭子には若干の不安はあった。
房子が来てから、あまりの疲れのために、頭が割れそうに痛むことがよくあった。房子の荷物を階段を何往復もして運んだ時に、壁にぐったりもたれかかると、頭の中がぐあんぐあんと鳴っていた。頭の中の血管が破裂したのではないかと、心配になった。
すると、健診の結果、それが異常に高い血圧のせいだと分かったのだ。恭子の血圧は、200近かった。
あの時の、階段に座り込みたくなるほどの尋常でない疲労感と息切れは、血圧のせいだったのだ。房子の部屋を整えるまで、休みたくても休めず、無理をし続けていた。留学生と重なった上、房子のために毎日寝不足だった。体に異変がないわけない。
思い出しても、辛くなった。
内科の若い医者は、恭子が家に血圧計すら持っていないことを告げると、まるで異生物でも見るような目をして、驚いていた。
その後恭子は、永久に降圧剤を飲み続けなければならない宣告を受けたのだ。急に、「薬が無くては生きていけない人間」という負のレッテルを貼られたようで、みじめな気持ちになった。
おまけに、今まで考えてもみなかった薬代が急に要ることになって、憂鬱だった。
それにしても、健診を受けなかったら、高血圧も分からず、大変なことになるところだった、と恐ろしかった。
病院からの帰り道、恭子は房子のことをずっと考えていた。
房子は、恭子が荷物の運搬でへとへとになろうとも、寝不足になろうとも、恭子の体を気遣ったことなど一度もなかった。大丈夫?と心配されたこともないし、ありがとう、と言われたこともない。
恭子が疲れたり、痛んだりする生身の人間ではなく、ロボットのお手伝いさんとでも思っているのではないだろうか。
房子のこれまでの冷たさを思うと、胸の中に苦々しい思いが広がった。
房子のお金
薬を飲むようになってから、恭子は以前より自分の健康に注意を向けるようになっていた。けれど、忙しさは変わらなかった。
その日もひどく忙しかった。
その少し前、業者に勧められて、恭子は電気代が安くなるエコキュートをとりつける工事を頼んでいた。オール電化にするために、古くて使いにくかった台所の一部も思い切って新しくすることになっていた。ちょうど国がエコキュートを推奨して、その補助金も出る時だった。
深夜の電気が安くなるプランは、恭子の家のように夜型の家族には良いプランだった。
翌日朝から業者が工事に来るというので、恭子は夕飯が終わった後、台所の大片付けをしていた。
台所の流しの周りやコンロの下の収納スペースに入っている台所用品すべてをどかさなくてはならない。九十センチ幅のシステムキッチンの一部はそっくり取り換えられることになっていた。
居間に包装紙などを敷いて、恭子は台所から運んだものを置いていった。油や醤油、みりん、調理酒などのボトル、たくさんの鍋やフライパン、・・。紙の上はいっぱいになっていった。それが終わると、台所の棚や床をスポンジと雑巾で拭いていった。
ただでさえ、夕飯が終わるまでに疲れ切っているので、その作業を終えると倒れそうだった。体がぐらぐらする。
もう、すでに十二時近かった。終わった後、いつものように、恭子は居間でパソコンを開いて、メールなどを急いでチェックしようとしていた。恭子はずっと、その日の出来事をできる限りワードに記録したりもしていた。どんなに疲れていても、たとえほんのわずかでも、恭子はこの作業を続けるようにしていた。
その日の夕方、房子は何故か突然、封筒に入ったお金を恭子に差し出していた。
え?といぶかる恭子に、房子は、
「年金が出たから」
と言った。
なんだか変だった。年金が出たのは先月。もう半月以上前のことだ。なんで今?と思った。
房子に大きな借金をして以来、房子からは勿論一切お金をもらっていない。申し訳ない、という気持ちからだった。
房子のために、毎月結構出費もあった。毎日の食事も、房子のために品数を増やしている。おいしい物が好きな房子のために、レストランに行くことはしばしばあった。その時は、房子が払うこともあったけれど、恭子達が出すこともよくあった。
何かにつけて、房子は「お金がないから」とか、「次の年金が出たら」という言葉をよく口にした。房子にしたら悪気はないのだろうが、恭子の胸に突き刺さる。そのたびに恭子が、「ごめんね、私のために」と謝ると、房子は「あ、気をつけなきゃと思っているのに、また言っちゃった、ごめん」と言った。
「年金を使ってしまうと大変だから」
と恭子は、夕方そのお金を断った。勿論、どんなにか助かるけれど。
お金を差し出しながら、房子の表情には、どこか迷いがあるような気がした。渡そうか、渡すまいか、といった迷いだ。お金を出すのを惜しんでいるような、嫌な感じを受けた。
房子は迷いながらも、また渡そうとする。
二度、三度、やりとりがあって、結局、恭子は、
「そう、じゃ、ありがとう。生活費としてもらうね」
と受け取った。その額は、留学生の一か月分のステイ料に比べて、わずかなものだったけれど、それでも、今の恭子にはありがたかった。
その時、お金を受け取りながら、恭子は一瞬はっとした。房子の目の色が変ったような気がしたのだ。動物的な、ぎらっと光る目だった。
恭子のその感覚は正しかった。
十二時頃、台所の大片づけがひと段落して、疲れ切った恭子がパソコンでワードに短い記録を打ち込んでいると、風呂から出てきた房子が恭子に言った。
「すみませんが、お水を一杯ください」
恭子はぎょっとした。妙に他人行儀で丁寧な言い方だった。
房子は台所のテーブルに手をついて言っている。そこから水道の蛇口まではすぐだった。
むしろ、居間でパソコンに打ち込んでいる恭子からは遠かった。
房子の足は既に治っている。どうして離れた所にいる恭子に頼むのだろう、と思った。
仕方なく、立ち上がって、台所に行って、コップに水を入れて渡した。
すると今度は「ジュースが飲みたい」と言う。冷蔵庫からオレンジジュースの箱を取り出して、入れると、房子はすかさず、
「肩が凝っているから、もんでくれる?」と言った。
さすがに、胸の中に怒りがこみあげた。
ベッドに倒れこみたいほどぼろぼろに疲れている恭子に、深夜に肩をもめ、という房子の非情さ、心根の悪さを、つくづく憎んだ。肩をもんでほしいのは、むしろ恭子の方だった。血圧が異常なことも、房子にも伝えてあった。
明日は工事の人達が朝早くに来る。翌日にはドイツからふたりの留学生が来ることになっている。そのための工事の日程だった。明日は留学生の準備もしなければならなかった。
恭子は確信していた。すべては、あのお金のせいだった。あの時、房子の目が光ったのは確かだった。
恭子は、房子がお金の力でかけてくる脅しのような圧力をまざまざと知った。これが房子という人だと思った。
一刻も早く横になりたい、と思いながら、恭子は房子の痩せた肩をもんでいた。
怒り
恭子が我慢の限界を超えて、房子に本気で怒りを表し始めたのはいつからだっただろう。
少しずつ、注意をしたり、不満をぶつけるようにはなっていた。かなり強い言葉も使うようになっていた。そうすると、房子の態度も少しずつ変わってきていた。気を使い、遠慮することも出てきた。
かと言って、勿論房子の人柄が変ったわけではない。相変わらず嘘も多かった。
トイレの後手を洗わないことは無くなってきた。それでも、房子の洗い方は、水道の蛇口をひねって、流れる水を手に受けるだけのことがよくあった。たまに、「トイレの中で洗った」と言うけれど、トイレの中でなんか、洗えるほどの水は出ていなかった。
こんなことがあった。
房子は塾の帰りだった。実家に寄ってくる、と電話してきた。やすよがスペイン旅行で留守なので、部屋の片づけをしたいと言う。
なんとなく、嫌な予感がした。
房子がやすよと顔を合わせたくない気持ちは勿論分かる。しかし、何が自分の気持ちにひっかかるのだろう、と恭子は思う。いつまでも実家に執着することだろうか。幸男と密着することだろうか。それとも、やすよに対する態度の大きさだろうか。
片づけや掃除などをしたのだろうか、夜になって、今から幸男に送ってもらって帰る、と房子が電話で連絡してきた。そして、そのまた直後だった。
「お願いだから、嫌な態度をしないでね。」
と房子が懇願するように言った。車に乗り込む直前だったのだろうか。きっと幸男がいない所でかけたのだろう。恭子は房子のその言葉に深く傷ついた。
「嫌な態度」と言っても、幸男とはもう会っていない。車で房子を送ってくる幸男に会わないだけだ。
これまでの経緯と恭子の気持ちを知りながら、房子はことさら何を言うんだろう、と思った。
一体房子はどちらを向いているのだろう、と思う。半ば房子の世話を放棄して、不義理をして礼を欠いたままの幸男と、日々世話をしている恭子と、房子にとってどちらが近しい存在なのだろう。何故恭子の方が幸男にそれほど気を使わなくてはならないのだろう。
そういう言動をし続けることが、恭子と幸男の関係を一層悪くさせるということが、房子はいくら言っても分からず、幸男を庇護し続けるのだ。
その日の少し前にも、房子ともめたことがあった。
何かの話で、房子が恭子を、子供の頃「難しい子」だったと言った。祖母のシカとも、それをよく悩んで話した、と言った。
「難しい子」。それは、恭子が房子に何度も言われた言葉だった。そして大嫌いな言葉だった。
思春期の頃から、房子との数少ない話し合いは、最後にいつもその言葉で終わった。恭子は自分の気持ちを伝えるのが下手だった。
房子は恭子を理解しようとせず、それどころか恭子が自分を理解しないと嘆き、最後には苦悩の表情を浮かべた。自分自身を哀れみ、恭子を親不孝だとなじった。いつもいつもそうだった。
房子のその話は一方的で、違っていた。シカはキツい人ではあったけれど、問題の多い幸男より、恭子に寄り添ってくれた。房子はそれが不満で、いつもシカに文句を言っていた。
「『難しい子』と言ってしまうのは、あなたのことが理解できない、と放り出す、子供にとっては堪えがたく寂しい言葉よ」
と恭子は房子に訴えた。
房子の耳には全然届いていないようだった。
「家出を繰り返したり、他人の奥さんを奪ったり、問題を起こして悩ませたのは、幸男の方だったじゃない。おばあちゃまも、むしろ私を買ってくれていたじゃない。」
恭子は必死に訴えた。悔しかった。
けれど、恭子がどんなに一生懸命訴えても、房子はいつものように黙りこくるだけだ。
「分からない」
何かを追求しようとすると、この言葉も、房子はよく使った。下を向いて、辛そうな顔をした。いつもそうだった。肝心なことを話そうとすると、房子は黙りこむ。恭子が房子をこんなに苦しめている、という苦悩の表情を見せる。
辛くて泣きたくなるのは恭子の方なのに。
「恭子は私に相当不満があったのね」とか、「幸男のことを嫌っているんでしょ」と、的外れの言葉をつぶやいて、ずっと黙りこんだ。
房子に何かを分かってもらおうとしたり、間違っていることを指摘するのは、まったく無駄なことだった。
片づけが終わって実家から帰る時、幸男に嫌な態度をしないで、と言ってきた房子に、恭子はメールで怒りをぶつけた。
「どうしてそんなに失礼なことを言うの?」
「おかあさんは、どちらを向いているの?」
「今まで失礼なことをしてきたのは、誰?」
房子が骨折して入院していた時、何日も繰り返してメールのやり方を教えたのは恭子だった。病院では電話ができないので、不自由だったからだ。
今、房子はそのメールを使って、幸男とひんぱんに連絡し合っていた。
房子は車の中でメールを読んだのだろう。返事はなかった。
玄関に車の音がして、卓雄が出迎えに行った。恭子は勿論行かなかった。幸男の顔など見たくない。
帰ってきた房子は無言で、げっそり疲れ切ったような顔をしていた。恭子のメールで、こんなに傷つき、苦しんでいる、と見せつけている。
二階に上がった房子と、すぐに話をしに行った。房子は死んだようにソファーに横になっていた。頭を押さえ、うずくまっている。
「どうせ、車の中で、『恭子は難しい子だから』と言い続けてきたんでしょ」
恭子は怒りをぶつけた。
そんなことは言わない、と房子は言った。
「嘘言ってる」
房子は否定しなかった。恭子には、車の中の様子が手に取るように分かった。
悔しかった。
何もしないで、房子の愚痴だけ聞いている幸男は気分がいいだろう。自分は悪くない。母にはやさしい。悪いのは、難しい妹だ、と。
ふたりで、そう言い合っているのだろう。
房子は最後には、いつものように、
「私がここに来たのが悪い」と言った。そして、「父や母のところに行きたい」と言ってみせる。いつも「ドケチ」だったと、シカのことをこきおろしているというのに。
「おかあさんが住み心地の良い所を作ろうと、ずっと一生懸命やってきたのに、そんな言葉で終らせたら、今まで私がやってきたことがが無駄だったってことになるでしょう。ひどいでしょう。」
いくら言っても、涙を流して訴えても、房子に何も響かないのは分かっている。房子は自分を憐れむことしかできないのだ。
年老いていくばかりの房子を思って、時々、大事にしたい、と強く思う。今は恭子を頼るしかなくなった房子を可哀そうにも思う。
けれど、房子はそういう恭子の気持ちを踏みにじることばかりした。
伊勢への旅行
房子に対する怒りがとうとう爆発したのは、その年の十一月、卓雄と三人で旅行をしてからだった。怒りというより、「心が凍り付いた」という方が正しかった。
その頃、房子はたびたび伊勢にいる従妹に会いたいと言い出していた。従妹は佐和子さんといって、房子と同じくらいの歳だった。
佐和子さんには、恭子も小さい頃伊勢を訪問すると、家族で家に泊めてもらってお世話になっていた。佐和子さんやその妹、姪などが東京に来て、悠一が今住んでいる家に泊まることもあった。
恭子の記憶では、房子と佐和子さんがさほど親しかった印象はない。何故か晩年になってから急に、それまでより親しく付き合い始めたような気がした。親しく、と言っても、常に時間がなかった房子は、それほど会うこともなかったはずだった。
その従妹の佐和子さんが倒れて寝たきりになって、特養に入っていた。親戚一同を束ねてきているしっかりした人だったので、突然のことに、周りはみんなショックが大きかった。
房子の強い希望はあるものの、当時恭子達は旅行に行くには最悪のコンディションだった。
卓雄は膝を痛めていた。歳のせいなのだろう、軟骨がすり減っている、ということだった。卓雄は普段健康そのものだったけれど、熱や痛みに極度に弱い。湿布をして、包帯をぐるぐる巻きにして、顔を歪め、びっこをひいて歩いていた。
恭子も原因不明の踵(かかと)の痛みに襲われていた。それはだいぶ前から症状があったのだが、一向に改善しない。歩き始めの1、2歩で激痛が起こる。自転車のスタンドを足であげることもできなかった。
後にそれは「踵骨棘」(しょうこつきょく)と言って、踵の骨が棘のようにとがってささり、激痛を生むものだと分かった。いつかは治ると分かって、ようやく安心したけれど、治るまでに二年近くもかかった。
恭子は房子に、幸男に連れていってもらうことを提案したけれど、房子はいつも、「頼めば行ってくれるけど」と言うばかりで、一向に頼む気配はない。そのくせ、恭子には何度も旅行の話を言い出した。
仕方なく、思い切って卓雄とふたりで房子を連れていくことになったのだ。伊勢の親戚にも連絡した。
二泊の旅だったが、やはり大変だった。時間もかなりかかった。
ゆっくり杖をついて歩くのでは遅いので、パーキングで食事をするのも、どこに行くにも、持って行った車椅子に房子を乗せて移動する。車から出してセットするのも、房子を乗り降りさせるのも、いちいち時間がかかった。
卓雄の膝が悪いために、車椅子は恭子が押さなければならない。房子は卓雄の膝のことだけは「膝が痛いのに」と言ってくれていた。
伊勢までは想像以上に遠く感じたけれど、夕方、なんとか無事ホテルにたどり着いた。
ホテルの部屋は広く、予約する時に確認した通り、ベッドが三つ、小あがりに小さな和室がついていた。どういうふうに寝るか迷ったけれど、結局ベッドの中ひとつを空けて卓雄と房子が寝て、恭子が和室に布団を敷いて寝ることになった。房子は勿論、膝が痛い卓雄も、ベッドの方が楽なようだった。
その夜、恭子は房子とふたりで風呂に入りに行った。恭子が親戚と電話で翌日の打ち合わせをしていて遅くなったものだから、房子は少し苛立っていた。
風呂場には、遅い時間なので、数人の人しか居なかった。
脱衣所で、房子は恭子に背中を向けて、浴衣を肩にかけて着替えた。パッドを当てているのを見られるのが嫌だったのだろうか。そうすると、後から入ってきた人たちには正面からまともに見られることになった。手術の後、恭子が着替えも何もかも手伝ったというのに、おかしな光景だった。
その上、驚いたことに、房子はウィッグをつけたまま風呂に入った。湯舟の中でも、そのままつけていた。
風呂場には誰も知っている人はいない。それに、中には数人いるだけだ。
ウィッグを外せば、髪の毛がほとんどない房子の頭は簡単に洗えるし、蒸れることもない。どんなに気持ちがいいかと思うのに、房子はいったい誰の目を気にするのだろうか、と呆れた。
卓雄と一緒なので、房子は寝る時にもウィッグを外さなかった。房子は結局、旅行の間中、ひと時もウィッグを外すことはなかったのだ。
その晩、三人で寝た途端から、ほとんど五秒おきくらいに、ふとんをばさばさ激しく動かす大きな音が続いた。音の犯人は卓雄だった。足が痛んで眠れなかったと言う。
恭子は寝る前に、房子が寒いのではないかと心配して、布団を一枚余計にかけていた。そのせいで房子が音をたてているのではないかと心配していたので、意外だった。房子は眠れないのか、夜中に起きて、睡眠薬を飲んでいた。
朝になって、房子が、
「卓雄さんの布団がばさばさとすざまじい音だから・・・」
と閉口したように言った。
卓雄のために、ホテルを出てから、薬局で痛み止めを買うことになった。
その旅行は房子のためだと割り切っていたので、房子が行きたい所を訊いて、プランをたてていた。
ところが、房子が行きたいと言っていた場所についても、房子は車の中で口を大きく開けていびきをかいている。何度呼んでもすぐに寝てしまうので、そのまま佐和子さんの施設に向かった。
後でそれを言うと、房子は、自分は起きていた、声をかけたのは一回だけだ、ときつい顔で言い張った。
施設に行く前に、せっかく来たのだからと、伊勢神宮にだけは行くことにした。勿論房子のためだった。
持っていった車椅子はそれほど頑丈ではない。訊いてみたら、電動車椅子があるというので、それを借りた。ところが、この車椅子は、初めて使う恭子にとって、かなり扱い難い機械だった。
神宮の拝殿前までの砂利道は片道一時間。かなりの人が歩いていた。
その人混みの中を、恭子はひたすら人をよけて車椅子を走らせた。電動車椅子は、ちょっと動かすと、ハンドルの向きが急に変わった。スピードも出る。こんなに重たい車椅子が人波につっこんだら、大怪我をさせてしまう。恭子は慣れない操作に冷や汗が出た。もう、景色を見る余裕なんてない。車椅子の周りを見るのが精いっぱいだった。
それでも恭子は、こんなに苦労していることを房子に悟られたくなかった。冷や汗を隠して、必死に平静さを装って、車椅子を動かし続けた。
本殿は、階段があるので、房子は下で待っていると言う。せっかくだからと誘っても拒否するので、車椅子の房子を下で待たせて、卓雄とふたりでさっと観てから降りてきた。
それから駐車場まで戻る途中には、ひどく急な坂があった。重い車椅子を押して長い坂を下りながら、恭子は怖くて力が入りっぱなしだった。
なんとか駐車場にたどり着くと、車に乗って佐和子さんがいる施設に向かった。佐和子さんや家族、親戚たちが待っていてくれるので、気が急いた。
施設は静かな場所にあった。ひとつの部屋にいくつものベッドがある。
佐和子さんは寝たきりだったし、ほとんどしゃべることもできなかったけれど、房子に会うと、喜んで涙を流した。親族をまとめ、みんなの面倒をみてきた人なのに、痛ましかった。
房子はベッドの上の佐和子さんに、何度も抱きついて、頬をくっつけた。抱きついたまま、しばらくじっとしていたりした。
その光景は、恭子にはどことなく嘘っぽく見えた。いつもながらオーバーで、演技っぽかった。
その後みんなで佐和子さんの実家を訪れた。佐和子さんも車椅子を押してもらって行った。
広い部屋に、親戚十人くらいが集まっていた。
「おかあさんを、よう連れてきてくれたな」と恭子達を口々にねぎらってくれた。
房子は佐和子さんの隣りに車椅子を並べて、手を握って、べったりくっついている。みんなと会話をするわけでもなかった。
房子がそんなありさまだったから、恭子がみんなと話をした。卓雄も、知らない人の中にいるというのに、彼らの中に溶け込もうとしていた。
話の途中で、恭子は二度ほど卓雄について触れた。卓雄が実の息子以上に房子によくしてくれている、本当に感謝している、と言った。
それは、恭子の本心だったし、房子にも、卓雄にもいつも言っている。何も考えずに口から出た言葉だった。
ところが、驚いたことに、みんなの前で恭子がそう語っても、房子は何も言わなかった。
気まずい雰囲気だった。恭子はまずいことを言ってしまったのかと、ちょっとあわてた。
日頃、房子は卓雄にたっぷり世話をしてもらっている。この場で、房子が「そうなのよ。ほんとによくしてもらっているの」と言わないのは変だった。はるばる来てくれている卓雄をたてるためにも、そういう一言があるべきだった。
すると、かなり間が空いてから、房子がボソッと言った。
「家出してきちゃったのよ、私」
え?と思った。やっぱりまずいことを言ってしまったのかと恭子は慌てた。(後で房子に恭子の言葉がいけなかったか訊いてみると、そんなことはない、と言ったけれど)
タイミングを外して、房子がひとこと言っただけなので、その後誰もその話を追求することはなかった。結局、房子はその場で卓雄をたててくれることもなかった。
恭子は釈然としなかった。恭子の家に来てから、もう一年以上経つのに、房子は幸男の家を出てきたことを言っていなかったのだ。
あれほど佐和子さんへの親しさをアピールして、人目もはばからず抱きついていたというのに。
自分のわがままを隠したいからなのだろうか。あるいは幸男の至らなさを言いたくないのだろうか。
こうやって、房子は自分の負の部分をすべて隠し、いい所のみを他人に伝えて生きてきたのだ。
佐和子さんを中心に、彼らは温かく結びついていた。佐和子さんの姪の夫が浜までバイクで車を先導して案内してくれた。佐和子さんの妹が、新居を見せてくれた。みんなで、遠くからきた年寄りたちを歓迎してくれていた。
恭子は彼らを心から尊敬した。それに比べて、東京にいる自分達親族のまとまりの無さを、情けなく思った。そして、この差はどこから来るのだろうか、と思うのだ。
房子は、佐和子さんの妹の立派な新居の中を見るために、無理して階段を上った。足を気遣って、車椅子を使ってもらっているというのに、そうやっていいカッコをしてしまう。
その後も、恭子達は、佐和子さんの娘夫婦にも、温かい接待を受けた。
そうして佐和子さんの一族に感謝して別れた後、恭子は朝からの疲れがどっと出てきていた。夕方、宿に向かう車の中で、ぐったりしていた。
宿に電話して、夕食の希望時間を告げながら、変だった。目が開かない。開けようとして瞼を上げるだけで、額から頭の前方に鋭い痛みが走った。ぐあんぐあん、と頭の中が鳴っている。いつかの酷い疲れの日と同じだった。いや、それ以上に辛い。
宿について、やっとのことで部屋に戻ると、卓雄が慌ただしく風呂に入りに行った。
すると、待っている間に、房子が売店で買い物をしたい、と言う。仕方なく、またエレベーターに乗った。
けれど、房子が売店で物色している間、恭子はもう立っていることができない。たまらなくなって、そばにあるソファーに座って目を閉じた。
体が揺れていた。頭が痛くて目を開けていられない。瞼を上げようとすると、やっぱり額と頭に響いた。
と、房子がそばに来て言った。
「(買いたいものが)何もないわ」
それから、恐ろしく冷たい声で、
「どうしたの、眠たいの?」
と言った。意地悪い言い方だった。まるで、恭子が疲れていることをアピールするために演技をしているとでも言いたげな言い方だった。
房子のその冷たい言い方が突き刺さった。
「疲れたの・・・」
堪えきれずに、小さな声で恭子は言った。
本当は、ずっと平気なふり、元気なふりをしていたかった。「疲れた」なんて、言いたくなかった。でも、もう隠していられなかった。
房子は黙っていた。一緒にエレベーターに乗った時も、部屋まで歩いて行く時も、冷たく黙っていた。大丈夫?の一言もなかった。
部屋に戻ると、恭子は使っていない真ん中のベッドに倒れこんだ。目を閉じて、しばらく動けなかった。
房子は部屋に入っても一言も言わずに、所在なさそうに黙ってテレビを観ていた。
十分くらいそうしていただろうか。あまりの体の辛さに、恭子はがんばって起き上がると、持っていっていた血圧計で測ってみた。すると、案の定高い。180くらいあった。あのまま休まずに測ったら、きっと200はあっただろう。ぞっとした。
「いくつあった?」
テレビを観ながら、房子が感情のない声で訊いた。
「180・・・」
「ちょっと高いね」
房子はそれだけ言った。
夕飯の時間が過ぎていた。卓雄が食堂で待っている。行かなければならなかった。
恭子はなんとか歩き出して、ふたりで部屋を出た。
いつもなら房子の手をとって歩く。でも、そんな余裕はなかった。瞼を上げられないので、恭子は下を向いて、ゆっくりとぼとぼ歩いた。
房子は少し離れた前方を歩きながら、恭子を振り返りもしない。ずっと黙ったままだった。
それは、食堂についても同じだった。
房子と恭子が並んで座り、卓雄が恭子の向かいに座った。
料理がひとつずつ運ばれてくる。けれど、前の晩と違って食欲がなかった。お酒も飲む気がしない。目を閉じて、テーブルに肘をついて、重い頭を乗せた。
声を出そうとすると、自分の声がわんわん頭に響く。小さな声を出すのがやっとだった。
そんな恭子を、隣りにいる房子は見もしなかった。時々卓雄に、目の前の料理の話などをしていた。
すると、様子を見ていた卓雄が心配そうに言った。
「大丈夫か?」
「食べられるか?」
それを聞いて、初めて房子が、
「薬をもう一回飲んだら?」
と言った。持ってきている血圧の薬のことを言うのだろう。そんな薬を一日に二度飲んで良いわけがなかった。
「部屋に戻ろうか?横になった方がいいよ」
卓雄がそう言って、恭子の手を取った。そのまま手をひいて部屋まで連れて行ってくれた。本当に心配そうだった。
卓雄は食堂に戻り、恭子はそのまま部屋でひとり横になっていた。頭の中は、わぁんわぁんと鳴り響いている。そんな頭の中で、ずっと房子のことを考えていた。
後になって卓雄から聞いた話では、卓雄が食堂に戻ると、房子は食堂の人に、医者が呼べるか訊いていたそうだ。何をわざとらしく、と恭子は苦々しく思う。いつものように、房子のパフォーマンスでしかなかった。
やさしさのかけらもない、氷のように冷たい人だ、と恭子は思った。
売店の前で言った、「眠たいの?」の、あの意地悪い言い方が忘れられなかった。呆れたような、冷たい言い方だった。
房子のために、一日がんばった。そして、疲れ切った・・・。思い出すと、悔しくて、寂しくて、たまらなかった。
爆発
それまでの恭子は、何があっても、最後には房子への気持ちを切り替えてきていた。衰えていく房子への優しさ、いたわりの気持ちを、もう一度思い起こそうと努力した。
けれど、旅行で見せた房子の冷たさは、我慢の限界を超えていた。胸の中が凍って、ピキッと音を立てたような気がした。この人は母親なんかではない・・・。
東京に帰る車の中で、恭子は房子とほとんど口をきかなかった。家に帰っても、心は硬かった。
すると、旅行から帰った翌日から、房子は体の具合が悪いと言ってさわぎ始めた。気持ちが悪い、脈が速い、血圧が・・・、といろいろ言って、ベッドで弱々しい様子を見せる。血圧を測ってみても、異常がなかった。
恭子のことをこれっぽっちも心配しないくせに、自分のことは大げさに騒ぎ立てて、心配させようとする。
房子への反感はつのるばかりだった。そして、その何日か後に、話をしていて、恭子はとうとう爆発した。
旅行の話をしている時だった。恭子は房子への不満をいろいろ言った。胸の中にできた凍った塊は、自分でもどうしようもないほど鋭く尖り、一日中恭子の心臓をチクチク刺し続けている。
けれど、恭子が何を言っても、房子はいつものように自分のことばかり言いつのった。話し合いなんてできる人ではないのは分かっている。無駄だと分かっているのに、抑えきれずに、不毛な時間を費やしてしまう。
自分がどんなに恭子のことを思っているか、その気持ちを恭子が全然分からない。房子はそう言って、嘆き、自分自身を哀れみ、苦しんでいる表情を見せる。いつも同じパターンだった。恭子の気持ちを分かろうとなど、決してしなかった。
房子の言動の、どこをどう切り取ったら、「恭子のことを思っている」という証明になるのだろう。恭子は、あまりにもの悔しさに、いつもより激しく房子を非難した。房子のわがままさと冷たさを、本気になって非難した。
その後、恭子はピアノを教える時間が迫っていたので、やむを得ず房子との話し合いを中断した。恭子が怒り、房子が自分自身を哀れみ、暗い顔をしているだけの、中途半端な「決裂」状態のままだった。二時間近いレッスンをしながら、恭子は気が気でなかった。
教えながら気にしていると、階段を降り、玄関を開ける音がした。恭子はあわてて外に出ていった。房子がジャケットを着て、荷物を持って、門から出て行くところだった。
「ちょっと悠一の所に行ってくる」
房子は硬い表情で言った。
「病人がいる所に行ったら、大変でしょ」
恭子も鋭い声で言った。
「じゃ、悠一の所にも行かないから」
近くを歩いていた近所の初老の男が、こちらを見た。恥ずかしかった。
房子の手を持って、強引に家の中に引き入れた。初めて房子に、本気で怒りを表した。もう、どうしようもなかった。
房子は二階に上がり、恭子は気もそぞろにピアノを最後まで教えた。普通に仕事ができた自分が信じられないくらい、心は荒れて波打っていた。
卓雄から、今から帰る、とメールが入り、結局、その日は弁当を買ってきてもらうことになった。
仕事が終わって、恭子は二階に上がって行った。そしてまた、不毛な話し合いを続けた。
何度話しても、どれだけ時間をかけても無駄だった。房子には自分しかない。自分はこんなに思っているのに。こんなにやってあげているのに。そればかりだった。娘の気持ちに寄り添うことなんて、この人には到底できない。分かろうとなんかしない。
ただただ自分が可哀そうで、苦悩する顔を見せる。
そして、最後には死ぬの、生きるの、の話になる。
恭子は絶望した。
今まで房子のために必死に堪え、がんばってきて、この始末だ。
自分はいったい、何をやってきたのだろう。房子のために尽くし、束縛され、時間を使ってきた。体も壊した。
それなのに、房子は自分のことしか考えていない。母性のかけらもない。
考えたら、今まで楽しいことなんて何もなかった、辛いことばかりだった、としか思えない。
何から何まで否定的な、どうしようもない気持ちになって、涙があふれ出た。房子の前で声をあげて泣きじゃくった。
すると、房子は急に、
「ごめんね」「ごめんね」
と、恭子の背中をごしごしさすり始めた。泣いている恭子の背中を、涙を流してさすり続けた。
「恭子の言う通り、おかあさんがわがままだった・・・」
「いろいろやってくれていたのに・・・」
恭子はびっくりした。こんな房子を見るのは初めてだった。笑顔を見ることもなかったけれど、房子が涙を流しているところも見たこともなかった。
どうしたというのだろう。
今までだって、話しながら恭子が涙を流したことは何度もあった。恭子の絶望の涙に、やっと心が動いたというのだろうか。
初めて見た房子の人間らしさに、気圧されるように、恭子は、
「少し考えてみる・・・」
と言って、部屋を出た。もしかしたら気持ちがつながったかもしれない、という期待のようなものが恭子の中に芽生えた。
房子はそれからしばらくは、やさしかった。自分のわがままを謝り、今までとうって変わって、オーバーに恭子の体を心配しているようなことを言う。極端な変わり方だった。
後から思い出しても、恭子にとって、一瞬の幸せな時間だった。
そして、その時間は長くは続かなかった。。
その日、悠一に電話をして、房子が行かないことを告げると、
「なんだ、来るって言うから、こたつをどかして、(房子が泊まるために)大変なことをしていたのに・・」
と言った。
悠一は房子の弟だが、十七も歳が離れている。それでも、ずっと一緒に暮らしてきた房子や幸男の気性を知り尽くしている。そのために、恭子は幸男や房子の不満を電話でよく相談した。悠一はよく分かってくれた。
けれど、房子は房子で、何かというと悠一の所に愚痴を言いに行っていた。誰にも心の中を見せない房子にとって、唯一気を許せる相手が悠一だった。自分や幸男に都合の良い話しかしないから、話の内容は事実とはずいぶん違っていたけれど。
悠一が妻と息子と住んでいる家は、房子が買ったものであり、かつて恭子達もそこで暮らし、その後シカも悠一がそこで看取った。家賃を払っていない悠一にしたら、やはり房子に負い目はある。何かと経済的に援助も受けてきた。それもあってのことだろうが、房子の頼みをいつも聞いてきていた。
房子が家に来ると聞いて、悠一はきっと、恭子との関係がかなり良くないと思ったことだろう。恭子の辛抱が足りない、恭子の家の居心地が悪い、と思われたことだろう。
今までの努力がすべてかき消されてしまったようで、恭子は悔しかったし、悲しかった。
悠一はその頃、妻の認知症が悪化して、心身ともに疲れ切っていた。悠一の妻は、手の届かない所の鍵を閉めないと外に出ていってしまうし、テレビのリモコンを冷蔵庫に入れたり、ゴミ箱に捨ててしまう。オムツを替えるのにも苦労していた。
そのためか、次第にゆとりがなくなり、かつてのように恭子の話を冷静に聞ける人ではなくなっていっていた。恭子が悠一を心配して言った言葉も、曲解してとるようになっていった。
何度か心配して、料理を作って持って行ったこともあったけれど、部屋のあちこちからネズミの鳴き声がして、ゴソゴソ走り回る音がする。
驚いたことに、作り付けの食器棚のひとつの中にはネズミが閉じ込められていた。食器がたくさん入っているので、不衛生だし、気持ち悪い。
悠一はそれを、「飼っているのだ」と平然と言った。
闘う
房子は少しずつ衰えてきていた。
普段の気の強さを目にしていると、房子の歳を忘れてしまう。
けれど、たまにスーパーの買い物に付き合ってみると、カートを押したり、椅子に腰かけたり立ったりする姿が、以前よりよぼよぼして、頼りなく見える。そういう姿を見ると、この先長くはないだろう房子を思って、たまらない気持ちになった。
房子がそういう弱い年寄りのままでいたなら、恭子は喜んで世話をすることができただろう。恭子のために涙を流してくれた日のように、心をつないでくれていたら、幸せだっただろう。
けれど、房子はやっぱり、自己愛が強く、我が強く、冷たい本性を出していく。そして恭子も、一度決壊した我慢という堰(せき)は、以前より崩れやすくなっていた。
房子に本気で怒る、ということをしてしまってから、その壁は簡単に超えやすくなった。房子の嘘や不誠実さを見るにつけ、怒ってしまう。そうすると、房子はとたんに弱い老人になり、しぼんでいく。その姿を見て、恭子も後悔して、優しくしてあげようと思う。恭子の心は、毎日大きく揺れていた。
房子は、房子に日頃よくしてくれている卓雄とさえトラブルを起こした。
忙しさの中でも恭子がなんとかパソコンのワードに打ち込んでいた日記を読んでいくと、卓雄に関する記述もよくある。
『〇月〇日
いつも昼近くに起きる母が、何故か八時に起きてきた。
卓雄が、
「おかあさん、今日は早いですね」
と言ったら、
「遅いと言われたから」
と憮然として母が言った。その前日だったか、遅く起きてきた母が、
「八時には目が覚めたんだけど、まだ早いと思って、また寝て・・・」
と言った時に、卓雄が、
「おかあさん、八時にはみんな起きていますよ」
と笑いながら言ったことを言うのだ。
どうも、勝気でおとなげない・・。』
また別の日。恭子が外出して、卓雄に房子を数時間託したことがあった。イタリアからの留学生の女性の夕飯も卓雄が引き受けてくれていた。
『〇月〇日
母が急に叔父(悠一)の所に行きたいと言って、卓雄が車で送りに行ってくれた。』
その日のことは、よく覚えている。
卓雄は房子がすぐ帰ると思っていたのに、悠一の家に着くと、房子は期限が迫っている商品券を使いたいので、デパートに行く、と言ったという。
夕飯を作らなくてはいけない卓雄は、明日なら送っていけますよ、と言ったけれど、房子は聞かず、ひとりで行く、と言い張ったと言う。
仕方なく、悠一がデパートに付き合った。
帰ってきた房子に、
「用が足せてよかったですね」と卓雄が言って、恭子がうなずくと、房子は、
「おかげで散財した」
と、不機嫌な顔で言った。付き添ったお礼に、悠一に、デパートで高価な漬物をたくさん買って持たせたことを言うのだ。悠一にしたら、そんな物を買ってもらうより、ゆっくり家に居たかっただろうに。房子にはそれが分からない。卓雄も房子がわがままだ、と言った。
その夜だった。
房子はテレビのことで卓雄ともめた。
二階の房子の部屋にもテレビはあるけれど、小さい。房子が一階の大画面テレビでNHKの大河ドラマを観るために階下に下りてきた。その時、卓雄は世界陸上の女子マラソンで日本選手が銀メダルをとった場面を観ようとしていた。
十時になって、チャンネルを替えると、政見放送をやっていた。大河ドラマは十五分延期になっていた。
ソファーに座ってテレビを観始めた房子に、
「十五分からですって。替えるね」
と言って元のチャンネルに戻すと、房子がそのままNHKが観たいというので、また戻した。すると、台所から卓雄が来て、有無を言わさず、また世界陸上に替えた。
何故か卓雄は大胆だった。こんなことは初めてだったので、恭子はびっくりした。
すると、房子が、
「マラソンなんて、また再放送が何度でもあるじゃない。じゃ、二階に行って観てくる。あぁ、つまらない。」
と捨て台詞を残して、二階に上がって行くのだ。これにもまたびっくりした。
「また降りてこなくちゃならないじゃない。ここに居たら?」
と言っても聞かなかった。
たった十五分のために、辛い階段の上り下りをするなんて。それも、大しておもしろいとも思えない番組。明らかに嫌がらせ。子供みたいだった。
もともと、そのテレビは最初から卓雄が観ていたものだ。それに、今日は悠一の所に連れていってもらって、お世話になったというのに。
房子と卓雄がこんなふうに争うのを、初めて目にして、当惑した。
「おかあさんわがままね」
恭子がそう言うと、卓雄は「うん」と言った。けれど、卓雄が言う房子のわがままは、別のことだった。
「おじさんがせっかく行ってくれているのに、デパートで散財したなんて」
卓雄が房子のことを非難がましく言うのは珍しかった。
夜、布団に入ってから、またその話をすると、卓雄は、
「わがままできるって、いいじゃない。」
と言った。
「おかあさんは、実家に行って、ほっとするんだよ。それでわがままになるんだよ、きっと」
実家は、自分がずっと住んでいた所だから、と卓雄は言う。テレビの一件には触れず、やさしかった。
その言葉で、恭子の気持ちも少し落ち着いた。房子の気持ちになって、優しくなれるような気もした。
けれど、一方で、少し寂しかった。実家に行ってほっとする、ということは、恭子の家では遠慮して、気を使っているということだ。
わがままいっぱいに見えるけれど、そうではなかったというのだろうか。
卓雄は房子によくしてくれている。それでも、トラブルはちょこちょこあった。
『〇月〇日
最近、卓雄と母が時々ぶつかる。
買い物から帰ってきたふたりが怒っている。』
その日の事の流れはこうだった。
恭子がちょっと外出している間に、房子が駅の近くまで生徒のシールを買いに行くというので、それなら車で行ってあげますよ、と卓雄が言った。
それなら鰻も買おう、と房子が言い出し、鰻屋さんまでは遠いので、房子が歩けない、と卓雄が言った。そこで、もう少し遠いショッピングモールへ行くことになった。
ところが、ショッピングモールに着くと、今度はモールとは離れた教科書などを売っている本屋にも行きたいとなったわけだ。その本屋は以前一度行ったことがある教科書などを扱っている本屋で、そういう店は他には見当たらない。房子は生徒を教える時に使いたかったのだろう。
ところが、鰻屋のある、無し。本屋のある、無し、でもめた。卓雄が強い口調で無いと言い張ったために、房子が頭に来たのだ。
卓雄はやさしい所もあるが、恭子に対しては、余裕がなくなると、よくこういう頭ごなしに強い口調で言う。怖い顔で、大きな声でがなる。それを、イライラして、房子にもやってしまったのだろう。その様子は想像できた。だから、房子にも同情できるところもあった。
結局、鰻屋さんは地下にあって、房子は夕飯に鰻を買ってきた。
「前に行って買っているんだから」
と房子はたいそう不満そうだった。
本屋さんはお休みだったという。
しばらくして帰ってきたふたりの雰囲気が悪かった。
卓雄は、房子のいない所で、
「おかあさん、いろいろ買いたがるんだよなぁ・・・」
と不満そうに言って、ずっと機嫌が悪かった。
房子は房子で、卓雄が「無い」と言い張るから、言い合いになった、と腹立たしそうに言った。
そのふたりの機嫌の悪さは、翌日になっても続いた。
「せっかく喜んでもらおうと思って買ったのに・・・・」
房子はまた、同じ不満を口にした。
前日、鰻の後、甘塩の鮭を買おうとしたら、卓雄が、冷蔵庫がいっぱいで入らないと、とても強い口調で言った、と言う。そのくせ、買ってきたらおいしそうに食べていた、とも。
「鰻とか買ってもらうんだから、ありがたいでしょうに・・」
不満そうに房子は言った。
聞いていて、あぁ、いつもの房子の考え方だと思ってしまう。
「《卓雄にとって、》家でゆっくりしている方がありがたいでしょ」
と恭子は言った。鰻を食べたくても、そんなに大変な思いをしてまで食べたくはないだろう。それに、鰻は少し前に食べたばかりでもあった。
買ってあげるんだから、いいでしょ。これが房子の考え方だった。お金が一番なのだ。そのための労力とか、時間とか、気苦労とか、何も考えられないのだ。
卓雄と、いくつかのトラブルはあったけれど、こうして口に出して文句を言うだけ良かった。
家に居る次男の凛についても、房子は不満を言うことがあった。凛は他県の教職についていて忙しく、家に居る時間が少ない。房子には優しくしてくれていたのに、時々恭子に小さなことで不満を言った。
それでもやはり、口に出して言えるのは良かった。人間的だと恭子は思う。
恭子とのトラブルでは、そうはいかなかった。房子は言い返すことはなく、いつも嫌な顔をして、黙ってしまうのだ。文句を言って、喧嘩になる方が、ずっと健全で、すっきりすると思った。
房子と恭子
日記に、房子への不満がたくさん書いてある。
『〇月〇日
母は四時からÅ子の勉強があった。椅子やカーテン、冷房の用意をしておいた。
勉強途中で雨がひどくなり、二階の留学生の部屋の窓を見に行くついでに母の部屋を覗いたら、冷房がつけっ放しだったので消した。
後から母にそれを言うと・・』
これは、少し前のことから続いていた。
房子の前で「電化じょうず」のプランだと、昼間の電気代は高いという話をしたことがあった。実際、留学生とも重なって、電気代はひと月数万にもなっていた。
すると、その後二階にいた房子が急に、
「私、図書館に行って編み物をしてこようかしら」
と言ってきた。こういうことを言う房子が本当に嫌だった。二階は暑いし、熱中症になると大変だから、暑い時はどんどん冷房をつけてね、と房子には言ってある。そんなつもりで言ったのではないことは分かるはずだった。
その日も勉強の後で、二階のエアコンがつけっ放しだったことを告げると、房子は「ごめんなさい」と謝り、その後、二階に上がった房子から携帯で電話があった。房子は、
「今から下に行っていいかしら。ずっと下に居させてもらっていいかしら。」
と言う。恭子は最初、房子が言っている意味が分からなくて、とまどった。そして、すぐに電気代が勿体ないから、という意味だと気づいた。まったく、ちょっと言うとこれだ、と苦々しい気持ちになる。
「何を言っているの。居ない時につけているのは勿体ない、と言っただけでしょ。どんどんつけてちょうだい。」
と、できる限りやさしく言った。
どうしてもっと穏やかになれないんだろう、と、房子の極端で嫌味な反応に辟易としてしまう。
『〇月〇日
母が家の電話で誰かにお礼を言っている。何度も何度も、オーバーな表現で言い続ける。
贈り物のお礼だった。』
亡くなった後、書類を整理すると、房子は盆、暮に、月に十万円以上の贈り物をしていた。先方からも、よく果物やお菓子などいろいろ届く。そのたびに、房子は歯の浮くようなお世辞を言い続けた。
自分が贈った物には、
「まあ、あんなわずかな物で・・」「恥ずかしくて、縮みあがる思いですわ・・・」
横で聞いていて、心にもないのが分かった。
贈ってもらった物にも、よく、こんなに誉め言葉があるものだと思うくらい言いまくった。
「まぁ、あんなにいただいて、どうしましょう・・」「あんなに高級な物を、どうしましょう・・」
そして、相手のことを誉めちぎる。
「あなた、おきれいだから・・・」「お子さん達、みんな聡明だから・・・」
あまりにもオーバーなので、聞いているこちらが恥ずかしくなるほどだった。
そうして電話を切った後で、必ず、
「あぁ、長かった、疲れた」
と、ため息をつくのだ。「わたしゃ、長電話は嫌いだよ」と言ったこともある。房子のこの変身ぶりが嫌だった。送ってきた物の値段を確かめて、自分が贈ったものより安いと、
「私が送ったものが、〇千円に見えるのかねぇ」と不満そうに言うこともある。
オーバーだけならまだ良いけれど、房子が作った話をいろいろ加えるのには閉口した。
「⦅送ってくださったりんごがおいしいので⦆娘が、『これ、本当にみんな食べていいの?』と言うのよ」などと、恭子が言ってもいない言葉をずらずら並べる。そばで聞いていて、いい気持ちではなかった。房子はどうしてこう、作り話をするのだろう。せめて、娘が喜んでいた、くらいに言うならまだしも。
房子の作り話はよくあった。ちょっとした嘘や隠し事ならともかく、呆れるほど事実と違う、作った話をぺらぺらしゃべるのだ。
それらを他人が信じることも困ったけれど、恭子はふと、房子は作った話をそのまま事実として自分の頭に記憶させてしまうのではないだろうか、と思った。そうして、誤った事実を言い張るのではないかと。
礼儀を知らない房子には、こんなこともあった。房子が「ありがとう」や「いただきます」「ごちそうさま」を言わないのには慣れたものの、呆気にとられることもあった。
『〇月〇日
母の礼儀の無さに呆れた。昼食の時のこと・・・。』
その日房子はいつものように十一時近くに起きてきた。房子にフランスパンにカマンベールチーズをはさんで焼いたものひとつ、買ってきたコロッケひとつ、昨夜の残りのアボガドとカッテージチーズをわさび醤油であえたもの、それに房子にだけ用意したフルーツのいちじくと梨を出したが、それらを完食した。
昼過ぎ、早くに朝食を食べて、お腹が空いている恭子が、二階にいる房子に、昼ご飯どうする?と訊いてみた。少し前に、あんなに食べたばかりだから、食べられないだろうと思っていた。
ところが房子は、食べる、と言って降りてきた。
その日は、前の晩におにぎりを四つ買ってきてあったが、朝食を食べる暇がなかった凛が職場にふたつ持っていってしまっていた。
恭子がテーブルに二人分のお皿を用意して、昨夜の残りの鮭を焼き、野菜をチンしていると、房子が降りてきて、テーブルの前に座った。
「おにぎり、ふたつしかないから、ひとつずつ食べよ」
と言いながら、房子のお茶を入れていると、
「そんなにお腹が空いていないから、半分でいいよ」
と言いながら、房子はおにぎりの包みをクシャクシャ音をさせて開けている。
あ~、と思っていると、房子はやっぱり、おにぎりにのりを巻き、半分にして食べ始めていた。いつものように、いただきます、も言わない。房子が黙って勝手に食べ始めるのは、何回か見た光景だった。けれど、さすがに呆れた。
この人は、いったいどういう神経をしているのだろう、と思った。
漬物や、他のお皿を並べながら、たまらず、
「おかあさん!」
と言ってしまった。
「今用意しているのに、行儀が悪いじゃない!」
初めて房子にそう言った。本当は、もっと違う言葉にしたかったけれど、咄嗟のことで、うまく言えなかった。
房子が食べなければ、恭子はそんなに面倒な支度をすることもなく、急いでおにぎりだけを食べて済ませることもできた。お腹が空いてないという房子が、お腹を空かせた恭子が房子の用意をしているうちに黙って食べ始めることが、腹立たしかった。
房子はよく、やすよのことを、自分の箸で漬物を取る、行儀が悪い、と言って、顔をしかめて恭子に話していた。その同じ人物が、こんなに非常識で礼儀知らずのことをする。
恭子は房子に強い嫌悪感を抱いた。
そうして房子は食べ終るといつものように、
歯に挟まったものを箸でつつき、そのままテーブルに置くのだ。
こうした日常の、細かいやりとりが、恭子を苛立たせた。
何でもない普通の親子関係なら、お互いの嫌なところもぽんぽん言い合えたのだろう。けれど、恭子は房子を嫌う気持ちを心の中に溜めていった。その気持ちはどんどん強くなる。
そして、そこに追い打ちをかけるのが、房子の嘘だった。
『〇月〇日
あんなに約束したのに、母は嘘をつく。
携帯の電話の音が鳴って・・・』
その日、恭子はずっと房子の部屋の片づけをしていた。
房子は相変わらずだらしない。房子の頭には、生まれつき「掃除と清潔」の脳細胞が入れ忘れられているのではないかと思うほど、散らかし放題で平気だった。あまりの物の多さと汚さに、掃除機を動かすスペースもないありさまだった。
そのくせ房子は片づけをされることを拒んだ。「自分でやるから」とか、「ヘルパーさんに頼む」とか言って、いつもいい顔をしない。
けれど、そのままでは何かにつまずいて怪我をしそうだった。それに、房子の親しい友人とだけでも、部屋でゆっくり話をさせてあげたい、とも思った。このままでは恥ずかしくて、誰も房子の部屋になんか入れられない。
強制的に始めた掃除と片づけは、とても一日では終わらなかった。結局まる三日かかった。観念した房子は、恭子が片づけている間、片時も目を離さない。ベッドの端に腰かけて、じいっと見張っている。
一体、何が気になるのだろう、と恭子は思った。房子の秘密を見ようなんて思わない。片づける時は、ひとつひとつ房子に訊いて、しまう場所を決めたり、捨てたりしていった。
それにしても、本当に汚かった。房子は、生まれてから一度も、片づけや掃除というものをしたことがないのではないか、と思った。
房子の部屋は、家中で一番広く、明るい。けれど房子は、つぎつぎ物を買いまくり、実家からどんどん持ってきて、整理もせずに紙袋や段ボール、箱に入れたまま、ところ構わず置いている。本棚の本に交じって、ダイレクトメール、レシート、葉書、領収書、ティッシュの丸まったものが入っている。ゴミや埃もいっぱいだった。
たとえヘルパーさんに頼んでも、こんな状態、どこから手をつけていいかわからないだろう。
机の上も、カラーボックスの上もいっぱいだった。テナーの上には、夏物も冬物も、着た物も着ていない物も、ごちゃごちゃ山になっている。
床には何足もの靴下がころがっていた。
ソファーの上には、バッグが三つ、雑誌、セーターなど何枚かの着る物、編み物、手紙などが山になっていた。探し物などが、すぐに出てくるわけもなかった。
最後の一日は、ベッドの下に置いてあるモスボックスや、テナーの中の衣類を整理したり、入れ替えたりした。やっぱり、着た物も着ていない物も一緒に、ごちゃごちゃになっていた。
衣類を整理していって、そのおびただしい数に驚いた。まだ履いていない新品も合わせて、パンツだけで六〇枚ほどあった。
房子に訊くと、
「捨てて」
と言う。びっくりした。なんてことを言うんだろう。
買い物の多い房子は、デパートの紙袋もたくさんあって、机の下にため込んでいる。ビニール袋も、空箱も、ため込んでいる。病院からもらった湿布薬も山ほどあった。
房子の部屋には収納の物入れがたくさんある。しかし、いくらスペースがあっても、これでは何にもならなかった。
途中で止めるわけにもいかなくて、恭子は三日間房子の部屋の片づけと掃除をやり続けた。
その結果、部屋はかなりすっきりしてきたけれど、房子はそれほどうれしそうではなかった。多すぎる紙袋などを、階下に持っていっていい?とか、言うたびに気乗りのしない返事をしていた。
終わってから、恭子は房子に、せめて着た衣類をハンガーにかけるようにと注意した。
それでも、房子の実家の部屋がそうだったように、またすぐに散らかることは目に見えていた。
片づけがやっと終わって、少ししてからだった。恭子は房子と廊下を隔てた和室で自分の衣類をタンスにしまっていた。房子の部屋も、恭子の部屋も、戸を開け放している。向かい合った部屋から少し会話もした。
その時、廊下にいた房子の携帯が鳴った。房子が、「はいは~い」と、親しげにしゃべった。いつもと違う、明るい声だった。
と、房子は携帯を耳にあてたまま、自分の部屋に入って、戸を閉めたのだ。嫌な感じだった。きっと幸男か悠一からだと思った。
中に入ってから、しばらくしんとしていた。ずいぶん静かにしゃべっているな、と思った。
それからしばらくして房子が部屋から出てきた。恭子が、幸男から?と訊くと、房子はコマーシャルのメールだった、と言う。
これに恭子は切れた。
メールではなく、ちゃんと電話の受信音が鳴った。そして、房子が明るい声でしゃべっていたではないか。
どうしてそんな嘘をつく?
今までずっと、房子の部屋の掃除と片づけをしていた恭子は何? ただのお手伝いさん? ただ都合の良い機械?
一度決壊してしまった恭子の我慢という堤防は、また脆く崩れた。嘘ばかり、見栄ばかりの房子のこれまでを責めた。
そして、そんなに嘘をついてまで守りたい大事な息子なら、一緒に暮らしたら?と、初めて口にした。
その言葉は、恭子が今まで一度も口にしたことがないものだった。
そこまで思う恭子の胸の奥には、何日か前に目にした房子の手紙もひっかかっていた。房子が幸男に書いていた長い手紙だ。
恭子は毎日、房子の洗濯物を畳んで持って行く。居ない時にはベッドの上に置いておいた。(その畳んだ洗濯物の上に、房子が寝転がっていることはよくあった)
その日房子は部屋に居なかった。洗濯物を置いて、ふと見ると、カラーボックスの上に書きかけの手紙があった。手紙がむきだしだった。
手紙の中に、「恭子」という字がいくつも見えた。
恭子は思わず手紙を読み進めてしまった。
十枚近くもある、幸男にあてた長い手紙だった。
そこには幸男を心配する気持ちが切々とつづられていた。
幸男はやさしい。(房子を預ける時に)恭子に「お願いします」と礼を尽くしたのに、受け止めない恭子が悪い、とあった。
恭子が房子のためにしていることなど、一言も書いてなかった。
やすよのことも責めていた。ひどいことをしてすみませんと謝ってくれればいいのに、と。
読みにくく、わかりにくい文章で書いてあった。
幸男の体を心から心配している。
「幸男に会うことだけを心の支えに・・」とある。
そして、最後に「幸男は私の命です」と結んであった。
読みながら、恭子はくらくらした。「幸男は私の命」、その言葉が頭の先から足の先までぐるぐる駆け巡った。
日頃、心の中を見せない房子の、これが本心なのだ、と思った。
「幸男が命」。恭子は何?「恭子は都合のいいお手伝いさん」?
考えると悔しかった。房子のためにぼろぼろになっている自分がみじめだった。
三日間房子の部屋の片づけで疲れ切っていたところに、幸男からの電話を「コマーシャル」のメールだと偽る房子に、激した恭子は幸男の塾にも電話した。あれ以来、幸男と話したこともなかった。
嘘を言ってまで・・・、そんなに可愛い息子なんだから、一緒に暮らして、と告げた。
幸男は、突然のことに当惑していた。
「一緒に住むのは、やすよにも訊かなくてはならないし、どうしましょうねぇ・・・」と、とぼけたことを言った。
その後、幸男は房子に電話をしたようだった。
房子は、恭子が初めて口にした「幸男と暮らせば」に相当堪えたようだった。それまで話し合いの後にはいつも、死ぬの、ホームへ行くのと言っていたのに、そんなことは一言も言わなかった。しゅんとして落ち込んでいるようだった。その日の生徒には日を替えてもらっていた。
翌朝も、房子はしゅんとしたままだった。
そうなると、恭子の胸はまた痛みだすのだ。あんなに腹を立てていたのに、どうして自分はこんなに「弱さ」に弱いのだろう、と情けなくなるほどだ。
恭子は、歳を取ってきた房子を追い詰めてしまったことを、激しく後悔して、房子を泣いて抱きしめた。
「もう、嘘はつかないでね」と。
房子はびっくりしていたが、うれしそうに、
「恭子に嫌われて、どうしようかと思っていた・・・」
と言った。
そうして、恭子の心は「怒り」と「憐れみ」の間で、毎日激しく揺れ続けた。
もめごとがあるたびに、関係が深まるのなら良かった。けれど、恭子と房子は、もめごとのたびにピキピキと音をたてて溝が深まっていくようだった。悪いことが起こるたびに、前のこと、そしてその前のことと、影はどんどん暗く、濃く重なっていくのだ。
愚痴
房子のことでたまらない気持ちになると、恭子は夜、パソコンを開いて、ワードに気持ちをぶつけた。けれど、あまりに疲れると、それもできなくなる。その時間を作るのも大変だった。
そうすると、そばにいる誰かに聞いてもらいたくなった。
房子の不満を聞いてもらう相手は何人かいた。卓雄と悠一、そして娘達だった。
卓雄は一番長く房子を見ている。恭子も様子を話したり、愚痴を言う。
卓雄はよく分かってくれて、温かい言葉もかけてくれた。けれど、実の親の愚痴を、夫に言うのはおかしなことだった。つい口にしては、申し訳ないと思った。
それでも、卓雄は、あまりの房子のひどさに、見かねて房子に声を荒げた時もあった。
「親子じゃないですか」と。
恭子は悠一にも、最初はよく電話した。昔から一緒に生活して、幸男と房子の気性をよく知っていたから。悠一も、よく分かってくれていた。
それでも、病気の妻を抱えた疲れや自身の衰え、そして房子からの間違った情報のために、後には人の言うことが聞けない人になってしまった。
四人いる子供達の中で、長女の久美と次女の亜美に、何かと言うと、話をした。ふたり同時に伝えられるメールが便利だった。ふたりのお産の際には、家に手伝いに行ったり、子供の面倒を看たり、忙しい生活の中で、恭子は精いっぱい助けた。
久美は割合近くに住んでいるので、ちょくちょく来ては、房子を車でどこかに連れていったりしていた。房子もそんな久美を特別可愛がっていた。
久美は、恭子にも、房子にも、両方にうまくやっていた。
一方亜美は、他県に住んでいたが、夫の長い海外出張が多かったので、そのたびに、だんだん増えてくる子供達を引き連れて、泊まりにきた。
亜美も房子に優しく接して、助けたりもしたけれど、泊まっている時に目にする房子の行儀の悪さに驚き、恭子に対する冷たさに腹を立てた。
ある時、食卓で、房子と恭子と三人で話している時に、何かの話から、恭子が、
「私はおかあさんのように長生きはできないと思う」
と、言った。それは恭子が常々思っていることだった。房子のように恵まれて、自分を大事にできた人生とは、自分は違う。房子のように長く生きることはないだろう、と思っていた。すると、
「いいねぇ」
房子が意地悪いとも思える顔で言った。何が「いいねぇ」なのか、分からなかった。
それを聞いて、亜美が怒った。
「おばあちゃま、自分の娘が早く死ぬのが、いいねぇ、なんて、ないでしょう!」
亜美は本気で怒った表情だった。
房子は黙っていた。
こういうところ、亜美は自分に似ている、と恭子は思う。損得考えずに、自分の思うまま、言う。祖母の寵愛を受けようと思えば、ここでこんな発言はしない。ありがたい、と思いながら、恭子は亜美の不利益を心配した。
その点、久美は上手だった。むしろ恭子に対して冷たいと思えるほど、房子には温かかった。房子もそんな久美に信頼を寄せ、彼女が来ると、味方が来たとばかりに、急に態度が大きくなるのが分かる。
そういう時、恭子は寂しかった。やすよの気持ちを思った。実際世話をしている自分より、たまに来て厚遇される恭子を、あの時、やすよはきっとおもしろくないと見ていたことだろう。
思えば、その頃、房子は房子で愚痴を言う、自分の味方が欲しかったのだろう。幸男はかわいいだけで、愚痴を言う相手ではなかった。
もしかしたら、幸男に自分の醜さを見せたくなかったのかもしれない。遠慮もあったのかもしれない。
何かと言うと悠一に相談しに行ったり、電話をしたように、房子は久美にも電話やメールで恭子の愚痴を言っていた。
エアコンの時もそうだった。どこかに連れていってもらう車の中で、つけっ放しを心配して、
「おかあさんに、また言われちゃうから」と、意地悪い言い方で久美に言う。
「おかあさんにしかられた」「おかあさんは怖い」「施設に行きたい」「死にたい」そんなメールを送ったり、電話をかけたりしていた。亜美と違って、房子のひどい所を目にしているわけではなく、やさしい顔ばかり見ている久美は、房子の訴える話を信じて、かわいそう、と思ってしまうようだった。
房子は、幼かった孫たちの面倒を看ることも、可愛がることもなかった。今になって急に、恭子が苦労して育てた自分の娘をそうやって味方につけようとする房子に、憤りを覚え、悔しかった。
房子の家出
房子とのもめごとは、それからも何度も繰り返された。
原因はいろいろあった。幸男に関しての嘘も多かったし、恭子に対するあまりの冷たさであったり、呆れるような行為の時もあった。房子が房子である限り、どうしたって波風が立たないわけがなかった。
度重なるうちに、房子に対する恭子の言葉は強くなった。すると、房子も、死ぬの、施設に行くの、とすぐに口にするようになっていた。
恭子はすっかり疲れ果てていた。施設に行くのなら、土地を売って、房子のための資金を作ろうと思った。今までがんばってきたことを、何もかも、投げ出したい気持だった。
ある日のひどいもめごとの後、房子に恭子のその気持ちを告げた。自分の気持ちが限界であり、一緒に暮らすのは無理だと言った。幸男や悠一にも会わなくてはならない。房子から伝えるように頼んだ。
すると、房子は幸男に話をしたのかどうか曖昧な返事をしたきり、暗く、黙り込んだ。
その日は夕飯も食べず、風呂にも入らなかった。恭子がひどいことを言った、とくり返した。
翌朝、房子はなかなか起きてこなかった。
昼過ぎまで寝ていることはよくあるけれど、さすがに心配になって見に行くと、房子はベッドに寝ているのではなく、ソファーに座っていた。一晩中そうやっていたのだ。
ひどい形相だった。頬はこけ、茶色い顔をして、目にはくまを作っていた。夜叉のように怖い顔をして、窓の外をにらんでいる。
すごい根性だと、恭子は思った。恐ろしいほどだった。ベッドに横になればいいのに、枯れ木のような体で、房子はいじめられている可哀そうな人であることを、そうやって見せつけるパフォーマンスをしているのだ。
房子に朝食を運んでいきながら、恭子はため息が出た。房子には、何を言ったって無駄なのだと思った。
恭子の心の中で、また葛藤が始まる。
強い房子。それにひきかえ、あの枯れた体。行くところのない房子・・・。
我慢しなければならないのだろうか。今までの苦労を無にしないように、またがんばるべきなんだろうか。憤ってみたり、憐れんでみたり、いつものように気持ちは揺れ続ける。
気持ちが定まらないまま、結局そのまま過ごしていくことになってしまっていた。
それからしばらくして、久美に次女が生まれた。
その直前に、留学生ふたりの依頼がきて、恭子は久美の世話を家でしてあげることができなくなっていた。久美に可哀そうなことをしたと、胸が痛んだ恭子は、その埋め合わせをしようと必死になった。
留学生が出かけている昼頃、恭子は買い物に行き、三時過ぎにおかずを作って久美の家に届けた。その後幼稚園で延長保育をしている上の子を迎えに行って、お風呂に入れた。それからまた自転車で坂を上って家に帰るのだ。
帰る途中で、自宅の分の食料を買い足した。留学生の若者ふたりと合わせて六人分の用意は、久美の分と一緒には、なかなかできなかった。
帰ってからも、夕飯を作る前に、庭の花に水をあげたり、洗濯物をとりこんだりした。
夕飯はどうしても遅くなる。無茶をしていることが、自分でも恐ろしかった。
そんな様子を見ていても、房子はいつものように、恭子を心配することはなかった。大丈夫?とか、無理しないで、などという母親らしい言葉はいっさいなかった。
老いた房子に何かをしてほしいわけではないけれど、娘に寄り添う気持ちがほしかった。恭子が久美や亜美を想い、気遣うように。
房子は久美にだけは優しかった。優しい顔で久美の体を気遣い、いろいろ物を買い与えていた。
日常の世話をしていれば、注意することも怒ることもいろいろある。房子は、ただ優しい言葉をかけてくれる者にしか愛情が向かわないのだと、情けなかった。
その夏、留学生もなんとか無事に終わると、恭子達は房子を連れて、甲府にぶどう狩りに行った。おいしい物に目がない房子は高級ぶどう食べ放題に喜んで、知り合いにも贈り物のぶどうを発送した。
ぶどう園の中の段差がある砂利やでこぼこ道を、恭子は房子の手をとって歩いた。房子が喜んでいるのを見るのは、やっぱりうれしい。来てよかった、と満たされた気持ちだった。
しかし、この日、長い時間車に乗っていたので疲れたのか、翌日、房子は腰が痛い、と言い出した。
昼前房子に電話があったので、呼びに行くと、房子は電話の音で目が覚めて、ベッドから起き出していた。ウィッグも入れ歯もつけていない房子は、見るに堪えないほどみすぼらしい老婆だった。
房子は電話がある和室まで、腰を折り曲げ、よたよたした足で、ようやく行きついた。それから心もとない手つきで受話器をとったのはいいけれど、歯がないのでしゃべりにくい。用件のみを手短かに話して、電話を切った。
けれど、房子は腰が痛いと言って、電話の前でそのまま横になってしまった。畳の上じかにだったので、骨ばかりの房子には辛そうで、痛々しい姿だった。恭子はなんとか起こして、房子の部屋に連れて行った。
それからベッドに寝かせると、恭子は房子の腰や足を長い時間、押したり、もんだり、さすったりし続けた。昨日無理したのではないかと心配だった。
房子の部屋は冷房が効きすぎて、凍るように寒かった。足も氷のように冷たい。恭子の両手で温め続け、その後毛布をかけた。
房子は気持ちいい、と言いながら、そのうちいびきをかいて眠っていった。
その日の午後、久美が子供を連れてやってきた。昨夜のうちに久美にもぶどうは持って行ったけれど、まだ残りはたくさんある。一緒に食べようと、二階に行ってみると、房子は頭から毛布をかぶって寝ていた。部屋の温度がまだ低すぎたのだろう。
その後、結局房子は二時頃になって、やっと起きてきた。
恭子がかぼちゃの天ぷらを作って、ソーメンをゆでていると、昔の生徒から電話がかかり、房子は長い時間話していた。
やっとその電話が終わると、ソーメンを食べながら、房子は久美と笑顔で話をした。房子はいつだって、久美に優しい笑顔を絶やさない。
けれど、房子の口から、さっきはありがとう、などという言葉は出てこなかった。恭子が房子を心配して、三十分もマッサージをし続けたことなど、房子の頭にはないのだ。
そして、その夕方のことだった。久美もだいぶ前に家に帰っていた。
嫌なことが起こった。悠一との電話で、喧嘩のようになってしまったのだ。
始まりは、恭子が、妻の介護であまりにも大変な生活をしている悠一を心配して言った言葉からだった。
恭子は悠一のために何かしてあげたかった。
けれど、悠一には息子ふたりがいる。彼らを差し置いて自分が出ていくのも、はばかられた。それで、悠一に、かれらのことを訊いてみた。彼らはどうしているの?と。
それからだった。悠一がひどいことを言い始めた。
他人の家のことは放っておいてくれ、あんたのように借金する人とは違う、と悠一が言ったのだ。ひどいことをいろいろ言われた。
恭子は頭からすうっと血がひいた。
恭子のことを、悠一にぺらぺらしゃべっているのは房子だ。それも、自分勝手に、事実と違う話を。
悠一とは昔ずっと、兄妹のように暮らしていた。認知症の妻を抱えた悠一が可哀そうで見ていられなかった恭子は、4,5回、たくさんの料理を作って持って行ったことがある。恭子が作った春巻きを、妻が手づかみでどんどん食べた、と悠一が喜んで電話をくれた。
ついこの間だって、房子に、悠一のことを心配している話をしたばかりだった。
いくら余裕がないとはいえ、ひどい言葉を言い続ける悠一に、恭子は、ぐさぐさ胸を刺され、えぐられるような痛みを感じていた。あまりのことに、怒りを抑えられない。
房子に話をしなくては、と胸の中が波立った。
近所に買い物に行っていた房子が帰ってきたので、恭子は憤りながら、悠一とのやりとりを話した。
房子には、悠一に対する恭子の気持ちをたびたび伝えているので、悠一のひどい言葉を、それはおかしい、と言ってくれるはずだった。一緒に憤慨してくれるはずだった。
けれど、恭子の話を聞いているのか、いないのか、房子はまったくの無反応で、恭子に背中を向けて流しで布巾をすすぎながら、ただ黙っていた。ボケてしまったのかと思うほど、しらっとしていた。
変だった。
悠一から連絡があったのか、訊いてみたけれど、房子はずっと否定し続けた。
けれど、しばらくしてから、ようやく認めたのだ。やはり、直後に悠一から電話があって、話をしていたことが分かった。そして、その際、房子は悠一に恭子の無礼を詫びたことも分かった。『私の娘の失礼千万な言葉に驚きました』これは、後に携帯で確かめた、その時の房子の悠一に宛てたメールだった。
ショックだった。
どうして悠一に対する恭子の優しい思いを知りながら、房子はそんなふうに勝手に言ってしまうのだろう。それは違うよ、と言ってくれないのだろう。
どうして恭子に向き合って話を聞くこともなく、悠一の話だけを信じて、恭子が悪いと決めてしまうのだろう。
恭子と一緒に暮らしながら、房子はいったい、どちらを向いているのだろう。恭子と一緒の立場に立ってくれることはないのだろうか。
房子に、どうして悠一と話したことを黙っていたのか、どうして嘘をついたのか、怒りに震えて訊くと、恭子に何か言うと、また怖いから、話は避けた、というようなことを言った。
それを聞いて、恭子は激しく怒った。これが、本当の母親なのだろうか、と思った。
どうして一緒にいる娘に、直接話を訊かないのだろう。房子の一番近くに居るのは恭子ではないのだろうか。
どんなにお世話をしようとも、恭子はただの「お手伝いさん」でしかないのだ。
卓雄も同情してくれていた。それだけが救いだった。
房子との話し合いは、最後にいつも、
「じゃあ、どうすればいいの?」
となった。その日もそうだった。
恭子と同じ所に立ってほしい、という気持がいくら言っても分からない。虚しかった。
悠一にも、恭子がしてあげていることなど一切言わず、悪い話ばかりしているのだろう。
恭子はまた、房子に心を閉した。翌日も、房子と、ろくに口をきかなかった。気持ちがおさまらず、房子を許すことができなかった。
前日、ぶどう狩りで房子を気遣い、その日の昼間ずっとマッサージをしてあげていた自分を、みじめに思い出していた。
裏切られても、ひどいことをされても、恭子は房子への優しい気持ちを取り戻す。そうしては、房子は何度でも何度でも、恭子に冷たい水を浴びせかけるようなことをするのだ。
恭子が硬い表情を続けていると、房子もずっと暗かった。ただでさえしゃべることが少ない房子は、黙っていることだけが唯一の応戦であるかのようだった。
恭子はそんな家の中に居るのが堪えられなくて、気分を変えようと、少し遠くへ買い物に出かけた。房子にも、硬い顔のまま、そう告げた。
恭子はショッピングモールで買い物をしていた。最悪の気分のままだった。
すると、しばらくして卓雄からメールが入った。房子が家を出る、と言っている、とあった。
思わぬ展開だった。
ひきとめて、とメールすると、友達の所に行って、一度夕方帰ってくる、と言っている、と返信があった。
すぐに外に出て、卓雄に電話した。
どこに行くのか分からない。でも、夕方には帰ってくる、と言って、バスでM駅の方に行った、と卓雄は話した。
途中だった買い物を済ませる間、恭子は気が気でなかった。
房子との関係は、最悪だ。房子にとっても、もう恭子と一緒で無い方がいいのかもしれない、と思えた。
でも、だからといって、房子がどこに行くというのだろう。杖をついてよたよた歩く房子が、どこに行けるというのだろう。多分、房子には、本心をさらけだして頼る友達なんか、いないだろう。
考えると、たまらない気持ちになった。
なんとしても、引き留めなければならない。何かあってからでは遅い。
今朝になってまで、自分は頑な過ぎた。房子が出ていかなくてはならないほど、追いつめてしまった、と思った。
家に帰ると、卓雄も心配していた。卓雄も事情をよく分かっている。恭子の気持ちもよく分かっている。それだけが心強く、ありがたかった。
探すと言っても、あてもなかった。見栄っ張りの房子には、こんな時に飛び込んでいける友達はいないだろう。やすよに頭を下げることもできない。
行くとすれば、悠一のところしかなかったけれど、M駅は、悠一の家とは方向が違っている。
M駅に行ってみようかと思った。
その前に、出るはずはないと思いながら、房子の携帯に電話してみた。
すると、房子が出た。弱々しい声だけれど、房子だった。
良かった、と心底ほっとした。
今どこ?と訊くと、丸林のあたり、と、バスの通過地名を言う。
恭子は急いでバス停に向かった。
けれど、次のバスに房子は乗っていなかった。その次のバスにも乗っていなかった。
丸林からなら、5分もあれば着く。
それから三十分近く待った。
房子が嘘をついたのだろうか。まったく違う所に行ってしまったのだろうか。三十分で、どこまで行けるだろうか。ちゃんと元気にしているだろうか。
怖ろしいことをいろいろ考えて、心が折れそうになった。房子がもう帰ってこないことばかり考えた。
連絡があるかもしれない。帰って待とうか。
けれど、房子がひとり玄関に立つことを思うと、バス停で待っている方が、房子も帰ってきやすいだろうと思えた。
それからしばらくしてからだった。房子が乗ったバスがやっと着いたのだ。ドアが開いて、降りてきた房子を見て、恭子は胸が熱くなった。
房子はすぐには恭子に気付かなかった。下げていたナイロンの袋を恭子が黙って取ると、びっくりしたように恭子を見た。
バスを降りてから、ふたりでゆっくり歩きだした。ふたりとも黙っていた。
恭子がいつものように手を差し出すと、房子はその手を、おずおずととった。
房子は右手で杖をついて、ゆっくり歩く。時々、恭子とつないでいる左手を放して、ズボンのポケットをまさぐって、ハンカチを出して鼻を押さえた。
そのまま家まで何も話さなかった。家に入って、卓雄が入れてくれたお茶をふたりで飲んだ。
卓雄は、自分が居ない方がいいのではないかと心配する。でも、一緒に居てくれるように頼んだ。
房子は寡黙だった。居間の隅に置いた椅子に座って、体を硬くしていた。いつものように、見えないバリアを張り巡らしているように見えた。
どこに行っていたの?と恭子が訊いても、房子は何も話したくない、と言った。
恭子が心配していましたよ、と卓雄が言ってくれた。
恭子は、房子にいろいろしゃべりかけた。房子を刺激しないように、自分の気持ちや、小さい頃の思い出などを静かに話した。そうしているうち、房子も少しだけ口を開いた。
それから少しして、卓雄が台所に、お茶の葉を替えに行った。すると、その時を見計らったように、房子が言った。
「恭子がね、バス停で待っていてくれた時、すごくうれしかった・・・。でも、素直にうれしい、って言えないのよね・・・。涙が出て・・・」
恭子は息を飲んだ。こんな言葉を、房子から聞けるとは、思ってもみなかった。
こんなふうに、きちんと向かい合って、正直に気持ちを話してくれる房子を、初めて見る気がした。
「良かった・・・」
恭子は泣きそうになりながら、房子の手をにぎった。
「どこかに行ってしまったら、どうしようかと思った・・」
房子も鼻をぐすぐすさせながら、恭子の手をにぎり返した。さっきまでの硬かった体が、すっかり力が抜けている。房子はほっとしたような、うれしそうな顔をしていた。
デイサービス
房子の家出の後、しばらくは安堵感に浸っていた。けれど、日常が始まると、やはり穏やかな日は続かない。根本は何も変わっていないのだから。
繰り返した房子とのもめごとは、最後にはいつも、房子が魔法のように懐から取り出す「弱さ」と見せかけた「強さ」に負けていた気がする。それは、房子の天性のものだったのかもしれない。恭子はいつも、房子の「弱さ」と「強さ」の変化に振り回され、気持ちが揺れた。房子は、恭子にはとても太刀打ちできないほどしたたかで、強かった。
房子はある時から地域のデイサービスに参加するようになっていた。退屈している房子に、恭子が何かのグループに入ってお友達を作ることを勧めても、ずっと耳を貸さなかったのに、教員時代の友人の話に影響されて、行くようになったのだ。
ペースメーカーが埋め込まれ、股関節を手術している房子は、介護認定もされて、担当のケアマネージャーもついていた。
恭子の家に来てから二年と数か月経った秋。その年の二月に、房子は八十八才になっていた。
デイサービスは、目立ちたがりの房子にとって、格好の社交の場になった。友達もできたし、活動の場が広がった。
けれど、それとともに、またいろいろなトラブルが起きてきたことも事実だった。
デイサービスの初日から、房子は大胆なことをやってきた。センターの部屋に、花が入った花瓶があったので、房子は花器とハサミを持ってきてもらって、花を生け替えたというのだ。
房子は若い頃習った「草月流」の生け花の免状を持っている。家でも折々に花を買って生けていた。
けれど、何も参加したばかりのセンターでそれを披露してこなくても、と思うのに、房子は黙っていられない。いつものように、おとなしく、控えめを装いながら、つぎつぎ自分をアピールし、ひけらかすのだ。
初日からそんな調子だったが、房子はデイサービスが気に入ったようだった。その日を軸にして、房子の生活が回るようになった。仲の良いお友達もできたようだし、おしゃれもできるので、張りができたようだった。
ただ、恭子は、房子がデイサービスで普段とまるで違う人格になるのが気になった。
それは、介護の集まりの日によく分かった。
ケアマネージャーが呼びかけて、定期的に房子の介護に関わる人達が家に集まるのだが、デイサービスの職員の人もその時参加する。
その集まりで、職員の若い男の人が、房子の教養の高さを褒めちぎった。クイズの時には、山上さんにはなるべく黙っていてもらうんですよ、と苦笑した。
房子は黙っていられなくて、知っていることを何でもひけらかすのだろう。目に浮かぶようだった。
他の人達が、房子を尊敬して、お手本にしている、とも言った。そうさせるようなことを房子が言うからに違いなかった。何でも知っているふり、できるふりをしてくるのだろう。奥ゆかしさを装いながら、房子は自分の素晴らしさをすべてアピールしてくるのだ。
いつか房子は恭子に、
「私はいつも、目立たないように、おとなしくしているのに・・・」
と言ったことがあった。恭子はその時も、どの口が言うのだろうと、唖然としたけれど、房子は本当に自分のことをそう思っているのだろうか。
恭子には、他の人達が、どうして房子の裏が見抜けないのか、不思議だった。
ある人は、房子の前で、まるで恭子に説教するように、房子のことを、
「立派な方ですよ」
と言ったことがある。
この人は、房子の何を知っているのだろうか、と思った。何もかも、ただ房子が言ったことを信じているだけではないか。
デイサービスの職員の人が房子を誉める言葉を、房子はいかにも満足した微笑みを浮かべて聞いていた。普段の房子に見られない、穏やかで、上品な顔だ。房子は彼らの前で、ことさら丁寧できどったしゃべり方をしていた。横で一緒に聴いている恭子には、きまりが悪くなるほど、別人の房子だった。
おまけに房子は彼らの前で、明るく、よくしゃべり、よく笑う。家で笑い声など聞いたことのない恭子には、唖然としてしまうほどだった。
デイサービスには迎えのバスが来てくれた。最初のうちは勝手が分からなくて、恭子は房子と一緒に緊張して外で待っていた。外に椅子を運び、寒がりの房子のために、コートを着せ掛け、膝に小さめの毛布をかけた。
バスが来ると、房子は手伝いをする初老の男性にとびきりの笑顔で挨拶をして、恭子を振り返ることもなく乗り込んでいった。
帰りには、バスにまだ残っている老人たちひとりひとりのところに行って、手を握ったり、ハイタッチをしてから降りてくる。呆気にとられるほど変身した房子だった。
そうして家に一歩入ると、いつものように、口数が少なく、暗い房子になるのだ。
デイサービスは最初週一日だけだったが、そのうち二日になった。
デイサービスの日には、恭子はひとりだけのゆっくりする時間ができた。ひとりだけなら、昼食の時間も気を使わなくても良かったし、特別に用意しなくても、残り物を食べても良かった。
そのかわり、朝とお迎えの時間に遅れないようにするのがプレッシャーではあった。
デイサービスが始まってから、房子は以前より早く起きるようになっていた。起きてこないので、恭子が起こしにいくこともよくあったけれど。
朝、恭子が留学生や卓雄の朝食を用意して送り出し、ゴミを出し、洗濯機を回していると、念入りにお化粧をした房子が二階から降りてくる。余所行きの衣装もまとっている。お風呂にも入れてもらうので、着替えも自分で用意して袋に入れていた。初めのころは、そうして房子はひとりで用意する元気があった。
台所の椅子に座って、房子はテーブルにセットされている紅茶のカップにお湯を注ぐ。
房子が二階で起きた気配で、恭子はテーブルの上に二人分のお皿を並べて、用意し始めていた。卓雄を送り出したものの、まだ自分はゆっくり食べる時間がなかった。
刻んであったベーコンをフライパンに入れて、卵焼きを作りながら、
「パンはどれにする?」
と房子に訊く。小さなレーズンロールがふたつ、冷凍してあったパンドゥーミーが少しあった。
「じゃ、世話ないから、これをいただくわ」
そう言って、房子はレーズンロールを袋から一個とって、トースターに入れて温め始めた。
恭子はむっとして、自分の分のパンも一緒にトースターに入れた。
「私もまだ食べてないから」
そう恭子が言わなくても、用意しているお皿を見れば分かる。
「あ、ごめんなさい」
とか言ってみているけど、房子のいつものことだった。いつだって、房子は自分のことしか考えない。
ふたつのお皿に、できたてのベーコンエッグを盛っている時には、房子はいつものように、いただきます、も言わずに食べ始めていた。
この房子の黙って食べ始める癖は、いつまでたっても直らなかった。毎食時、二階から降りてくると、すとんと椅子に腰を掛けて、恭子が用意しているうちに、黙って食べ始めている。
一度、やんわりと言ってみたことがあった。「いただくわね、と言う気持ちで食べてほしいでしょ。当たり前、じゃなくて・・・」
小学生にいうようなことを、今さら言うのもどうかと思った。けれど、房子は最初はまた嫌な顔をしたものの、その時は意外に素直に「分かった」と言ってくれた。そして、それから数回は、意識的に「いただきます」と言っていた。けれど、そのうちまた元の木阿弥だった。
この人は、いったいどんな神経をしているのだろう。どんな躾を受けていたのだろう、と自分の親ながら、呆れた。
百歩譲って、これが、「そんな堅いこと、いいじゃな~い」と笑いとばすタイプの人なら、分からないでもない。けれど、外ではめいっぱい上品をアピールしてくる人なのだ。おまけに嫁の行儀には、わずかなことに目くじらを立てる人だ。これは、上品さ、の問題ではなく、人間性だと恭子はつくづく思った。
デイサービスに通ううちに、房子は「絵手紙」に出会っていた。これは房子の晩年を豊かにする出会いだった。このことは、房子本人は勿論、恭子もうれしかった。センターに、絵手紙の先生や仲間が来て、初歩から手ほどきしてくれたのだ。
房子はもともと父親が画塾に通わせてくれたせいで、油絵が得意だった。その才能があったので、絵手紙の技術は吸い込まれるように入っていった。筆や絵の具を買いそろえて、毎日描く材料を見つけては、夢中になって描いていた。房子の晩年の人生にとって、かけがえのない存在になっていた。
それはそれで勿論良いことではあったけれど、それにともなって、後に弊害もいろいろ出てきた。
房子はまた、デイケアセンターで、男の人達数人が興じている囲碁を見て、自分も習うと言い始めた。
デイサービスは、どちらかというと女性の方が多い。少数の男性が隅で静かに楽しんでいる囲碁に、どうして房子が興味を持ったのか、謎だ。
というのも、房子の夫、つまり恭子の父親も、房子の父親も、生前囲碁にのめりこんでいたという。そのせいで、悠一も幸男も、ずっと囲碁に親しんできている。習おうと思えば、いくらでも機会はあったはずだ。今になって、この歳で急に始める房子の真意が分からなかった。
房子に求められるままに、恭子はネットで囲碁を個人指導してくれる人を探した。そして、見つかった50歳くらいの男性に、房子は高い授業料を払って、毎週囲碁を教えてもらうことになったのだ。
会社契約のそのレッスンを、最初は駅前のカフェで受け、途中からは、その男性の希望で個人契約にして、恭子の家で教えてもらうことになった。眼鏡をかけた、神経質そうな男性だった。レッスンはそれからしばらく続いた。
囲碁というものは奥深く、相当な思慮が必要なようだった。歳を取ってからの囲碁は飲み込みが悪い。呆れられながらも、房子はほんの少しずつ覚えていっていた。
房子はまた、仲よくなったお友達がコーラスをやっているのを知って、それまで歌など興味がなかったのに、しばらく一緒に通った(お友達の娘さんが車で迎えにきてくれた)。けれど、さすがにこれは、あまり続かなかった。
家に、房子に編み物を習いに来る人もいた。絵手紙で一緒になった人だった。
こうして活動を広げていくと、房子のスケジュールに合わせて、恭子の時間の拘束が多くなる。買い物に行っても、来客やお迎えの時間を常に気にしなくてはならなかった。
部屋にいても、隣りの戸襖がいきなり開いて、「お茶!」と言われるので、緊張していることがよくあった。
行動範囲が広がるにつれて、房子の贈答品に使うお金が増していった。房子は「人気者」であることと、「特別扱い」されることがなにより好きだった。
贈答シーズンになると、久美に頼んでネットであちこちに高価な物を贈った。近くの人には卓雄に頼んで、配りに行った。
続々とお礼の電話がかかってくるのを見て、卓雄も、
「病気だな。『すごいわ。ありがとう』って、みんなに言われたいんだなぁ」
と呆れた。
贈り物のことでは、恭子も我慢ができないことがあった。
二月に九十歳になった時のことだった。「傘寿」ということで、家族15人くらい集まってレストランでお祝いの食事をした。悠一も呼んだ。みんなでプレゼントを買い、大きな胡蝶蘭の花も届けてもらった。
ところが、驚いたことに、房子はその直前に、自分で電話をかけて、有名だという地方の塩まんじゅうを何十箱も注文していた。
ダンボールで届いた大量のお菓子を見て、恭子は嫌な予感がした。こういうことが以前にもあった。
すると、案の定、房子が家の電話であちこちに電話をしていた。
「明日のお昼頃、お家に居ますか? お届けしたいものがあるの」
横で聞いていて、恭子はびっくりした。
明日の昼頃と言ったら、房子は教室があって、出かけられない。それに、どの家も、房子が歩いて行ける場所にはなかった。卓雄をあてにしているに違いなかった。
卓雄には、房子の病院や、遠くの友人のお見舞い、何かの集まりなど、できる時には頼んで送ってもらってはいる。けれど、勝手におまんじゅうを頼んで、人気取りのために、卓雄を使うのはやめてほしい、と思った。
大体、自分の誕生日におまんじゅうを配るなんて、おかしいし、恥ずかしい。
前日にも、房子は数人の絵手紙の仲間を呼んで、おまんじゅうを持たせていた。お誕生日に絵手紙をくれたから、という理由であげた人もいた。午前中にプレゼントを持ってきてくれた人にもあげていた。
電話の横で、恭子が、
「おかあさん、明日の昼なんて、無理よ」
と言うと、房子は、また掛けなおすと言って、いったん電話を切った。
「お昼なんて、時間がないじゃない。卓雄に行ってもらおうと思っているの?」
と訊くと、そうだと言う。
「明日、卓雄がどんな予定かも分からないじゃない。お願いだから、訊きもしないで、他人をあてにして約束をしないで。」
ムッとして言った。房子の飽くなき人気取り、いいかっこし、には呆れるばかりだった。自分でできることをするならともかく、平然と他人を使う。
そもそも、自分の誕生日におまんじゅうを配ることが恥ずかしい。それにも増して、卓雄に行かせることが許せなかった。そんなふうに、卓雄を軽く使われることが許せなかった。
既に何軒にも電話をしてしまっている。恭子は仕方なく、自分が今日中に自転車で届ける、と言った。
夕方、自転車を走らせながら、恭子はむかむかした。こんなことをして、きっと相手は。気を使う。そんなものを届けることが恥ずかしかった。
そして、案の定、道に迷ってやっと着いた一件では、娘さん(と言っても若くはない、恭子くらいだ)を寒い中待たせたうえに、お返しの品物をもらってくることになった。恐縮して、きまりが悪いこと、この上なかった。
おまんじゅうのことでは、トラブルがまだあった。その数日後に絵手紙の先生から電話があって、おまんじゅうをあげる人が他にもいる、ということだった。房子が携帯電話でかけたのに居なかったので、先方からかかってきたらしい。家の電話にかかってきたので、房子はあわてていた。
先生は、誰かにあげて、誰かにあげないというのはまずい、というような話をしていたようだった。房子は恭子達に聴かれているのを気にして、ちらちら恭子達を見ていたけれど、手短かに電話を切った。
電話を聞きながら、恭子達は呆れていた。
どうしてこんなにたくさん配るんだろう。その人気取りと、浅はかな行動に呆れた。
大体、九十歳のお祝いで、などと言って渡されたら、誰だって、もらっただけでは済むまい。
電話が終わったとたんに恭子がそう指摘して、卓雄が、
「おかあさん、それはお返しを催促しているように思われますよ」
と言ったものだから、房子は、
「分かったわよ。だからここで電話したくなかったのよ!」
と、ヒステリックに言った。
嫌悪
恭子の日記に、毎日のように房子に対する不満が書き込まれていった。
『〇月〇日
母が電話で誰かとしゃべっている。この頃、誰かれ無しに、教室での勉強のことを話している。』
「そう、毎日なのよ・・・。時間がなくてね・・・」
「受験生とかがいるから・・・」
「いえいえボケ防止よ」
相手がすごいわ、とか、偉いわ、と言っている様子が伝わってくる。
歳のせいなのか、房子はかなり易しい問題にもてこずるようになってきている。それで、生徒が持ってくる問題集と同じ物を事前に購入して、呆れるほど易しいものも含めて、全部解いてみている。
それはそれで、この歳になっての房子の努力を、前向きで偉いとは思っている。けれど、こうして、あたかもひかえめで謙虚であるかのように装いながら、つぎつぎひけらかす房子が嫌だった。
例えば房子が、頓着しない大らかなキャラクターであって、「ほら、すごいでしょ」と無邪気に自慢するタイプであったなら、これほどの嫌悪感は抱かなかったと思う。
『〇月〇日
母はデイサービスに出かける時、またお得意のお芝居をした。』
恭子は、房子が他人に、いつもと違う優しい人を演じてみせるのもまた、嫌だった。
ある朝、デイサービスのお迎えのバスが来た時、遅く起きた房子は、朝食をまだ食べ終わっていなかった。いつも二階で起きた気配で朝食を温め始めるのだが、房子はトイレに行ったり、お化粧に時間がかかるものだから、朝食を食べ終らないうちにバスが来てしまうことは、よくあった。
やっと食べ終わっても、薬を飲んだり、またトイレに入ったりする。房子に頼まれて、恭子が何度も二階に眼鏡などの忘れ物を取りに行くこともあった。
その朝も、バタバタ動きながら、恭子は先に、着替えなどが入った袋類を玄関の外に運んで、バスのお手伝いのおばさんに手渡した。
けれど、房子がなかなか来ない。バスの運転者さんや乗っている人達も待っているので、恭子は中に入って、房子に急ぐようにと声をかけに行こうと思った。
ところが、慌ててしまったのだろう、サンダルを脱いで、玄関を上がろうとして、恭子は足がもつれて、上がり框の板の間に、正面からばったり倒れてしまったのだ。硬い板に、両方の膝を思いっきりぶつけて、物も言えないほど、痛かった。はらばいの、そのみっともない姿勢のまま、恭子は動くこともできない。きっと、膝のお皿にひびでも入っただろう、と思った。
そこへ房子がやってきた。
玄関の戸が開いたままだった。
房子は靴をはきながら、
「大丈夫?」
と、恭子に声をかけた。心が全然こもっていない、おざなりな言い方だった。
外にはバスが待っている。玄関のすぐ外には、世話係の人の好さそうな初老のおばさんも、心配そうに見ていた。
すると房子は、戸口に立ってから、振り返り、振り返り、オーバーに心配そうな様子を見せて、何度も「大丈夫?」と訊いた。いつもの房子とは明らかに違っていた。
「今は動けない。後で病院に行ってみるから・・」
うつぶせの姿勢のまま、恭子は痛みを堪えて言った。
バスに乗ってからも、房子は恭子の携帯に電話をしてきた。「大丈夫?」と、また心配そうに言った。
その後センターについてからも、房子は何度も電話してきた。「大丈夫?すぐに帰ろうか?」
本当に心配そうに言う。房子が帰った所で何ができるわけでもない。センターの人達の前で、言ってみているだけだ。
しばらくしてから、恭子はやっと動けるようになって、病院に行った。レントゲンを撮ってもらったけれど、幸い膝は無事で、ほっとして帰ってきた。
バスが帰ってくると、世話係のおばさんは、「おかあさん、たいそう心配してましたよ」
と言った。
それはそうだろう。あんなに何度も心配そうに電話をかける房子を見ていれば、誰だってそう思うに違いない。房子が優しく、娘想いだと。
ところが、家に入った房子は、いつも通りだった。恭子の怪我の様子などまったく気にかけず、どうだった?と訊くわけでもない。ゆっくりお茶を飲んで、黙って二階にあがっていくのだ。
人前で、優しい人や、いい人を演じるのは、房子にとって自然なことなのかもしれない。そして、それがあまりに自然で、名演技なので、他人はそれが本当の姿だと思ってしまうのだ。
『〇月〇日
母は私の料理を誉めない。黙って食べる。 買ってきた高い弁当なら、おいしい、と言う。 外では、あまり食べない人、ということになっているけれど・・・』
何につけても、房子は恭子を誉めることがなかった。房子と卓雄のために、がんばって何品も作った料理を、いつも黙って食べて終わる。
そのくせ、忙しい時に卓雄に頼んでデパートで買ってきた二段の器に入った懐石弁当を、「おいしい」と言って喜んだ。並みのお弁当ではそうはいかない。
卓雄が、普通のお弁当を買ってきた時に、
「おかあさんは、おいしい物じゃないとだめだから」
と苦笑いする。
恭子の手作りの料理を、卓雄は「おいしい」と言って、喜んで食べた。けれど、卓雄の「おいしい」を聞いても、房子は黙っている。張り合いがないし、面白くなかった。
デイサービスでは、ご飯が多いと言って、残してくる。「小食」ということになっているようだった。
けれど、レストランに行けばフルコースを頼む。おいしい物なら、房子は老人にしては驚くほどよく食べる。食べられない量だと分かっても、房子は欲張って頼んだ。
家で、たまにカニやウニを買ってきた時も、房子は目の色を変えて食べた。
『〇月〇日
母はまた、他人に恭子のことを悪く伝える・・・』
房子が来てから、どこに行くのにも、房子を連れていった。映画にも、何度も行った。九〇歳の年寄りが、一緒に映画に行くことを聞いて、友人がびっくりしたこともあった。
いつも房子に合わせてゆっくり歩く。自分達だけなら楽にすっすっと行けるのに、房子のために、かなりの時間をかけていた。
ところが、定例の介護スタッフの集まりの日に、房子は驚くことを言った。
「この人が速く歩くから・・」
と、恭子のことを非難がましく言ったのだ。え?とびっくりした。あんなに房子に気を使って、牛のようにのろのろ歩いていたというのに。
どんなに努力をしても、房子は決して恭子を良くは言わない。それどころか、意地悪いと思えるほど、悪くばかり伝えた。そして、自分のことは思い切り持ち上げるようなことばかり言うのだ。
『〇月〇日
母が強くて嫌になる・・・』
恭子がちょっと出かけたその日、帰ってきて玄関の鍵を開けようとすると、開かなかった。
鍵穴はふたつあるけれど、ひとつはバカになっているので、使えない。その鍵は、中からでしか動かなかった。
携帯電話で、留守番をしていた房子を呼んで開けてもらったのだが、房子は絶対にその鍵をいじってない、閉めてない、と言い張った。
いつも房子を置いて出かける時、外に出ないようにと注意してあった。玄関の段差は危ないので、房子の両手をとって、注意深く外に出ている。
それなのに、房子はひとりで外に出ていたのだ。
房子が注意すると、房子は硬い顔で、外に出ていない、「指紋をとったらいい」とまで言った。
それでも、結局最後には、白状せざるを得なかった。房子はひとりで庭に出て、絵手紙に描くために、花を切ってきたのだ。それも、高い所にある枝についた花を。
日頃、両手を持ってもらって、頼りない足どりでよろよろと外に出るのは、演技だったのだろうか、と思ってしまう。
テレビのリモコンもそうだった。房子は自室のテレビのリモコンをいじっては、パニックに陥る。映らない、とか、変だと言いに来る。
恭子も機械が得意ではないので、卓雄に直してもらう。そして、そのたびに、房子は「おかあさん、もう、このボタンを触ってはだめですよ」と注意される。それでもまた、同じことを繰り返してしまう。
そうしては、房子は「絶対触っていない」と言い張るのだ。しまいには卓雄も、「もう放っておいた方がいい」とまで言った。
『〇月〇日
母のお世辞にはうんざり・・・』
房子は家の中でこんなに強く、キツいのに、他人には、驚くほどのお世辞を言いまくった。
その日、以前ホームステイしていたスイスの女の子が遊びに来て、お土産に大きな丸いケーキを持ってきてくれた。それで、一緒にゲームをしようと呼んでいた近所の婦人に切り分けてもらおうと、包丁を渡した。その人は、明るい人だったけれど、少し前にご主人を亡くして、ひとりだったので、スイスの彼女が遊びにくるたびに。声をかけて一緒にゲームをしていた。
すると、見ていた房子が、その婦人が包丁を持ってケーキに近づけた途端に、
「おじょうず!」
と手をたたいたのだ。呆気にとられた。お上手、と言ったって、まだ包丁はケーキに到達していない。
いつもの房子の過剰なお世辞、そして「いい人に見られたい病」だった。
房子の嫌なところが、恭子の中に埃のように溜まっていった。房子のことを、決して好きにはなれなかった。
衰え
房子の体の衰えは、日に日に増していた。
若い頃大きかった目は、瞼が垂れて、かつての三分の一ほどに小さくなっている。黒目にはもはや光がない。白目は豆腐のようにたよりなく、今にもどろっと溶けてしまいそうだった。
そう言えば、よく通った声も、いつのまにか、かすれた聞き取りにくい声になっていた。
日中居眠りをすることも増えている。食事中にも、眠って、持っていたお茶をひっくり返して、服やカーペットを濡らすこともあった。
中でも、衰えが顕著だったのは排泄の力だった。尿の失敗もよくあったけれど、房子はいきむ力が無くなって、便がなかなか出なくなっていた。それを、なんとか薬の力で出そうとした。房子は便秘薬や浣腸を箱ごと買い込んで、恭子も知らない間に一度に多量に使ったりしていた。
そうすると、今度は薬を使い過ぎて失敗をしてしまう。便秘どころか、ひどい下痢になってしまうことがよくあった。
下痢になると、トイレに間に合わなくて、下着やズボン下、パジャマ、シーツまで、大量の便で汚してしまう。そのたびに後始末が大変だった。
トイレの周りやマットを汚すこともたびたびあった。夜中にトイレに入った凛や、子供達と泊まっていた亜美が、驚いて知らせにきたこともあった。
ある時は、房子が勉強を教える寸前に、履いていたものを汚してしまって、大変なことになってしまった。
生徒が待っているものだから、恭子は慌てて、下着からズボンまで全部取り換えさせて、取り合えず汚れたものをバケツに水を入れて突っ込んだ。脱がせて体を拭くだけが精いっぱいで、ズボンのポケットを確認する余裕もなかった。そうしたら、そのズボンの中になんと、携帯電話が入っていたのだ。
気が付いて取り出した時には、機械は熱くなって、ぶるぶる振動していた。そして結局使えなくなってしまったのだ。大失敗だった。
それでも房子本人は、意外に平気な顔をしていた。そういう失敗で、時にはしょんぼりすることもあるけれど、たいていは平然としている。
自分だったら、堪え難い屈辱であるはずなのに、歳を取ると、羞恥心というものが薄れていくものなのかと、恭子は唖然とした。けれど、房子の心の中は分からない。平然としているふりをしていたのかもしれない。
恭子はそういう房子の失敗を、憐れに思い、同情した。それらは日頃の悪意に満ちた言動と違って、房子のせいではない。だから後始末は大変であったけれど、がまんはできる。恭子自身もうろたえないように努力して、平然と後始末をした。房子のプライドを傷つけたくなかった。
けれど、恭子がどうしようもなく嫌なのは、房子の衛生感覚の無さだった。
時々房子が、洗濯機の前に洗って手でしぼったパジャマや下着を置いていることがあった。
また下剤を飲み過ぎたの?と、さりげなく訊いても、房子は睡眠薬の強いのを飲み過ぎたせいで、起きられなかった、便は毎日出ているけど、とケロッとして言った。
でも、変だった。下着やパジャマを汚すほどなのに、房子はゴミの日になってもゴミを出さない。汚物が入ったゴミはどうしたのだろう、と思った。房子に何度か訊くと、亜美が持っていった、とかいろいろ言う。
けれど、そのうち観念したように、机の下の奥をごそごそやって、大きめの封筒に入った物を差し出した。すると封筒から明らかに便の嫌な臭いが漂った。
恭子はそれを受け取って、中身も見ずに、房子の目の前で、ゴミ袋に入れてしばった。房子はそれが開けられないか、心配そうにじっと見ている。情けなかった。
どうして便にまみれたパットを、何日も放っておけるのだろう。汚れたものはビニール袋に入れて出すように言ってあったし、洗濯なら恭子がいつもやってあげている。虫でも湧いたら、どうするのだろう、と気持ち悪くてぞっとした。
かと思うと、ゴミ箱の上に汚れたパットを無造作に置いてあったこともある。この打って変わっての開き直りは、一体どうしたというのだろう。もう、羞恥心のかけらも無くなってしまったのかと、暗澹たる気持ちになってしまう。
部屋中に臭いがたちこめているので注意すると、房子はバラの芳香剤を買ってきてまいていた。
ある時には、房子に呼ばれてトイレに入って、ペーパーホルダーの上にべっとり便がついたパットが置いてあるのを目にして、ぎょっとした。
ろくに手を洗わない房子が、その手であちこち触ることを思うと、気持ち悪くてたまらなかった。
汚れたパッドに関しては、後にオムツを使用するようになった時に、亜美が使わなくなったあかちゃん用のオムツのゴミ入れを持ってきてくれたので、助かった。それは、蓋を開けると中に大きなビニール袋が入っていて、入り口がぎゅっと絞られているので、割合臭いもしないし、房子にとっても始末がし易いものだった。
そんな状態であるにもかかわらず、房子は相変わらず人前ではまったく違う、きどった顔を見せた。
ある時、恭子達は房子が来てから初めて泊まりの旅行に行くことになり、房子をショートステイに二泊預けることになった。ショートステイの施設を利用するのも初めてだった。
旅行などほとんど行ったことがない恭子達だったけれど、それは、奈良の友人夫妻に誘われて、思い切って決めたもので、卓雄も楽しみにしていた。
そのショートステイのために、事前に介護の人の集まりがあった。泊まる施設のスタッフやケアマネージャーなど5、6人が家に来た。
その際、房子はいろいろ質問された。初めての老人の宿泊なので、必要なデータばかりだった。その中で、「パッドをしていますか」という質問があった。
突然そんな質問が投げかけられて、隣りに座っていた恭子は、これは酷な質問だな、と房子がかわいそうにも思った。何人もの人の前だ。すぐ隣りの部屋には卓雄もいる。けれど、それが必須な質問であることも分かった。
すると、それまでも上品な口ぶりで話していた房子は、驚くほどぺらぺらと事実と違う話をし始めたのだ。房子がどうするだろうかと思っていた恭子だったが、唖然とした。
「わたくしは・・・」と房子はいつも通り、きどってしゃべる。
「トイレに間に合わない時のことを考えて・・・」「今まで汚したことは一度もないんですが・・・」
房子の作り話の本領発揮だった。
こんな場所でこんな質問をされて、恥ずかしいのはよく分かる。それにしても、ここまで嘘を言う必要もないのに、と恭子は呆れた。
そのショートステイの施設は、広くてきれいだった。広い個室が当てがわれ、介護も行き届いているから、その分料金もホテル以上に高かった。
ショートステイの料金や、旅行の代金などに結構なお金がかかる。それでも行こうと思ったのは、勿論恭子が行きたかったからだったけれど、卓雄のためでもあった。
ある日ふと、卓雄の気持ちに気付かされることがあったのだ。恭子がずっと飲み続けることになった血圧の薬を、病院にもらいに行った時のことだった。
三ヶ月に一度薬をもらいに行っていたその病院は、私鉄に乗って七つ目だったが、帰りは卓雄が会社から帰る時に乗ってくる電車と同じような時間になることがあった。
恭子がこれから電車に乗る、と卓雄にメールすると、卓雄から、これから乗る電車の時間を知らせてきた。タイミングは微妙なことが多い。
以前も一緒の電車になるように待っていたことはあった。けれど、一緒にいるのは混んでいる電車でのわずかな時間だった。それに、帰ってから急いで夕飯の支度をしなければならない恭子は、駅に置いてある自転車で帰る。卓雄は歩きだ。恭子は途中で足りないものを買う時もある。
それで、ついこの間は卓雄に、そのことを告げて、
「先に帰るね」
とメールした。すると卓雄からすぐに「はい・・」と、泣いている顔の絵がついたメールが返ってきたのだ。
普段なら気にもとめないメールだった。けれど、その時、恭子は何故かはっとした。何でもないそのメールの泣いた顔に、卓雄の素直な気持ちを見たような気がしたのだ。
恭子は房子に対して毎日ストレスをためて、卓雄に愚痴を聞いてもらっている。
時々怒ることもあったけれど、卓雄は房子には屈託なく、やさしくしてくれる。
けれど、卓雄の立場になれば、ふたりきりの時間や空間が欲しいのは当然だった。普段房子に対する不満を言うわけではないけれど、卓雄はいつもいつも房子という他人が居る生活を余儀なくされている。
恭子はもっと、卓雄を気遣ってあげなければいけない立場なのだと、今さらながら思った。
房子が来てから、恭子達はどこに行くのも房子と一緒だった。房子のために、車で行くから、卓雄はアルコールを飲めない。そこで、
割合近くに食事に行く時は、卓雄はふたりを車で連れて行ってから、一度家に帰って自転車を走らせる。そんな面倒なことをしてくれていた。
映画も、房子が興味ありそうなものばかり選んでいた。(途中で眠っていたけれど)
ふたりで出かけようとして、デイサービスの日に合わせて、卓雄が休みをとったけれど、お迎えの時間があるので、ゆっくりはできなかった。
たまに房子に頼んで、数時間ふたりで出かけようとすると、房子はいい顔をしなかった。
「たまにはふたりでゆっくりしていらっしゃい」などという言葉は、房子の口から決して出ない。
行ってきていい?と訊くと、房子はいつもにこりともしないで、「はい」とだけ言った。その冷たい表情に、出かけるのを躊躇してしまうほどだった。
亜美に話すと、今しかない大事な時間だよ、遠慮しないで楽しむようにと、強く言ってくれる。励まされるし、その通りだと思う。
けれど、それがなかなか難しかった。
ふたりだけの久しぶりのその旅行は楽しかったし、気持ちをリフレッシュできた。
その頃は他県に住んで仕事をしていた凛が、時間外になってしまうショートステイの施設のお迎えなどを引き受けてくれていた。
一方、快適と思われたその施設での生活は、房子はすべてのレクリエーションに参加して、模範ステイ客を演じるために、かなり疲れたようだった。良い施設だった、と言いながらも、家に帰ってほっとした顔をしている。いつものように、自分の部屋で好きな時間にお菓子を食べられないのも、ストレスだったようだ。
ショートステイのお金は房子の口座から後日引き落とされるはずだった。ちょっと痛い額だったけれど、仕方ない。房子に現金を渡すと、はじめはいいよ、と言っていたけれど、それでは今後行けないからと言うと、あっさり受け取った。
通夜に行く
デイサービスで房子が一時仲良くしていたお友達のひとりが亡くなった。遠くからちらっと見かけただけだったけれど、小柄で、昔話にでてくる優しいおばあさん、という感じの人だった。(房子のことがあるから、外見だけでは分からないけれど)
何故か房子のことが好きだったようで、房子によく連絡をしてくれて、一緒にレストランにも行っていた。その人が、倒れて、長い間意識がないまま入院していて、そのまま亡くなった。
房子は何度かひとりで病院に見舞いに行っていた。恭子も一度、房子と一緒に病院を訪ねたけれど、白くきれいな肌をして、お人形さんのようにかわいらしいおばあさんだった。房子の髪のない茶色い肌の寝顔を見慣れた恭子には、とりわけきれいに見えた。
入院していた病院は、住まいのあるマンションの向かいだったので、娘さんが意識のない母親に会いに、朝も昼も来ていたようだった。いつか母親に頼まれて、郷里から届いたユリの花をわざわざ届けにきてくれた娘さんも、整ったきれいな顔立ちの人だった。
通夜の会場となった会館に房子とふたりで行くと、娘さんは房子が来てくれたことを喜んで、「母の分も長生きしてくださいね」と言ってくれた。ただのお世辞ではなく、心から言っているように感じられた。素敵な人だった。
娘さんは、「優しい母でした」と寂しそうに言った。
「優しい母」・・。羨ましい響きだった。房子が亡くなっても、恭子は「優しい母でした」とは決して言えないだろう。その言葉を、胸の中で何度も繰り返してみた。
娘さんは、房子のこともきっと、優しい人だと思っているだろう、と思った。
「お清め」の席で、前に座った三十代か四十代と思われる人たちに、恭子が房子の年齢を告げると、一様に、「若い!」とびっくりした。房子は満足そうに笑みを浮かべ、「わたくしは・・・」と、いつものきどった言い方で謙遜した。
家に帰ると、マカオから来ている留学生の兄妹が、夕飯を食べていた。卓雄にサラダだけを頼んで、恭子が急いで準備していったものだ。
房子は、会館まで車で送ってくれた卓雄にも、ひどい暑さの中、付き添った恭子にも、今日はありがとう、と礼を言うわけでもない。食事が終わると、もらってきた記念品の紙包みを指して、開けてみて、と恭子に言った。自分の戦利品のように、得意そうな言い方だった。
房子は亡くなったおばあさんの娘さんをほめて、
「お嬢さんがとても尽くしていたから・・・」と言った。
娘さんは優しそうな方だったし、良い親子関係に見えたから、きっと、ちゃんとお世話をしていたのだろう。けれど、恭子は「尽くした」というその言葉に抵抗を感じた。
房子は何に対して「尽くした」と言うのだろう。何を知っていたというのだろう。
「尽くした、って?」
恭子が訊くと、
「朝、晩、病院に来ていたし・・・。まあ、(住んでいるマンションの)すぐ前だけど・・」
と、房子が言った。
「それは、誰でもやることでしょう。とてもいい娘さんなのは分かるけど・・」
母子に悪い気持ちはまったくない。けれど、房子の言葉に気分が悪かった。
房子は何かの話の時によく、自分が恭子に「尽くした」という言葉を使った。あまりにも事実とかけ離れた言葉だった。
「尽くした、って?」
と恭子が訊くと、房子は言葉に窮して、「病院に見舞った・・」とひとつだけあげた。だいぶ以前に、恭子が急な手術をして、長い入院をした時のことを言う。
その入院をした時、誰にも知らせなかったのに、何かの拍子に分かってしまって、房子がお見舞いにやってきたのだ。少し遠い所にある病院だった。
房子はお見舞いに果物と一緒に、お金を包んできた。誰彼無しに、房子はそういうお金は、大盤振る舞いする。
勿論お金はありがたかったけれど、恭子はその後の房子に困った。
恭子の手術は失敗して、4度も手術し直して、個室に入っていた。大出血して、貧血気味であり、熱も出ていた。だから、話などする余裕もなかったし、むしろ静かに横になっていたかった。
けれど、房子は帰るどころか、そんな大事になるとは思わなかった恭子が病院に持っていたパソコンで、ゲームをして遊んでいた。「フリーセル」というそのゲームを、恭子はやったこともないけれど、ひとりでできるトランプゲームだった。
日頃「忙しい」を口癖にしている房子が、ベッドのそばで、ずっとゲームに興じているのは、恭子が寂しいとでも思ったのだろうか。
房子に早く帰ってもらって、眠りたかったけれど、恭子はそれを言えないで、がまんしていた。そうして、房子が帰った後に高い熱を出していた。
「その時のことだけでしょ」
葬儀でもらってきたクッキーをつまんでいる房子を、恭子は恨めしい思いで見つめた。
「やっぱり、《尽くした》って言うのは、お金でしょ」
恭子には、音大の学費などで、多額のお金がかかっている。恭子の子供達の入学など、事あるごとに、多額のお祝いをくれている。
けれど、「尽くした」と言うのなら、恭子の方がずっと房子にそれをやってきた。恭子は結婚するまでずっと、房子のために毎日家事をやってきた。外で遊びたい時にも、卓雄とつきあい始めてからも、房子の夕飯を作るために急いで家に帰った。それは「尽くす」ことにはならないというのだろうか。今だってずっと、房子に「尽くし」続けている。
他人が「尽くす」姿はほめても、恭子の日々の努力を、「尽くす」言葉とは無縁だと思っているのだろうか。
「愛情が無ければ、お金をあげられない・・」
最後に房子はいつも言う。
けれど、恭子達だって、房子と同様に、自分達の子供達に多額の学費を費してきた。一介のサラリーマンとして、出来得る目いっぱいのお金をかけてきた。そのうえで、房子と違って、それぞれの子供にありったけの愛情を注いできたつもりだ。
ふと、恭子は、房子が今まで、人に尽くす、という経験をしたことがないのではないかと思った。勿論、幸男のことは別にして。
義理の両親と暮らした経験もない。老いた母親のことも悠一に任せたままだった。
房子は月に一度、シカにお小遣いを届けに行っていたけれど、訪問時間はいつも十分か二十分だと悠一が呆れたように恭子に話したことがある。
三十代で未亡人になった房子は、才能ともいえる付き合いの上手さによって、あちこちでちやほやされてきた。男性との付き合いもいろいろあった。身を削って「尽くす」ということとは、程遠い人生だったのではないかと思うのだ。
ある日の夕飯の食卓で、房子が、
「私は行ったことがない国は、ほとんどない」と誇らしげに言って、卓雄に、
「おかあさん、相当遊んでましたね」
と笑って言われたことがあった。
房子は嫌な顔をしていたけれど、卓雄の言う通りだったのだろう。お金と暇があった房子は、「旅行の会」に入って、世界中旅行していたし、友人と国内旅行も行きつくしていた。
またある時は、房子が有名な喫茶店の有名な紅茶の話をした。友人である男の人に、毎年誕生日のたびに連れて行ってもらった、と誇らしげに話した。それは、いつ頃のこと?と恭子が訊くと、三十代だったという。
房子は得意げに話したけれど、恭子にとっては、決しておもしろくない話だった。母親
の帰りを待ちわびていた子供の頃、房子はそんなふうに楽しんでいたのだ、と不愉快だった。いつだって、房子は恭子が寝てから帰ってきたのだから。
自分が三十代の時と比べても、みじめになった。普通、子供がいる三十代の女性は、そんな余裕はない。子供を置いて遊べないし、時間もないし、お金もない。
房子は、あまりに身軽で、恵まれすぎていたのではないかと思った。恵まれすぎて、他の人の具体的な苦労に思いを馳せることができないのではないか。そんなふうにも思えた。
弱っても強い
時々、恭子は房子の夢を見た。夢に出てくるのはいつも、悠一が住んでいる、恭子が大学時代まで過ごした家だった。房子は若くて元気だった。
恭子は涙を流して目が覚めた。そうして、房子を大切にしてあげようと思う。けれど、その思いがいつも、強く冷たい房子によって断ち切られてしまうのだ。
九十二歳になった房子は、階段の上り下りが辛そうで、はぁはぁと呼吸を乱して、途中で何度も休んだ。
手を引っ張ってあげようとすると、「痛いよ!」と言われる。後ろからお尻を持ち上げようとしても、具合よくないようだった。ケアマネさんに相談して、お尻を乗せて引っ張るベルトを使ってみたけれど、それもうまくいかなかった。
それでも房子は「トレーニングになるから」と言って、顔をしかめながらもがんばった。この歳で、この強い意思、根性には感心した。
房子を一階に寝かせてあげたかったけれど、台所と隣り合う居間にはベッドを置くスペースはない。かわいそうだけれど、今はこのままがんばってもらうしかない。けれど、どうにかできないものかとは、いつも思っていた。
房子はだいぶ前から飲み込みも悪くなっていた。
食いしん坊の房子は、おいしいものならよく食べた。レストランのコース料理も、欲張って、魚と肉のフルコースを頼む。結局お肉のお皿をまるまる残して持って帰ったりするのだけれど、九二歳にしては驚くほどの量だ。あの体のどこに、こんなにたくさん入るんだろう、と不思議なほどだった。
お菓子や甘いものも、自分で買ったり、恭子が買ったりしたけれど、すぐに食べてしまった。留学生のおみやげのチョコレートも、驚くほどの速さで大きな箱がなくなった。それなのに、外では「小食」の顔をして、なんでも残してくる。たくさん食べることが恥ずかしかったのだろう。
そんな房子なのに、食事中、途中で詰まらせて、どうにもならなくなることが頻繁に起こるようになっていた。
調子よく食べていたと思ったら、急に房子の箸が止まり、表情も固まった。
そうなると、背中をとんとん叩いても、さすっても、どうしようもなかった。じっと食べ物が胃に落ちていくのを待つしかなかった。
どうしても落ちて行かない時には、房子はグエグエと吐き出そうとした。ティッシュを何枚も何枚もとって、粘液とともに吐き出そうとする。けれど、たいていの場合、何も出てこない。そのままトイレに行って、グエグエやっていることもあった。
かわいそうではあるけれど、何をやってあげることもできない。食事の途中で毎回のようにグエグエやられるのも、食べている人にとってはいい気持ちではなかった。
房子が、喉か食道がおかしいと訴えるので、内科医を訪ねて、レントゲンを撮ってみたけれど、何も異常はなかった。喉も食道も細くも詰まってもいない。
だいたい、異常があるはずもなかった。普段から、房子は、十個くらいはある薬の粒を、オブラートに入れて一気に飲んでいる。恭子には、そんな真似はとてもできない。あんなに大きな塊が、どうやって喉を通過するのか不思議なくらいだった。
それでも、薬が大好きな房子は、内科医で気休めに出された胃薬を、ずっと飲むようになっていた。
しかし、そうやって少しずつ衰えていきながらも、房子の見栄っ張りは相変わらずだった。
マッサージを訪問の男の人に替えてもらっていたのだが、週一回来てくれる日には時間をかけてお化粧をした。朝起きてこないので起こしに行くと、食事の時間がなくなるというのに、お化粧を先にする。パジャマを着て、かつらも取るというのに、口紅まで塗った。なんでマッサージの人にまで、いいかっこをするのだろう、とうんざりした。
そうしてマッサージが終わると、そのまま眠り、昼過ぎにパジャマで階下に下りてくる。恭子はそれから房子の朝食を温め直すことになるのだ。
日記にまた、いろいろ書いてある。
〇月〇日
『母に【食いしん坊だよね】と言ったら、【私はそんなに大食い?】とムキになって、嫌な顔をした。』
食いしん坊なのは、恭子達三人ともだった。でも、なぜそんなにムキになるんだろう。そうなの、おいしい物が大好きだから、と言えばかわいいのに、と思う。
卓雄も、
「おかあさんは、おいしいものや甘いものだと、よく食べるから」
と苦笑する。房子は嫌な顔をする。
けれど、本当のことだから仕方ない。ウニやイクラ、カニなど、高級な海産物には目を輝かして、良く食べる。食事が終わった後でも、和菓子や大きなケーキを呆れるほど食べる。細い体の、どこに入るのだろうと思うほど食べる。
なじみのレストランでも、よく食べるので、びっくりされた。クリスマスに予約していたディナーでは、ボリュームのある前菜三品、フォアグラの甘辛味、スープ、パン、付け合わせがたくさん乗った鯛のソテーのお皿、ここまで房子は完食した。さすがにお肉のお皿は残したけれど、アイスクリームやケーキ、フルーツがいろいろ乗ったデザートもみんな食べた。
房子はごまかそうとするけれど、夜、房子の部屋におやすみ、と言いに行くと、おせんべの匂いがただよっていることもよくあった。ソファーでお菓子が入った箱を抱えて眠り込んでいたこともある。
〇月〇日
『デイサービスなのに、母はなかなか起きない。少し前に声をかけたのに』
見に行くと、房子はぐっすり眠っていた。かつらを外してほやほやした髪の房子は、百歳を超えたおばあさんのようだった。口を半開きにしているから頬が落ちて、骸骨そのままの形になるからかもしれない。声をかけて起こすと、ふらふらよろけながら起きた。妖怪のように、鬼気迫る姿だった。こんな姿を見たら、みんなびっくりするだろう、と思う。
ゴミの収集車がきてしまうので焦っていた。房子は机の下から小さな手提げの紙袋を取り出して渡した。急いで階下に行って外に出すゴミ袋に落とし入れた。丸められたパットが六個くらい入っていた。先日のこと以来、房子は観念している。けれど、言わなければ、やっぱり出さなかったのかもしれない。
〇月〇日
『母は結局幸男に伊勢に連れて行ってと頼まなかった。』
頼めば連れていってくれる、なんて言っていたのに、結局、大変なので、面倒なのだ。房子は恭子達には頼めるのに、幸男には遠慮して頼めない。そんな話をし始めると、房子はいつものように黙った。
〇月〇日
『母はまた卓雄を愚痴る』
この日、娘達がそれぞれ遊びに行くので、孫達を預かって、昼に安いイタリアンを食べに行った。
帰りは恭子が孫達を連れて歩いて帰り、卓雄には駅から房子とバスで帰ってもらおうとした。その方が、卓雄も楽だと思ったのだ。
ところが、房子は駅に近いスーパーでたくさんの買い物をした。チーズやみかん、お菓子と、卓雄は重そうな荷物を抱えて帰ってきた。
すると、家に帰って房子は例によって、卓雄がそんなものはいらないですよと制した、と不満そうに言った。卓雄さんと買い物には行けないわね、と言う。房子から何度か聞いた言葉だった。
いつまでたっても房子には人の気持ちが分からない。買ってもらうんだからありがたいでしょ、と思っている。房子にしたら善意なのだろう。けれど、疲れている時に、よろよろ歩く房子の手をとって、買い物に付き合う方が、よっぽど辛いということが分からないのだ。卓雄にありがとう、という気持ちはまったくない。
「おかあさん、強いんだから、構わず買っちゃえばいいじゃない」
恭子が卓雄に同情して言うと、房子はムッとした顔で黙った。
「いいかっこ」をしたがる房子にしては、びっくりするほど恥ずかしい姿を見せることもしばしばあるようになった。
デイサービスに行くのに、時間をかけてお化粧をして、口紅まで塗って階下に下りてきたというのに、入れ歯を入れてなかったりする。ふにゃふにゃの口元だから、分かりそうなものなのに。そういうことが何度もあった。
トイレから出てズボンのチャックが開けっ放しなことはよくあった。バスの運転手に「閉まってますか」と言われているのを卓雄が耳にしたという。使用済みのペーパーがズボンの後ろに垂れ下がっていることもあった。
以前の房子なら、相当屈辱的なはずなのに、ケロッとしているのが意外だった。そして、そんな房子の羞恥心の無さは、恭子を不安にさせた。きどっている房子との、ギャップが激し過ぎるのだ。これも「老化」なのだろうか、感じ方が鈍くなってきているのだろうか、と心配になった。
房子は相変わらず行儀も悪かった。
房子はトイレに携帯電話を持って入る。トイレで話をして、ズボンがずり下がったまま出てきて、洗面所で空いている片手だけをチョロッと水を流して洗う。そんな姿に、恭子達は違和感がなかった。けれど、外で上品そうな房子の演技を見慣れた人には、信じられない光景であるはずだった。
それでも、気の強さから言えば、房子は恭子の家に押しかけてきた当初よりも、かなりマイルドにはなっていた。初めのころの威丈高な房子を思い出すと、だいぶ変わってきたようにも思えた。
恭子が我慢ができずに注意をしたり、怒るようになったからかもしれない。あるいは、衰えてきた体のせいかもしれなかった。誰かに頼らなければならないことが分かってきたのかもしれない。
そう考えると、かわいそうでもあった。
けれど、房子は相変わらず恭子と心からの話をしなかった。悠一と会ってきても、恭子が何を訊いてもちゃんと答えずに、ぼかす。「さぁ、どうなのかしらねぇ」とか、「知らない」と、房子はよく言った。幸男のこともそうだった。
房子はいつも恭子と距離をとっていた。
亡くなったシカや、父親のことを話すのに房子は、「私の母がね・・」「私の父がね・・」と言うのには、呆れたし、悲しかった。房子の常識の無さのせいでもあるかもしれないけれど、恭子との距離を表しているような気がした。
どうしても好きになれない
その日は埃が混じる冷たい風が吹き荒れるる日だった。
恭子は第三子を出産したばかりの久美の食事の支度をするために、自転車で久美の家に向かっていた。途中でたくさんの買い物をして、急いで坂を下りたり上ったりしているうちに、コンタクトレンズを入れている恭子の目は、すぐに埃にやられてしまった。片目をつぶり、ボロボロ涙を流しながら久美の家に着いた。
着いてすぐに久美達のためのおかずを何品か作って、そこから少しだけ取り分けてタッパーに入れてもらってきた。ハンバーグや、レンコンとキノコの炒め物、サラダなど、子供達が好きそうなものだった。
それらは、その日まで預かっていた久美の上の子と入れ替わるように、これから急に泊まりに来ることになった亜美の子供達のためのおかずだった。
当時はまだ4人目はいなかったけれど、それでも三人の子供と犬の世話で、亜美もストレスを抱えて、夫の出張など、事あるたびに実家である恭子の家にやってきた。泊まる支度もかなり大変なのに、それでも亜美はやってくる。その娘を、久美と同じく、できるだけ安ませてあげたいと思った。若い頃、願っても自分がしてもらえなかったことだった。
亜美たちが急にまた泊まりにくることが決まって、恭子は久美の家に行く前に、部屋を片付け、掃除機をかけ、いつものように二階に布団の用意をしてきていた。そうしておけば、連れてきた赤ん坊を、すぐに寝かせられる。大きな犬をつれてくるので、折りたたみのゲージはいつも卓雄が用意することになっていた。
そんなふうにばたばたしていたので、恭子は家に帰り着いた時にはすでにかなり疲れていた。もう7時を過ぎていたので、夕飯を焦っていた。
一方、房子はその日、デイサービスだった。
房子に久美の家に行くことを告げて、合い鍵を持って行ってもらっていた。それまでにも何回か、お迎えの時間までに帰れなくなりそうな時に、合い鍵で入ってもらったことがあった。
けれど、その日は、恭子は亜美のことと夕飯のことであわてていたのと、すっかり疲れていたのとで、家に帰った時に房子のことは頭から飛んでいた。
家に帰ると、少し前に着いた亜美が、がたがた荷物を片付けたり、犬の世話をしていた。
子供達がにぎやかで、てんやわんやだった。
と、慌てて台所のテーブルに料理を並べたり、用意している恭子のすぐ目の前を、二階から降りてきた房子がすっと通り過ぎた。そして、そのまま黙って隣の居間に行って、ラックに寝かせている亜美の赤ん坊を抱こうとしたのだ。房子は硬い表情をしていた。
恭子は呆気にとられてしまった。
あまりのことに、
「どうして『お帰り』とも何とも言ってくれないの?」
と、居間にいる房子に向かって言った。すると房子は、
「『ただいま』って聞こえなかったから」
と、小さな声でボソッと言った。
恭子は、はじめ、意味が分からなかった。階下から、「ただいま」と言っても、二階の房子に聞こえることはないのに、と思った。けれど、少ししてから分かった。二階に上がって行くか、携帯で電話をして、房子に「ただいま」と言うべきだったのだ。
確かに、慌てていたのと疲れていたのとで、うっかり房子のことは頭から消えていた。気がついても、房子の部屋まで上がって行く余裕と体力はなかっただろう。
けれど、それに気分を害して、恭子を見ても無視して、黙って目の前を通り過ぎるいうのだろうか。信じられなかった。
「帰ってきて、慌てていたから」
と言うと、
「ただいま、くらい言えるでしょ」
と房子。
「亜美達が来て、慌てて用意していたんじゃない」
ムッとして言うと、
「そんなの知らなかった」と言う。知らなかったって、今、実際見ているではないか。なんて、了見の狭い、冷たい人だろう、と思った。自分の娘がどんな状態にいるのか、分かろうともしない。
あんまり悔しいので、食事中にも房子に訴えるけれど、房子はいつもと同じように、何を話しても、石のように黙りこくっていた。あの、壁に向かって話しているような、虚しく、ストレスのたまる、無意味な時間だった。
そのうち房子はティッシュを出して、鼻をすすった。恭子はやりきれない気持ちになる。何を言っても聴いていないのだ。そうして房子は弱い年寄りをアピールして、恭子がまるで悪者であるかのような気持ちにさせられる。
卓雄も亜美も黙って聞いていたけれど、後で、「おかあさん、ひどいねぇ」と怒っていた。
その夜、房子とまた同じ話を蒸し返した。泣きたいのは自分の方であり、自分は強くない、どうしたら娘にやさしい気持ちが持てるのか、と、ほんとうに泣きそうな気持で言った。
すると、房子は珍しく素直に聴いていて、恭子にやさしい言葉もかけた。意外だった。
房子に分かってもらうには、こちらが捨身になって、弱い立場として情に訴えかけるしかないということだろうか。日々の出来事で、そんなことをしている余裕は、恭子にはない。
しかし、そういう素直な房子を見ると、恭子は少し前までの憤りを忘れて、房子の枯れた体を涙ぐんで抱きしめてしまうのだ。
房子の死後、恭子は思った。
あの頃、恭子には余裕がまったく無かった。経済のこと。娘達のこと。そして房子のこと。いつもいっぱいいっぱいだった。追い詰められた気持ちのやり場がなかった、と。
房子はまったく違った。家事も育児も介護もほとんど経験してきていない。寝たいだけ寝て、いつもご飯が用意されている房子には、娘達の世話や孫のお守りと家事に忙殺される恭子の過酷さが、想像もつかなかったのかも知れない。
その日だって、どんなに説明しても、房子は、久美の家で楽しくお茶を飲んで、ゆっくりしてきたくらいにしか思ってなかったのかも知れない。
出て行く話
ある日、房子が家を出て行く話が始まった。
そもそものきっかけは、房子の女学生時代のお友達を訪ねることからだった。
Wさんというその方は、恭子も電話で話したことがあったけれど、キリスト教を信仰している、やさしい方だった。そして、不幸を寄せ集めたような可哀そうな方だった。
自身もがんを患っていたし、娘さんも患っている。耳も不自由だった。日常をこなすのも大変そうだったけれど、神様を信じて、やさしく話をしてくれた。会ったこともない恭子に、何十分も身の上話をした。
だから、恭子もWさんのことを気にかけてはいた。
何かきっかけがあったのか、伊勢の従妹と同じく、房子はある時から、急にWさんと頻繁に連絡をとり始めたような気がした。「Wさんからお返事が来ない」とか言って、まめに手紙を出していた。
Wさんは、電話でも、葉書でも、いつでも房子をほめちぎっていた。
ある時、房子がWさんに会いに行くことになった。車でも二時間はかかる遠い所だった。
卓雄には、申し訳ないので、とても頼む気はしない。房子にも、そう言ってあった。恭子が途中の駅まで電車で送って行くことも考えていた。
ところが、房子は突然、幸男に送ってもらうことに決めた、という。いきなり「幸男」の名前が出てきたので、驚いた。
これまで、房子が何度か、また伊勢に行きたいとか言い出した時に、幸男に行ってもらって、と言っても、まったくそんな気はなかったのに、なんでまた急に、と思った。幸男は今まで、面倒なことは何一つしてくれなかったのに。
恭子が何故?と詰問すると、房子は案の定、黙りこくった。恭子が「幸男」の「さ」と言っただけで、房子が防御の体制に入って、硬く身構えるのが分かる。
恭子が房子に甘えるばかりで今まで何もしなかった幸男を非難して言うと、房子はますます硬い顔をして、横を向いて黙っていた。
それからまた、不毛な時が流れた。いつものように、恭子が感情のない岩のような房子に、ひとりでしゃべり続ける。
「おかあさんと、心と心をぶつけあう、親子の話なんて、永久にできない。何でしゃべってくれない? それが、どんなに辛いことかわからないでしょ」
どんなに訴えても、房子の胸に何も響いてない。最後に房子が口を開いて、ぼそっと言う言葉は、
「私も辛い」
だった。何を言ったらいいのか分からない。何か言ったら、うまく伝わらない。そんなことを言う。
そして、最後に房子は言い出すのだ。
「悠一の家に行くから・・・」
何度、この言葉を聞いたことだろう。いつもいつも、最後には房子はまるで、いじめられている人のようになる。ずるかった。
「もう、したいようにすればいいけど。悠一さんの所なんて、おかあさんが行ったら、どうなるか、分かるでしょうに」
「幸男の家のアパートが空いたら、そこに住むから・・・」
次には、そう言う。アパートとは、当時の幸男の家の二階のことだ。外階段から入る部屋がいくつかあって、やすよが管理していた。
アパートなんて、いつ部屋が空くか分からない。もし部屋に入ったら、その分の費用は払ってあげなければならない。アパートの階段を上ることも大変な房子が、ひとりで何でもやるなんて、無理に決まっている・・・。
とても実現性がないことを、房子が意地で言っているだけだった。
ただ、恭子とろくな話もできない房子が、悠一となら何でも(嘘も交えて、自分に都合の良い話ばかりだけど)話せるのだから、生活の面では不自由でも、しゃべってストレスが発散できるのは、房子にとっていいことなのかもしれない、とも思えた。
幸男のアパートにもし入れるのなら、(いろいろ考えて実現できそうにもないとは思うけれど)、息子と毎日会えるのは、幸せなのだろう。
どう考えても、無理だとは思うけれど、やってみるのもいいのかもしれない、と恭子は思った。
いつも、こうやって、「出て行く」と言い始めるのは房子だ。恭子と何も納得できる話もせずに、最後に、出て行く話に持っていく。
そのくせ、その後、房子はいつも、出て行く話なんか無かったように振舞う。しばらくはおとなしく、気を使い、時におどおどと顔色を見て過ごす。そのうち、ケロッとして、同じことを繰り返すのだ。
その夜は、房子はお風呂にも入らず、黙って電気を消して、寝てしまっていた。
このままでは、いつものように、なあなあになってしまう、と思った恭子は、翌朝昼近くに起きて朝食の食卓に座った房子に訊いた。
「幸男さんと話をしたの?」
すると、房子は、え?という顔をした。まだ続くの?という顔だ。明らかに、房子は、いつものように、話をなあなあに終わらせるつもりだったのだ。
房子のことをまた非難した。幸男のことも非難した。
房子は相変わらず黙っていた。
悠一の家に行っても、幸男のアパートに行っても、どちらも大変だけど、話ができない娘と暮らしているより、ずっといいでしょうね、と半ば本気で、半ば嫌味で言った。
房子はその後二階に行って、悠一に電話をしたけれど居ない、と言った。しかし次に降りてきた時には、出かける支度をしていた。悠一は病院に行っていて、帰ってきたらしい。
「悠一さんに、私が出て行ってと言ったなどと、間違った話をしないでね。私はそんなこと、いつも絶対に言わないからね。おかあさんが、言い出すんだからね」
恭子が言ったって、房子はきっと、自分に都合のよいふうにしか話をしないのは分かっている。
その後、出かけて行った房子から、悠一の家で夕飯を食べてくるという電話があった。いつものように、房子がお金を出して、お寿司でもとったのだろう。
恭子はぼんやりと、房子がいなくなった暮らしを考えてみた。
房子はいつからか、年金が出るたびに生活費を入れてくれている。それは、今は止めている留学生の滞在費よりずっと少ないものだったけれど、それでもありがたい。
けれど、房子に使うお金も、それ以上に大きかった。食費にしても、時々房子を連れて行くレストランにしても、結構なお金がかかった。
お金以上に、いろんな拘束が大きかった。
食事も自由になる。外食も楽になる。旅行も、行きたい時に行ける。
房子が他所で事実とまったく違う作り話をしたっていい。もう、なんと思われてもいい。これ以上、ストレスをためて、ボロボロになって、先の長くない自分を苦しめたくない、と思った。
悠一の家を出て、房子は十一時半頃、駅からタクシーで帰ってきた。
どうだった?と訊くと、房子は、悠一の妻の症状がかなりひどくなって、ひとりで置いておけないこと、家の中があちこち傷んでいて、階段やトイレを改修しなければならないことなどをボツボツと話した。
遅くなったのは、悠一と碁を打ってきたからだと言う。
恭子が訊きたいことではなく、関係のない話ばかりだった。
で、どうしようと思うの?と訊いても、房子ははっきりとは答えなかった。
「いつでも来たら」
と悠一が言ってくれる、と言った。
自分の我を通すために、房子は、誰が考えてもあり得ないことを、本気で考えるのだろうか、と呆れた。
房子は、いつものように、黙っているばかりで、話は続かない。
「悠一が買い物にも行けないから、私が留守番代わりになれるかと・・・」
ぼそぼその間に、ちらっと言う。
「何かあっても、対処できないでしょ。そんなの留守番とは言えないでしょ」
「携帯で知らせたり・・」
「座ったら、すぐに立ち上がることだってできないのに・・」
「むしろ、おかあさんが倒れているんじゃないかと、おちおちしていられないでしょ・・・」
房子は、聴いているのか、いないのか、分からない。
房子の頭の中は、悠一の心配なんかではない。自分のことだけだった。
「おにいさんには、悠一さんの家に行く話をしたんですか?」
卓雄が横から非難めいた口調で訊いた。
房子が、していない、と言った。
どうして?と恭子が訊くと、Wさんの所に車で行ってもらうから、その時にゆっくり話ができる、と言う。
まだ、ずっと先のことじゃない。どうして先に延ばすの?
電話をしたら、講習中だった、と房子。
講習は、とっくに終わっている時間だった。
結局、何の進展もないまま、会話を終わらせるしかなかった。
幸男の無責任さ
放っておけば、房子は、それまでそうだったように、何事もなかったかのように暮らしていくのは分かっていた。当初だけは、おどおどと気を使ってみたり、弱っていたり具合が悪いことをアピールする。でも、それも一時だ。何度も何度も見てきている。
恭子は、今度こそはうやむやにするのはやめようと思った。
問題は、幸男だ。
翌日も、房子に幸男のことを訊いてみた。恭子だけではらちが明かないので、卓雄にも加わってもらった。卓雄は、
「僕がおにいさんだったら、自分に何の連絡もなく、悠一さんの家に行く話をしたら、怒りますよ」
と、すごい剣幕の大きな声で、房子に向かって言った。
すると、夜になって、房子が、
「幸男が今から来るって」
と言った。やっと電話で話をしたのだろう。
「なんて言っているの?」
「こっち『幸男の家』に来たら?って」
そんなに簡単なことだったんだ、と恭子は拍子抜けした。
房子はジャケットをはおって階下に降りてきた。
ダイニングの椅子に座って、幸男が来るのを待っている房子は、いくぶん穏やかに見えた。ほっとしたような表情をしていた。
幸男に会いたくなかったから、家の前に車をつけないで、と言ってあったのに、車は玄関のすぐ前に停まった。
恭子は勿論出て行かない。玄関の外で、出迎えた卓雄が、幸男と笑って話しているのが聞こえる。
卓雄のこういうところが気に入らない、と恭子は思う。そんな友好的な態度を幸男に見せたら、自分の行いが許されているのだと思うだろう。どんなにひどいことをしているのか、分からせることができなくなってしまうだろう。
今房子に起こっていることは、そんなに軽くないと認識させたいのに、あんなふうに笑い合っていては、困る、と、苦々しい思いだった。
それから、房子は幸男の車で、近くのファミレスに行った。帰ってくるまで、一時間くらいだった。
恭子は複雑な気分だった。
房子が来てからの、この七年近い年月は何だったんだろう、と思った。房子にかきまわされ、ただぼろぼろにされただけの、実りのない日々だった・・・。
久美と亜美も、メールで伝えると、調子いい、勝手過ぎる、と怒った。
でも、もうこれでいいのかもしれない、と思う。
やっと解放される。旅行にも行ける。何でもできる。
悠一の家なんて、無理に決まっているけれど、幸男の家でいいなら、それでいいじゃないか。房子もそれを望んでいたのだろう。あの、ほっとした顔ったら、なかった。
恭子は、房子のいない生活を本気で考えて、あぁ、楽になれるんだ、と思った。
恭子が言うことなど、何も聞いていないけれど、出かけるまで房子にいろいろ話をした。
やすよも歳を取ったし、足も悪い。房子の世話などきっとできない。房子も、以前と違って、誰かの世話にならなければ生活していけない、ということをよく考えて、謙虚な態度で帰らないと、と。
やすよのため、というより、今までの恭子自身の無念さを言ってみただけかもしれない。
ところが、帰ってきた房子から話を聞いて、驚いた。
房子は、幸男のアパートに移るつもりだった。そして、それまでの間、悠一の家に行っているつもりだった。
けれど、幸男は、アパートは狭くてとても無理だと言い、家に来るのもダメだと言った、と言う。
悠一か、恭子に、頼んでくれ。幸男がそう言ったというのだ。信じられなかった。
悠一か恭子に頼んでくれ? なんと無責任で冷たい言葉だろう。自分は、面倒なことは、何一つしない。
悠一の家をあてにすること自体、間違っている。房子も幸男も、似たもの親子だ。
幸男は、親を見捨てたのだ。
けれど、房子にしたら、何もかもが、やすよのせいだと思っている。息子が悪いとは思えないのだ。
「おねえさんが何もお世話できないことは、言ったでしょ」
と恭子はやすよをかばった。
「本当に親のことを思ったら、『俺ががんばって手伝うから、お願いだ』と、おねえさんに頼むはずでしょ」
房子の頭には何も入っていかない。房子は明らかに、がっくりしていた。
あぁ、そんなに幸男のところに帰りたかったんだ、と、恭子は思った。自分からは、意地でも言えない。帰っておいで、と言われるのを待っていたのだ。
悔しかった。
房子に訊くと、否定しなかった。それからまた、房子のだんまりの不毛な時間が長く過ぎていった。
恭子は諦めて、房子を残して風呂に入った。
その間に房子は黙って二階に上がって、風呂にも入らずに寝ていた。
これから、どうするのだろう、と恭子は思った。
きっとまた、ケロッとして、何事もなかったように、したたかに暮らしていくのだろう。
そうしてまた、いつか同じことが起こり、
「出て行く」と言ってさわぐのだろう。
案の定、翌日房子は普通に朝食も食べた。
恭子はもう、房子と話す気力もなくなっていた。
その日、Mさんからの葉書が来ていたので、房子に渡しに行った。昼に郵便局に行って、房子に頼まれた振り込みの紙とおつりも持って行った。
葉書には、「こちらまで来てくださって、うれしいです。やさしい息子さんを持っていらして羨ましいです・・」
と書いてあった。
「優しい息子さん」という言葉に、恭子は苦々しい気持ちになった。房子にも、そう言った。自分の都合で、親を捨てる息子じゃないか、と。
房子は、恭子の言葉にほとんど反応しなかった。そして、思い切ったように、
「ね~ぇ」
と口を切った。机の前に座って、房子はどう切り出そうかと、ずっと機会をうかがっていたような感じだった。弱々しい房子ではない。房子の目に、いつかも目にした、動物的な強さ、狡猾さを感じた。
瞬間、恭子には、房子の「ね~ぇ」の続きが分かった。
房子はしおらしい言い方で、これから改める、と言い始めた。
何度そんな言葉を聞いたことだろう。いつもその場しのぎの、口先だけの言葉だった。
「ここに居たいの?」
と訊くと、房子は頷いた。
「居させてください」
とまで言った。勝気な房子が、そんなことを言うのは初めてだった。
しかし、恭子は複雑だった。結局、幸男の家がダメになって、仕方なく、だった。したたかな房子が、計算した上でのことだ。
恭子は、房子にとって、都合の良い人でしかない。さんざん恭子を振り回して、苦しめて、最後には、調子よくもとに収まろうとする房子。
勿論恭子は、行く先のない、老いた房子を、最後までちゃんとお世話するだろう。でも、もう、母親だなんて、思わない。
翌々日、恭子は幸男が塾に出かけた時間を見計らって、やすよに電話してみた。房子の話だけでは、状況がつかめなかった。
すると、やすよはやはり、幸男から話を聞いていた。
房子と幸男の話は、アパートのことだけで、家に住む話はなかったと言う。
会う前に、幸男が、房子が家に来て大丈夫か?と訊き、やすよは拒否したと言う。房子の面倒は看られないし、看る気もない、とやすよは言った。
それは勿論そうだろうと思った。あんなふうに出ていって、頭を下げるわけでもない房子のために、やすよが苦労できるわけもない。
しかし、幸男がよくもあっさり引き下がるものだと呆れた。
「だから、みんな、おかあさんが撒いた種。おかあさんが一番いけないのよ」
やすよは、淡々と言った。今の恭子のようにストレスを抱えているわけではないから、穏やかな言い方だった。
その電話で、やすよが思い出したように言った。
「昨夜、何かあった? 夜遅くに悠一さんから電話があって、恭子ちゃん夫婦が、幸男さんに会いに来たか?って・・」
恭子は、その時は意味が分からなかった。けれど、夜になってから気づいた。
昨晩は、用事があって、卓雄と出かけていた。房子にも言ってあった。
けれど、房子はそれを邪推したのだ。幸男に会いに行ったと。そして、それを自分で確かめるのではなく、悠一に確かめさせたのだ。
房子に訊くと、それを認めた。幸男に訊きたくても、やすよがいるから電話をかけられない。恭子に訊くと、話がこじれるのが怖かった、と言った。
房子とは、信じあえない仲なのだ。恭子は苦々しい思いで、房子の部屋を出た。
信じて頼るのは悠一。
かわいいのは幸男。
恭子は都合がいいだけの人・・・。
母親だと思ったら、やっていられない。
それからしばらく、房子はまた、おどおどした態度になった。
どうして房子にこんなに弱いんだろう
恭子はまた、房子に心を閉していた。
恭子が硬い表情で話すと、房子もムキになって、「そうですか」「ありがとうございます」「済みません」などと硬く他人行儀な言い方で返した。
相変わらず、偶然お友達と会って、一緒に昼食を食べた、とか、見え透いた嘘もつく。
Mさんと会う前日に、明日、幸男と何時に出かけるのか、夕飯が要るかどうか、など、何を尋ねても、
「さぁ、分からない」「どうかしら?」
ばかりだった。
いじめられて、弱っている老人を装いながら、房子はやっぱりしたたかで、強かった。
そんな中、恭子は会社帰りの卓雄と待ち合わせて、外で食事をした。
会社を出た卓雄が電話をしてきて、
「どこか食べに行こうか? お腹はどう?」
と訊いてくれたのだ。今にも雨が降りそうな日だった。
ストレスからの寝不足で、恭子はずっとお腹をこわしている。
「お花見にでも行こうか」
と卓雄。恭子を心配しているのだが、そんな気分ではなかった。
房子を連れて行くのはまた大変なことになる。雨が降り出すかもしれない。それに、三人で食事に行くような状況ではなかった。
それでもお湯を入れたポットを部屋に運ぶついでに、一応房子の気分を確かめに行った。
房子は暗く、くすんだ顔をして、テレビもつけずに、電気のひざ掛けをして座っていた。
「夕飯何を食べたい?」
房子を外に連れて行くつもりはない。何か帰りに買ってくるつもりだった。
房子は、ご飯と鰹節だけでいい、と答えた。
じゃ、遅くなるけど、何か買ってくるから、と言って、それから少し話をした。
話と言っても、やはり進展はない。房子は自分が言ったことを忘れるし、何でも自分に都合の良い話に替えてしまう。
実の親と心が通じないのは悲しく辛いから、「よそのおばあさん」だと思わなくてはやっていられない、と言うと、房子は少し納得したような顔をした。話をしただけましだったのかもしれない。
卓雄と食事をして、ワインを一杯飲んで、少し体が軽くなった気がした。房子と一緒だと、こんなに気楽に外で食事をすることはできない。それでも、お腹をこわしているので、たくさんは食べられなかった。
食事をした後、恭子は閉店間際のスーパーで安くなっている食料を買い漁って、家まで自転車を走らせた。房子が好きなおかずも、いくつか買っていた。
バス通りから一本奥に入った細い道は、人通りもなく、薄暗かった。まばらに点いている街頭が、側溝に落ちないように照らしてくれている。
暗くなった道を走りながら、恭子の胸の中に、なぜか急に不安が襲ってきた。ふと、家に帰って、房子が倒れていたら、どうしよう、と思った。このまま死んでしまったら、あるいは寝たきりになってしまったら、自分は確実に後悔するだろう、と思った。
どうしていつも、最後にはこんな気持ちになってしまうのだろう、と自分の弱さが恨めしい。悪いのも、ひどいことをしているのも、房子なのに。
くすんだ房子の顔を思い浮かべながら、いろんなことを考える。
こんな人なのだ、と目をつぶって、残り少ない人生を楽しく過ごさせてあげれば良かったのではないか・・・。
いくらわがままで、勝手で、冷たく強情な人であっても、あんなに房子を追い込まなくても良かったのではないか・・・。
自分がもがき、苦しかったことも忘れて、恭子は房子のことを思った。
歩いて先に帰った卓雄は、とっくに家に着いて、テレビを観ていた。恭子は急いで房子の部屋に行った。
房子は少しのご飯を鰹節で食べてあった。
ところどころに鰹節がついた、空の茶わんを見ただけで、恭子は言い知れぬ切ない気持ちに襲われ、胸がいっぱいになってしまった。ひとり残してごめんね、と心の中で謝った。
房子は相変わらず暗い表情のまま、机の前でぼおっとしていた。
恭子は房子にやさしい言葉をかけた。
自分が間違っているとは思わない。でも、もう、あまり厳しく言わない。九十年以上生きてきた房子がこれから変わるとは思えないし、言っても仕方ないものね。本当は、残り少ない人生、楽しく過ごしてもらいたかったのに・・・、というようなことを、しんみりと言った。
房子は、自分が悪かった、強情だった、直すよ、と言って涙ぐんだ。
またすぐに同じことが起こると思う。でも、がんばるよ。と言って、恭子も涙ぐんだ。
何回か繰り返された「仲直り」だった。
それからというもの、房子はすっかり安心したようだった。
寝る前には、いつものように、パソコンでカードゲームをして過ごしていた。
翌日Mさんの家に行くことを訊いても、幸男が何時に迎えに来て・・、と、素直に話した。いつも、そういうふうに話せばいいのに、と、現金な房子に呆れた。
こういう時、恭子は房子が元気でいてくれたことだけを感謝する。こんなふうに、親子の会話が自然にできたら、不満はないのに、と思う。
けれど、房子は決まってまた、恭子の心を激しく乱すようなことをしてくるのだ。
それでも房子はしばらくは、恭子への警戒を解いて、いろいろ話しかけてきた。
それから連休が始まって、子供達がつぎつぎやってきた。恭子は掃除や部屋の支度、布団の支度、食事の支度、孫達のお守り、と忙しかった。
するとどうしても、房子にばかり注意を向けていられなくなる。ただただ山盛りの洗濯と食事の用意、孫達の世話に追われていた。
みんなが帰っていくと、ぐったり横になった。誰に言うでもなく、「疲れたぁ」と何度かうめくように声がもれてしまう。
それを聞いて、房子は隣で、ニコッともしないで、
「だろうね」
と言った。
恭子が一日中動き続けているのを知りながら、
「本当に、疲れたでしょう」
なんて、母親らしいことは、絶対に言ってくれない。
「亜美ちゃん大変ね」とか、「久美ちゃん・・」とは言うのに。
房子はきっと、恭子の温かさが100パーセント自分に向いていなければ、満足できないのだろう。房子にとって恭子は、愛情を注ぐ相手ではなく、ただ世話をしてもらう人なのだろう。
房子に温かさを期待しても、自分が傷つくだけだと、また自分に言い聞かせる。ついつい房子へのやさしい気持ちも消えかかるけれど、がまんしなければ、と思い直す。
いくら言っても、食事に呼ぶと、二階から降りてきて、椅子にでんと座る。恭子が盛り付けている間、お茶は自分で入れてね、とあんなに言ってあっても、卓雄や恭子が入れてくれるのを待っている。
足を組んで、椅子にそっくり返って座る。お茶碗をテーブルから離して持ったまま、テーブルの上のお皿から、おかずをおぼつかない箸でつまんでお茶碗に持ってきて、乗せて食べる。そうすると、床にぼろぼろこぼす。
注意すれば、房子は嫌な顔をして、食事のムードが悪くなるから、なるべく言わないでがまんしようとする。
そうしてがまんしていると、やっぱりストレスがたまった。
危うい均衡
幸男と車で訪問して以来、房子は毎日のように、Mさんの名前を口にした。
Mさんから連絡がない、どうしたのかしら、と、気にしてばかりいる。「筆まめな方なのに・・」と。
幸男が房子の携帯に送ってきた写真を、房子が卓雄に頼んで、卓雄のパソコンに転送して、印刷した。
写真を見ると、Mさんは、とてもやさしそうな人だった。耳が聞こえにくいので、電話では、もう話ができない。
Mさんからひんぱんに来る葉書には、きれいな字で、房子がきれいだと、よく書いてあった。「親孝行の息子さん」とも。
房子はそういう言葉に気を良くしているのだろう。Mさんの葉書を心待ちにしていた。
Mさんとは、ごく最近急に交流を持ち始めたというのに、房子は、それまでずっと仲良くしていたTさんのことは、さっぱり言わなくなった。Tさんは、おだやかな人で、恭子も好きだった。
歩けなくなって、リハビリのある施設に移ってから、房子は時々行っていたけれど、その施設で仲の良いお友達ができていたからか、房子はそのうち行かなくなった。
「私があげた高い色鉛筆のことを忘れているようで、娘さんが買ってきたのを使っていた。
あげたのを返して欲しい・・」
と、房子は言った。
結局、房子は自分が一番なのだろう。自分を一番大事にしてくれる人、あるいは、自分に敬意を払ってくれる人にしか、関心がないのだろう。「山上さんは素晴らしい」と評価されることが、何よりの楽しみなのだろう。
自己愛しかない房子を、冷たい人だと恭子は思った。
房子が、Mさんのことを、以前は教会に何でも話せるお友達がいたのに、亡くなってしまって寂しい、と言っていた、と話した。
しばらくしてから、恭子はふと訊いてみた。
「おかあさんの、『何でも話せる人』って、誰?」
房子はずっと沈黙していた。考えていたのか、思い当たらないのか。
「誰だろうね・・・」
とか、言った。
今まで目にしてきた房子の付き合い方は、誰彼なく相手をほめちぎり、自分に好意を持ってもらえば、それで良しの関係だった。
自分の悪い所は決して見せない、表面的な付き合い方だった。それで、房子は寂しくないのだろうかと、よく思った。
「悠一さん?」
しばらく待って、つい言ってしまった。いつも、そう思っていたから。
房子は黙っていた。以前のように、少し硬い顔になっていた。
房子に、思っていることをぶつけると、とたんに雰囲気が怪しくなる。
房子の人柄が嫌いだ、でも、がまんしなくては・・。こういう気持ちが、恭子の言葉の端に出てしまうのだろう。
がまんしよう、とか、房子のひどい所に目をつぶろう、やさしくしてあげようと思っても、限界があった。
直接房子の世話をしていない人達なら、あるいは、デイサービスなどお金をもらうプロの人達なら、やさしい言葉をいくらでも言える。けれど、日々世話をする恭子にとって、やさしい顔で見過ごしてなんかいられないことが、たくさん出てくる。注意もするし、文句も言う。
房子には、それが多過ぎた。しかも、常識を逸脱している。そして、冷たかった。その上、注意をすれば、言い返すのではなく、嫌な顔をして黙るのだ。
こんなこともあった。
ある朝、房子は、施設のショートステイに行っているお友達を訪問する、と言った。休日だったから、卓雄もその場にいた。いや、いたからこそ言ったのだろう。
その施設は隣の駅からタクシーで行かなければならない遠くて不便なところにある。卓雄が何回か送ってあげていた。
いつものことだけど、卓雄の前でこう話されたら、送っていかざるを得ない。房子にもう少し考えて欲しかった。
卓雄に時間があれば、彼はそれほど嫌な顔もしない。けれど、恭子にしたら、自分の母親のことで、いつも卓雄に負担をかけるのも嫌だったし、なにより房子が、それを当然のように思っているところが嫌だった。
こういう時、房子は必ず何かを買って与える。そうして、そのことで、送り迎えの労苦は帳消しにされるのだ。帳消しどころか、買ってあげたでしょ、良かったでしょ、と優位に立つ。感謝どころではないのだ。それが気に入らなかった。
物なんか、何も買ってほしくない。ただ、助かったわぁ、ありがとう、と笑顔で言ってくれたら、それだけで満たされるのに、いくら言っても房子には分からない。
その日は、房子は施設を訪問する前に、お友達にお土産を買うついでに、やはり、卓雄に果物や漬物をたくさん買って持たせていた。
帰りは、最寄りの駅で買い物をするというので、今度は恭子が自転車で駅まで行った。
大した量ではなかったので、自転車のかごに乗せて、房子をバス停から乗るまで見送った。勿論、ありがとう、などという人ではなかった。
その日のことを付け加えるならば、恭子は少しおもしろくないこともあった。
その日、恭子は何年かぶりに、美容院でパーマをかけてきていた。
帰ってきた房子に、
「どう?」
と訊いてみると、房子はかんばしくなさそうな顔で、
「セットしたの?」とか、
「濡れたままで帰ってきたの?」
と言う。嫌な感じだった。
若い頃、房子はひっきりなしにパーマをかけていた。少し伸びるとカットして、またパーマをかける。そういう房子をずっと見てきた。
「美容院で、セットもしないで帰るわけがないでしょう」
と恭子は気分が悪い。何を言っているのだろう、と思う。すると房子は、意地が悪いとも思えるとぼけた顔で言う。
「今様のは分からない」
要するに、良くない、と言いたいのだ。
それなら、そう言えばいい。もう少し、ここをこうしたら、とか。言い方もあるだろう。
こういう小さなやりとりで、気持ちがささくれ立った。
房子に注意したいことは、たくさんあった。
例えば、房子はエアコンをつけた自分の部屋で、カーディガンを着ていることがよくあった。エアコンをつけて、扇風機を回して、綿毛布をしっかりかけて寝ている日もあった。
暑いなら、エアコンをつけてもいいけれど、まず涼しい恰好をしてからにしてほしい。けれど、そんなことを少しでも言うと、房子は過剰反応をして、エアコンをつけてはいけない、と思い込む。他人にも、そう言いつける。
あるいは、ずっとつけていたのに、「今つけた」と嘘を言う。
例えば、房子は相変わらず、驚くほど膨大な贈り物が、止められない。お中元の季節になると、房子に段ボールにいっぱいのお茶が届く。
また始まった・・、と恭子はため息をつく。
段ボールの中には、きれいに包装した箱がぎっしり詰まっているのだ。
余裕のあるお金にまかせて、あちこち送るのにも困ったものだったが、相手がお返しを贈らなければならない場合、お年寄りなら、かえって面倒をかける、と卓雄とふたりで言っても、房子は顔をしかめて黙るだけだった。
例えば、「はい」と言うだけの、房子の感情のない返事も、相変わらずだった。
朝、房子が起きてきて、恭子が台所で房子の食事の用意をしていると、洗面所で房子が何か言う。よく聞き取れないので、何度も訊き返すけれど、房子は小さなこもった声で繰り返す。他人にはもっと大きな声でがんばるのに、甘えているのだろう。
「おかあさん、声が小さいから」
と言うと、房子は硬い表情で、
「はい」
とだけ言う。いつもそうだった。何を言っても、感情のない声で、「はい」。
「え、そう?」とか、もっと人間らしい答え方があるのに、と思う。
どれも、ささいな出来事ではあった。けれど、房子が嫌な顔で黙り込むたびに、ささいな事が暗く積もり、キリキリと胸を刺した。
話ができない房子と、ひとつ何かあるたびに、関係は悪化した。
それでも、そんな房子に対して、日曜日に時間が空くと、どこかに連れて行ってあげたい、などと、恭子は心を変えているのだ。
その日曜日は結局、いろいろ考えた末に、群馬県にある富弘美術館を思いつき、卓雄も賛成してくれて、車で出かけた。
この美術館に、房子はたいそう喜んだ。卓雄も意外なほど喜んでいた。恭子はずっと以前に訪れたことはあったけれど、建物は、その時より広くきれいに建て替えられていた。
展示してある作品は、どれも素晴らしく、心を洗われるもので、三人でじっくり観た。
房子はご機嫌だった。美術館でのお金はみんな恭子達が払ったけれど、夕飯をごちそうしてくれる、と言った。
ごちそうなんかしてくれなくたって、うれしいとか、楽しいと言ってもらえれば、恭子達の気持は充分満たされる。
滅多に見ない房子の喜んだ顔を、いつも見たい、と思った。
ケアマネの大田さん
ケアマネージャーの大田さんは、40代くらいに見える整った顔の人だった。
ケアマネは、月一回は介護のプランをたてるために家に来る。介護のミーティングの招集もかけるし、介護用品でも、ショートステイでも、何でもケアマネに相談する。介護家庭にとって、大事な連絡窓口だった。
恭子は分からないことを大田さんに訊いたし、相談をした。房子は高齢者であり、自分中心で、時々不確かなことや違ったことを言う。当然自分が対応するものだと思っていた。
ところが、房子は勝手に大田さんに連絡をして、時々、恭子が知らない話を決めていたりした。
他の誰に対してもそうするように、房子は自分が冴えていることをアピールするものだから、九十二歳だというのに、達者だと思わせてしまうのだ。大田さんは、房子を信じて、何でも房子と直接連絡をとった。
房子が携帯電話を持っていることの弊害でもあった。
大田さんが、打ち合わせの日に、少し早めに家に来たことがあった。房子がまだデイケアから帰っていなかった。
待っている間に、大田さんが、今までひとりでがんばってきた話をして、房子が立派だと言った。また房子が、都合の悪い話は全然しないで、自分に都合良く、立派な人間に見える話ばかりをしたのだろう。またあの、いかにもへりくだったように見える口調で、上品に言いまくったのだろう。
房子は、周りにいる人達すべてに、自分を立派な人に思わせたいのだ。
あんまりなので、家事も子育ても、親の面倒を看ることも全然なかった話をしたら、大田さんは、
「え~、そうなんですかぁ」
と、一応驚いた声を出した。
大田さんに、房子の外と中の実態が違う様子も話した。
どこまで信じたのか、分からない。
あの、外で作るやさしい顔を見たら、他の人同様、房子の方を信じてしまうのかもしれない、と思った。娘でありながら、ムキになって、真実を伝えようとする恭子を、きっと良くは思わないのだろう、と思った。
そして、案の定、それから、大田さんは、集まりの日を決めるのにも、房子の携帯に電話をしたり、メールをしていた。
集まる日に、テーブルと椅子を用意して、接待をするのは恭子だ。恭子の予定を訊いてくれなければ、決められないはずだ。
日頃の房子の様子、体の具合も、九十二歳で、時々ボケたことを言う房子本人に訊いても分からないことが多い。
それなのに、恭子に訊かないで、房子とだけやりとりをして、決めてしまうことに、恭子の心は波立った。
房子は、自分さえ立派に見えればいい人だった。恭子を貶めても。
大田さんが、恭子ではなく、房子を信用しているのが、ありありと分かった。
介護度をチェックして、看護認定をするために、大田さんが来たことがあった。
房子は相変わらず、階段をはあはあ言いながら、這うように上っていた。恭子も片手を持ったり、上から引っ張りあげたり、手伝おうとするけれど、その時々で、喜んだり、痛い、と叫んだりするものだから、どうしていいか、困っていた。
ところが、大田さんが見に来たその日、房子はなんと、すっすっと階段を上がって見せたのだ。これにはびっくりした。
今までの房子のあの辛い様子は、なんだったんだろう、と、あっけにとられた。
体の自由が利かなくなるほど介護度は上がる。介護度が上がるほど、料金は高くなるけれど、利用できるサービスが増える。だから、本当は、そんなふうに階段を楽に上ることを見せない方が得なのだ。第一、房子は普段、そんなふうに階段を上れたことは一度もない。
この年齢で、階段が、辛くないわけはないから、多分、這うように上るのは本当だろう。
けれど、いざと言う時に、元気なふりができてしまうことが驚きだった。気の強さ、といういうか、見栄っ張りというか、根性なのだろうか。
大田さんには、房子がデイケアから帰ると、くたびれて死んだようになっている、相当無理している、とメールで状況を伝えたこともあった。
すると、
「いくらでも愚痴はお聞きしますよ」
のような返事が送られてきた。
『愚痴』という言葉にショックを受けた。
『愚痴』という言葉に、蔑みを感じた。
外での房子を観ている人に、家の中の房子をどんなに分かってもらおうとしても、無理なのだ、と自嘲した。
それ以来、恭子は大田さんに相談することを諦めた。
掃除
房子の部屋は、家中で一番日当たりが良く、一番広い部屋だった。八畳くらいの板の間で、作り付けの収納スペースがいくつかついている。
ベッドと机、テレビ台、タンス、ソファーなどを置くと、スペースはだいぶ無くなってしまうのだが、それでも房子は持っている
物が多いので、しまうためのカラーボックスをいくつか、と、衣料品のためにテナーを積み上げ、開きの中に入りきらない服のためにハンガーラックを置いている。
房子がここに押しかけてきた時を含めて、部屋の大きな片づけは何度かやっていた。あんまり物があふれて、場所が無くなるので、整理したり、片づける場所を替えたり、収納する物を増やしたり、その都度数日かけて汗だくになってやった。
房子の部屋の片づけを、卓雄に手伝ってもらうわけにはいかない。恭子がやるしかないのだが、房子はいつも、部屋の片づけ、掃除を強硬に拒んだ。
何でも積んでおくから、歩くスペースもなくなるし、つまづいて転んでも危ない。
恭子だって、そんなに大変なことをやりたくはないけれど、思い余って言うと、房子はいつも、
「明日やるから」とか、
「@@が終わったら」
と、先延ばしにする。
デイケアから帰ってきた房子に、怪我をしてからじゃ遅いから、今やろう、と声をかけると、じゃあ、今やってくると言って、二階に上がっていった。恭子にやってもらうのが、よっぽど都合悪いようだった。
いつも少しずつ片づけていればいいのだけれど、房子にはそれができない。いっぺんに大片付けをしようとしても、そんな体力はないのだ。
衣類もひとりでしまいたがるので、洗って畳んだ洗濯物をベッドの上に置いてくると、房子はその上に、外出着のままひっくり返って眠っている。畳んだ洗濯物がぐちゃぐちゃだった。
ある時、房子が、ハンガーラックがもうひとつ欲しい、と言った。ジャケットやスーツ、コートなど、あまりにたくさんあり過ぎて、物入の中の吊るスペースとハンガーラックひとつでは収まりきらないらしい。
ハンガーラックは、留学生が使っていた部屋にもある。それを何とか持ってきてみたが、今度はそれが邪魔で、ドアが開かなくなってしまった。
そのためベッドの位置や向きを替えることになった。けれど、家具がめいっぱい置いてある部屋の中で、ベッドの向きを替えるのは大変だった。家具を、あっちへやったり、こっちへやったり、少しずつ動かしていくしかなかった。
そうして動かした新しい場所で使いやすくするために、結局、最終的にすべての家具の配置を替えることになってしまった。
入っていた中身も移し替えなくてはならない。その場所で使いよくするために、それぞれ整理して移動する。大変なことになってしまった。
あちこちから凄まじい埃とゴミが出た。とにかく汚かった。いちいち掃除機をかけ、ダスキンをかけながらの、気の遠くなるような作業だった。
部屋一面に、何かが置かれたり、散らかったりして、足の踏み場もない。いくつも積んである段ボール箱を開け、整理して、処分していった。そこら中に置いてある紙袋も整理した。中から、毛糸などに交じって、紙くずや丸まったティッシュ、埃がいっぱい出てきた。
出窓のドライフラワーが、粉になって散らかっていた。積んである空箱は、片っ端から処分。本も整理した。
廊下にゴミを積み上げて、それを階下に運んでいく。階段を何往復もした。
そうやって恭子が掃除をしている間、房子は椅子やベッドに腰かけて、ずっとおもしろくない顔で見ていた。
ところが、階段の往復が一段落して見に行くと、房子はなんとパソコンを開いて、カードゲームに興じていた。
それまで置く場所がなかったので、房子はパソコンを膝の上に置いてゲームをしていた。けれど、それでは不安定だし、危ないので、別の部屋からテーブルを運んで、その上に乗せてあげた。
そうして使いやすくなった所で、ちゃっかりやっているのだ。休んでいるか、片づけているか、だとばかり思ったのに。
房子がやらなければならないことは、たくさんあった。ベッドの上には、クリーニング屋から運ばれた衣類が山積みになっている。
「やりたくなっちゃったから・・・」
房子は悪びれもせずに言った。
翌日は、ついでに机の周りを片付けた。房子はやはり嫌がっていたけれど、強引にやっていった。
机の上にはいつも絵手紙の道具がいっぱいになっていたし、さまざまの物が置いてあって、手がつけられない。
机の下にためてあった袋類、紙類、本、雑誌を徹底的に片づけた。どれも、どかすとゴミや埃がでてくる。虫がわきそうだった。
前日は力仕事だったけれど、その日はまた、かなり疲れる仕事だった。
驚くほどのゴミが出て、玄関に山のようになった。
房子の部屋はかなりきれいになり、机の上も、タンスの上も、すっきりして、使いやすくなっていた。
ところが、恭子が後で見に行くと、衣服はやはり片付いていなかった。さっと掃除しただけで、まだ埃があるだろう床の上に、衣類がばらまかれていた。全部きれいに洗った物だ。目をおおいたくなった。
恭子が手伝うと言うと、ゆっくりやるから、とか、人にあげる物とかを整理しながらやる、と言って、やらせない。見ていられなかった。
その後、ベッドの向きを替えたので、そばに置いたテナーの下ふたつが開かないというので、また少し配置替えをすることになった。
ベッドの下のカーペットがよれてしまったので、気になっていたのだが、卓雄に頼んで引っ張ってもらった。
卓雄は部屋を眺めて、
「おかあさん、机の下のこんなの、捨てた方がいいですよ」
とか、いろいろ言い出す。
ここまでやった苦労がどれほどだったか、分かっていない。もう余計なことは言わないで、と卓雄に釘をさした。
それからまた、だいぶ経ってからのことだった。房子の部屋はやっぱり散らかっていた。
散らかっていることだけでなく、恭子は房子のパソコンの場所が気になっていた。
パソコンは、以前片づけた時から、小さなテーブルの上に乗せてある。けれど、そのテーブルが低いものだから、パソコンをしている房子を、電話などで呼びに行っても、すぐに立ち上がれなかった。
房子は四つん這いになって、何かにつかまって立ち上がろうとするけれど、かなり時間がかかる。電話はこちらからかけ直す、と言って切ることが何度かあった。
それで、恭子はパソコンの場所を替えてみた。テーブルをやめて、カラーボックスを横に倒して、その上に置いてみる。すると、パソコンの高さがちょうど良くなって、使いよさそうだった。
歩くスペースも、また無くなっている。房子が自分であちこちつなげたコードなども、足にひっかかりそうで危なかった。
そこで、結局また片づけ、掃除を始めることになってしまった。
とにかく房子は何でも出しっぱなしにする。床の上には空箱があちこちに置いてあって、その中に毛糸や折り紙、レシートなど、ゴミのように、ごちゃごちゃに入っていた。
房子は、時々は自分でも片づけてはいた。けれど、やっぱりベッドに座って、恭子が何をするか、じっと見ていることが多かった。
そうしてやっと部屋が片付くと、房子は新しい場所でパソコンをやり始めた。
ところが、パソコンの碁の「対局ゲーム」が出てこない、と房子が言い出した。恭子はそういうメカが苦手で、よく分からない。けれど卓雄がいない時だったので、恭子がやってみるしかなかった。あちこちいじりながら、時間をかけて、やっと何とか出すところまでこぎつけた。ほっとした。
結局、そんなことをしているうちに、その日、かなりの時間を費やしてしまっていた。
けれど、その日の夕飯の時のことだった。
「どう、碁はできた?」
と恭子が訊くと、房子は、ゲームがやっぱり出ない、とか、すぐ止めた、とか、気のない顔で言った。全然喜んでいない様子だ。あんなに時間をかけたのに、とがっくりだった。
部屋の様子を訊くと、房子はそれには答えず、
「お礼は16日まで待ってください」
と、ニコッともしないで言った。十六日とは、房子の年金支給日の翌日だ。
なんてことを言うんだろう、と恭子はなおさらがっくりする。また、いつもの「お金」「物」だ。
こんなに他人を喜ばすことが下手な人って、いるだろうか。いや、他人ではない。恭子にだけだ。房子は他人には、少しのことにもお礼の言葉を並べ立て、これ以上ないほどうれしい顔をしてみせるのだから。
「お礼とかじゃないのよ。ありがとう、おかげで助かった、と言って喜んでくれたら、それだけでうれしいのに」
言っても分からない人に、言ってしまう。
旅行に行きたい
昼食時、携帯電話で誰かと話していたらしい房子が二階から降りてきて、テーブルにつくなり言った。土曜日で、卓雄はその日は会合ででかけている。
「T子さんが、また京都に行くんだって」
房子の声が珍しくはずんでいた。羨ましさ
がにじみでている。
T子さんは、去年だったか、仕事で普段忙しい娘さんが休みをとって、車に車椅子を積んで旅行に連れていってくれたことがあった。
車椅子の移動なので、それほどいろいろはできなかったらしい。でも、今年もまた連れていってもらうのだろう。
「おかあさんも行きたい?」
思わず訊いた。
すると、房子はすかさず、
「うん」
と言った。こんなに素直な房子を見るのは珍しい。よっぽど羨ましかったのだろう。少女のようだった。
こういう房子に、恭子は弱い。
「どこへ行きたいの?」
「何がしたいの?」
と訊いてしまった。
多分、房子には特別行きたい所があるわけではないのだろう。とにかく羨ましかったのだ。
「温泉がいいね」
と、房子は乗ってきた。次々温泉の名前をあげた。温泉なんて、房子は有名なところは、ほとんど行き尽くしているのだ。
そのうちに、九州の話になった。
「八日間くらい行ける?」
房子が言い出して、びっくりした。
「無理無理無理・・・」
尻込みしながら、恭子が言った。
まさか、そんな話になるとは思ってもみなかった。すべての仕事を放って、そんなに長い間、家を空けられるわけがない。
それに、よろよろした房子を連れて、一日だって疲れ果てるだろうに、なんて気楽なことを言うのだろう、と思った。
要するに、房子は自分がお金を出せば、何だってできると思っているのだ。普段から、自分のためにこちらがしている労苦など、何も考えていない証拠だった。
それに、話の感じでは、房子は驚いたことに、卓雄を抜きに、恭子とふたりだけの旅行を考えているようだった。
卓雄がどう思うだろう、と思った。
房子の介護旅行に、同行したいだろうか。ふたりで行ってきたら?と言うだろうか。それとも、置いていかれたら、寂しいだろうか。
どちらもありそうだった。
昼食後、スマホで旅行のサイトをいろいろ調べてみた。お金さえかければ、行けないこともないような気がする。
房子も二階から、旅行のパンフレットを何枚か持ってきた。
けれど、夜になって久美に電話で話すと、
「おかあさんも弱いね」
と笑いながら、冷静な声で言われた。
「気持ちは分かるけど、大変だから、どこか近い所に行ってきたら?」
日頃房子の愚痴を言うのに、気分で流される恭子を冷やかされている気がした。
冷静に考えれば、久美の言う通りなのだ。
きっと、ものすごく大変だし、いつもの通り、房子は当たり前の顔をしているだろう。自分がお金を出して、連れて行ってあげている、くらいに思うのだろう。
伊勢に行った時のように、房子に尽くして、体を壊しても、冷淡なのだろう・・・。
いろいろ思い出すと、すっかりテンションが下がってしまった。
どうして自分は懲りないのだろう、と恭子は思う。素直な房子に接すると、コロッと気持ちが変ってしまう。
「T子さんが、また京都に・・・」と言った時の子供っぽい房子を思うと、なんとかしてあげたい、と思ってしまうのだ。
迷っている恭子に、翌日子供達を連れて家に来た久美が言った。
「おばあちゃまは、あちこち、もうたくさん旅行してるじゃない。気持ちは分かるから、どこか近くで・・・」
そうだよなぁ、と思う。歩くのも、手をひいて、よろよろと。お風呂も寝るのも大変だ・・。
前の晩に、酔って疲れて帰ってきた卓雄も、行きたくない、と言っていた。ふたりで行ってきたら、とも言わなかった。
結局、その旅行の話は立ち消えになった。房子に夢を持たせてしまって、悪かった、と後悔した。
ところが、それからしばらくして、また旅行の話が再熱してしまったのだ。
その日も、卓雄が日帰り出張に行って、房子とふたりきりだった。
昼間、恭子がダイニングでふと、幼い頃お世話になった親戚のおばさんに会いに行きたいという話をした。そのおばさんは、伊勢の佐和子さんの妹であり、房子だって昔から付き合いがある。
けれど、房子は、それなら私は伊勢に行ってあげたい、とまた言い始めた。
最初の伊勢への旅行の後、房子は何度もそれを言い出していた。
そのたびに、恭子は、あんなに大変で、自分も体を壊したのに、もう無理だと言っていた。恭子にとって、辛く、悔しい思い出だった。
しかし、房子には恭子の言葉など、まるで届いていない。あんなに恭子に冷酷なことをしておいて、罪悪感も感謝も、これっぽっちもないのだろう。
自分のことしか考えられない房子は、何度でも平気で伊勢の話を言い始め、恭子が行けない、と言うたびに嫌な顔をした。
幸男に行ってもらったら?と言っても、頼めば行ってくれるけど、と言うばかりだった。
恭子が特に不快なのは、房子の「伊勢に行ってあげなければ」という言い方だった。いつもそういう言い方をした。「行きたい」とか、「連れて行って欲しい」という言い方は決してしない。「行ってあげる」どころか、自分こそ、家族の助けが必要な老人であることが、房子の頭にはないのだ。
そんなふうに、家族を使ってでも無理をしようとするのは、佐和子さんに対するやさしさ、と言うより、自分を良く見せるためのパフォーマンスでしかない、と思った。
その日も房子はまた伊勢に行ってあげたい、と言い出したのだが、その時の雰囲気で、まんまと房子のペースに乗せられてしまった。
車じゃ大変だから、新幹線なら、とか言いながら、スマホでツアーの料金まで検索してしまった。房子もまた、二階から宿のパンフレットを持ってきた。
その日は、恭子は亜美の所に行ってあげたいと思って、仕事を一日開けてあった。それで少し、気持ちがゆるんでいたのかもしれなかった。
ピアノがあるから、この日か、この土曜日、一泊しかできない、と言うと、恭子はあちこち行きたい所を言って、夢をふくらませた。
でも、佐和子さんのお見舞いがメインなら、あちこちは行けないでしょ、と恭子。
卓雄がなんと言うか分からない。一緒に行くなら、現地でレンタカー。ふたりだけなら、タクシーで。
卓雄に、そんな疲れる旅に行かせるわけにはいかない、と思った。房子のための介護旅行だ。
しかし、房子はそんなふうに思っていない。お金を出して、行かせてあげる、くらいに思っているのだ。
その証拠に、
「じゃあ、この日行こう!」
と房子が言った。恭子は唖然とした。
「じゃあ、この日、お願いしていい?」ではなく、「この日行こう!」なのだ。
夜帰ってきた卓雄に話をしたら、案の定敬遠していた。「行きたくない」と、はっきり言った。
深夜房子の部屋に行って、その話をしたら、房子は暗い、嫌な顔をした。
「卓雄さんは、私がわがままを言っていると思っているのかしら」
そうだ、と言いたかった。けれど否定した。
「ほんとに大変なことになるし、あちこち行けない。荷物を持って、手をひいて電車を乗換えることを思うと・・。
だいいち、佐和子おばさんが、どういう状態か分からないでしょ。もう、おかあさんの顔も分からないかもしれない。行ってあげた、なんていう気持ちだと、がっかりするかもしれない。そりゃぁ、来てくれてうれしいでしょうけど、向こうだって、九十二歳の老人を迎えて、大変なことになる。大騒ぎはさせたくない。」
房子はろくに聴いていなかった。伊勢にはそっと様子を聞いてみる、と、恭子は房子に言った。
ところが、房子は翌日勝手に佐和子さんの娘に電話をして、行く日にちまで言ってしまったのだ。
いろいろ考えているうちに、恭子はとても気が重くなってしまった。
久美と亜美に会った時に、その話をすると、ふたりはびっくりして、真剣に止めた。
「お願いだから、止めてちょうだい。無理でしょう。体を壊すよ」
「そんなことをしたって、報われない。感謝もされないし、行ったことすら忘れるよ」
「でも、もう言っちゃったのよね・・」
「私達が行ってあげようか?」
そんなこと、できるわけがなかった。
でも、もう遅い・・・。
久美達にも言われて、いろいろ具体的に考えて、恭子は眠れなくなってしまった。
ほんとに無理な話だ。やめたい。でも、今さら・・・。
どうして自分は房子に弱いんだろう、と情けなくなる。房子のことを嫌っているのに、ふとした瞬間の恭子の心の隙間に、房子はするっと入り込んでくる。
けれど、その翌日、恭子はとうとう勇気を出して、房子に言った。
久美達に言ったら、やめてほしい、と言われた。心配された。喜ばせて悪かったけど、伊勢は無理・・・。
絞り出すように言った。辛かった。
房子は勿論、暗く、硬い顔をしていた。そして、子供達が心配するなら・・・、と小さな声で言った。
房子の部屋を後にしながら、胸の中に苦いものが込み上げた。ひどく後味が悪かった。
結局、どんなに苦しんだからと言っても、最後に残るのは、「してくれなかった人」という恭子の悪いイメージなのだ。ばかだなぁ、とやりきれなかった。
介護の集まりの時の房子
房子との関係は全く好転していなかった。
けれど、弱々しい房子を見ると、やさしくしなければ、と思い直し、素直な房子に接すると、何でもしてあげたいと思う。房子の心根の悪さを心底嫌っているのに、房子の態度によって、いちいち心が揺らぐ。そうやって房子に振り回される自分が、恭子ははがゆかった。
房子は暗い顔をして、ほとんどしゃべらずに朝食を食べることがよくあった。けれど、他の人には、まったく違う顔を見せた。
その日は、房子の介護の人達の集まりがあった。新しい担当の人のチェックで、房子の介護度が要支援から要介護にレベルアップして、そのための集まりがまた持たれたのだ。
三時に、ケアマネの大田さん、ケアセンターの男の人、福祉用品のふたり、そしてもうひとり男の人の計五人がきた。
集まりの前に、恭子はダイニングの床が汚れているので、雑巾がけをしたり、玄関、洗面所、トイレなどをざっと掃除していた。
椅子が足りなかったので他の部屋から運び、アイスコーヒーのコップや敷物の用意もした。
暑い日だったので、そこまで準備すると、恭子は汗だくになった。
房子はいつものように、午前中にマッサージをしてもらって、のんびりしていた。
時間になって、五人も集まったので、恭子は慌てた。狭いダイニングに、いっぱいいっぱいだった。
卓雄が作ったアイスコーヒーは好評だった。
五人のお客が食卓の周りに狭苦しく座って、笑顔でグラスを傾ける。房子はその間に入り、恭子は場所がないので、隣の居間との境に椅子を持ってきて座った。
しかし、ミーティングが始まって、びっくりした。房子はまったく別の顔になっている。
にこにこして、よくしゃべった。それも、少女のように、トーンが高い。
「・・・なのよねぇ」
「そうそう!」
「ねぇ~!」
と楽しそうに、快活にしゃべった。
普段の房子とはまったく違う人になっていて、心底驚く。
おまけに、
「私、何かご迷惑をかけているかしら・・?」
などと、突然、わざとらしく訊く。強く否定されるのが分かっていて、その答えを聞きたいのが見え見えだった。
案の定、センターの眼鏡をかけた若い男の人が、
「いえいえ、とんでもありません。山上さんは、とても立派で・・・」
と、誉め始めた。この男の人は、見るからに、やさしそうな人だった。
「山上さんに、みなさん憧れています・・」
そして、
「新しく入った方のところに、話しに行ってあげたり・・・」
開いた口が塞がらない、とは、このことだった。恭子がまるで知らない、別人格の房子がいた。暗くて、硬くて、しゃべらない房子が、そんなことをやっているんだ・・・、とびっくりした。
別人格の房子は、上品な口調で、ぺらぺらと、いいことばかり言った。
「私は好き嫌いがないので・・・」
あんまり嘘ばかり言うので、恭子は、
「おかあさん、いつもと全然違うじゃない・・・。いい子になり過ぎ・・」
と、口をはさんでしまう。
どうしてありのままを見せないんだろう。どうして嘘をついてまで、きどるんだろう。恭子はますます房子が嫌いになる。
けれど、恭子がそんなことを言ってみても、説得力がなかった。介護の人達は、房子の演技に完全に洗脳されている。立派な人、完璧な人、何でもできる優秀な人、上品な人・・・と。恭子が何を言おうと無駄だった。
恭子が、房子が夜更かしをすることを言うと、
「夜、何をされているんですか?」
センターの人が訊いた。
すると、房子は、
「碁盤を見つめていたり・・・」
と、また上品な口調で言う。
え~!、テレビをつけっ放しで、口を開けて眠っていることが多いのに・・、と唖然とする。
センターの人は、
「あ、訊くだけやぼでした」
と苦笑いをした。
房子はセンターで、テレビで教育番組を観ている、とでも言っているのだろう。
「夜はよくテレビをつけて居眠りを・・・」
と恭子が言うと、房子は、誰の話をしているの?とでも言うように、首を傾げて見せた。
恭子が少しでも本当のことを言おうとすると、知らんぷりをしたり、
「厳しいからねぇ」
と否定するように言って、周りに同調を求めた。
いつもとはまったく別人格の房子がそこにいた。仮面をかぶった他人だった。
そこにケアマネの大田さんが、待っていたかのように言い出した。
「お風呂のことなんですが・・・」
え、お風呂?と恭子はびっくりした。
房子が、家ではシャワーなので、センターに行った時に入りたい、と大田さんに電話をしたのだと言う。
恭子の前なので、まずいと思ったのだろう、房子は、
「言えば《風呂に湯を》入れてくれるんですけどね・・・」
と、あわてて言った。
房子がそんなことを直接ケアマネに電話して言っていたなんて、初めて知ったことだった。
夏なので、卓雄も恭子も湯に入らない。ずっと房子ひとりのために浴槽に湯を入れてきていた。でも、それがあまりに勿体ないので、時々シャワーにしてもらっていたのだ。それを、ケアマネにこっそり頼むなんて、いかにも家人が冷たいようではないか。
房子が、恭子の知らない所で何をしているか分からない、と思った。嫌な気分だった。
一方、終始誉めまくられた房子は上機嫌だった。
話し合いが終わって、恭子が外に出て彼らを見送るのを、房子は玄関の回転窓を開けて覗き見ていた。外で、恭子がこっそり何か都合の悪い話をしないか、見届けているようだった。
そして、何事もないことを確かめると、房子は誰かに電話をかけていた。
「全然いらっしゃらないので、さびしいわぁ・・・」
「あなたが見えないと・・」
房子は最高級の上品な口調でお世辞を言い続けている。気分が良くて、調子に乗っているのがよく分かる。
電話している相手は、なんと、センターで房子が最も苦手としているH子さんだった。H子さんは、センターの古株の方で、房子より確かひとつ年上だ。頭がいいし、他のあちこちのテーブルに行っては、いろんな人と話をしている、と言う。
いつも敬遠しているH子さんにまで、わざわざ電話をして、褒めたたえることを言っているなんて、いい気分のついでに、一パーセントの取りこぼしもなく人気者になりたい房子の気持ちが伝わってくる。すべての人から好かれたいのだ。
ダイニングの椅子に座って、嬉々としてしゃべり続ける房子を見て、恭子は不快な気分だった。
胃カメラ
房子は食事の時によく食べたものをつまらせる。毎回途中で食べられなくなったり、食卓でグエグエと嫌な音をたてて吐き出そうとしたり、ティッシュを何十枚も使って粘液
まじりの物を口からぬぐい取る。
それは、見ていてもかわいそうだと思う一方、前かがみになって食べる姿勢の悪さを注意したりしてみた。
けれど、房子はがんとして何も聞き入れず、食道か胃がおかしいと言い張り、結局、内科で胃カメラの検査をすることになった。
恭子はその検査の付き添いを頼まれていたのをうっかり忘れて、亜美の家に手伝いに行ってあげようと思っていたので、どうしたらいいかと思案に暮れていた。
亜美の夫はまた海外への出張に行っているので、小さな子供達を抱えて、大変なのが目に見えていた。亜美の家までは遠いので、一泊して胃カメラの当日に帰ってくるとしても、かなり強行軍だ。けれど、恭子は無理をしてでも、亜美の手伝いに行ってあげたかった。
ところが、その話をちらっと房子に言うと、房子は勝手にケアマネの大田さんに電話をして、付き添いを一時間3千円位で頼めるようだから、4時間で1万2千円、それで済むから、亜美ちゃんのところに行ってあげて、と言った。
そんなお金を払おうと思っていないことは今までの房子を見ていれば分かる。伊勢への旅行をまた何度も言い出すので、久美達が調べてくれて、お金を払えば好き添いのサービスがあることを伝えても、房子は「勿体ない」と言って、とりあわなかった。
病院の有料の付き添いの話だって、きっと恭子に言ってみただけだ。ケアマネに、娘や孫を思いやるふりをして、恭子の顔をつぶしただけだった。
房子はどうしてこうも、ことごとく、自分で勝手にケアマネと連絡をとってしまうのだろう。そして、ケアマネも、どうして高齢の者の言うことを聞いて、家族に事情を確かめようとしないのだろう。
伊勢の付き添いを「勿体ない」と言って断った話をすると、房子は、「そうね」と言って、病院の付き添いの話を簡単に終わらせた。案の定だった。
胃カメラの前夜、恭子はやはり亜美が心配なので、仕事を終えてから、泊まりに行ってきた。たった一泊だけの、本当に強行軍だった。
子供がたくさんいるから、洗濯も山のようだったし、食事も大変だ。おまけに大きな犬の散歩もある。そのうえ、その日、亜美は幼稚園の「お祭りごっこ」の係にもなっていた。亜美が大変だと思うけれど、小さい子を下に抱えた母親は他にもいるから仕方がないらしい。
亜美の家に泊まった翌朝、恭子は朝食も食べずに彼女の家を飛び出した。駅まで遠いし、電車に乗って、恭子の家の最寄り駅まで、乗り換えて一時間半くらいかかる。ホームの石のベンチで、途中の店で買ってきたサンドイッチを食べた。
七月に入って、ものすごい暑さだった。亜美の家でよく眠れなかったこともあって、体が少し辛かった。
やっと最寄り駅についても、家に帰っている時間がないので、卓雄に頼んで房子を車で連れてきてもらった。
スーパーの前で房子を受け取って、病院までのわずかな距離をふたりで歩いた。頭の上から、じりじりと日が照りつける。よりによって最高に暑い日だった。
ふたりがかりでそんな大変なことをしていても、房子は勿論恭子達に、ねぎらいの言葉をかけるわけでもない。これから受ける胃カメラのことしか、房子の頭にはないのだろう。恭子に手を取られて、房子は無言で歩いた。
病院の待合室では、長い時間待たされた。この、ただただ座って待っているしかない時間は、いつもながら、きつかった。
それでも、房子が検査室に呼ばれると、付き添いは、麻酔から覚めるまでの二時間弱、帰ってもいいと言われた。房子に四時間と言われ、覚悟をしていたので、助かった、と思った。
それから、一度家に帰っていた卓雄を電話で呼んで、駅前で一緒にラーメンを食べた。もう一時近くになっていた。急いで食べて、またふたりで自転車で家に向かう。太陽が容赦なく照りつけて、ふたりとも自転車ごと溶けて、アスファルトの上の黒いシルエットになってしまいそうだった。
けれど、そうして家に帰って疲れた体を横たえても、房子を迎えに行く時間はすぐに来る。恭子は重い体をなんとか起こした。
再び病院に行って医師の説明を受けたが、結局、房子の喉にも胃にも、異常はなかった。
四十代に見える男性の医師は、食べる時によく噛むように、と房子に言った。気持ち次第だとも言った。
それでも、房子が納得しない顔だったのでか、医師は「胃薬」を処方した。喉や胸につかえると言うのに、胃薬なんて、と恭子は思ったけれど、薬をもらったことで、房子は若干満足したようだった。
調べる前から予想がついたこととは言え、結局何でもなかったのに、房子はケロッとしていた。
どうもありがとう、お騒がせしました、なんて言葉は、房子の口から決して出ない。恭子達の休日を、こんなふうにつぶしておきながら、なんとも思っていないのだ。年寄りなのだから、当たり前、くらいに思っているのだろう。大騒ぎして、心配してほしいのだろう。
その翌日も、房子はやはり暗かった。朝食の時も、いつもとおなじ、しゃべることはなかった。
その日、房子は午後から絵手紙の先生達と集まってお茶を飲んできた。すると、家に帰る前に房子から電話があった。房子は家の近くの酒屋さんの前にいた。
「何かお酒を買って行こうと思うんだけど・・・」
「え? いい、いい・・・。給料日《年金の日》でもないのに、お金を使わないで・・」
恭子はびっくりして言った。
房子は二ヶ月に一度、年金が支給されると、万札を何枚もおろす。そして、そのお金をふんだんに使う。必要経費の要らない房子にとって、大金が入るその日は、欲しかったおもちゃが手に入る子供のようにうれしい日だった。
けれど、その日は、年金の日でも何でもない。急にどうしたんだろう、と思った。朝はあんなに陰気だったのに。
恭子がお酒を辞退すると、房子は、
「じゃあ、夕飯を食べに行こう。恭子ちゃんの好きな〇〇にでも・・・」
と、和食のチェーン店の名前を言った。
何?急に? 朝のあの不機嫌さ、陰険さはどこに行ったの? おまけに「恭子ちゃん」だなんて・・・。
房子はごくたまにそういう呼び方をすることもあった。そういう時は、親しげに響くけれど、むしろその逆のことが多い。わざとらしかった。
「亜美ちゃんところに行かないで、病院に来てくれて・・・」
昨日のことを、急に一体どうしたというのだろう。今朝だって、お礼どころか、あんな態度だったのに。本当にありがとう、と思うなら、その場ですぐに言うはずではないか。
恭子は、食べに行く話も、そんな贅沢をしなくても、と断った。なんだか喜べなかった。
帰ってきた房子に、恭子はいつもと同じ言葉を言ってしまう。「物」ではなく、喜んでくれる気持ちで報われるのに、と。
ついでに、外にばかりいい顔をしないで、身近な人(家族)をもっと大事にして、と言ってしまった。いざという時に、外の人達が介護をしてくれるわけではないでしょう、と。
どれだけ言っても、受け止めるはずもない。
房子はまた、暗い顔をして、二階に上がって行った。
一体、何故、房子の態度が急に変わったのか、謎だった。絵手紙の先生たちと会って、気分のいいことばかり言われてきたからだろうか。
決して本心を言わない房子の気持ちは分からない。なんだかもやもやと、気分が悪かった。
デパート好き
若い頃から自由なお金がたくさんあった房子は、買い物が好きだった。特に、デパートでの買い物は大好きだった。
お金の余裕があるわけではないし、高級品ばかり並ぶデパートに行くのを、恭子は好きではない。あの広いざわざわとした空間を、房子の手を引いたり、車椅子で歩き続けると、家に帰ってから死ぬほど疲れて立てなくなった。
それでも、房子のために、がんばって付き合おう、と思い立つ時もあった。なにしろ房子が一番好きなことなのだ。
デパートで品物を見ていると、すかさず店員が寄ってくる。凛に招待されて、勤めている学校の授業参観を観に行った帰りに寄ったその時もそうだった。
デパートの女店員は、さすがに客の扱いが上手だった。強引に勧めるわけではないけれど、上品に、遠慮がちに、房子が眺めている高いブラウスを手に取る。
「お似合いになりますよ」
「今度、昔の生徒のクラス会があるんだけど・・・」
「まぁ、先生でいらっしゃるんですか。やっぱり、そんな雰囲気がおありですよね。おいくつでいらっしゃるんですか」
「いくつに見えます?」
嬉々として房子が言った。
恭子は寒気がした。
「え~っと、分からないです。70歳くらいですか?」
多分、年齢なんて、いい加減に言ったのだろう。でも、若く見えたのも確かだろう。
ウィッグでふさふさに盛り上げた髪の毛は、房子を実態より10歳は若く見せる。
店員の言葉に気を良くした房子は、二万円もするブラウスを笑顔で買い、同じように高いカーディガンも求めた。
店を後にしても、房子は普段見せたことのない上機嫌な顔をしていた。
こういう房子を、恭子は嫌悪した。実態を隠して、作り上げた若さを誉めてもらって、何がうれしいのか、と思う。本当の姿は、100歳にも見えるというのに。
地下で夕飯の買い物もして、ひどい荷物になった。重い荷物と房子のバッグを持ち、片手で房子の手を引いて、疲れ果てて帰ってきたけれど、房子は終始満足そうな顔をしていた。好きなデパート歩きができて、よほどうれしかったのだろう。
杖をついてよたよたとではあったけれど、房子はよく歩いた。好きなことなら、房子は別人のようにタフだった。
デパートなど二度と行きたくないと思っていたけれど、それからしばらくして、また行くことになった。お気に入りの久美の誕生日のプレゼントに、傘を買いたいのだが、近くの店にいいのがない、と房子が言ったことからだった。
房子はしばらくの間おとなしかったし、波風が立つことは少なかった。デイケアなどの行事がないと、部屋で眠っていることが多い。見に行くと、いつも死んだようにどろんとした目をしていた。
そういう房子を見ると、可愛そうになった。
それが恭子の弱い所であり、ダメな所だった。
そうして結局、恭子は房子を連れて、デパートまで、また電車に乗って行くことになった。けれど、この日は、卓雄がいたので、駅まで車で送迎してくれたので助かった。
駅からデパートまでは、自分のバッグと房子の袋を左手に、右手で房子の手をとって歩くのだが(房子は右手に杖を持って)、房子は恭子の手を鷲掴みにして思いっきり力をこめるので、腕の皮がひきつれて痛かった。最近になって思い切ってそのことを言うと、房子も少しは気にするようになった。
おまけに、ひどくゆっくり歩いているのに、房子は途中ではあはあ言って休む。自分のペースで歩いてもらったほうがいいと思うけれど、手をつながなければ、房子が微妙に嫌な顔をするのが分かった。卓雄は、
「手をつながなくたって、おかあさんは歩けるよ」
と言う。恭子に伝わってくる房子の微妙な感情が、卓雄には分からないのだ。
デパートに着くと、房子はまた目の色が変った。
久美の傘は、恭子が手伝って、割合早く決まった。けれど、それからがいけなかった。
せっかく来たのだから、もう少し付き合ってもいいようなことを言ったら、房子にスイッチが入ってしまった。
まず、以前塾で教えた生徒の就職祝いの品物を探し、その店にあった誕生石を各時刻に埋めた腕時計に惹きつけられた。きれいだけれど、実用的とは思いないし、三万円以上するその時計を、房子は買おうとした。
衝動買いにしては高すぎる。もう一回り
して、それでも欲しかったにしたら?と、なんとか止めた。
昼食にデパートの最上階でソバを食べて、それから洋服売り場に行くと、以前と同じことになった。
房子は見る物みんな欲しくなる。店員さんのお世辞に乗せられて、また高いティーシャツなど2枚買った。
クラス会があるし、デイケアでも、みんないつも同じ物を着てこないから、と房子は言った。
そんなことを言っても、みんなお金のある人ばかりじゃないだろう。洋服なんかにお金をかけたくない人もいるだろう、と恭子は思う。
けれど、房子はここ数日見たこともないほど、いきいきとした顔をしていた。この歳になって、いい恰好をして、他人に見せたいと思う、その見栄と執着心には感心した。
それからちょっと歩くと、今度はマネキンが首にかけているネックレスに目がいった。紐に、木の輪っかや玉、布でくるんだボタンのようなものが、ワイルドにつけられていた。
どう見ても、3千円か5千円くらいのものが、1万5千円ほどしている。
房子はネックレスを見ながら、
「買ってくれてもいいわよ」とか、「プレゼントしてくれても・・」
と、真顔で言う。冗談ではない顔だった。
恭子は、あぁ、やっぱり。来た!と思った。いつもの房子のやり方だった。
房子は洋服を二枚買った時点で、時計を買わなくて良かった、お金が無くなった、もう贅沢はしない、と言っていた。でも、また欲しい物が目に入るのだ。
恭子には分かっていた。数日前にくれたお金、あれがあるでしょ、と房子は思っているのだ。だから平然と言う。
数日前、保険の満期がきたお金を、大きなお金がかかるペンキ代の足しにと、房子は差し出してくれていたのだ。
いつもなにがしかのお金をくれた後、房子はそうだった。恭子に嫌とは言えない。
「はい、買いますよ」
と言って、恭子は唖然としながら、カードで払った。
何か釈然としない。嫌な気持ちだった。
どうしても要る物ではない。素敵だとは思うけれど、これに1万5千円も払うの?と思う物。それも、当然でしょ、という感じに払わされて・・。
半日くたくたになって付き合い、交通費も食事もすべて払い、そしてこんな仕打ちなのか、と思った。
帰りの電車で、何を思ったのか、房子は財布を出して、1万円を取り出した。そして、これだけ払うわ、端数は出して、と平然と言った。
その言い方も嫌だった。5千円くらいなら、いいでしょ、という感じが。
房子がデパートの買い物でいきいきしているのを見るのは良かった。けれど、房子のこの人柄に出会うたびに、がっかりしてしまうのだ。
翌日、房子はまた、一日どろんと死んだ目をして、気が付くと眠っていた。デパートに行った前日とは別人なので、
「昨日はあんなに元気だったのに・・・」
と言うと、
「そんなに元気だった?」
と、嫌な言い方をした。
やさしい気持ちで房子に付き合っても、結局こうなるのだ、と恭子は苦々しく思った。
房子を自転車に乗せる
あまりにも房子と一緒に歩くのが大変なので、ある日、房子を自転車の後ろに乗せてみたことがあった。
その日は金曜日で、卓雄は一日会社を休んで、前日の夜から車で釣りに行っていた。
卓雄は夕飯を食べて帰るので、房子とふたりで駅に行く途中にあるレストランで夕飯を食べることにしていた。その日恭子は仕事で臨時の収入があったので、少し贅沢をすることができた。
房子はデイケアで疲れていたので、タクシーで行きたがった。けれど、タクシーで行くほどの距離ではないし、役所から出ている障害者の券でタクシーに乗るのは、気を使うので、恭子は好きではなかった。
房子をバス停まで送ってバスに乗せると、恭子は自転車で追いかけて、駅前で降りて椅子に座って待っていた房子と合流して、店に向かった。自転車をひいて房子と歩くのも、やっぱり大変だった。どのようにしても、房子と外に食べに行くのは大変だった。
房子はよく食べた。メインの大皿を、ご飯を残した以外は全部食べ、ふたりで分けた海鮮サラダとポタージュ一人分、それにジンジャーエールと最後にコーヒー。おいしい物なら、房子はびっくりするほど食べた。
恭子は店の前の道路に自転車を停めていた。
レストランを出ると、房子をそこに待たせて、駅でタクシーを拾ってこようと思っていた。
けれど、房子は何故か、道路を渡った反対側にあるバス停から、バスに乗ると言う。たった一停留所の区間だ。
歩いてみると、やっぱり大変だった。道路を渡るのに、ゆっくりゆっくり、よろよろと歩く。少し歩いては、はあはあ息をする。デパートに行った時や、他人の前だと、別人のように元気になるのが不思議だった。
そこで恭子は、以前から考えていたことを思い切って実行してみようかと思った。こんなふうに歩くより、よっぽどましな気がしたのだ。
強硬に反対するだろうとばかり思っていた房子は、意外にも、それに応じた。よほど疲れていたのだろう。
道路を挟んで反対側のビルの前まで行くと、周りを囲んでいる低いコンクリートの縁に房子を立たせて、自転車の荷台に乗せようとした。
けれど、思いのほか大変だった。
荷台には荷物入れが取り付けられ、金の枠を動かして孫達を乗せるようになっている。両側についている足を置くための金の台は、房子には高すぎて足が届かない。足を開いてみても、真ん中の金の枠が邪魔で、なかなかうまくのぼれなかった。
もたもたやっていると、通りがかった若い女の人が、
「お手伝いしましょうか」
と言ってくれた。子供を乗せるのに手こずっているのならともかく、高齢の房子を相手に無茶なことをしているのが、恥ずかしくてたまらなかった。
「ありがとうございます。大丈夫です」
全然大丈夫ではなかったけれど、にっこりして見せた。
誰かに二人乗りをとがめられたら、年寄りが動けなくなって、緊急事態です、と言うつもりだった。
かなり苦労して、やっとのことで乗せたけれど、それから走らせるのが又大変だった。
房子は思った以上に重く、荷台は車輪からはみだしてついているので、重心がかなり後ろにある。ハンドルがとられて、恐ろしいので普通に乗って走らせられなかった。
みっともないけれど、ずっとしばらく自転車にまたがったまま、足でずって進んでいった。それでも、ハンドルをとられて、怖くてたまらなかった。
このまま倒れたら、房子は大怪我をしてしまう。絶対に倒れられない、と緊張する。
涼しい日だというのに、汗が流れた。緊張で体がこわばる。房子の手をとって、死ぬほどゆっくり歩いた方がずっとましだった、と強烈に後悔した。
しばらくして、裏道の、車が少ない所まで来て、ようやくペダルをこいでみた。ハンドルがぐらぐら揺れて怖かったけれど、何とか進んでいった。
「怖い?」とか、
「疲れる?」
と房子に訊いた。
房子は意外に怖がっていなかった。恭子がどんなに頼りない状態であるか、分かっていないのだ。
「歩くよりはずっといい」
「足が《金に押し付けられている所が》痛いだけ」
房子が普通に言った。
今、必死にペダルをこいでいる自分の姿を、恭子は想像してみた。あまりにもこっけいで、マンガみたいだと思った。そうしたら急に、笑いがこみあげてきた。勿論笑う余裕があるわけではない。自虐的な笑いだった。
「マンガみたいね」
房子に言いながら、恭子は何度も笑った。
そうやって、何とか家の前に着いたけれど、
それからが又大変だった。房子が降りられないのだ。
孫達を降ろす時のように、スタンドを立てて固定させて降ろしたいけれど、房子が重くて持ち上がらない。持ち上げようとすると、自転車が壊れそうだった。
玄関の真ん前まで移動して、房子の片足をホースを巻いた台に乗せてもらう。でも、荷台の金の枠から、もう片方の足がなかなか外せなかった。
車があるので、卓雄は家に帰っている。SOSしたいけれど、携帯で呼んでも、ブザーを押しても、出てこない。シャワーでも浴びているようだった。
自転車を片手で支えて、片手で房子を引っ張りあげようとする。汗がまただらだら流れた。60代半ばである恭子の体力の限界だった。
けれど、そうやってうんうんやっているうちに、とうとう何とか房子を引っ張り上げて、降ろすことができた。
がっくり疲れ果てた。二度とこんな真似はするまい、と思った。
房子は、恭子のこの努力を分かっているだろうか。
「疲れたね。ごめんね、今度は違う方法にするね」
房子にそう言ったけれど、房子は何も言わなかった。それほど懲りたようすでもない。
恭子の苦労や怖さなど、分からなかったのだろう。
「ありがとう、ごくろうさま」
でもなく、
「あ~、怖かった」
でもない。
一緒に苦笑いしてくれる母親なら救われたのに、と思った。
絵手紙の先生
房子にとって、絵手紙との出会いは、残りの人生を大きく変えるものになっていた。絵手紙がなかったら、房子の毎日は、もっと寂しいものになっていただろう、と思えた。
絵手紙は、油絵などと違って、いつでも簡単に、何枚でも描ける。房子は机の上に絵の具と水を並べて、短い近況を添えた絵手紙を描いては、あちこちにマメに出していた。
それ故、絵手紙の先生は、房子にとって誰よりも大事な存在だった。先生も、房子のことを特別に厚遇してくれた。
それは、房子が生徒の中で一番年長の年寄りだったからか、あるいは房子が特別待遇を期待して贈り物攻勢をしたからか、分からない。雨の日にご主人が運転する車で房子を迎えに来てくれたこともあったし、誕生日には、絵手紙の生徒さん達みんなからの言葉が書かれた巻物をくれた。
「誰にでもこんなことはしてくれないのよ」
立派な巻物を恭子に見せながら、房子はかなり得意そうだった。
自分で特別待遇を期待して、贈り物攻勢しておきながらと、恭子には房子のその得意そうな顔が卑しく見えた。
先生は、房子をよく、いろんな所にも誘ってくれた。ジャズ喫茶とか、博物館とか、ある時は、喫茶店で何人かで折り紙をやって帰ってきたこともあった。
家では手のかかる房子が、外ではいい恰好
をするので、疲れるだろうな、とは思った。トイレにしても、何かを食べるにしても、長時間ではいろいろ困ることがあるだろう、堪えられるのだろうかと思った。
それでも、房子はありったけの力をふりしぼって、がんばってきてしまうのだろう。帰ってくると、疲れ果てて、死んだようにベッドに転がった。
新しく買った二万円もするティーシャツを着たまま、ズボンと片足だけソックスを履いて、ベッドに横からひっくり返るように寝ていたこともある。
声をかけると、薄目を開けて恭子を眺め、
口をパクパクさせたけれど、聞き取れない。
口を開けて寝ているので、入れ歯が乾くらしい。入れ歯を入れてない時のように、もごもごと言葉が不明瞭なのだ。やっと聞き取れた言葉は、
「ごはん要らない」
だった。
本当に情けない姿だった。こんなになるまで無理をしなければいいのに、と思った。
ふと、恭子は、先生が、家で房子が楽しくない様子を想像して房子を誘ってくれるのだろうか、と思ったりもした。房子のことだから、何を話しているか分からない。自分をあわれな老人に仕立てていることはあり得た。
けれど、先生のおかげで房子が少しでも楽しい時間を過ごせたなら、ありがたいことだとも思った。
ところが、この先生は少し変わった所もあって、時々トラブルの火種となった。房子が先生に気を使って、「いい人」になろうとするあまり、はっきりしたことを伝えないのがいけなかったのかもしれない。
恭子達が花を植えている庭に、野菜を植えていってくれたり、お昼時や休日に来られて慌てることが何度かあった。
ある時夜になって、房子が、絵手紙の先生が翌朝シソの実を持ってきてくださる、と言った。先生は時々青梅を拾ってビニール袋にいっぱい持ってきて、ジャムの作り方を房子に教えたり、安く売っているシソの実を買ってきて、佃煮の作り方を教えたりしてくれる。お金をあまり使わないで上手に料理をする知恵に長けていた。
先生が来るという翌朝、ピアノの生徒さんが来ることになっていた。
恭子の家には、応接室といえるような、気の利いた来客用の部屋がない。気の置けない知人なら、ダイニングや奥の居間に通すこともあったけれど、そういう場合はダイニングや居間を前もって片付けておく。急な場合は、ピアノの部屋の入口に造った小さなスペースで済ませていた。先生も、そのスペースに何度か通していた。
ところが、翌朝はその部屋をピアノのレッスンで使う。
シソの実を持ってきてくれるだけで、家に上がらないなら、と思ったけれど、房子はあいまいな返事をする。
土曜日なので卓雄も家にいる。困ったことにならなければいいが、と思った。
土曜日の朝、ピアノの前で待っていると、チャイムが鳴った。生徒さんが来る頃だったので、恭子は戸を開けずに、いつものように、
「どうぞ~」
と言った。けれど、なんだか様子が違う。
もしや、と思って戸を開けると、絵手紙の先生が玄関の前に立っていた。玄関は、ピアノの部屋の扉の前でもあった。
「あ、すみません、生徒さんかと思って・・・」
と恭子が言うと、
「あら、生徒さんが見えるの? 今日は私、来ちゃいけない日だったのかしら?」
先生は真っ赤な口紅を塗った口元を歪めて当惑したように言った。ボーイッシュに短く刈り込んだ髪型はいつも変わらない。手にはシソの束を抱えていた。
「来ちゃいけない」? ということは、やっぱり家に上がる、ということだったのだ。どうして房子はちゃんと伝えないのだろう。
どうしよう、ダイニングと言っても、かなり散らかっている。
「ちょっと待ってくださいね」
と言って、慌てて二階に行った。卓雄は和室で、誰かと真剣な顔で電話をしていた。
房子はいつもとは違って、早く起きていた。先生が来る時には、気が張っているのが分かる。恭子は小声で先生が来たことを告げた。
その直後に、ピアノの部屋に生徒さんが来た。割合近所のおとなの女性だった。女性は、その日用事があるので、レッスンを早めに終えたい、と言った。
急いでレッスンを始めたけれど、玄関のそばで、先生と房子が立ち話をしているのが聞こえてくる。結構長い。
房子が二階から下りてきて外に出て行った時に、恭子は一応先生に、どうぞ入ってください、と機械的に言ってはいた。けれど入る部屋もない。散らかっているし、卓雄もいる。
あてなんか無かった。
先生は、すぐ帰りますから、と言っていた。
生徒の女性が時間がないのを聞いていたのに、何度も中断している。焦っていた。
けれど、外での立ち話が長引いているのも気が気でなかった。普段なら、房子は少しも立っていられないのに、先生の前で無理をしている。
なんとかしなきゃ、と考えていて、庭に椅子を持っていくことを思いついた。急いでいる生徒さんに、申し訳ないと思いながら、恭子はダイニングから重い椅子を2脚、庭に運んだ。房子はほっとした顔をした。
「すみません。今ね、○○に行きましょうか、とお話していたの・・」
先生が申し訳なさそうな顔で言った。
房子は不満そうな顔をしていた。お茶くらい出してほしい、と思っているのだろう。
けれど、恭子にそんな余裕はなかった。
「ごめんなさい。急いでいるので」
そう言って、急いでレッスン室にもどった。
レッスンが終わると、卓雄がダイニングにいた。卓雄が、先生は先に○○に行った、房子は今支度をしているところだと恭子に伝えた。
テーブルの上にはシソの束が置いてあった。
そのうち、よそいきに着替えた房子が二階から降りてきて、結局卓雄が駅まで送っていくことになった。
その後、恭子は卓雄と近くに買い物に出かけた。そして買い物から帰ると、房子はダイニングの椅子に座って、よそいきの服を着たまま、不機嫌な顔で、シソの実をほぐしていた。手が真っ赤になっている。
服に色がついてしまうから、着替えたらいいのに、と恭子が言っても、黙ってやっていた。
房子は家に帰ってから、いつものように階段の下にバッグや袋を置いたまま、その作業を始めたらしかった。相当疲れているはずなのに、ムキになってやっていた。
何が気に入らなかったのだろうかと思う。先生を家に上げられなかったことだろうか。
それとも、先生が持ってくる青梅でジャムを作ることや、シソの実で佃煮を作ることに、恭子達が尻込みしていることにだろうか。恭子達は、ジャム作りも佃煮作りも何度か手伝ってはいたけれど、時間がかかるし、大変なのでそれらの作業を敬遠していた。
その後、房子はベッドに倒れこんで眠ってしまい、夕飯を食べる元気もなかった。
房子の態度に、恭子は納得がいかなかった。
どうして房子は恭子の予定を伝えなかったのだろうか。先生に気を使うあまり、いいことばかり言うから、こんなことになる。
房子は、いつも足の踏み場もないほど散らかす自分の部屋には、決して他人を入れない。
実際、先生をどうしようと思っていたのだろう。
房子に、例えば、幸男が家で休んでいる休日に、やすよがお客を招いた場合のことを訊いてみた。
すると房子は、やすよはそんなことを絶対しないけど、と言いながらも、幸男が窮屈な思いをすることを認めた。休日の急なお客について、幸男の立場になってみたら、房子はやっと考えることができるのだ。
勘違い
房子は90歳をとうに過ぎた今、自分が生活するために、どれだけ家族に助けられているのか、考えたことがない。以前と同じように、ひとりで何でもできていると思っている。
こんなことがあった。
恭子が久美の子供ふたりを、久しぶりに映画に連れて行ってあげることになった。孫達を喜ばすためでもあり、久美を少しの間楽にしてあげるためでもあった。
夕飯の食卓で房子にその話をすると、お気に入りの久美のことなので、房子は興味を示した。
「私にもお手伝いさせて」
と房子が言う。
え?と思いながら、
「お手伝い、って?」
と訊くと、
「私も行く」
と言う。卓雄と同時にえ~!と大きな声をあげた。
「それは無理・・」
と言い始めてから、一呼吸置いた。
どう言ったら、この人は分かるのだろう、と頭の中でぐるぐる考えた。
勘違いもはなはだしかった。
房子と出かければ、房子に手がかかり、孫の世話ができなくなる。孫達と手をつなぐどころか、房子の手を引いて、荷物を持って、ゆっくりゆっくり歩かなくてはならない。階段も避ける。エレベーターやエスカレーターを探す。何一つスムーズにできない。
おまけに、房子が好きそうな映画を選んででも、途中で、いつも眠ってしまう。
あんまりなので、
「おかあさんは、自分のことが分かっていない。」
と言ってしまった。卓雄も強く首を縦に振った。
房子は露骨に嫌な顔をした。他の誰にも見せない陰険な顔だ。
「おかあさんは気持ちが若いのよね。おかあさんは、また行ける時に連れていってあげるから」
房子は勿論納得なんかしていなかった。他人の世話をしたことがない房子は、自分がどれほど手がかかっているか、本当に分かっていないらしいことに驚いてしまう。
どんなに気持ちは若くても、房子の衰えはどんどん進んでいた。
特に、便のコントロールが難しくなっている。夜中に、房子のトイレの音でよく起こされた。隣りあった壁越しに、水を流す音やトイレットペーパーを引っ張るゴロゴロいう音が激しい。
ある夜は、四時頃、水を流す音や、ごろごろが何度も続いた。何か変だった。
眠れなくて、起きていくと、卓雄も起きていた。
「俺が起きて戸を開けたら、おかあさんの部屋の戸が開いていて、すごい臭いがしていたんだよ・・・。階段を下りて、一階のトイレに行こうとしたら、お風呂のカーテンが閉まっていて・・」
つまり、房子は間に合わなかったのだ。下着を洗ったか、体を洗ったか・・。また、下剤を飲み過ぎたか、浣腸など、やり過ぎたのかもしれない。
かわいそう、とおもう気持ちと、情けない、と思う気持ちがあった。
翌朝房子に訊くと、やはり、間に合わなかった、と言った。下剤は、いつもと同じ量だったらしい。
朝、房子は珍しくお化粧もしないで階下に降りてきた。そんなことは、かつてなかったことだ。
お化粧をしていない房子は、黒くて、暗い顔をしている。しゃべらないし、いつも以上に暗かった。しゅんとしているようでもあるけれど、これも房子の演技なのかもしれない。
房子が洗濯物のことを言うので、朝食後に房子の部屋に行ってみると、下洗いしたズボン下がかけてあった。ゴミ箱の中には、ズボン下とパンツが入れてある。濡れているので、そこに入れた、と房子が言った。
情けなかった。
こういう時、どうしたらいいのだろうかと思った。汚れた物を、バケツの中に入れておいて、と言っても、臭いがひどいだろう。
かと言って、夜中に洗濯している房子を想像すると、みじめで、あまりにもかわいそうだった。
外では恰好をつけるのに、ズボンのチャックが全開のことも、相変わらず頻繁にあった。デイケアの送迎バスを降りる時に、運転している男性に指摘される。
「チャック、閉めましたか」
いつもトイレの電気はつけっ放しだったし、寝ていることが多いので、ウィッグがまともについていないのを、よく見るようになった。斜めだったり、後ろにずれていたり。あるいは、ぼさぼさだったり。
外であんなに気取って見せていたのに、もう、どうでも良くなってきたのだろうかと、時々不安になった。ちょっとした瞬間に、ネジがゆるんでしまうだけなのかもしれない。
目は小さく、白く濁り、どろんとして、精気のかけらもない。どこか違う世界をさまよっているように、ぼおっとしていた。
宵っ張りの房子は、5時近くまで、テレビをつけて、イヤホーンをしたまま、うつぶせるように背中を丸めて寝ていることもあった。
朝方トイレに行こうとして、房子の部屋の明かりが煌煌とついているので、部屋に行ってみて、気が付くのだ。
テレビを消して、イヤホーンを耳からはずしながら、どうしてこんなに眠いのに、ちゃんと寝ないんだろうと呆れる。情けない姿だった。
房子に注意はしてみたけれど、どうせ憶えていないのだろう、そして、また気の強いことを言うのだろう、と思った。
房子が時々ボケたことを言い出す時もあった。
夕食後に二階に上がっていた房子が、9時半頃、突然階段を下りてきて、びっくりしたこともあった。
房子はカーディガンをはおりながら、
「何か言った? これからどこかに行くの?」
と、少しぼおっとした顔をして言う。
「おかあさん、また寝ていたんでしょ?」
恭子が言うと、房子は珍しくあっさり認めた。
「なんか、《恭子が》来て、言ったでしょ?」
気が強い房子は嫌だけど、こんな房子は悲しい。
「おかあさん、眠ったから、わけがわからなくなったのよ。もう、しっかりして!」
房子の骨ばった背中をさすった。憐れだった。
「もう眠いから、寝るわ」
と房子。
「今から寝たら、また夜中に起きて眠れなくなるから、だめ」
「お風呂に入ると、目がさめちゃって・・・」
「じゃあ、お風呂に入らないで寝たら? 昼間入ったら?」
房子は黙って階段を上がっていった。
ボケているわけではないけれど、こんな房子を見ると、切なく、悲しかった。
時々、房子は寝ぼけて、夜中に電話をしてくることもあった。
眠れなくて、薬を飲んでいる恭子が、やっと眠った4時ごろに電話をしてきたことがあった。朝出かける日だった。
「電話した?」
と房子は言う。
こんな時間に電話をかける人もいないのに。それっきり眠れなくなってしまった。間違いだから房子を責めることもできないけれど、一日辛かった。
それから、恭子は携帯電話の電源を、寝る時にはオフにするようになった。本当は、緊急の時のために、電源を入れておきたかったけれど、夜中に何度も間違い電話で起こされるのには堪えられなかった。
時々は・・・
房子の嫌なところのひとつは、何をやってあげても、感謝などしてくれないことだった。感謝どころか、うれしそうな顔ひとつ見せないことが多い。
けれど、ごくたまに、房子の喜んだ顔を目にすることもあった。どういうタイミングなのか、分からない。房子が素直な気持ちになっている時のような気がした。恭子に気持ちの余裕があって、何か房子への接し方が違ったのだろうか。
内科の医院に行った後、房子を駅の向こうの喫茶店と、続けて和食の店に連れて行ったことがあった。卓雄が夕食不要の日だった。それは、かなり無謀なことだった。いつものように房子は少しずつ歩みを進めて、時間をかけて、息切れしながら、なんとかたどり着いた。そんな遠くの店に、徒歩で行ったのは初めてのことだった。
すると、房子は初めて入ったその和食のお店を大変気に入ったようで、少しずつだが、だされた料理を全部味わったのだ。房子はとても満足そうな様子で、格別高くはないけれど、恭子が支払いをしようとすると、それを制して、自分で払った。
房子がどういう気分だったのか分からない。
けれど、うれしそうな様子をみせてくれると、こちらの気持ちも満たされる。苦労して連れていって良かった、とうれしくなるのだ。
家の階段を上る時もそうだった。房子は気分によって態度がまったく違う。普段手を貸そうとしても、「痛い」と言われることが多いので、どうしていいか分からない。
しかし、時によって違った。
ある晩は、お風呂の後、恭子はいつものように、房子のズボンやタオル、ポットなどを二階の部屋に置きに行ってから、階段を這ってのそのそ上がってくる房子を上から見守っていた。けれど、あんまりかわいそうなので、最後の数段、片腕の脇の下に手を差し込んで持ち上げてしまった。
いつもなら、痛い!と叫ばれる。でも、観ていられなかった。
すると房子は、
「あぁ楽だった。全然歩かなくてのぼっちゃった・・・」
と、かって恭子に見せたことのない笑顔で言うと、乾いた声でコロコロ笑った。え~、手が痛い、と言われるかと思ったのに。これでいいんだ、と恭子はびっくりした。
それ以降、お風呂のたびに、あるいは機会があれば、そうやってあげた。房子はそのたびに、乾いた笑い声をあげた。
その持ち上げ方は、うまくやらないと恭子も危ないし、房子も楽ではない。けれど、房子が喜ぶ顔を見ればうれしかった。
房子の態度がこんなに変わるのは何故だろう、と恭子は思う。
少し前に、房子にしんみり話しかけたことがあった。そのせいだろうか。
ある時、恭子はふと、房子が、自分がどんなにひどい人であるかを考えられない人なのかもしれない、と思い始めたのだ。注意や批判をしても何ひとつ耳を傾けない。どんなに恭子の気持ちを訴えても平然としている。それは、悪気があるからではなく、本当に、感じたり、考えたりする能力がまるでない人なのかもしれない。そんなことを思ってしまった。
そしてまた、我慢しよう、やさしくしようと思い直す。房子の冷たさや行儀の悪さにも目をつぶろう、と、その時は思うのだ。
恭子を信じられたら、素直になれるのだろうか。普段、そうでないから、しゃべらない、笑顔もでない、ということなのだろうか。気分次第で、房子の態度がこんなに変わることに驚いた。
しかし、そうは言っても、房子の人柄や強い態度、行動に接してみれば、そうそうやさしい態度を続けているわけにもいかなかった。
亜美の下の子供達を預かっていた時に、自然の中にある動物園に彼らと一緒に連れて行った時も、房子は満足そうな顔をしていた。
最初、房子を連れていくのは大変だと思ったけれど、訊いてみたら、
「歩けないから」
とか言いながらも、行きたそうなので、車椅子を積んで行った。
天気がいい日で、森の中の広い動物園を、房子を車椅子に乗せて、あちこち移動した。
乗り物に乗るわけでもなく、ただ見て回るだけだが、ずっと外にいて、一緒に何かを食べたり飲んだりして、気持ちが良かったのだろう。房子はこの時も、楽しかった、と言った。それは恭子達にとって、何よりの言葉だった。
房子が家に帰ってきて、満足そうな顔をしたことは、他にも何度かあった。
連休の時もそうだった。
連休の前半、子供達が家族連れで泊まりにきて、恭子は朝から晩まで忙しかった。
その忙しさからようやく解放されて、恭子は残りの2日の休みのうちの一日を房子のために使おうと考えた。そして、前の晩にネットで時間をかけて行先を探して、やっと川崎の古民家園に決めたのだ。
その日はよく晴れて、気温もぐんぐん上がった。初めて訪れたそのスケールの大きな野外博物館は、人気のスポットらしく、駐車場に入るのにもかなり並んで待たされた。
たくさんの古民家は山道に沿って造って(移設して)ある。事務所でしっかりした車椅子を貸してもらえたけれど、石ころだらけの狭い道を車椅子を押して上っていくのは大変だった。ほとんど卓雄が押したけれど、恭子も時々替わった。
上がって行くごとに古民家や小屋がぽつぽつと現れる。そのひとつひとつに入ってみた。
房子が車椅子を降りて歩くのは、それぞれの建物の中だけだった。昔の趣ある佇まいに、房子も興味をそそられている様子だった。
所々でお蕎麦を食べ、甘い物も食べ、コーヒーも飲んだ。
房子はとても喜んでいた。帰りに、その日のラストイベントとして、房子のために、温泉のお風呂にも入った。
翌日の連休最終日、恭子が、明日は私達にゆっくりさせてね、と言うと、房子は、満足した顔で、
「行ってらっしゃい」
と言った。「行ってらっしゃい」なんて、房子が恭子達に言うのは初めてだったかもしれない。
房子が素直になって、恭子に心を開くのは、どういうきっかけからなのだろうか。
房子に一生懸命尽くすことはよくある。それに対して、心から喜んでくれるのは、ごくたまにだった。
注意や批判をする時もそうだった。いつも嫌な顔で黙り込む。けれど、やっぱり、ごくたまに、素直に話を聞くことがあった。
なにかのきっかけから、房子としんみり話をすることがあった。房子が物やお金でお礼をしようとするけれど、やってあげるのは、ただ、その人の喜ぶ顔が見たいからだ、と恭子は言った。すると、その時は、房子は珍しくちゃんと聞いていた。
ついでに、房子が恭子達にきちんと頼むことをしないことも言った。それは、遠慮ではなかった。
「例えば?」
と房子。
少し前にもあったことだけど、と、恭子は思い切って言う。
車で送ってほしい時に、卓雄の前で、
「〇時のバスに乗れば、間に合うかしら」
と、房子は素直ではない言い方をする。
「悪いけど、送ってもらえないかしら」
と言ってもらえれば、気持ち良く送っていくのに。つまり、借りを作りたくないのよね。
恭子の話を、房子が何故そんなに素直に聴いているのか、不思議だった。
「私が強情だからねぇ・・・」
房子は穏やかな顔で言った。
「なんかあったら、言ってね」
多分、いや、きっと、何かあって言ったって、無理だろう、と恭子は思った。九十年以上続いてきた性格だ。何かあって指摘したら、また嫌な顔をして黙るに決まっている。恭子がよっぽど上手に、やさしく話を持っていかなければ無理だろう。日常、そんなふうに房子に気を使う余裕は、恭子にはない。
それでも、そうして房子と普通の親子の会話ができたことがうれしかった。卓雄が出張で泊まりの夜だったので、房子も、恭子がいる一階の居間で、深夜までゆっくりしていた。
翌日も、房子は素直なままだった。恭子は房子が望んだ買い物にあちこち付き合った。手芸の雑貨や、編み物の本、果物、甘い物、いろんな店に行った。バスに乗って、少し遠い店にも行った。
けれど、夕飯の時に、箸の持ち方があまりにひどくてポロポロこぼすので、指摘すると、
房子はとたんにムッとして黙り込んだ。
やさしく、気を使って注意なんて、他人ではないのに、いちいちやっていられない。やっぱりこうなってしまう、と恭子は思った。
外食をすると
房子は外食が好きだった。イタリアンでも、フレンチでも、和食でも、目を輝かせた。
連れていくのが大変でも、房子が喜んでくれるのはうれしかった。
ただ、問題がいくつかあった。
ひとつには、房子が欲張って、たくさん注文し過ぎることだった。コース料理を頼んでも、結局食べきれずに残す。残すと分かっていて頼むのは、勿体ない。けれど、房子にそう忠告するのもケチっているようで、なかなか言えなかった。
それで、房子と行く時には、なるべく一皿をシェアーできるように、イタリアンに行くことが多くなった。
ところが、レストランに行っても、今度は房子の行儀が悪いので困った。
房子はレストランでも、足を組んで、椅子にもたれてそっくり返って食べる。そうすると、テーブルからかなり離れてしまう。房子は離れた席で、大きなお皿を持って食べていた。
見かねた卓雄が、テーブルにもっと近づいた方がいい、と注意する。房子は嫌な顔で、黙って椅子を前に出した。
それでもまだ遠かった。恭子も一緒に、もっと前の方がいい、と言った。房子はまた嫌な顔で、黙って椅子をテーブルに近づけた。
房子は少しずつしか椅子を動かさないので、それでもまだテーブルからだいぶ離れていた。けれど、もう、それ以上言えなかった。
そうしているうちに、雰囲気がとても悪くなっていた。鯛のカルパッチョも、キノコのアヒージョも、ウニのパスタも、だんだんおいしくなくなってしまうのだ。
レジで支払いをして外に出ても、房子は何もしゃべらない。「おいしかった」とも、「ごちそうさま」とも言わなかった。注意されたのが、よほど気に障ったのだろう。
駐車場に行く途中で、房子は、近くの花屋に寄って、数種類の花を買った。
レストランに行く前に、房子は恭子に頼んで銀行から5万円を降ろしている。房子が降ろすのは、いつも一回に5万円だ。お財布にそんなに入れている年寄りもあまりいないだろうと思うけれど、房子にはそれが普通なのだろう。
車で家に帰ると、恭子達は房子に断って、観たかったテレビを観始めた。房子はテレビに目もくれなかった。
そのうち房子は、黙って花を生けはじめた。たくさんなので、いくつかに分けていた。
帰ってからずっと、房子はほとんどしゃべらなかった。暗い顔をしていた。
そうして気が付くと、房子は花を置いたまま、黙って二階に行ってしまっていた。「上に行くね」とも言わずに。
他人の前では、あんなに明るくしゃべりまくるのに、ほんとに暗い人だった。
卓雄が、
「おかあさん、もう、もたれないで座っていられないのかもなぁ」
と言った。
房子と少し遠くに食べに行くと、車から降りてから、房子の止まっているよりまし、という速さで一緒に歩くことでまず疲れる。
けれど、そんなことより、房子の行儀と、その暗い顔を目にして、食事が楽しくなくなることがよくあった。
次にレストランに行った時にも、房子はやはり卓雄に注意された。どうしても見ていられないのだ。
「おかあさん、足を組むからテーブルから離れるんですよ。もっと近づかないと・・・」
房子はやはり、無言で椅子をちょっと近づけた。
この、「無言」というのが、どうにも雰囲気を悪くする。
「そうね」でもいい。「だって仕方ないのよ。できないのよ」でも、「どうでもいいじゃない」でもいい。何か言ってくれれば、こちらも次の言葉が出てくる。雰囲気も悪くならない。
嫌な顔で黙り込まれると、こちらもどうしようもなくなるのだ。
マッサージ
房子は以前、車で迎えに来てくれる年配の女性のマッサージさんの所に行っていた。絵手紙の先生が紹介してくれた人だ。
そのせいか、房子はそのマッサージさんにずいぶん気を使っていた。マッサージさんは、車の送り迎えの際にも、慇懃(いんぎん)な応対をする人で、房子は送ってもらうといつも、恭子に挨拶をするように、車の所まで呼んだ。盆暮の贈り物もしていた。
そのくせ、いつも、頼んだところをなかなかもんでくれないと言って、不満を言う。かと言って、房子は決して直接文句を言うようなことはしなかった。
その後、家に勉強にきていた生徒の親の紹介で、週一回、中年の男性のマッサージさんに訪問してもらうようになった。すごく良く効く、ということだった。料金もずっと安かった。
そのマッサージさんは、よくしゃべる人で、施術してもらいながら、いろいろ話をするようだった。
以前より、もみ方も満足できるようだったし、それはよかったのだが、気になることがあった。房子の虚言癖だ。
マッサージの間中話をしているとしたら、話題もいろいろあるだろう。地域を回っている人なのに、作り話をいろいろされたら、かなわない、と思った。
その日は、四月の終わりで、気温がかなり高めだった。
マッサージは、恭子達の寝室である和室を使う。
マッサージの人が来る前に、いつものように、和室に分厚いマットレスを敷いて、枕とタオルケットなどを用意しておいた。ただでさえ、冬でも暑そうに半袖をきているマッサージさんが、閉め切った小さな部屋では堪えられないだろうと、窓を開けておいた。
けれど房子は人一倍寒がりだ。あとで窓は閉めようと思っていた。
房子には、朝、窓が開けてあることを伝えて、閉めてね、とは言ってあった。まさか暖房は要らないわよね、マッサージさんが暑くて可哀そう、とも言った。
ところが、忙しさに追われて、恭子は窓を閉めに行くのを忘れてしまっていた。
マッサージさんが帰る時、庭で花に水をやっていた恭子は、思い出して、
「うっかり窓を閉めに行くのを忘れたんですが、大丈夫でした?」
と訊いてみた。すると、
「『暖房をつけると、娘さんに怒られる』と言ってました。」
と自転車を移動させながら、マッサージさんが答えた。
「毛布を二枚かけて、がたがた震えてました」とも、真顔で言う。
「え~?」
と言ったら、マッサージさんは、
「いえ、言わないでください。僕の聴き間違えかもしれないですから」
と慌てた。聴き間違え、なんて、あるはずもない。
なんて悪意に満ちた伝え方をするのだろう、と気分が悪くなった。
二階に行ってみると、房子は毛布を片付け始めていた。そんなことをするのは珍しかった。房子は、そのまま自分の部屋に行って、長い間眠ってしまうことが多い。見ると、和室の窓は開けたままで、障子戸だけが閉まっていた。
恭子がマッサージの言葉を口にすると、房子は真顔で否定した。本当に、悪びれた様子もない。房子が嘘を言う時は、いつもそうだった。呆れるほど何も知らない顔をするのだ。
何も言わないのに、マッサージがそんなことを言うはずがない。どうしてこの人は、そうやって、自分の娘のことを他人に悪意を持って伝えるのだろう。しかも、本当に、真実のように。
一時間近いマッサージの間、房子はいつも、どんな話をしているのだろう。
また、自分の立派な話と、それをもちあげるために娘を貶める話をしているのかと思うと、気分が滅入った。
最初で最後の集まり
ある日、あまりにひどい房子の態度に我慢の限界に達した恭子は、自分の家で房子とやっていくことを、とうとう諦めた。もう施設しかないと、初めて思った。
房子にそう告げて、悠一や幸男達と集まることを決めた。
病気の妻を抱えた悠一の家に行くのは無理だった。やすよに頭を下げるはずがない房子が、幸男の家に行くのも無理だろう。足が悪いやすよが、今の状態の房子の世話をすることもできないだろう、と思った。
最初は、悠一が家を離れられないことを考えて、恭子は、悠一の家の近くで集まって話をしようと思った。
悠一の顔も、幸男の顔も見たくない。けれど、これが最後だと思って会わなければならなかった。
幸男に話し合いに来るように、房子に告げると、房子は、電話してもつながらない、と言う。塾は勉強中だから、とかいろいろ言って、なかなか進まない。
自分の息子に電話をするのに、何故そんなに遠慮する?と、恭子は苛立った。卓雄も強い声で同調した。
やっと塾に電話がつながった幸男は、××日まで忙しい、と言ったらしい。
冗談ではない。
親のことでしょう、と卓雄も怒った。
恭子はやすよの携帯電話に電話して、話した。幸男も悠一も、話のできる相手ではない。
冷静に判断できて、まともに話ができる相手はやすよしかいなかった。無理してでも、やすよには一緒に来てほしい。そう必死に頼んだ。すると、私は何も言わないけれど、ただ居るだけなら、とやすよが了承してくれた。
結局、幸男はしぶしぶ承知した。塾が終わってからなので、遅くなる、と言って。
勿論深夜でも構わなかった。後回しになんてしていられない。場所は恭子の家になった。話は房子を通してなので、経過が何もわからなかった。
悠一も、妻を看ていることができる息子が帰ってから、来ることになった。
そして、十一時半過ぎに悠一が電車で、十二時近くになって幸男夫婦が車で、それぞれ恭子の家に到着した。
しかし、幸男達が到着したこの時の、房子がとった行動に、恭子は唖然とした。
玄関の外に車の音がした途端、房子はひとりで真っ先に外に飛び出して、ふたりを迎えたのだ。
幸男夫婦が中に入ってくる際にも、やすよにやさしく、愛想がいい。あれほど嫌っていたやすよに対して、こんなに豹変できるものかと驚いた。
居間の座卓を囲んで、卓雄と恭子、悠一と幸男が座った。房子と足の悪いやすよには、別々の場所に椅子を用意した。
幸男は憮然としていた。お茶を置いても、無言だった。来てやったぞ、という尊大さと不機嫌さを体中から沸き立たせていた。
悠一は、重要人物だから仕方なく呼んだけれど、端から余計なことばかりを言った。
深夜だと言うのに、どうでもいい話を始めるので、恭子が、時間が無いから、と遮って、本題を切り出した。
「おかあさんとは、もううまくやっていけないので・・・」
恭子がそう言うやいなや、幸男が、
「もうちょっとうまくやって欲しかったな・・・」
と、偉そうに、嫌な言い方をした。分かってはいたけれど、「世話になったな」どころではない。
これに恭子が切れた。
「何を言っているの。自分達がうまくできなかったのに・・・」
恭子が怒って言うと、幸男は血相を変えた。
「そういう言い方はないだろう。喧嘩を売っているようなもんじゃないか」
もう、始めから、冷静じゃなかった。幸男ははげた頭を赤らめ、口元をゆがめ、怒りを顕わにしていた。
怒りといったら、恭子の方こそ我慢ができなかった。自分は今の今まで何もせず、放っておき、こちらに礼を言うわけでもなく、もうちょっとうまくやれ? どの面下げて言えるんだ、と激しく憤った。
房子はおろおろしていた。幸男に矛先が向かうたびに、自分が悪い、と言って、幸男をかばった。幸男に向けられた質問も、房子が答えようとした。
やすよには、やさしい声でいろいろ話しかけた。後になって、電話で、この時の房子にはびっくりした、とやすよも言った。
恭子は悠一や幸男に、これまでの房子との経緯をかいつまんで話した。房子のわがままや冷たさなど、いろいろ。
悠一には以前にはよく相談していたので、多少は分かっている内容だった。
けれど、悠一も、幸男も、まったく納得していないのが分かる。
房子は、悠一や幸男に、恭子がしてあげてきたことを、何も話していないのがよく分かった。恭子の悪口や不満しか伝えていないのだ。(幸男は、恭子がしてあげてきたことを聞いていたら、少しは気持ちが違っていたか、と恭子が問うと、少しは違っていた、とは答えた。)
今さら話しても分かる人達ではないことが分かっている。いくら話しても無駄だった。
悠一も、要らぬことばかり言った。厳しい親であったシカに尽くしたことを自慢し、恭子を親不孝のように言う。悠一とて、房子からさんざん経済的に援助を受けてきた。房子を悪く言うことなど到底できないのだ。
話の途中で悠一が幸男に言った。
「恭子にではなく、ここの家に、これまで世話になってきた礼を言わなくちゃ」
こんなところで、余計なことを言う、と恭子は思った。そんなことをここで言って分かる相手ではない。かえって話をこじらせるだけだ。そんな話に素直に耳を傾ける人間なら、こんなことにはならなかった。
案の定、幸男は血相を変えて、激昂した。
「黙っててよ!」
「余計なお世話だよ!」
「ぶち壊しだよ!」
「ひっこんでてよ!」
と、すごい形相で、興奮して連呼した。
「まったく・・・!」
幸男は憤懣やるかたない、という顔で唸り続けている。
あまりの剣幕に、悠一もたじろぎ、口をつぐんだ。
幼い時は兄妹のように生活していた三人だった。年長の悠一を、それなりに尊敬もしてきた。
けれど、ここにきて、悠一と幸男の仲にもひびが入ってきていた。というより、房子が知らないだけで、悠一は、ずっと幸男のことを非難し続けていた。
分かってはいたけれど、幸男の大人げなさ、みっともなさに、恭子は呆れた。
ちっぽけなプライドしかない、ダメな男だと、つくづく思った。
房子が常軌を逸した人であり、その房子に庇護されてきた幸男も、やっぱり常軌を逸した人間なのだ。
房子は、幸男の家で暮らしたい、という気持ちを言った。やすよには、自分が悪かった
とも言った。やさしい声で。
そういう房子の態度もあったし、やすよ自身、昔の怒りが薄れてきていることもあったのだろう、房子を迎えてもいいようなことを口にした。
恭子には、思ってもみなかった展開だった。気の強い房子が、あんなに毛嫌いしていたやすよにすり寄ることは想像もできなかった。
幸男に意見を求めると、これがまた呆れるほど情けないものだった。
「どうしたらいいんだろう」
「分からない・・」
「どうしたらいい?」
と、やすよの顔を見る。
バカではないかと思う。卓雄も呆れていた。
「どうしたらいい、って、おにいさんの気持ですよ。」
それでも、幸男は最後まで情けない。
「いろいろとしてきてもらった大切なおかあさまだから、わたくしも大切にしたい。やすよにも、苦労をかけてきたから、大事にしたい」
どうしたらいいか分からない、と言う。
最後まで、自分の強い意思や責任を口にしなかった。蹴とばして、丸めて捨ててやりたいほど、醜く情けない男だ、と恭子は煮えくり返る自分の心を持て余していた。
やすよは、そんな幸男を見て、苦笑していた。
「私ももう、そんなにちゃんとお世話はできないですけど・・」
と言いながらも、半分受け入れる気持になっているようだった。
房子はずっと、弱々しく、やさしく振舞っていた。
けれど、話の途中で、恭子を貶める話をいくつかした。
以前房子が恭子の家から塾に通った時、卓雄が迎えに行くことに対して、
「うちの車を使わないでくれ」
と、恭子が言ったと言い張るのだ。驚いた。間違っても、そんなことを言うはずがない。また、房子が記憶を替えて、それを事実のように頭の中で塗り替えてしまっているのだ。
恭子が、そんなことを言うはずがない、と言っても、強い表情で、強い言い方で、卓雄に向かって言う。
「卓雄さん、憶えているでしょ」
「恭子に内緒で、とか言ったでしょ」
卓雄は当惑していた。
「そんなことを言った覚えはないけど・・・」
それでも、房子は強く言い張る。悔しかった。
「おねえさん、こうなのよね・・・」
と、やすよに助けを求めると、やすよも、そういう房子をよく分かっているとばかりに苦笑していた。
房子が幸男に、「幸男がバカだ」、と恭子が言った、とも幸男が言った。それを聞いて、もう関係は終わりだ、と思ったと言う。
確かにそう思っているし、そんなことも言ったかと思う。けれど、話の経緯もあるし、そこだけをとって、何故わざわざ言いつけるようなことを言うのだろう、と恭子は腹立たしい。わざわざ関係を悪くするようなことを、母親が言うものだろうか。
自分の立場さえ良ければいい、という房子の打算と悪意を感じた。卓雄も呆れていた。
結局、大した話の進展もなく、幸男は怒ったまま帰って行った。幸男が強く意思表示しなかったものの、部屋の用意ができたら幸男の家に移ることにはなった。
房子は、あんなに幸男の家に行きたい気持を顕わにして、やすよにあんなにいやらしくすり寄って、幸男の家に移るまで、ここでどんな顔をして過ごすのだろう、と恭子は思った。
年明けになるかもしれないので、まだまだ時間がある。考えると、苦々しかった。
夜中の三時ごろ皆が帰って、
「やっぱり悪いことばかり皆に言っていたのね。『バカだ』とか・・。その経緯も何も言わないで・・・」
と恭子が言うと、房子は、
「言葉をつつしまなきゃね」
と、臆面もなく言った。
「それを、どうしておにいさんに言うんですか」
卓雄が怒った。
房子は黙っていた。
「例えば、私が、おかあさんが言ったおねえさんの悪口を、全部言ってもいいの?」
恭子が言うと、房子は、
「恭子がそう思うんなら、そうしたら?」
と言った。
ずるい。答えになっていなかった。
幸男の家に行くと決まったから、もう居直っているのだろう。自分の立場を守るための、やすよに対する態度の豹変ぶり。恭子はつくづく房子に嫌気がさした。
後になって分かったことだが、房子はこの集まりの際、やすよにひとつしかない大事な真珠のネックレスをあげていた。いつ、どのタイミングであげたのか、恭子達は見ていないから分からない。そんなことまでするほど、房子は必死だったのだろう。
施設が嫌で、あんなに嫌っていたやすよに頭を下げたのだ。
集まりの後
幸男達との話し合いの後、恭子は房子の豹変ぶりになおさら嫌気がさして、ほとんど会話をしなかった。
房子はいつもそうだったが、こういう出来事の後には、弱り切った様子を見せる。あんなに狡猾に振舞いながら、急に弱く衰えた、可愛そうな老人を演じた。
けれど、集まりの翌々日のことだった。
恭子が幸男のことを「バカだ」とかいろいろ言っている、と言いつけた話を蒸し返した際に、房子が、そんなことを言っていない、と言い出したので、驚いた。二日前に、そのことで恭子達が怒り、房子が居直った発言をしたばかりなのに。
房子にどんなに言っても否定する。
これなのだ。房子は、事実と全く違うことを言ったり、強く言い張ったことを、言っていないと言ったり。
いかにも冴えた様子で他人に話すから、みんなそれを信じてしまうのだ。腹立たしかった。
とうとう恭子はやすよに電話した。
電話を替わった房子は、そんなことを言ったかしら・・・、とやすよにも言う。
やすよは恭子に、
「都合の悪いことは忘れちゃうんだから・・・」
と、苦笑いした。
こういう時、やすよと話ができるのはありがたかった。まともに話せる人が他にいないのだ。
その後房子は十一時頃ひとりで出かけて、三時くらいまで帰ってこなかった。
荷物も少ないし、押し車も持って行っていない。考えられるのは悠一の家だったが、帰ってきた房子は行っていない、と言った。信じられないけれど。
出かけていた間に、房子は電機屋さんに行ったと言う。テープレコーダーがみんな使えなくなっているので、直してもらおうかと、思ったと。
恭子との会話を録音するためかと訊いたら、それもある、と房子はしぶしぶ認めた。
一昨日自分が言ったことを、まだ認めていないのだ。自分が正しい、と思っているのだ。
92歳で、テープレコーダーだなんて。どこまでも強い人だった。
実の親子であっても、何も信じあえないと思った。
しかし、時々そういう強い面を見せるものの、幸男達との集まりの後、房子は以前よりおとなしくなっていた。遠慮もする。さすがに、幸男の家に移るまで、恭子に抗ったまま世話になるのもやり難かったのだろう。いろいろ気を使うようになっていた。
何かにつけて、お金を出そうとしたり(断わるけれど)、果物やチーズなどを買ってくれようとした。
何より驚いたのは、卓雄の実家でのもめごとがあった時に、珍しく恭子に寄り添った意見を(弱々しくだが)言ってくれたことだった。こんなことは初めてだった。
恭子が苦しんでいても、弱っていても、房子が気持ちの上で、寄り添って、心配したり、なぐさめてくれることなど、ただの一度もなかった。
これは、初めて見た房子の母親らしさであり、うれしかった。
そういう房子を見ていると、何故、房子との同居を諦めたのだろう、と分からなくなった。こんな母親なら、何も問題なかったはずだ。
でも、これがいけないのだ、と恭子はまた自分をいましめる。この、弱さを演じる房子に、いつもだまされるのだ。
房子は、何か他に事件があると、自分に矛先が向かわないことで、安心しているような雰囲気があった。
房子が気を使って、おどおどしていると、恭子は落ち着かなくなる。胸が痛くなる。
自分に寄り添ってくれる母親であったなら、それだけでいいのに・・・。ずるいよ・・、と思った。
そうして、あれほどもめて、房子の豹変ぶり、ずるさをしっかり見たというのに、いつの間にか、房子が恭子の家を出る話は立ち消えになり、またいつもの繰り返しのような日々が続いていってしまったのだ。
集まりの日から数日経って、房子は、やはりここに置いてくれないか、と言った。意地っ張りの房子が、そんなふうにみずから頼むのは珍しかった。
そして、恭子はまた、情けないほどずるずると房子の術中にはまっていってしまう。結果として房子がここを選んだことが、うれしかったのだ。
房子にとって、ここは今、便利な所になってしまっているだろう。友達も増えた。絵手紙もできる。碁を教えにきてくれる人もいる。
食べることにも不自由せず、会いたい人にはタクシーを使ってでも会いに行ける。買いたい物も買いに行ける。
何の不自由もない。
ただ、恭子と心が繋がっていないこと、最愛の息子となかなか会えないこと、を除けば。
やすよに、房子が恭子の家にとどまる話
を伝えると、
「やっぱり、さみしくなっちゃったんでしょう」
と言った。
さみしい・・、そうだろうか。自分の気持ちが、恭子には分からない。
房子にずっと、母性を求めてきた。それは、決して得られなかった。得られたと思っても、蜃気楼のように消えた。そんなもの、実際には無かった。
碁とおじいさん
「恭子に黙って、謝らなきゃいけないことをしちゃったの・・」
レストランで夕飯を食べている時、突然房子が、言い出しにくそうに言った。卓雄はその日夕食が要らない。恭子とふたりで内科を受診した後、遅くなるので、外で食べることにしていた。
房子の言い方は、今まで聞いたこともないほど素直だった。なになに?と思わず耳を傾けたくなる。
すると、房子は、デイケアでいつも一緒になる老人を、家に呼んだと言うのだ。
その老人のことは、房子の話に何度か出てきていた。Yさんと言って、デイケアでいつも碁をやっている男性だった。もと歯科医で、自分で医院を持っていると言う。
ある時、Yさんが、家人の都合なのか、ショートステイに行くというので、それならばと、房子が家に呼び、
「いいんですか? 行っちゃいますよ」
という感じに話が決まったらしい。
房子の言い方が、あまりに素直で、可愛くさえ思えたので、恭子は勿論、
「いいじゃない」
と、笑顔で言った。
「自分の家に呼ぶのに、遠慮なんかいらないでしょ」
そんなことに遠慮しなければならない房子が、むしろ可愛そうな気がした。
その数日後、Yさんは初めて家にやってきた。二時頃に来て、六時近くまでいた。
房子が、冗談を言う、楽しいおじいさんだと言っていたが、来てみると、確かに付き合いやすそうな人だった。八十歳近いと言う。
碁といっても、房子はまだルールを覚えていっている段階で、対戦するほどの腕前ではない。
それでも、居間の隣りのピアノが置いてある部屋からは、房子の楽しそうな声が絶えず聞こえてくる。普段の房子よりずっとトーンの高い、明るくはずんだ声だった。まるで、女学生のようにも聞こえる。
やっぱり、デイケアに通ってから、急に碁を習い始めたのは、こういうことだったのか、と恭子は納得した。もともと男性が少ないデイケアだけれど、その中で、碁に興味を持っているおばあさんなどいなかっただろう。
房子が楽しそうでいい、と思う一方で、いつもの暗く陰気な房子が、また信じられないほど変わってしまうことに、見ていてあまりいい気分ではなかった。
恭子はお茶やお菓子、果物を出した後、碁がいつ終わるか分からないので、外に買い物にも行けず、待っていた。
それから、しばしばYさんが来るようになった。Yさんは、いつも果物などの手土産を持ってきてくれる。恭子も、できるだけのおもてなしをしていた。
房子はYさんが来るたびに違う人格になり、高い笑い声をあげていた。
帰る時には、戸襖を開けて、
「先生がお帰りになるって」
と房子が言い、恭子は慌てて玄関から外に出て見送る。
房子は、そこからも外に出られる部屋の戸口に立って、恭子が外で挨拶する様子を見ていた。いつも同じ光景だった。
恭子はこのお見送りに若干抵抗があった。
「先生がお帰りよ」の言葉がひっかかるのだ。
恭子にとってYさんは「先生」ではないし、房子のその言葉とともに慌てて見送りに出るのが、まるでお手伝いさんのようだと思った。
ある朝、恭子はネットでやっていた仕事でトラブって、朝食の支度をする余裕がなくなっていた。房子にも、パンやハムなどを出しただけで、いつものように、お皿に盛りつけることができない。そんなことは初めてだった。自分自身も、食事どころではなかった。
すると、朝食を済ませた房子が、お昼に何か買ってくる、と言って、出かけようとする。バスに乗るから、キャリーバッグで行くというので、物置から恭子が出した。
昼食に何がいい?と訊かれたので、じゃあ、コンビニのグラタン、と頼んだ。食べるどころではなかったので、何でもよかった。
すると、少しして、房子から連絡があって、バスで駅まで行ってしまった、駅のショッピングセンターでもいいか、と訊いてきた。何でもいい、と答えた。
それから、しばらくしてから、また房子から電話があった。嫌な予感がした。十一時少し過ぎた頃だった。恭子はまだ、洗濯物を干すことも、外の花に水をやることもできていなかった。
房子は電話で、荷物が重くて持てない、と言う。重いので、持ち上げられないから、バスにも乗れない、と言った。息使いが荒い。相当参っているのが分かった。
今どこ?と訊くと、まだ駅に近い道路沿いの店の前だと言う。
恭子は焦って苛立った。今はパソコンからとても目を離せる状態ではない。朝食だって、ろくにとっていない。昼食なんて、わざわざ買いに行かなくったって良かったのに。
苛立ちながら、慌てて着替えて、自転車で飛び出した。
房子の買い物の目的が、昼ご飯でないことは分かっていた。その日、久しぶりにYさんが碁をしに来るので、そのためのお菓子などを買いに行ったに違いなかった。
パソコンをつけっ放しにして、すべて途中にしたまま、恭子は腹立たしい思いで自転車を走らせていた。
房子はバス通りの角にいた。見ると、キャリーバッグの他に、大きくて重そうなビニール袋をふたつも持っている。
呆れるほどの荷物を持って、房子はげんなりした顔をして立っていた。わずかの距離でも、よくそんな荷物を持って、歩いてきたものだと、房子の根性に閉口する。
自転車を停めて、キャリーバッグを後ろの荷台に入れた。バッグはパンパンに膨らんで、相当重かった。
ビニール袋を前のかごに入れながら、
「もぉ~、もう、こんなことはやめてね。無茶でしょ!」
文句が恭子の口をついて出る。
けれど、房子は疲れ切った顔を見せるばかりで、恭子の顔を見ても、「ありがとう」とも、「ごめんね」とも言わなかった。
それどころか、あんたのために苦労したんだから、というようなことを、顔を歪めて、あえぎながら言う。そんなことをして、結局迷惑をかけると、分からないのだろうか。
房子は丸ごとのスイカまで買っている。昼食用ではなく、Yさんのためなのは明らかだった。
自転車で先に帰って、玄関の中に荷物を置くと、恭子は忘れていた花の水やりをした。外はかなり暑い。焦って行ったので、汗が止まらなかった。
けれど、しばらくたっても房子がなかなか帰ってこない。恭子はまた自転車を走らせた。すると房子は道路の端を、進んでいるとも思えない足取りで、杖をついてよろよろ歩いていた。
やっと家に帰り着くと、また汗がふきだした。それでも、房子は礼を言うどころか、げんなりした顔のまま、
「恭子のために、何かお役に立てれば、と思った気持ちを分かってよ・・」
とか言う。
全然分かっていなかった。
だいたい、房子が今、恭子のために、そんなに無茶をして、スイカまで買うことはないはずだった。いつも手をひいてもらって歩く九十歳を超えた老婆が、丸ごとのスイカまで買って持ってくることが異常だった。
房子はその後、ぐったりして二階に上がって行って、昼食も食べなかった。それでも、Yさんが二時頃に来る前には階下に降りてきた。相当疲れているはずなのに、大した根性だった。
その後、Yさんを見送って恭子が家の中に入ると、房子がお盆にお茶道具を全部乗せて、よろよろしながら運んでいた。
お盆はかなり重いし、普段、房子にそんなに危ないことをさせたことは勿論ない。房子が意地になっているのが分かった。
夕飯時、恭子が卓雄と話をしていても、房子はまるで関係ない人のように白けた陰気な顔をして黙っていた。
あんまりなので、食後に昼間の話をした。
「どうして、『来てくれて助かったぁ』とか、『ありがとう』とか、『ごめんね』って言ってくれないの?」
房子はいつものように、感情のない声で、
「別に・・」
と言ってみたり、押し黙ったりだった。
結局、最後には、房子は横を向いたまま、硬い表情で、セリフのように心のこもらない「ありがとう」を言って、二階に上がっていった。
少しずつ、房子との関係が険悪になっていくのを恭子は感じていた。
嫌なところばかり
デイケアのバスの手伝いのおじさんが、房子が乗り込む時に、
「夜中にまた、何の勉強をしていたんですか」
と訊いた。
房子はいまだに、夜中に勉強をしているとか、デイケアで話しているのだ。呆れてしまう。毎晩、テレビをつけっ放しで、大きな口を開けて眠っているのに。
房子はどこに行っても、自分の立派な話ばかり吹聴してくる。博学なこと、子供達を女手ひとつで育てて大学まで出したこと、家を建てたこと・・。
房子の実態を知らない人達が、尊敬する、と口々に言う。誰も知らない所で、房子を立派だと言うのは、房子自身が言う他なかった。
恭子は、房子のその飽くなき顕示欲を、心から嫌った。
暗い房子も相変わらずだった。
外に食べに行くと、房子はいつも銀行から一度に5万円降ろして、その中から帰りに果物などを買う。そして、買ってあげたとばかりに、家に帰っても、「ごちそうさま」でも「ありがとう」でもなかった。
房子の返事の仕方もひどいままだった。
トイレの電気がいつもつけっ放しなので言うと、
「言われるから、気をつけているんだけど」
と、怪訝そうに、人柄の悪い返事をする。
そして、房子の返事は、いつも「はい」だけのことが多かった。
寒がりの房子ひとりのために、夏でも風呂に湯をはる。卓雄が入れてくれたので、房子にそう伝えると、
「はい」
と返事する。「はい」じゃなくて、「ありがとう」だろうと、いつもムッとする。
トイレの窓が開けてあるので、房子が入った時に、
「窓が開いているから、閉めてね」
と言う。
すると房子はまた、機械的な、感情のない声で、「はい」と「い」を上げて返事をする。
「おかあさん、@@したら?」
「@@の方がいいんじゃない?」
何を言っても、この、硬い、機械のような「はい」を言う。セリフのように言う。
「そうね」とか、「そうするわ」とか、もっと温かい、人間的な言葉が出ないものかと思った。
「ありがとう」と言わないのも同じだった。
朝、ゴミの収集に来るので、デイケアの用意をして階段を下りてきた房子に、パットのゴミのことを言う。
亜美がネットで頼んで買ってくれたオムツのゴミ箱を、ビニールをセットしたまま、房子は一度も汚物を捨てていなかった。気になって、前の晩、房子がお風呂に行った時に覗いてみた。
すると、外からは臭わないのだが、胴体をパカッと開けてみたら、透明なビニール袋が結構大きく膨らんでいて、ひどい臭いがした。
これはいけない、虫でも湧いたら、と驚いた。
朝の忙しい時間ではあったけれど、朝食をテーブルに並べる前に、房子に伝えると、恭子はハサミを持って二階の房子の部屋に行った。
房子は心配そうに後から部屋にやってきた。
今さら、恥も何もないでしょ、と思う。
ビニールの始末は簡単だ。溜まっている袋の上の方で切って、しばればいいだけだ。
房子のプライドのために、自分でやる方がいいかと思っていたのに、どうしてこんなに放っておくのかと思った。
時間がないので、急いでゴミをしばって、所定のゴミ袋に入れて、外に出してきても、房子は黙っていた。「ありがとう」の言葉が、房子の口から出ることはない。
こういう房子の態度が、恭子を女中さんのようなみじめな気持ちにさせるのだ。
房子は教師であるのに、おかしいと思う言い方もよくした。恭子に、祖母のシカや祖父の話をする時に、相変わらず「私の母がね・・」とか、「父が・・」と言うのだ。
「それは、私から見て他人みたいな言い方でしょ」
と言うと、その時はすぐに、「おばあちゃま」と、恭子が呼んでいた言い方に変えた。
何度もこういう言い方をするのは、結局、房子は自分中心で、恭子の立場でなど考えたことがないからだと思った。
「私が久美達に、おかあさんのことを『私の母が・・・』と言ったら、おかしいでしょ」
すると房子は、
「そ」
と無表情に、面倒くさそうに言う。
「そうね」でもなく、否定するわけでもない。
誉める言葉か、やさしいことを言われない限り、房子はこういう返事をするか、黙っているかの、どちらかだった。
何かを頼む時の言い方も、直らなかった。
卓雄がお茶を入れている横で、
「私もお茶がほしい」
と房子が言う。また、子供みたいな言い方を、と思う。言葉が分からないわけではあるまい。他人には、恐ろしく丁寧に言えるのだから。
「『お茶を入れてちょうだい』と、頼めばいいでしょう」
と言ったら、
「お茶を入れてください」
と、オウム返しのように、やさしくなく言う。まったく・・。
「悪いけど、お茶を入れてくれる?」とか、普通の頼み方ができないものか、と思う。
気分が悪い時の房子は、外から帰った時の荷物といっしょに、お茶を自分で入れて、二階に持っていこうとする。
「あ、ちょっと待って。持っていくから」
と、恭子はパソコンを中断して階段のところに行く。
ジャケットやバッグと一緒に、お茶が入った湯呑みを持って、恭子は階段を上って行った。房子は後から這うように上ってくる。
両手が空いていたって大変なのに、房子がお茶ひとつも持っていけないことは分かりきっている。悪いけど、持ってきてくれる?と頼めないのだ。遠慮ではない。意地になっていた。
恭子が大嫌いな房子の言い方に、
「○○してもらおうかしら」というのがあるけれど、これも、何回言っても直らなかった。
昔の生徒さんが車で迎えにきてくれて、お宅におよばれした日もそうだった。
恭子が手土産を買いに走り、用意をする。
靴を履くのに手間取って、ようやく車に乘った房子が、
「杖を持ってくるのを忘れたわ。持ってきてもらおうかしら」
と、見送りのためにそばにいる恭子に言う。
どうして、何度言っても分からないのだろう。房子は「○○してもらおうかしら」という言い方が丁寧だと思っているようだが、これは、上から命令する強く嫌な言い方だと、何度言っても分からない。
帰ってくると、房子はぐったり疲れている。お茶を飲む?と訊くと、
「お水をもらおうかしら」
と房子は言う。恭子は房子のこの言い方を聴くたびに、胸がひりひりした。
だいいち、「お水をもらおうかしら」ではなく、「今日は楽しかったぁ。いろいろありがとう」のはずではないか、と思った。
その後疲れて眠った房子は、夕飯の時に、いつものように、ほとんどしゃべらなかった。帰ってからの恭子とのやりとりに、機嫌を悪くしていた。
卓雄が房子にその日のことを訊いたり、恭子が亜美に4人目の子供が生まれる話をしても、黙っていた。いつもの通り、暗いムードの食卓だった。
「生徒さんと、どんな話をするの? 家でこんなにしゃべらないのに」
「学校の話・・・」
房子は、それにはポツリと答えた。
そうなんだ。生徒さんや房子が楽しいのは、そういう話をするからなのだ、と思った。
房子が他人と楽しく話をする様子が、どうにも想像できなかった。房子はいつものように、他人には人が変ったように、やさしく、ほめちぎるから、相手も楽しいのだろうか。
その後また、嫌なムードの流れになった。話を追求したり、批判的なことを言うと、房子はすぐに黙る。嫌な顔をして、黙り続けた。
房子が二階に上がると、卓雄が、おかあさんにいくら言っても無駄だよ、聞いていて嫌になる、と言った。
もう無駄だから、そんな話はしない方がいいなんて、それは、親子じゃないから言える、と恭子は思う。親子だからこそ、こんな中途半端な状態は辛い。
そうしたら、パソコンの碁のゲームの説明を頼まれた卓雄がカリカリした顔で二階から降りてきた。そのゲームは、凛が房子に送ってくれた、新しいCDに入っている。
卓雄は房子が何度言っても分からないので、苛立ったらしい。
でしょ? と恭子。ゲームくらいならいいけれど、無駄だと思っても、突き詰めなきゃならない話もあるのだ。
同じようにげんなりしながらも、恭子は卓雄にありがとう、と言わなくてはならない。
恭子の立場を、卓雄は少し理解したようだった。
分かっていたことではあったけれど、恭子は房子と同居を決めたことを、かなり後悔していた。
我慢できない
「認知症って、検査で分かるんですってね。
脳神経外科に行ってこようかしら」
朝食を食べながら、房子が突然言った。
「どうして?」
「私、ぼけたんじゃないかと思って・・・」
「病院に行って、治るの?」
言いながら、だんだん面倒臭くなった。
房子が、自分がぼけたと思っているのなら、それでも良かった。思っていないから、いろいろ違ったことを言い張ったり、言ったのに言ってないとか、強硬に言ったりする。
そして、外では、立派で頭が良くて、上品で、若くて元気なふりをする。
それでも、本当にぼけたと思っているといえるのだろうか。
房子はきっと、その朝のことを正当化しようとして言っているのだ。
その日、房子は予定が何もない日だった。
昼になっても起きてこないので、様子を見に行くと、服を着たまま寝ていた。
朝起きて着替えたのだと房子は言う。そうだとしても、それからまた、十二時過ぎまでも寝るものだろうか。
目覚めた時の房子は、入れ歯が乾いて、またもにゃもにゃと、何を言っているのか分からない。
「恭子が四時過ぎ?起こしてくれたので・・」
とか、訳の分からないことを言っていた。夢でも見たのだろう。
「認知症」だなんて、言ってみているだけだろう。むしろ、そんなことを言ってみるほど、頭がしっかりしていることをアピールしている。房子らしい、と思った。
房子の体は確実に衰えていっている。けれど、気持ちの強さが衰えることはない。相変わらずの房子の我の強さ、冷たさに、恭子は傷つき、ストレスをためた。
ある日のこと、房子の片腕の内側に紫色のあざができているのを見つけた。だいぶ暑くなってきたので、寒がりの房子も半袖を着るようになっていた。
「どうしたの?」
と訊くと、房子は、恭子につかまれた時のものだと言う。その「つかまれた時」という言い方に恭子は邪気を感じた。
訊いてみると、階段を上る時に、恭子が腕の下から支えた時のものだった。房子が痛いというので、ひじを支えたり、そのつどいろいろ変えて、手伝っていた。
階段を上る時に手伝うのは、恭子自身も危ない姿勢になったり、辛かったりもする。それでも、房子のためにやっていた。
「いやだなぁ、言ってくれれば良かったのに」と房子に言った。体質的なものなのだろう、恭子もちょっとぶつけたりすると、すぐに青や赤のひどいあざができる。房子の腕のあざも、少し薄くはなっていたけれど、紫色が結構広範囲に広がっていた。
「誰かにあざのことを訊かれなかった?」
と訊くと、房子はしばらく考えてから、訊かれたかもしれない、と言った。
「何て答えたの?」
と訊いても、はっきりしたことは言わない。
とたんに、恭子の頭に、過去の房子の打算と意地悪さが思い浮かんだ。
房子は自分が「かわいそうな人」を演じて、他人から同情を得るのが好きだ。もしかしたら、また、恭子を悪者にしたてたのかもしれなかった。
「そんなはずもないでしょうけど、娘が暴力をふるったなんて思われたら嫌だから、ちゃんと言ってね」
と言うと、房子はあいまいに笑っている。「まさか、そんなことを言うわけないでしょう」とも「親切でやってくれているのに」とも言わない。
恭子に対してやさしい気持ちがあれば、「恭子につかまれた時・・」ではなく、「恭子が階段を上るのを助けてくれた時」とでも言ってくれるはずだった。
房子は自分のことを立派に見せ、幸男をかばい、他人を誉めたたえ、そして、日頃がんばって世話をしている恭子を、あたかも暴力をふるう娘のように伝えるのだ。
恭子はすっかり気持ちが暗くなった。いくら何でもひどい。報われない、と思った。
そう言えば、房子が伊勢の親戚に、電話でこんな言い方をしているのを聞いたことがあった。電話の相手は佐和子さんとは別の従弟だった。
「恭子でさえ、クニさんのことを、やさしいおばさんだと言っていた・・・」
クニさんと言うのは従弟の亡くなった母親であり、シカの姉だ。佐和子さんの伯母でもあった。クニさんは、歳を取ってからも、何回かシカに会いにきて泊まったことがある。やさしくて、恭子は大好きだった。
「恭子でさえ」って、どういう意味だろう。
房子の、その言い方に、恭子はえ?と思った。
まるで、恭子が冷たい人で、他人を誉めないようではないか。気分が悪かった。
電話を切ってから房子に訊くと、別に他意はないようなことを言う。
出かけていた卓雄に意見を求めても、やはり、ひどい、と言った。それを伝えると、房子はただ「ごめんなさい」と軽く言う。
けれど、房子の「ごめんなさい」に、恭子は一層傷つく。
「違うのよ、こういう意味なのよ」とでも言い訳してくれた方がマシだった。実の娘を、こんなに貶めていく母親って、いるのだろうか、と悔しくなった。
ずっと以前、元気だった佐和子さんが東京に来て、恭子の家を訪ねた時にも、え?と驚いたことがあった。
初めて訪れた恭子の家の中を眺めていた時のことだ。房子もそばにいた。
佐和子さんはピアノの部屋を眺めながら房子と、久美が音大に入る話をしていて、
「大変やなぁ。おかあさんもまた、がんばらなあかんな」
と言ったのだ。
久美が音大に入るのに、房子ががんばるって、どういうことだろう。まるで、房子が学費を出すためにがんばるようではないか。子供達の学費については、卓雄のボーナスをほとんど使ってやりくりしているというのに。
佐和子さんの言葉を聞いて、房子は、恭子の前で言われてまずかった、とでもいうように、恭子を見て首をすくめた。やはり房子は佐和子さんに、自分が孫の学費を全部払っていると、大風呂敷を広げているのだ。
その時も、自分さえ立派に見せれば、という房子の虚言癖を、苦々しく思ったものだった。
房子から受けるストレスの中で、恭子が一番堪えるのは、房子が石のように黙り込むことだった。それは、いつまでたっても直らなかった。
がんばって一生懸命作った料理も、房子はおいしいとも言わずに、黙って、つまらなそうに、暗い表情で食べることが多かった。
例えば、もうすぐ料理ができるという時に、お菓子を食べようとする房子を注意する。食べ物が詰まるから、姿勢を良くした方がいい、と言う。そんなことでも、房子が機嫌が悪くなって黙りこんだ。
言葉が見つからないのではなかった。他の人には百倍も千倍も饒舌になる。房子のだんまりは、強い抵抗、最高に嫌な気持ちを表すだんまりだ。これが、どんなに相手を威圧して、絶望に陥らせるかは、房子のその態度に実際接した人しか想像ができないと思う。喧嘩をしてでも言い合うならば、まだ救われる。
けれど、房子のその硬い岩のような抵抗に遭うと、やりきれない無力感と苛立ちを感じた。
話し合いの時にも黙ってしまうので、ある時、恭子はどうして黙っているのか訊いた。
すると房子は、
「黙って耐えている」
と言う。この言葉に、恭子は余計傷ついた。
これは、親子の会話ではない、と思った。
「何を言ったらいいか、分からない」「言葉がうまく見つからない」「言ったら、悪くとられる」
こんな言葉をようやくボソッと言ったこともあった。
なおも追求すると、房子は黙ったまま、鼻水をすすった。房子の言葉を求めて、もどかしい思いに耐えている恭子に、房子はまるで、自分がいじめられている人のように振舞うのだ。話にならなかった。
そうしてだんまりを続け、弱い年寄りを演じたかと思うと、強い顔で主張して譲らないのも、相変わらずだった。
夜お風呂に呼びに行くと、
「テレビが1チャンネルひとつしかつかない」
と、房子がベッドに腰かけて言う。
「ひどいテレビを買っちゃった」
と房子は怒る。
「またどこかいじっちゃったんでしょ」
と言っても、以前と同じように、
「絶対どこもいじってない」
と、強い顔で言い張る。そんなはずがないでしょ、と卓雄を呼んだ。
卓雄はあちこち試してから、
「おかあさん、ここを動かしたでしょ。だめですよ、ここを動かしたら」
と言う。見ると、どうしてこんな所を動かすのかと思うようなところを動かしていた。
ここで房子が、
「そうだったの!」
とにこにこして言うのなら良かった。「ありがとう」とか、「ごめんなさい」なら、何も問題はなかった。
ところが房子は、注意されたのが不服で、ぶすっとしたままなのだ。
房子のだめな所はどうしても直らない。
食卓の、房子のすぐ足元にゴミ箱があるというのに、房子はいつも見もしないで、無造作にゴミを捨てるから、ゴミ箱の周りに丸まったティッシュがいくつも落ちている。卓雄も、そのゴミを拾ってゴミ箱に入れたことが何度かあった。
毎回、あんまりひどいので、迷った末に、洗面所から帰ってきた房子に、ゴミのことを言ってみた。
すると、房子は無言のまま、苦労してゴミ箱の前でしゃがんで見せた。そして、無言でティッシュを拾うと、ゴミ箱に入れた。
どうして黙っているのだろうかと思う。房子の無言に、ゴミぐらい拾ってくれてもいいでしょう、という、こちらにとっては理不尽な怒りが見てとれた。毎回のことだから、房子だって、ゴミが入っていないのが分かるはずだった。
相変わらず、当たり前のように卓雄を使うのも嫌だった。
出かける前に、卓雄がすぐ近くにいるのに、
「一時に○○の駅だから、十二時二十分ごろのバスに乗れば間に合うかしら」
と言ってみせる。
「そんな言い方をしないで、ちゃんと頼めばいいでしょう」
恭子が言うと、
「卓雄さん、送ってください」
房子は、言われたから言います、というような、感情のない機械的な言い方で返す。
「そんな強い言い方じゃなくて、『送ってもらえないかしら』とか、やさしく頼めないかしら」
すると房子は、
「あ、そ」
とだけ言った。
何を言っても無駄だった。普通の感覚とか、常識とか、まるでない。本来なら、
「卓雄さん、ほんとに悪いけど、駅までお願いできないかしら」くらい言うものだろう。恭子なら、そう言う。
あるいは、気を使わさないように、タクシー券が余ってしまうので、とでも言って、そっと行くべきだろう。卓雄に悪いなどという気持ちはまったく無いようだった。幸男には、あんなに遠慮するというのに。
ある夜には、こんなこともあった。恭子達が用事で出かけたために、房子のお風呂が遅くなってしまっていた。卓雄が先に風呂に入った後、房子を呼びに行った。
結局、支度に時間がかかる房子は、十二時半頃風呂に入り、一時一五分くらいに出てきたのだが、脱衣所で、かなり時間がかかっていた。
次に入ろうと、恭子が待っているのだけれど、いつも以上に長い。恭子はいつものように、房子の衣類を運んで、房子が階段を上がる手伝いをしようと待っていた。
するとしばらくして、房子が脱衣所のカーテンを開けて、ダイニングに出てきた。
ところが、見ると、房子は上は袖のない肌着、下はバスタオルを巻いただけ、という姿だった。パンツはまだ履いてない、と言う。かつらもかぶっていなかった。
隣りの居間には卓雄もいる。いつもの房子なら、絶対に見せない姿だった。びっくりした。
慌てて、
「いいの? そんな恰好で・・」
と訊くと、
「良くはないけど・・」
と、房子は居直っている。
房子はそんな姿のまま、ダイニングの椅子に座って、テーブルの上のティッシュペーパーの箱をとって、何枚も何枚もがさがさと紙を引っ張り出している。そうして、そのティッシュで、片足をいらいらした様子で拭いていた。
房子は、恭子があげた湿布を貼ったまま、風呂に入ったけれど、べたべたが取れないと言って苛立っていた。その湿布は、恭子が以前怪我をした時に整形外科でもらった残りだった。房子に頼まれてあげたものだ。
房子は、その方が効くかと思って、いつも湿布を貼ったまま風呂に入る、と言った。
時間はどんどん経った。房子はいつまでもいつまでも、いらいらとティッシュで拭いている。まるで、恭子の湿布のせいだといわんばかりだった。
恭子がしびれを切らせて、
「おかあさん、もう一時間になっちゃう・・」
と言うと、
「言われた時間に来たんだけど・・」
と、房子はぼそっと言った。
遅い時間に風呂に呼ばれたことが気に入らなかったのか、本当に湿布に苛立っていたのか、分からなかった。
けれど、そんな恥ずかしい姿を晒してまで、自分の苛立ちを見せつける房子の気の強さに、恭子は辟易としていた。
施設を決断
どうして具体的に話を進めることになったのか、恭子にもはっきりしないけれど、ある日から、「施設」の話は急に進み始めた。
それまでもいさかいのたびに、房子はたびたび「施設」を口にしていた。自分の母親のことをいつも「『どけち』だった」とこきおろしていたのに、「父母の所に行きたい《つまり、死にたい》」と言ってみたり、「施設に行く」と、房子は最後の「切り札」のように、必ず言った。それは、房子にとって、とっておきの「守り刀」のようなものだったのだろう。追い詰められて言ってみるものの、ぼんやり思い浮かべるだけで、実際にそうなるとは、思っても見なかったのだろう。
けれど、その日、恭子は思い余って、「もう止めない」と房子に言った。もう、たくさんだと思った。房子のことで、ノイローゼになりそうだった。限界だった。
房子が自分の母親だという実感はまるでない。心から話をしたくても、何を言っても、本当に心があるのかと疑ってしまうほど無反応、無感情。いつも、まるで、石の壁に向かって話しているような、虚しさに襲われて、堪えられなくなった。
食事時、恭子が何か話しても、例えば碁や旅行の話になると、よくしゃべったりしたけれど、それ以外は、ひとり関係ない人のように、暗い表情で黙って食べている。
ちょっと気に入らないことを言われると、「あ、そう」と嫌な顔をして終わる。
そういうすべてに堪えられなくなって、施設の話に進んでいったのだ。
それでも、恭子は当初、本当にそんなことになるとは思っていなかった。房子だって、そうだっただろう。
ところが、それを進めてしまったのは、房子本人だった。
勝気な房子は、施設の話に乗り気な様子を見せていた。まだ何も決まっていないのに、勝手にデイケアのスタッフに施設について相談していたし、ケアマネにも、電話で相談していた。
房子にしたら、自分がそういうかわいそうな状態であることを、周りに知らせたかったのかもしれない。同情されたかったのかもしれない。
けれど、そういう房子の行動によって、施設の話が一層現実的になってしまったのだ。
年寄り本人が、施設の相談をしたら、家の人はどう思われると思う? 恭子がそう言って怒っても、房子は黙っていた。何が悪いの?という顔だった。
ケアマネには、恭子達もふたりで相談しに行っていた。大きな梨を6個買っていった。勤務時間内だったので、受け取ってもらえるか心配したけれど、ケアマネは、驚くほどすんなりと、それを受け取った。
結局、房子からも相談があったので、ケアマネは、施設のことを相談するところを紹介してくれた。ネットで自分で施設を調べても、たくさんあり過ぎて、どこがいいのか分からない。料金も、実際には、いろんな料金が別にかかるようだった。
ネットで見た2カ所の施設を房子に見せると、房子は幸男に頼んで見に行く、と言う。
幸男に、って、何を言っているの? 順序が違うでしょ。幸男が施設について、何と言っているのか、恭子達になんと言うかでしょ?
恭子が怒ると、じゃあ、恭子が行ってくれるの? 何を怒っているのか分からない、と言う。
考えられないのだろうか。それともとぼけているのだろうか・・・。
そのうち、施設の話が現実味を帯びてくると、房子の態度が変ってきた。施設の相談員が来ることになって、その訪問日が近づいてきて、ようやく実感したのだろう。
房子は急に、ぺースメーカーの補助金が出た、と言って、数万円を持って恭子のところにきた。これまで何度か見てきた房子の作戦だ。勿論断った。これからお金がたくさん要るのだから、大事にして、と。
食事の時にも態度がまったく変わった。それまでとちがって、自分から話をする。暗く、押し黙っている房子とは別人の、ごく普通の感じだ。ごく普通・・。房子はそれができなかった。
やればできるんじゃないか、と思った。
でも、もう遅い。
そんなふうに、計算高く演じたって、もう遅い。どんなに優しく演じたって、もうだまされない。ほろっとしない。心動かされない。
相談員は、その日夕方に来た。思っていたより若く、40代くらいに見える男性だった。
二時間くらい説明を受けて、いろいろ分かった。
まずは経費だった。かなりかかることが分かった。近々介護保険料が倍になる。施設のお金以外にも、医療費、雑費がひかれていく。房子の年金は、決して少ないほうではなかったけれど、それでも、その他に携帯料金など定期的な支出を差し引くと、毎月いくらも残らない計算になった。
相談員の説明を、房子は暗い顔で聴いていた。時々、パンフレットをめくってみたりしているけれど、上の空なのがよく分かる。こうして現実を目にして、相当参っているようだった。
それでも、もう引き返せない。引き返さない。みんなあなたが悪いのだ。身から出たサビだ、と恭子は思った。
相談員が帰ってから、房子にちらっと話をしたけれど、房子はまったく身を入れて聞いていなかった。
風呂がわいたので、二階から房子のパジャマやタオルをとってきて、房子が風呂に入った。房子は考え事をしているのか、ぼおっと力なく体を動かしていた。
房子が二階に上がってから、恭子は卓雄と相談した。費用のことなどを考えて、ここしかないという施設をひとつにしぼった。小さいけれど、新しく、きれいな施設だった。
その施設のパンフレットを持って二階に行くと、房子は部屋でパソコンの碁をやっていた。もう、夜中の十二時近くになっていた。
恭子が部屋に入って行っても、房子はその碁の画面を終わらすために、しばらくじっとパソコンを見つめていた。
恭子が施設の話をしようとすると、房子は、今やすよに電話したと言う。やすよも施設をいくつか見つけているので、ちょっと待ってくださいね、と言ったと言う。
びっくりした。そんな話は聞いていない。こちらと施設について話もしていないのに、何で?
「どうして、そんな先走ったの?」
と、呆れて言うと、
「『先走った』?」
と、房子は嫌な顔をした。ここ数日のやさしく、穏やかそうな顔から一変している。元通り、硬く暗い顔をしていた。
急にお金を渡そうとしたり、食事時に、明るく話し始めたのは、やはり、芝居だったのだ。ここに居ることができないかと、いろいろやってみたのだろう。
そして、今度は、やすよに電話だ。自分から絶対に電話などしなかった、世界中で一番嫌いな相手に、またすり寄っていったのだ。何という打算的な人だろう。
施設との連絡、夏冬の衣類の入れ替え、お金の管理、病気になったら・・・、それらを全部、幸男ややすよができるというのだろうか。今までですら、放っておいたあの人達に・・・。
房子はそういったことを、何ひとつ考えられない。
施設に入れてしまうことに心が痛み、少し可哀そう、と恭子の気持ちが揺れ始めても、こうして房子は、恭子の心をしっかり冷やすようなことをした。
施設を見に
相談員がきた翌日に、卓雄と三人で施設を見に行くことになった。持ってきてくれたパンフレットの中から、ふたつ候補を選んで、相談員にも連絡しておいた。
その前に、幸男にも言っておかなければならない。恭子が電話をするように言っても、今まで何故かいつもしぶっていたのに、その日は房子はやっと二階で幸男に電話したようだった。
けれど、幸男にキツいことを言われたようで、房子は落ち込んでいた。珍しく、幸男のことを批判的な口調で言った。
幸男は、何故わたくしばかりに謝れと言うのか、だいたい「おかあさま」も悪い、と言ったと言う。房子の話を100パーセント信じることはできないけれど。
施設のことはなんと言っていた?と訊いても、話がそこまでいかなかった、と言う。
幸男と話などしたくはない。けれど、しないで施設を決めるわけにもいかなかった。
仕方なく、卓雄が電話をすることになった。卓雄の携帯電話をスピーカーホンにして、恭子の携帯電話で録音することにした。房子もそばにいた。
久しぶりに聴く幸男の声だったが、相変わらず偉そうな先生口調だった。
いつものように、「わたくしは・・・」と始まり、何故恭子が直接電話しないのかとなじり、
「おばあさまにも、『恭子がいろいろ気が強いことを言っても、はいはい、と聞いておけば良かったのに』と言ったんだ」
とか、
「ささいないざこざでしょ」
と、恭子をバカにしたようなことばかり言った。聴いていて、どなりつけたくなる。
日頃、何を訊いても答えなかった房子が、幸男にどういうふうに伝えているか、垣間見えたような話の内容だった。
聴いていると、幸男は二言目には、
「わたくしは、出入り禁止されているから、何も言えない」
と言う。恭子が幸男に腹を立て、房子に、家の中に入れることも拒否したことをねちねち言う。
「恭子とはそうでも、おかあさんとは違うでしょ。」「施設のことを、どうして、おにいさんから電話して訊かないんですか」
卓雄が声を大きくすると、
「勿論、おかあさまは大事ですよ」
「いつも連絡し合っていますよ」
と、幸男は小馬鹿にした口調だった。聴いていて、怒りがこみあげた。
最後に、卓雄が、じゃあ、施設のことはいいんですね、おにいさんの了解を得ないと、後で何か言われても困りますから、と言うと、
ああお願いします、となった。
卓雄に、もっと強く言って欲しかった。けれど、
「夜遅くに済みません」
と、卓雄がへりくだって言ったものだから、幸男も気を良くして終わったようだった。
録音を聴き返しても、腹が煮えくりかえりそうだった。
偉そうに。そもそも自分の家で房子とうまくやっていけなかったから、こういうことになったのに、恭子のことをどの口が批判するのだ。
それにしても、幸男にこういうことを言わせる根源は房子にある、と思った。房子が、幸男にそういう伝え方をしていたからだ。
恭子が強いから、とか、いろいろ言われるから、とか、みんな恭子が悪いことにして、幸男に愚痴を言ってきた結果なのだ。なにひとつ、恭子がしてあげたことを言わなかったからだ。
幸男も房子も、似たもの親子だと、つくづく思った。この人達には、もう、何も通じない、と諦めた。
その晩、眠れないほど怒りがこみあげたけれど、幸男に、なんとか事実だけは言ってやりたい、と思った。
ああいう、常識のない、思いあがった男には、興奮したら負けだ。冷静に、頭を使って対峙しなければならない。
そう思って、翌日施設に行く前に、幸男に電話するために、言いたいことを書き出してみようと思った。
箇条書きに書き出してみた内容はこうだ。
*まず、房子の介護が嫌だったのではないこと。(房子の体は、もう介護が必要)
*「ささいないざこざ」というけれど、その対処がうまくできなかったから、幸男の家を飛び出したのでしょ。
それは、やすよが悪いのではない。房子の横暴さを見ていたんでしょ。それに対して何もできなかった幸男が悪いんでしょ。
自分達が、「ささいなこと」じゃないのを、一番よく知っているでしょ。面倒みている家族は、どうしても、いろいろ注意する。それなのに、注意されると、注意した人を悪く言う。やすよとの日々を、よく考えてみて。
*「恭子から縁を切られているから、と何度も言うけど、母親と縁を切っているわけじゃないでしょ。(このことは、卓雄も昨夜電話で言った)
母に対して愛情があれば、放っておかないで、何でもできたはず。
「施設」のことだって、そちらから何も言ってこない。やっと、房子が昨夜電話した。
ちっとも誠意がないし、逃げているだけで、こちらに無責任に「丸投げ」してるでしょ。
*だいたい、縁を切るとかどうとか、
(実は、幸男と話しに行ったことが、たった一度だけあった。K駅にある店でだった)
お店で、お金の話が出て、「お金なんか一切もらっていない。信じないなら、この話は終わりだ!」と幸男が言ったので、そのまま帰ってきたんでしょ。
自分から終わりにしたんでしょ。じゃ、もうこれで、一切会わないから、と私は言ったでしょ。
(しかし、この時のことを、幸男はうろ覚えだった)
*これまでのことを謝れ!って、どっちのセリフ?
房子が来た時、「じゃ、お願いします」って、何かの折に軽く2度ほど。
母親を預けるのに、それはないでしょ。
まず、「いいか?」と相談するのが先でしょ。
幸男と冷静に話をするために、恭子はこんなふうに、幸男に言いたかったことを整理してメモした。相手があんな男だから、努めて冷静に、話をしなくては、と覚悟した。
施設を見に行く朝、恭子は書いておいたメモを見ながら、極力心を落ち着けて幸男に電話をかけた。これが最後だから、冷静に、最後まで聴いて、と幸男に言った。
すると、案の定、幸男は端(はな)から興奮した。冷静に聴くどころではない。
「その前に、何か言うことがあるんじゃない? 今までの無礼をわたくしに詫びるのが先でしょ!」
そう、威丈高に言った。予想された出方だった。
こちらの方こそ、大声でどなりたくなるほどだったけれど、我慢した。負けない。冷静を貫こう。話しても、無駄な男なのだ。
録音していることを言い、昨夜もそうしていたことを伝えると、さらに激高した。
恭子は、一応謝った。言った、言わない、で、もめるのが嫌だったから、と冷静に言った。
しかし、この時、失敗した。携帯電話をスピーカーホンにするのを忘れていたのだ。録音した幸男の声は、何とか聴きとれるくらいの音だった。
結局、言いたかったメモを全部読み上げる前に、これから行く所がある、時間が無い、と何度も幸男に遮られ、最後の方は言えなかった。焦っているので、ちゃんとは聴いていないようだった。
でも、もうこれで諦めよう、終わりにしよう、と思った。
施設を見に行く車の中で、幸男から初めてメールがきた。やすよにかけた電話で、恭子の番号を知ったのだろう。
「電話をありがとう。時間がなくてごめんなさい」
と、短いメールだったけれど、いつもの威丈高さが無かった。恭子が冷静にとがんばったのが功を奏したのだろうか。
けれど、もう、幸男のことはどうでも良かった。どうせ、話をしても、分かる相手ではなかった。
施設
見に行った施設は、新しく、きれいだった。恭子の家から私鉄を乗り換えて、電車だけで四十分ほどの駅にある。思ったより部屋は広く、施設のスタッフも感じが良かった。
ただ、まだ入所10人ほどで、少し寂しい感じがした。
それより気になったのは、部屋に冷蔵庫を置くことも、部屋で飲食をすることも禁止されていることだった。房子には、きっと辛いだろうな、と思われた。
それでも結構好印象ではあった。けれど、房子がもう一カ所見たいと言ったこともあって、予約していなかったもうひとつの施設を、相談員に連絡して、見に行くことになった。
その施設もまだ新しかった。マンモスだと聞いていたけれど、既に半分の40人くらいが入居していた。
若い女のマネージャーは、さわやかで、てきぱきしている。ざっと施設の説明をして、館内を案内してくれた。
部屋の広さは、その前に見た施設と同じくらいだった。違うのは、冷蔵庫を置くことも、部屋での飲食も許されることだ。
館内には甘い花の匂いが漂っている。南国のホテルのようだった。お風呂もいくつかある。きれいだし、機械浴などの設備もあった。
そして、極めつけは、廊下の突き当たりに造られている足湯だった。それほど大きくはないけれど、一日中浸かっていられると言うその足湯のせいで、施設が一層優雅に見える気がした。
食事風景も見られたが、結構充実した内容だった。
食堂にいる老人達は、どんよりくすんで見えた。テーブルの前に、背中をまるめて、じっと座っている人達は、外の世界から隔離された、特別な人達のように見える。こんな中にいる房子を思うと、胸が痛んだ。
女のマネージャーの話では、部屋はどんどん埋まっていっている、と言う。その施設にかなり心が傾いていた恭子は、早く決めなければと、少し焦った。房子も、足湯などには惹かれているようだった。
房子の様子を見ていると、少しずつ話がリアルになりつつあって、観念していっているようだった。勿論、決して明るくはない。
家に帰ってから、お金の計算をしてみた。どちらの施設も費用は同じくらいだった。
房子は、どちらかと言えば、マンモスの方がいいと言う。費用の合計を計算してみると、房子の年金でまかなえるぎりぎりの額だった。
ところが、初めて見せてもらった房子の通帳で確かめると、引かれているお金の中には、恭子が知らなかった保険のお金もあった。房子の出費はそれだけではなく、恭子の家に来る前も、来てからも、ずっと幸男にまとまった額のお金を送り続けていたのだが、それを知ったのは、房子の死後、膨大な通帳の束を整理している時のことだった。
施設に入っても、雑費や医療費など、いろいろ要る。入居の時には、まとまったお金も払わなければならない。お金の余裕はなかった。
考えられる収入は、損保の解約くらいだった。足りない分を、そのお金でやりくりするしかなかった。
迷っている間にも、マンモスの施設の部屋は、確実に埋まっていってしまう。気が急いた。亜美も、最初のフィーリングが大事だと、背中を押した。
そして結局、マンモスに決めて、翌朝、とうとうマンモスの施設に予約の電話をすることになった。
大きな運命を決めることになる。緊張した。
部屋が埋まってしまう、という焦りがなかったら、もっとゆっくり決めたことだろう。房子だって、こんなに早く決まってしまうとは、思っていなかったことだろう。
その後、損保の解約も、損することなくできて、まとまったお金が入ることが分かると、房子も少しほっとしたようだった。急に、眼鏡がよく見えないから買い替える、とか、お金を使う悠長なことを言い始めた。
房子は、一万円札を何枚も持っている、優雅な金銭感覚から、なかなか抜け出せないのだ。
施設の仮契約はしたけれど、実際入居できるのは、翌月だった。まだ三週間もある。
けれど、その間にやることはたくさんあった。房子のおびただしい荷物の整理をしなければならないし、内科で健康診断を受けなければならなかった。
前日に恭子が内科に施設の健康診断書を預けて、四時過ぎに診察の予約をしている日のことだった。
その日は房子のデイケアがあったので、いつも帰ってくるその時間に予約をしてあった。
ところが、房子がいつもより一時間も早く帰ってきたので、びっくりした。その上いつもの送迎バスではなく、ひとりだけ乗用車に乗せてもらっていた。
「早く帰る人がいたから、乗せてくれたのよ」
房子は、何が悪いの?という顔で言った。
それだけでなく、房子はセンターから医院に電話して、予約を変更して、三時ごろ行ってもいいかと訊いたという。センターから直接行こうとしていたのだ。(勿論、断られたという)
どうしてそういう勝手なことをするのだろう。時間を早める意味が分からないし、恭子に訊くこともしないで。そして、時間の変更ができなかったのに、わざわざ乗用車で送ってもらって帰ってくるなんて。みんなに見せつけるためのパフォーマンスではないか。
その上、房子はその日、センター長に施設に入ることを伝えてきたと言う。日にちまで言っていた。恭子達が言う前に、どうしてそうやって先走ってしまうのだろう。
施設について、契約に携わっていない房子自身には不確かなことばかりだ。それを、さも自分がしっかりやっているように見せてくる。呆れるばかりだった。
施設のことが決まった時、房子に訊いてみた。センターの他の人は、施設に移ることを、何て言うの?と。
房子は、少し考えて、別に・・、とか、とぼけた顔で言っていた。施設に移る人が以前にもいたけれど、何も説明がないまま居なくなった、と言う。
それなのに、房子は今日、センター長に言ってきたという。こんなにはやばや。それも老人本人が。
まだ数週間あるというのに、それまでどういう顔で過ごすのだろう。
みんなには伝わらない、と房子は言った。
じゃあ、何も言わずにお別れするの?
房子はうなづいた。
そんなことないでしょ。分かったら、みんな、どうして施設?って訊くでしょ。
房子はまた、分からない、と、とぼけた顔をする。
どうしてそう、先走って、いろいろしちゃうの? 順序が違うでしょ。
子供がふたりもいて、寝たきりでもなく、ぼけて徘徊するわけでもない人が、どうして施設に入るのか、みんな不思議に思うでしょ。
何も説明をしなければ、家族が悪く思われるのよ。
そんなことを恭子がいろいろ言ってみても、房子が受け止めるはずもなかった。それどころか、房子は何もかも分かってやっているのかもしれない。
いつものように、自分だけ、かわいそうで、立派な人を演じてきたのだろう。ずっと、この地域で暮らしていかなくてはならない娘の立場など、お構いなしだった。
雨が降り出していた。内科の医院にはタクシーで行った。
待合室で順番を待っている間に、房子の携帯電話が数回鳴った。
房子は画面に出た名前を見ただけで、ブチっと切った。何か変な切り方だった。いくら医院でも、「あとで・・」とか言えるはずだ。
診察が終わり、診断書を受け取って(なんと診断書の費用は数万円)、家に帰ってからも、房子の電話がまた鳴った。
房子はまた、ブチッと切った。その後、あちこち電話のボタンを押してみている。
「どうしたの? 誰から?」
恭子が訊くと、房子は、絵手紙の先生からだ、と言う。
「うまくつながらなくて・・・」
なんて言っている。
自分で切っておいて、なんか怪しげだった。
すると、今度は家の電話が鳴った。きっと先生からだ、と恭子は思った。
案の定だった。先生は、房子が電話に出ないので、いないと思ったのか、恭子にその日の話をした。
今日、デイケアで絵手紙があったと言う。
「山上さんが、最後だと言うので・・・みんなで抱き合って泣いたんですよ・・・来月一日からだというので、次の絵手紙の時にいらっしゃらないので、×日にお別れ会を、と思って・・・」
聴きながら、恭子は傍に座っている房子をちらちら見た。やっぱり、そういうことだったんだ。だから、房子は電話を切ったのだ。
先生がいろいろしゃべってから、房子に替わった。
房子もまずいと思ったのか、
「まぁ、先生~、そんな・・・」
といつもの調子で電話に出たけれど、短い時間で切った。
恭子は怒った。房子は誰にも言わなかった、と言っていたはずだ。
すると、絵手紙が今日で終わりだから、先生だけに言った、みんなに言うとは思わなかった、と房子はまた、とぼけた顔で言う。
絵手紙の先生は、いつも何人か(5~6名?)の年配の女性の生徒を引き連れて、センターに指導に来ている。みんな仲がいいし、絵手紙を離れても付き合いがある。先生だけに伝えるなんて、できるわけがなかった。
みんなで抱き合って泣いた、だなんて・・。
まるで、ひどいことをされた悲劇のヒロインみたいではないか。冷たい娘に捨てられた、かわいそうな老人みたいではないか。きっと、センターの人達にも、そう思わせてきたのだろう。
娘がどう思われようと、自分さえかわいそうな、いい人だと思われれば、それでいいのだろう。それでも、幸男のことだけは、きっと理由をつけてかばうのだろう。
だいたい、房子は、どうしてこんなことになったのか、忘れたとでも言うのだろうか。
何を言っても、恭子が悔しくて涙をこぼしても、房子はいつものように、何も感じていないようなとぼけた顔で黙り続けた。
センターで、絵手紙の人達と泣いて抱き合っている房子の姿を想像すると、辛過ぎて吐きそうな気分になった。こんな母親がいるだろうかと思う。
勤めから帰ってきた卓雄も、事情を聞いて、房子に何か少し言ってくれたようだった。恭子に、ひどいねぇ、あれが母親とは思えないねぇ、と言った。
房子は夕飯後、いつものように、心のない「ごめんなさい」をぼそっと言って、「ごちそうさま」と、また感情のない声で言って、いつもと同じように二階に上がっていった。
施設の準備
携帯電話に電話がかかってきて、房子がごまかすことは、それからもあった。明らかに房子からかけていたのが分かる内容なのに、ごまかしたり、嘘をついた。電話を受けるのが、恭子が目の前にいる最悪のタイミングだったのだろう。
「おかあさんのことを、全然信じられない!」と恭子が怒っても、房子は平気な顔をしていた。それどころか、
「ね、早くでていかなくちゃね」
などと、憎らしいことまで言った。
施設に入るまで、まだ三週間もあるのに、こんな、最悪の関係で一緒にいるのが辛かった。
房子は、あたかも自分が被害者であるかのようにふるまった。裏ではいろいろ画策しながら、表面おとなしく、弱々しいふりをする。
策略か、ボケているのか、それとも違う人になるスイッチを持っていて、それに自分で気づかない病気なのだろうか・・・。
こんな人のお世話をして、自分の時間、人生を失ってきたのかと思うと、悔しくてたまらなかった。
ここから出て行けば、誰の世話にもならなくていいと、房子は思っているのだろうか。
房子は伊勢の親戚にも電話をして、佐和子さんのような施設に入れないかと、相談していたことも分かった。芝居の上手な房子によって、「かわいそうな房子」の噂は、あちこち広まったのだろう。もう、なんとでもなれ、と思った。
房子が絵手紙の人達と泣いて抱き合っている図が、いつまでも頭に浮かび、苦しくなった。胸に鉛が入っているようだった。
毎日のように、房子が恭子の心を凍らすひどさを見せてくれて、そのたびに恭子は、これでよかったのだ、と思い直した。
房子が、ここでの日々を、どんなにありがたかったか、どんなに自分がいけなかったか、と後悔する日は来るのだろうか。
施設に行って、今まで、どんなにわがままな生活をさせてもらっていたか、しみじみ思い知ってくれればいい、と思った。
房子の荷物の片づけは、大変過ぎて、途中で投げ出したいほどだった。やってもやっても、終わらなかった。
毎日、毎日、房子の部屋の片づけをした。施設に持っていくもの、置いていくもの、捨てるもの、あげるもの。掃除機とダスキンで埃をとりながら、おびただしい片づけを続けた。
もう、房子が亡くなる前の、大整理だと思った。
片づけながらも、時々、やっぱり気持ちが揺らぎそうになることはあった。本当にこれで良かったのかと。
今までの苦労と忍耐を、途中で投げ出すような無念さもあった。
そのうち、とうとう施設の契約の日がきた。施設に行って、書類に名前を書いて、印鑑を押して、これで施設に入居することが決定的になった。
もう、後戻りはできない。
まだ入居まで二週間くらいあったけれど、荷物は搬入してもいいということで、片づけを急いでいた。
そんな慌ただしい最中のことだった。朝食の前に、房子が突然、思い余ったように、恭子に言った。
「私も悪かった。ここに居させて」
テーブルの前に座って、房子は神妙な顔をしていた。
契約の翌々日だった。卓雄もいた。
恭子は息を飲むほど驚いた。まさか、今になってとは・・・。
房子のそんな言葉を予想もしていなかったので、恭子は心の準備ができていなかった。咄嗟に何と答えればいいのか分からない。心の中では、大きな波が立っていた。
「以前もこんなことがあったけれど、おかあさんは、何も変わらないから」
心の準備ができていないまま、恭子は思わず言ってしまった。ずっとトラブル続きで、気持ちの余裕がなかったのかもしれない。
すると、思い切って言ったものの、プライドが頭をもたげたのだろう、房子はそれ以上はもう言わなかった。恭子の言葉に、うんうんとうなづいていた。
恭子は心の中で、房子が今の言葉をもう一度言ってくれることを願った。房子がもう一度繰り返したら、負けてしまいそうだと思った。房子を抱きしめて、契約を破棄しに行ってしまいそうだった。
けれど、房子は、それっきり言わなかった。
翌日、房子に、何故ここに居たいと思ったのか、訊いてみた。
お金のため? と訊いたら、房子はうなづいた。お金は、自分のためでもあるけれど、恭子達のためでもある、と言った。
呆れてしまった。施設に行ったら、お金が何も残らないから、恭子達のためにここに居る、という体を装いたかったのだ。ほんとにかわいくない。
「おかあさんは、やりたいことをやってきたでしょ。恵まれていた方でしょ」
と言うと、房子は黙っていた。
そして、しばらくしてから、
「複雑・・」
と、ぼそっと言った。
複雑、と言うことは、ここに居て、悪いこともあった、ということを言っている。それはそうなのだろうけど、今ここで言う言葉ではないのに、と思った。
その数日後に、久美夫婦や亜美夫婦の力も借りて、荷物を施設の部屋に運んだ。
房子も連れて行ったので、房子は部屋で待っていた。荷物は一回では運べない。次の荷物を運ぶまで、エレベーターがなかなか来ないので、房子はその間ひとりきりになった。
荷物が半分置かれた部屋の中で、房子がどんな気持ちでいるだろう、と恭子は思った。
時々気持ちが揺らぎそうになりながらも、房子が恭子の心に氷水をかけるようなひどいことをする。
もう、引き返すことはない、と思っていた。
それに、やることがあり過ぎて、恭子が立ち止まって考える余裕もなく、事が進んでいっていた。
手伝ってくれた娘達が子供を連れて家に泊まったり、来日することを伝えてきたドイツ人の友人と、辞書をひきながら連絡をとったり、毎日いろんなことがある。些細なことでも、わずらわせる何かがあると、恭子はいっぱいいっぱいになって、パンクしそうだった。
毎日房子の部屋から出していたゴミは、ビニール袋や紙袋に入れて、とりあえず、台所のテーブルの下に置いていっていた。
房子のゴミは資源ゴミが多い。燃やせる普通のゴミと仕分けしなければならないし、名前がついていたり、大事な物もあるので、いちいちチェックしないと、うっかり捨てられない。それが億劫だった。時間もなかった。
けれど、翌日が燃やせるゴミの日、思い切って整理して、チェックしていった。すでに夜になっていた。
紙袋につめたゴミの中には、いろいろあった。どれも、房子に確かめると、捨てて、と言われたものばかりだ。
書き損じの絵手紙がたくさんあった。デイケアセンターで書いた習字の紙も何十枚も、束になってあった。
房子の絵手紙は上手だけれど、習字はへたくそだった。自分でも苦手にしていたように、房子の習字は、小学生が書いたようにも見える。何枚も何枚も、練習したのだろう。その光景が浮かんできた。
工作した残りもあった。センターのお便りも、四季折々の行事の写真もあった・・・。
見ているうちに、涙が流れてきた。
房子は人柄が悪く、ダメな人だし、嫌いなところばかりだ。気が強くて、根性が悪く、見栄っ張りだ・・・。
でも、房子は恭子に怒られながらも、ここでささやかに楽しんでいたのだ。あちこちで、楽しみを見つけて生きてきたのだ。
ダメな母親だけど、私はもっと寛大になれなかったのか。許して見守ってあげられなかったのか。
なんということをしてしまったのだろう・・・。
突然悔やんだ。どうしようかと思った。
でも、でも、もう後戻りはできない。
たくさんの資源ゴミを束ねて、袋にしまった。とても捨てることなどできなかった。
房子の部屋に、いつものように湯を入れたポットを運んで行って、ベッドに並んで座ると、思わず泣いて房子を抱きしめた。
「どうして、こんなことになっちゃったんだろう・・」
と泣いた。
房子は、
「私がわがままで、・・・・だったから、いいんだよ・・・」
と、やさしく言った。
「そうよ。おかあさんがいけないのよ。気が強くて、話ができなくて・・・」
言いながら、泣いた。
「これは、わがままな私に、神様が与えた試練だよ。ひとりになって、反省しなさい、という・・・」
こんなことを言う房子も珍しかった。
恭子は泣きながら、かつらをとった房子のはげた頭をなでた。骨ばかりの、ごつごつした肩や背中をなでた。
涙が止まらなかった。
「施設が嫌になったら、いつでも帰ってきて。私に叱られても、ここが良かったと思ったら、いつでも帰ってきて」
と言った。
「最後までのお世話は、何でもする気でいたんだから・・・」
房子はうれしそうに、うなづいていた。
本当にそんな日が来るだろうか。
施設に行って、すぐに死んでしまったり、ボケてしまったり、弱ってしまったりしないだろうか。
「おかあさん、長生きしてね」
心から言った。
「充分長生きしたよ」
と、房子は言った。
あぁ、もっと我慢できなかったものか。
もとに戻りたい・・・。
施設に訪ねていったら、どこかに連れ出したり、いろいろやってあげよう・・・。
恭子はずっと、目が腫れるまで泣いていた。
それから一週間ほどして、施設に入居する日が目前になった。
房子は最後のデイケアに行ってきた。
いつものように、張り切ってきたのだろう、帰ってくると、疲れて意識が朦朧としているのが分かった。
その後、介護用品の人が、レンタルしていたベッドの手すりや押し車などを回収しにきた。この若い男の人は、本当にやさしくて、気立てがいい。
それから、ケアマネが挨拶にきた。
そうしているうちに、時間がどんどん無くなっていった。
房子は前日にも、絵手紙のお友達のひとりと、朝からバス停で待ち合わせて、ランチを食べてきた。帰ってくると、一日死んだようになっていた。
夕方には最後となる内科に行って、薬をもらい、施設に来る医者に出す紹介状をもらった。
こうして、施設に行く準備はちゃくちゃくと進んでいる。
房子が置いていく衣類の整理はなかなか終わらなかった。防虫剤を入れたり、虫干しをしたり、あまりの多さに気が遠くなりそうだった。
相変わらず、房子は恭子が衣類を整理するのを見ても、あまり喜んでいない。
やりづらいので、途中で放棄すると、房子は夜中に少しだけ、片づけたようだった。
それでも、ほとんど進んでいなかった。
施設に
とうとうその日が来てしまった。その日まで、房子の部屋の片づけや持っていく荷物の準備、介護用品の撤去、取り外し、その他事務手続きに追われて、房子との別れを実感として感じる余裕もなかった。
最期に毎日使っている物(湯呑茶わんや歯磨きのセットなど、かなり多い)を詰めて、用意ができると、恭子は忘れ物がないかチェックしてこようと言って、房子を二階の部屋に誘った。階下には卓雄がいる。ふたりきりになりたかった。恭子に手伝われて、房子は、這うように階段を上った
まだ片付いていない房子の部屋の壁には、白っぽい壁紙のいたる所に写真やカードなどがピンで留めてある。デイサービスで祝ってもらった誕生日の写真や、孫たちと一緒の写真。絵手紙や、折り紙で作ったピンクの花もある。孫の誰かが折ったのかもしれない。あるいはデイサービスで教わって、房子自身が作ったものかも知れなかった。写真の中の房子は、どれも乾いた嘘っぽい笑みを浮かべていた。
恭子は部屋に入るとすぐ、房子を抱きしめた。かつらから、汚れた油の臭いがした。
房子を抱きしめるたびに、恭子は昔飼っていた死にそうなハムスターを思い出す。ジャンガリアンハムスターは何十匹もいた。ふわふわの毛をして丸くなっていたハムスターは、最後には角ばった骨ばかりの体になって、それでもなんとか生きていた。
抱きしめた房子の肩や背中にも肉はほとんどついていない。ごつごつした骨の感触しかなかった。
「部屋はこのままにしておくから、いつでも帰ってきてね」
泣きそうになりながら、そう言うと、房子はうれしそうにうなずいた。けれど恭子は、そんな日は、きっともう来ないのだろうと思っていた。
施設に着いてから、また荷物を片付けていくのが大変だった。かなり少なくしたつもりだったが、房子の荷物はやっぱり多かった。
まだ新しい部屋はワンルームマンションのように、広くて高級感がある。ベッドだけは備え付けられていた。ウォシュレットがついた広いトイレもついている。その広い部屋に持ってきた冷蔵庫やタンス、机、ハンガーラックやテナーなどを置いていくと、瞬く間に部屋の半分くらいが埋まっていった。
廊下を歩く時に、ドアが開いているいくつかの部屋の中が目に入ったけれど、房子ほどの荷物を置いている人はいなかった。ある部屋には、家具らしきものはほとんどなく、老人がひとり、無表情にベッドに座っていた。
恭子は段ボールや紙袋からつぎつぎに衣類や文房具、茶わん、日用品、薬・・、と出して、房子が使いやすいように、場所を考えながらしまっていった。房子はベッドに腰をかけて、黙って眺めていた。卓雄には、荷物の運搬の後、どこかでお茶を飲んできて、と言っておいた。房子の持ち物を、いちいち卓雄に見られるのも嫌だろうと思ったのだ。
もう少しで終わるという時、房子は食事に呼ばれた。恭子は一緒に一階の食堂に行って、房子が自分の椅子に座るのを見届けた。
広い食堂にはテーブルがたくさん並べられ、それぞれのテーブルの周りに、7,8人の老人が座っている。車椅子に座っている人がかなりいた。見るからに気力のなさそうな、ぐったりしている老人もいた。数人の職員が、ワゴンの上や棚からプラスチックのお皿に盛られた料理を運んでいる。わさわさと騒がしい雰囲気だった。
名前が書かれた立て札の前に座って、房子は少し緊張しているように見えた。
恭子は施設の細かい説明を聞いたり、たくさんある書類に目を通してサインしていったり、必要なお金を預けるのに結構時間がかかった。施設では、小銭以外は本人が持つことを禁止されている。突発的な経費のために、毎月なにがしかのお金を管理費を払って預けておく。毎月の支出の明細は家族に送ってくれることになっていた。
恭子達が外で簡単な食事をして施設に帰ると、房子はすでに部屋に戻っていた。残りの片づけを終わらせると、恭子は空いたたくさんの紙袋を持って、房子の部屋を出た。
房子はエレベーターの前まで見送りに来た。
少しほっとしたのだろうか、いつもよりやさしい顔をしているように見えた。
その夜は、恭子は疲れて放心状態だった。そばに置いてある携帯が鳴ったのにも気づかないほどだった。心配してメールをくれていた久美と亜美に短く返信をしてから、房子に電話した。房子は眠っていたようだった。入れ歯を外しているので、言葉がふにゃふにゃして聞き取れなかった。
それから遅くなって、三度も着信があった悠一に電話をして、その日の報告をした。
悠一は相変わらず、自分中心の話しかできない人になっていた。かつてのように、冷静に話ができる人ではない。話が自分のことになると、すぐに激高した。かつては恭子がどんなに悠一を心配したかを、分からない。自分が晩年気の強いシカの世話をしたことを得意そうに語るだけだった。
それからも毎日、恭子は房子の部屋から出したゴミの整理や、掃除に追われた。種分けしたゴミの中で、資源ゴミは特に時間がかかった。いちいち点検して、房子の手書きのものや、残しておきたいものを分けていく。名前が入っているものを捨てるのにはシュレッダーで刻んだ。房子がいなくなった喪失感を感じる余裕がなかった。
ただ、ふとした時に、自分の体が軽くなっていることに気づくことがあった。
房子が居る時には、常に時間に拘束されていた。デイサービスの見送り、出迎え。ケアマネージャーや介護の人達との相談、集まり。碁を教えにくる人、仲間、知り合い・・。房子の行動には必ず恭子の手助けが要る。その時間の拘束やプレッシャーから解き放たれて、身軽になった気がした。
卓雄とも、気軽に自転車であちこち行ける。
房子との距離は、必要だったのだ、と、つくづく思った。
半面、自分の心も体も、すっかり疲弊してしまっていることに気づく。気持ちも体も、房子と同じ速度で老いてしまったようだった。
房子に振り回されて、費やした時間が、返す返す惜しい。もう、房子のことで悩むのはよそう。もう、自分達に残された健康で元気な時間は短い。勿体ない、と思った。
その後房子に電話をしてみると、職員の人達は親切だと言ったが、不満もいろいろあるようだった。
夜十時半ごろ(と房子は言う)、寝ている時に、職員が合い鍵をがちゃがちゃ回して入ってくるので、びっくりした、と言う。それからもう、眠れなかったようだ。
「かつらをとっていたので、今晩からは、かつらをつけて寝なきゃ」
と房子は言った。
そんなに緊張しないで、普段通りにして、と言ってみたけれど、房子にそんなことができるわけがない、と思った。いつだって、他人にどう見られるかが、房子にとって最も重要なことなのだ。知らない人が数人いるだけの、伊勢の風呂場でも、房子はかつらを外さなかった。施設の中でもずっと、いいかっこをし続けるのだろう。
その後十日もすると、房子はすっかり施設になじんでいた。友達もできて、部屋を行き来している。
「姥捨て山」のような感じかと心配していたけれど、房子はそれなりに楽しんでいるように見えた。
わがままな房子のことなので、今までのように自由がきかない施設を、すぐに出たいというのではないかと当初は思っていた。やすよも、そんなことを言っていた。けれど、房子は想像以上にたくましかった。
それでも、やっぱり、房子の周りの人達は、恭子のことを、「親を捨てた娘」と思うのだろう。房子のデイサービスでの涙の別れを思い出すと、悔しかった。
施設には、それからほとんど毎週通った。車で一時間ほどかかるので、日曜日の半日がつぶれた。
房子が居なくなってからも、片づけは延々と続き、その間にも、娘の出産、孫たちのお守り、外国からの客、と忙しい日々は続いていた。
房子は一日、絵手紙を描いたり、仲良くなったおじいさんに碁の相手をしてもらったりして過ごしているようだった。
やはり仲良くなったひとりの女の人が、ひっきりなしに部屋に来て、ゴミ箱に捨ててあるものから房子が食べたものを知って、いろいろ忠告するのがうるさいようだった。この人は、それほど年寄りでもないし、介護が必要にも見えない。謎だった。
また、房子は施設の食事の文句も言った。味噌汁が冷たくなっている、薄味でおいしくない、と愚痴った。それでも、「いい人」でいたい房子は、自分から直接文句を言うようなことは決してしなかった。
恭子達が訪ねていくと、房子はすれ違う職員をいちいち紹介した。「この方、いい方なのよ~」と、誰彼なくほめちぎる。家に居た時の電話の応対と似ていた。
あぁ、心配することなんて、全然なかった。房子はどこに居ても、こうしてたくましくやっていくのだ、と舌を巻いた。
施設を訪問するたびに、ひどく不便に思うことがあった。房子が居る二階と、その上の階に、合わせて八十人くらいの居住者がいるというのに、エレベーターがたった一基しかないのだ。普通の階段はなかった。房子は食事とおやつにひっきりなしに呼ばれて、休む暇がない、と言っていたけれど、忙しいのはエレベーターのせいでもあった。車椅子の人が大勢いたので、一台のエレベーターに乗れる人数が少ない。食事のたびに、大勢の人がエレベーターの前で長い時間待つのだ。
施設での日々
施設には毎週のように通った。たいてい卓雄の車で行く。そうすると、片道一時間かかるから、休日が半日つぶれてしまう。卓雄が不満を言うわけではなかったけれど、申し訳ないと、いつも思っていた。
けれど、ある日、施設から帰る車を運転しながら卓雄が言った。
「おかあさんもさぁ、もっとうれしそうな顔をしてくれるとか、ありがとう、と言うとかしたらいいんだけど・・・」
普段そんなことを言わない卓雄の言葉に、恭子はびっくりした。けれど、それは当然の言葉だった。来るたびに見る房子の態度に、恭子自身いつもがっかりしていたし、張り合いがなかった。卓雄でさえ、そう感じていたのだ、と思った。
恭子達の施設の訪問は、ほとんど房子の食料調達のためだったと言っても良かった。房子は恭子達のことには何も関心がない。顔を見ても、にこりともしなかった。
施設でも、頼んだ買い物をしてきてくれる日があるけれど、房子は携帯電話で、恭子に次の訪問の時に買ってきてほしい物を言ってきた。施設に行ってから、一緒に買い物に行くこともあった。
買い物のリストには、牛乳やパン、チーズ、お菓子など、いろいろあったけれど、焼き鳥やお寿司などがよく入っているので、びっくりする。それらは仲良くなった碁の相手のおじいさんなどにあげるものだった。施設での食事があるのに、食べられるのだろうか、暖房の効いた部屋で、お寿司をどうやって保管するのだろう、と不思議だった。
それにしても、他人に物で取り入ろうとする房子はどこに行っても健在なのだと呆れてしまう。
一緒に買い物に行くと、房子は嬉々としてスーパーのカートを押して歩き、驚くほどたくさんの食べ物をかごに詰め込んだ。チョコレート、おせんべ、パン、ヨーグルト、チーズ、ハム、サンドイッチ、焼き鳥・・・。勿論どれもみんな、おじいさんの分も入っている。一回の買い物が7,8千円になることは、よくあった。
そんなに大量に食料を買い込むものだから、房子の小さな冷蔵庫では入りきらなくなって、恭子は頼まれて、ネットで中型の冷蔵庫を注文した。要らなくなった冷蔵庫は、恭子がきれいに掃除して、結局おじいさんにあげることになった。
碁の相手としては、房子では役不足で、年中「そこに《石を》置いたら駄目だと言っているのに、何回言ったら分かるんですか」と怒られていたらしいけれど、おじいさんは、房子にとって、施設で一番大事な人になったようだった。
小さい冷蔵庫に入りきらなくなったもうひとつの理由に、房子が大量の卵を買うことがあった。
施設の朝食がまずい、と不満を言っていた房子は、仲良くなったケアマネさん(後に施設長になった)にねだって、自室でパンを食べる許可を得ていた。房子の、他人に取り入る才能には感心してしまう。
その朝食に、簡単なゆで卵を作りたくて、房子は恭子にゆで卵器の購入を頼んできたのだ。
ゆで卵器を得た房子は、毎日のようにゆで卵を作って、仲間の人や職員の人達にプレゼントした。なにしろ水を入れて電気をオンにするだけで、いっぺんに八個のゆで卵ができるのだから、簡単だった。そして、それがあちこちで喜ばれたようだった。
房子は施設の買い物の日に、卵を20個注文することもあった。それは多分、房子がそれまであちこちに送っていた贈答品の替わりだったのだろう。現金を持っていない房子は、そんな形で自分の人気を得たかったのかもしれない。
房子は当初、恭子が持って行ってはいけないと何度も注意した通帳一冊とカードを持って行っていた。施設入居とともに、恭子がお金の管理をしていたから、自分の自由になるお金が欲しかったのだろう。ひとりで自由に引き出すこともできないというのに。
あるいは、幸男が来た時に渡そうとでも思っていたのだろうか。房子はほとんど話さないけれど、幸男はたまに訪問していたようだった。
房子は施設の食事がまずいと言って、レストランにも行きたがった。お寿司や天ぷら、鰻など、施設では食べられないものを食べたいようだった。
そうしてレストランに行くと、房子はやっぱりよく食べた。食べきれないのに、欲張って注文するのは、以前と同じだった。
その結果残したおかずを、恭子達に食べて、と言う。恭子達だってお腹がいっぱいだから、大して食べられない。だいいち、残したものを勧められても、気分はあまり良くなかった。
持て余すのが分かっているのだから、房子が注文する時に、多すぎる、と言いたかったけれど、ケチっているようで、やっぱり言えなかった。
このレストランの支払いの時になると、恭子はいつも困った。自分達が払うべきか、房子に払ってもらうべきか。
房子の毎月の年金から施設の経費などを引いたら、それほど余裕はない。恭子達だって、余裕はない。
レジで一応支払いを終えて店から出ても、房子はいつも、「ごちそうさま」とも、「ありがとう」とも言ってくれない。それは、自分のお金を使っていると思うからだろうか。それならそれで、房子のお金を使うけれど、それでもなんだかしっくりしない。
仮に房子のお金を使うにしても、休日を使って、房子の希望通りに動いている恭子達に、当たり前の顔をしていることが、納得できなかった。
恭子は房子が施設に入ってお金の管理をするようになってから、ずっと房子のお金の出納帳をつけて、十円単位のお金の出し入れまで記録している。もらったレシートも全部貼り付けていた。それは、いつの日にか、幸男に求められた時に、証拠として見せるための物だった。
たまに、よっぽど気に入った時だろうか、房子が、レジでの支払いを、
「通帳から出しておいてね」
と言うことがあった。そう言ってもらえれば、すっきりした。
「ごちそうさまでした」
と、ふたりで礼を言った。
卓雄が不満を言うわけではなかったけれど、毎週のように休日をつぶすことが申し訳ないので、たまに、恭子が電車とバスを使って、ひとりで訪問することがあった。その方が、房子も気楽なのではないかと思った。けれど、車がないのはやっぱり不便だった。
房子は施設に入ってから、部屋の前の廊下を、一日何往復かすることを自分に課していたようだった。それでも、家にいた時より、どんどん体力はなくなっていく。ちょっと歩いても、以前より一層疲れるようだった。
ふたりでタクシーに乗って最寄駅に行き、そこから電車に乗って、デパートに行って買い物をしたり、レストランに行って食事をする。デパートの中では車椅子に乗せるけれど、移動のために歩く所が結構あった。房子はすぐに息を切らせ、苦しそうに顔を歪めて立ち止まった。
それでも、房子はデパートで、絵手紙の絵の具やはがきを売っている所では、目を輝かせた。レストランではよく食べたし、カフェで頼んだケーキセットも喜んでいた。
そういう房子を見ていると、恭子は満足だった。房子の手を取って、片手にバッグや、買ってきたたくさんの文房具や食料を持って、くたびれ果てて帰っても、充実感があった。
ところが、房子は施設についても、うれしそうな顔ひとつしない。部屋の冷蔵庫に恭子が買ってきた食料を入れていくのを、いつものように、ベッドに座って黙ってながめているだけだった。房子が喜んでいたのは、買い物の時とレストランにいる時だけだ。「ありがとう」なんていう言葉は聞かれない。近況の話をするわけでもなかった。
卓雄がふと不満をもらしたように、恭子達が訪問しても、ちっとも張り合いがないのだ。
施設からバス停までの暗い道を歩きながら、恭子は失望感でいっぱいだった。
房子の心の中が分からなかった。房子に精いっぱい尽くしているつもりだった。何が不満なのだろう。房子のお金を使っているから、当たり前、と思うのだろうか。それとも、今になって、施設に無理やり入れたと、恨んでいるのだろうか。
やっと来たバスに乗って、暗くなった窓の外を、ぼおっとながめながら、恭子はやりきれない思いでいっぱいだった。
それから少しして、久しぶりに家に連れてきた時も、やっぱり同じだった。
房子が施設のご飯がおいしくない、また外でおいしい料理を食べたい、というので、卓雄に頼んで家に連れてきて、何度も行っていたレストランに行ってみた。すると、房子は以前と同じように、よく食べた。コース料理で、デザートまで完食した。体は衰えても、房子の胃袋は健在だった。
けれど、食事に行く前に久しぶりに寄った家の中では、房子はまったく無表情だった。
足りない衣類を点検して持って行こうと思っていたのに、まるで関心がない。餅菓子を食べ、お茶を飲みながら、テレビに映る相撲を、ぼおっと眺めているだけだった。
これには恭子もがっかりした。いつのまにか、房子の喜怒哀楽の感覚が、弱って鈍くなってしまったのではないかと、寂しくなった。
その日、夕食後に、房子を施設に車でまた送っていった。すると、出迎えた職員の前で、房子は見違えるほどやさしい顔になった。
「山上さんのことを、みなさん尊敬しているんですよ」
それまであちこちで聞いてきた同じセリフを、五十代くらいに見える男性のスタッフが、柔和な笑顔で言った。
房子が入居してから、まだいくらも経っていない。房子の何が立派だと言うのだろう、と恭子はまた寒々しい気持ちになる。
施設に房子の知り合いなど誰もいない。いつものように、房子自身がまた、控えめを装いながら、自分の教養のある所や立派さをアピールしたのに違いなかった。
どこに行っても、房子はこういうふうにしてしか生きていけないのだろう、と思った。
施設での日々 2
房子がいなくなってからも、恭子は相変わらず忙しかった。
亜美に4人目の子供が生まれて、一週間ほど孫ふたりを預かったりもした。いたずら盛りの子供達の世話は、六十代半ばにもなると、さすがに体はきつい。けれど、ひとりで奮闘している亜美の体も心配だった。
留学生のホームステイは既に止めていた。食事の支度をするのが辛くなってきたのと、家を空けられないことが大きな理由だった。
施設に行ってから初めて迎える正月、一日に卓雄ひとりで房子を迎えに行ってもらうことになった。恭子は無理がたたって、年末から熱を出し、まだ体調が万全ではなかった。
それでも、毎年正月には恭子達の家に子供達や孫たちが集まるために、部屋の準備や、布団の用意、食事の支度で忙しかった。
房子は家に入っても、相変わらず何もしゃべらなかった。つまらなそうな顔で、テレビの前に座っている。恭子がばたばた忙しく、せっかく来たのに、相手をしないせいかと思い、動き回りながら、時々房子に声をかけた。
そのうち久美や亜美たちが、頼んでいたお寿司などを持って集まってきた。房子はひ孫たちに会って、ようやくうれしそうな顔をした。
それから例年のように、にぎやかに宴会が始まり、房子も驚くほどよく食べた。
一日の夜には、家が遠い亜美一家だけが泊まる。恭子はお風呂の支度をして、房子の入浴後に着替えた洋服を部屋に運んで、少しだけ話をした。亜美も子供達を寝かしつけているのだろう。静かだった。
房子は既に布団に入っている。部屋が寒いので、恭子は房子のベッドの傍らの椅子に座って、時々房子の布団に足を入れた。そんなふうに房子に近づくことは、滅多になかった。
恭子はお金のこと、葬式のこと、お墓のことまでさらっと話をした。普段なら言いにくかったことが、何故かすんなり話せた。
房子は意外にしっかり答える。恭子は房子の頭がまだボケてもいないことに安堵した。
ここに帰ってきてどうだった? 施設の方がいい? と訊くと、房子は返事をしかねていた。三月のひな祭りの頃、暖かくなったら、また帰ってきたい、と房子は言った。
話していて、涙が出る。帰ってきたい、と言ったなら、きっと受け入れるだろう。きっとまたあの辛さを味わうことが分かっているのに、どこかでそう言ってほしい気持ちがあった。一日の夜も、二日の夜も、ベッドの上の房子を抱きしめてから、階下に下りてきた。
三日の夕飯から施設で食べることになっていたので、スーパーで房子が買いたいものをいろいろ買ってから、施設に送り届けた。
房子は施設に着くと、途端にもう「あちらの人」の顔になっている。たくましいものだ、と思った。
その日の午前中に、房子は封筒と便箋をちょうだい、と言って、部屋でなにやら書いていた。あとで読んで、と言っていたそれを帰ってから読むと、やさしくしてもらって、うれしかった、ごちそうをお腹いっぱい食べられたと、感謝の言葉が書いてあり、お年玉として、通帳から〇万円とって、とあった。
そんなお礼の仕方があったことに恭子は驚いた。房子の気持ちがうれしかった。
けれど、思い出してみても、施設に入ってから房子に優しい言葉をもらったのは、後にも先にも、その一回だけだった。
その次に恭子達が施設に行くと、エレベーターを降りたとたんに、きつい尿の臭いが鼻をついた。最初来た時には、まったくしなかった臭いだ。
廊下を歩いていると、新しく入ったらしい人が、部屋の中から戸を開けようとガタガタと大きな音をずっとさせて、異様な感じだった。こんなところに房子を入れているのかと思うと、胸が痛んだ。
房子は施設の中の尿の臭いを、恭子が言っても気づかないようだった。自分もパッドをあてているし、もともと臭いには鈍感だ。
その臭いは、エレベーター前に人が集まっている時に、特にきつくなった。車椅子に乗って待っている人に、オムツをしている人が多いのだろう。尿に浸されたオムツをあてていなければならない老人達を思うと、辛い気持ちになる。
彼らはここで、幸せなのだろうか。それとも仕方がなく、諦めているのだろうか。
房子も、本当に、ここで幸せなのだろうか。今ではここで、満足しているようにも見える。
それは、房子の強がりなのだろうか。あるいは、誰にも遠慮のない「自分の城」として、満足しているのだろうか。
恭子に少しも心の中を言うこともなく、表情もない房子の気持ちを、推し量ることはできなかった。
その後も月に2,3回は房子のもとに通った。それでもやはり、房子はうれしそうな顔もしない。恭子達は、必要なものを持ってくる運搬係でしかないのだろう。
もともと房子は、恭子のことに何も興味がない人だった。困っているか、具合が悪くないか、心配してくれたこともない。
房子にはもう、家に帰りたい、という気持ちもないように見えた。
ある時は、施設から電話があって、房子が転倒して、お尻を打ったと連絡があった。部屋で椅子に乗って、棚の上の物を取ろうとしたという。怪我は大したこともないようだったが、その後頭を打っているようなので、以前かかった脳神経外科を受診したいと本人が言っているという。
大したことはないだろうと思ったけれど、房子は頭に鈍痛がするとか、食べられない、と訴える。そこで、卓雄が会社を休んで車で行ってくれることになった。
病院は都心にあるので、前日に家に連れてきて、一泊しなければならない。二日がかりだった。そうして翌日に都心の病院に行ってCTを撮った。結果は思った通り異常無しだった。
病院での長い待ち時間もあったので、夕飯を食べて、房子が望んだたくさんの買い物をして施設に送って行くと、十時になった。家に帰ると十一時も過ぎている。恭子達はくたびれ果てていた。房子に何かあるたびに、こうして一日がつぶれていってしまうのだ。
そうやって大変なことをしても、房子はいつものように、やさしい顔ひとつしなかった。
車の中でも、病院で長く待っている時も、ブスッとして、ろくな会話をしない。ほんとに暗い人だった。房子がいきいきしていたのは、病院近くのスーパーで、買い物をした時だけだった。房子は施設でいつもいろいろもらうからと言って、またチョコレートや唐揚げなど、目を輝かせて大量に買った。
房子に購入を頼まれたもので、かわいい物があった。「しゃべるぬいぐるみ」だ。施設の誰かが持っているのを見て、うらやましくてたまらなくなって、恭子に買って欲しいと頼んできた。
ネットで調べると、それは、テープレコーダーが内臓された子供用のぬいぐるみだった。犬や猫など、いろいろある。単純なしくみで、割合安価だった。
房子に送るとたいそう喜んで、「かわいいのよ~」と、珍しく明るい声を出した。
かわいいと言っても、テープレコーダーだから、しゃべった声を繰り返すだけだ。それに、低く、くぐもった機械音で、ぜんぜんかわいいとは思えない。けれど房子にはそれが違って聴こえるらしい。返事をする、と言って、譲らなかった。ぬいぐるみに「だいちゃん」と名前をつけて、お気に入りだった。
その後も、房子は、電話で「だいちゃん」の話ばかりする。
「だいちゃんは、餌をやらなくていいし」「いつもかわいい声で話をするし・・」
房子の明るい声を聴くと、うれしい反面、なんだか切なくなった。気が強い房子だけど、さびしかったのだ、と思ったり、こんなに何かに癒されたかったのだ、と胸が痛くなる。
ぬいぐるみに話しかけて癒されるなら、どうして恭子に心を開いて話をしないのだろう、と思ってしまう。
ある日のこと、房子が携帯電話が壊れたと言ってきた。電池がすぐに無くなるし、声がよく聞こえなくなった、と言う。
房子にとって、携帯電話は外にいる人と交流するために無くてはならないものだ。携帯会社に訊いて、委任状を書いてもらって、恭子が預かってきた。
けれど、その携帯電話によって、恭子は胸がつぶれるような、悔しく、苦しい思いをすることになったのだ。
壊れた電話を家の近くの店に持って行って、結局電池パックの交換で直ることが分かった。新しい電池パックが届くまで一週間かかるという。
待っている間、恭子はふと房子のメールを覗いてみた。本当のことを何ひとつ言わない房子が、何を考えているのか、知りたかったのだ。もともとメールは恭子がやり方を教えたものだった。
すると、恐れていた通り、ひどいメールばかり出てきた。メールはたどたどしく、間違っていたり、字がダブっていたりする。どれも長い文章ではなかった。
だいぶ以前のものもあった。幸男や悠一に、恭子の悪口ばかり送っている。
「恭子は自分が正しいと思っているけど、何を言われても、負けていようね」という幸男にあてたメールを見た時には、心がつぶれそうだった。
恭子に、房子がこんなふうに心からの言葉をかけてくれたことはなかった。房子とうまくいかないのも、それが原因だった。
恭子の世話になっていながら、房子はいつも、幸男や悠一の側に立っていた。恭子が一生懸命房子に尽くしたことは一言も書いていない。幸男や悠一にも、友人やデイサービスの人達にも、そして長女の久美にも・・・。
自分ばかりいい人になって、恭子がひどい人で、うまくいかないように書いてあった。悔しくてたまらなかった。
メールを見ていくうちに、気づいたことがあった。何度か出てくる、房子の着物についての、久美とのメールのやりとりが奇妙だった。
房子は高価な着物をたくさん持っていたけれど、近年、着物を着ることなどまったくなかった。それで、恭子がちょうど知り合った人に、房子から頼まれた着物を何枚も売った。もう、何十年も前の話だ。房子はその金額が安いと言って、不満そうだった。そして、それ以来、恭子に頼むことはなかった。
恭子の家に来てから、房子は幸男の家にあった着物の入ったタンスを、悠一の家に持っていったことがあった。幸男の家でもじゃまだったし、悠一だって、迷惑そうだった。
その後、恭子の家に、着物を扱う業者から、着物はないかと何回も電話があったので、そのつど房子に訊くと、着物はもう一枚もない、と言っていた。それがどうなったのか分からなかったし、房子も言わなかった。
ところが、メールのやりとりを不審に思って久美に訊いてみて、その真相が分かった。
房子は久美に頼んで、悠一の家から車で久美の家に着物を運び、その一部を昔の生徒が取りに来た。で、残りを恭子の家に運び、房子の部屋に持っていった。その後、その残りの着物も別の人がもらいにきたらしい、と久美は言う。久美にも要るものがあったらとるように言われて、欲しくもなかったけれど、何枚かもらった、と言った。
かげでそんなことが行われていることを、恭子が知る由もなかった。自分が知らないところで、自分の母親と自分の娘が、そんなことをしていたとは・・・。ショックだった。
久美は、ごめんなさい、とメールで謝ってきた。今ならそんな真似はしない、恭子に内緒で、そんなことをしているのが嫌だった、という。
房子は久美に、恭子が着物を要らないと言うから、とか「荷物を家に運んでくるな」と言ったと言う。確かに、房子の部屋は荷物があり過ぎて、いっぱいだった。けれど、着物のことは知らないし、そんな言い方をしたことはない。久美に、恭子のことを悪意を持って伝える房子の心根の悪さを、嫌悪した。
深く傷つき、ショックを受けながらも、恭子は精いっぱい久美をかばう言葉を口にした。
「そりゃあ、頼まれたらしてしまうよね。久美は、おばあちゃまが弱い人だと思って、やさしい気持ちだったのだから、仕方ない。」そう言いながらも、怒りと悔しさで震えた。
メールを見たとは、勿論言えないけれど、今度会ったら、房子に訊いてみようか・・。
でも、房子はきっと、とぼけるか、忘れたふりをするだろう。それでも房子のためにいろいろしてあげる自分が、悲しかった。
施設での日々 3
次の週に施設を訪問した時に、房子に電池パックを交換した携帯電話を渡した。房子にしたら、電話がない一週間は、相当不自由で不安だったはずだ。家から離れても、電話さえあれば、房子は得意の舌で、誰とでも親しくつながっていた。
着物のことなど、房子に訊きたいことはたくさんあったけれど、訊いても忘れたふりをするので、恭子は諦めていた。久美のことといい、胸にわだかまりが残ったままだった。
それでも、施設の部屋に着くと、恭子はしなければならないことがたくさんあった。
房子は相変わらず施設でも片づけをしない。大きなワゴンの中に、食べ物や紙くず、そして使用済みのパットまで、ごちゃごちゃに入れていた。
職員が掃除に来てはくれるけれど、ただでさえ忙しいから、細かい片づけなんかはしない。冷蔵庫を覗くと、りんごが半分、真っ黒になっていたりする。老人が部屋で飲食をするのも、良し悪しだと思った。
冷蔵庫の中の腐った物を捨て、整理して、中を拭く。ワゴンの中や棚の上の物も、捨てたり、整理する。汚い所を拭いて、床も掃除した。合計二時間。疲れる作業だった。
房子がゆで卵を作るのもチェックしてみたけれど、思ったより扱いが楽で、うまくできている。ただ、器の中に熱い湯が残るのが心配だった。
レストランにも、その後もよく連れて行った。房子はやっぱり「ありがとう」も「ごちそうさま」も言わない。
けれどある時、
「いつまで続くか分からないけど、私のお金で出しておいてね」
と房子が言った。
「『いつまで続くか分からない』って?」
訊き返すと、お金がもつかどうかだと言う。
大丈夫よ、増えもしないけれど、減ってもいない。通帳を見せようか?と訊くと、いつもいい、と言った。
房子がお寿司を食べたいと言うので、何回か行っている寿司屋に連れて行った時のことだった。
前々から房子は食べ物が喉につまることはよくあった。それがどんどんひどくなってきていた。
いつも一人前は食べられないので、房子に小さいランチセットを頼んで、卓雄が自分の大きなセットについているウニとイクラを皿に乗せて渡した。小さいセットを頼む時に、卓雄が、「僕のをあげますから」と言っていたものだ。既にサラダと茶わん蒸しを食べていた房子は、真っ先にウニをつまんだ。
すると、お寿司を口に入れてからいくらもたたないうちに、房子はそれを喉に詰まらせていた。何度も詰まらせることはあったけれど、レストランでひどくなることは、今までにはなかった。けれど、その日はひどかった。
房子はグエグエと嫌な音を立て続け、そのうちティッシュを取って、口の中の物を出した。何枚も何枚も取って、濡れたティッシュをテーブルの上に積んで行く。
お客はもうほとんどいなくなっていた。けれど店の人に気を使う。恭子はバッグの中から簡易おしぼりを入れていた袋を出して、汚物を入れていった。
残った寿司をパックに入れてもらって、外に出たけれど、房子はまだすっきりしない様子だった。そして、店のすぐ前で、少しずつだったけれど、二,三カ所に吐いた。
恭子は驚いて、バッグからおしぼりを出して、道路の汚物を拭き取っていった。吐しゃ物は、粘液がまじって、簡単には拭き取れない。そこへ、近くの駐車場に向かっていた卓雄も気づいて飛んできた。卓雄もポケットからティッシュを出して、一緒に汚物を拭き取る。卓雄の手にも、粘った汚物がついた。
その傍らに立って、房子は、食べた物をすっかり吐き出したのだろう、すっきりした顔をしていた。それなのに、卓雄に謝るでも、お礼を言うでもない。こういうところが房子の心の貧しさだ。弱っている年寄りの、介護をするのは当たり前とでも思っているのかもしれなかった。
食べることが大好きな房子が食べられないのを見ると、かわいそうになる。けれど、房子のそういう態度を見ていると、房子に喜んでもらいたい、というやさしい気持ちが消えて行った。
その後、房子はいつものように、スーパーでカートを押して大量のお菓子や果物を買い、レストランでケーキセットをペロリと食べた。
施設に帰って、買った物を冷蔵庫などに片づけてから家に帰ると、恭子達は疲れ切っていた。朝から出かけていたのでできなかった洗濯の残りを済ませた後、恭子はしばらく横になって動けなかった。卓雄も横になって眠っていた。
房子が恭子達のこんな一日に思いを馳せることは決してないだろう、と恭子は思った。
そういう房子の、恭子達への薄い気持ちを、他でも感じることがあった。それは、房子の夫、つまり恭子の父親幸高の墓参りのことからだった。
幸高のお墓は、施設に割合近い所にある。施設に入ってから、恭子達が房子をそのお墓に連れて行ったことがあった。
ところがある日、房子がふと言った言葉に驚いた。房子は、幸男が施設に来た時にお墓に連れて行ってくれた話をして、
「割合ここから近いのね」
と言った。まるで、施設から初めて行ったような口ぶりだった。
「おかあさん、一緒に行ったじゃないですか」
卓雄が呆れたように言った。
幸男もごくたまに施設を訪れているようだった。房子にとって、恭子達がしてあげたことは、何も記憶に残らない。数少ない幸男の孝行だけが、鮮明に残るようだった。
そう言えば、ずっと後になってから幸男が、房子が言ったという言葉を恭子に投げつけたことがあった。房子は、施設に入って、せいせいした、と言ったという。
聞いた時には、大人げない幸男の、ただの嫌がらせの言葉くらいに思った。けれど、よく考えてみれば、房子なら、幸男にこのくらいの言葉を言うこともあるだろう、と思った。
どんなに一生懸命やっても、房子には、恭子に対してこんな思いしかないのだ。
施設での日々 4
一月の末に、房子が久しぶりに家に帰ってきて泊まった。房子が家でおいしい物が食べたい、と言ったからだった。一泊かと思っていたのに、結局四泊もした。
家に泊まりたいという房子の言葉を聞くと、恭子はうれしくなる。何でもしてあげたい気持になった。
夕飯には、すき焼きや、刺身、カニを出した。山ウドやふきのとう、タラの芽などの山菜で、天ぷらを作った。牛ヒレ肉で、ステーキの日もあった。まるで、正月やクリスマスのようなご馳走だった。
朝食には、以前房子が家にいた時のように、毎日いちごを買ってきて出した。
房子は料理に喜び、よく食べた。けれど、やっぱりよく喉に詰まらせて、途中で食べるのをやめたり、出してしまったりした。房子の年齢を思うと、暗い気持ちになった。
房子の行儀は相変わらず悪かったけれど、少しの間だと思うとがまんもできた。
膝が痛いと言えば薬を塗ってあげ、爪を切ってあげ、肩ももんだ。どうしてこんなにしてあげるのだろう、と自分でも不思議なほどだった。
もともと、房子が冷たい人でなかったら、恭子は何でもしてあげたかった。房子が心から喜んでくれるなら、恭子はそれだけでうれしかったのだ。
房子が家にいる間、恭子は暖房に気を使った。温室のような施設から、寒がりの房子が来るのだ。風邪をひかせたら大変だった。
この際、暖房費などは気にしていられない。夜、房子が二階に上がると、施設と同じように一晩中エアコンをつけた。階下からファンヒーターも持って行って、温めた。
お風呂には一回だけ入った。入らない日には、足が冷たいので、靴下の上からホカロンを貼って寝た。
房子は夜寝るまで、ほとんど一日中階下にいた。それは、一緒にいようと努力したのか、それとも暖房費に気を使ったのか、分からない。そうすると、卓雄がゆっくりできなくて、かわいそうではあった。
房子は階下に居て、ダイニングのテーブルで絵手紙を描いたり、たまにテレビを観ていた。疲れて椅子に座ったまま、居眠りをしていることもあった。さすがに疲れて、夕方に三時間近く、二階のベッドで眠った日もあった。
そんな滞在中のある日、恭子は房子を連れて、タクシーでモールに出かけた。房子が足の爪の横に突起物があって痛いというので、モールの中にある医院で診てもらおうとしたのだ。
モールの中にはいくつかの医院が入っている。その中に足専門の医院があって、週一回医師が通ってくる。その医師に、恭子は少し前に外反母趾の手術を受けて、術後定期的にモールに通っていた。
房子の足は、一か月くらい前から痛んでいたのに、施設の内科医に言っても、ちょっと診るだけで、何もしない、と房子は不満を言った。
急だったので、保険証もない。施設に頼んで、ファックスで送ってもらって、特別に許可してもらった。
中年の足の医師は、いつも何食わぬ顔で、手術後の恭子の足の指をひどく曲げてみたり、反らしたり、荒っぽいことを平然とする。房子の足にも容赦なかった。遠慮なく指の先を切り取ったり、こすったり、削ったりしていく。房子の指には、「タコ」ができていたのだ。
房子は数回悲鳴をあげた。恭子は房子の足を押さえ、手を握っていた。
それでも、足は見事に治ったようだった。痛みもとれて、房子は少女のように明るい声をあげた。
「せんせー、全然痛くないですー!」
「もっと早く先生に出会いたかった~!」
いつものように、オーバーに、感激したようにほめまくった。聞いていて、恭子は恥ずかしくなってくる。
それから、大きなモールの中を、房子の車椅子を押していろいろ見て回った。違う階に行くには、いちいちエレベーターの所まで行かなくてはならないので、大変だった。
そうして歩いている時に、房子の携帯電話が鳴った。絵手紙の先生からだった。先生からは、家にいる時にも何回か電話があった。
房子は人が変ったように、丁寧で、きどった声を出す。
「今、足を診てもらいに病院に来ているんです。・・・トゲが刺さっていて・・・抜いてもらって、楽になりました・・・」
え、トゲ? と恭子は驚いた。なんで本当のことを言わないのだろう。「タコ」と言ったら、かっこ悪いからだろうか。
短い電話が終わって、歩きながら、房子に訊いてみた。
「《絵手紙の》先生に、《恭子の》家に居ることを言ったの?」
すると、房子は言っていない、と言う。
「どうして?」
と訊くと、
「面倒だから」
と房子が言った。
先生が家に来たら、迷惑をかけるから、と善意に解釈しようとしたけれど、変だった。
恭子が押している車椅子の上で電話をしていたのに、そのことも言わない。まるで、ひとりで来ているような口ぶりだった。
何故?と思った。娘が世話をしているのを、何故言ってくれないのだろう。冷たい、と思った。恭子が房子にしてあげていることを、房子は決して他人には言わない。ずっとそうだった。恭子を「いい人」として伝えてくれないのだ。
でも、もう、いいや、そんなことを考えるのはよそう。今は、房子にただただ尽くそう、そう思った。
そして、房子が施設に帰る日になった。
平日なので、卓雄はいない。久美が送っていこうかと言ってくれたけれど、帰りは夜になってしまうし、久美だって子供達がいるので、迷惑はかけたくないので断った。
来る時は、卓雄の車だったので楽だった。けれど、房子の荷物は結構あったので、支度
にも時間がかかった。その上、房子はまた買い物がしたい、という。それが大変なことになった。
タクシーで駅まで行くのなら、まだ楽だった。けれど、房子は、乗り換えがない別の電車のルートがいいと言う。その駅まで行くのは遠いのでバスで行った。それがそもそも間違いだった。
バス停までも、バスを降りてからも恭子は、高さ一メートルもある房子の重たいキャリーバッグをひきずって、房子の手を取って歩いた。キャリーバックの中には、衣類と、絵手紙の道具などがいっぱいに詰まっている。
房子は途中で何度も苦しそうに止まった。スーパーに着くと、入り口に座り込んで動けなくなった。そこで、買うものをメモした紙を恭子に渡して、買ってきて、と言った。それなら、最初から恭子が買ってきたら、楽だったのに、と思いながら、恭子はひとりでスーパーに入っていった。
恭子だって疲れている。けれど房子は、自分のことばかりで、恭子がどんなに疲れているか、思い巡らせない。
メモの紙にはおかゆや佃煮、オレンジなどいろいろあったが、牛乳500ccを2パック、もあった。これ以上、どうやって持って行くのかと、うんざりしたけれど、施設の買い物の日は、まだまだ先なのかもしれない、と思って、仕方なく買った。
急いで戻ると、房子はまだ入り口に座っていた。キャリーバッグの隙間に、牛乳などの重い物を詰めて、残りは恭子の袋に詰め替えた。
それからやっとのこと駅にたどりついて電車に乗ると、恭子は疲れ切っていた。うとうとして、降りる駅のひとつ前で、房子に起こされた。
駅から施設までタクシーに乗って、ようやくほっとした。
施設に着くと、買ってきたものを急いで冷蔵庫やそれぞれの場所にしまっていった。もう、夕飯の時間が迫っていた。
帰る時、恭子を見送りに入り口まで来た房子を見つけて、ケアマネの野口さんが笑顔でそばにやってきた。
「おいしい物をたくさん食べてきた~?」
野口さんが、茶目っ気たっぷりに房子の顔を覗き込んで、言った。
その時の房子の反応に、恭子は心底がっかりした。房子はうなづきもせず、曖昧な表情で、いつものように作り笑いを浮かべているだけなのだ。
どうして、「ええ、たくさん食べてきました」とか、「よくしてもらってきた」とか言ってくれないんだろう・・。
通りがかった仲間のおばあさんが、
「足はどう?」
と訊くと、房子はやっぱり、
「トゲがささっていたので抜いてもらって、楽になったの」
と、上品な言い方で言う。
「あら、なんだトゲだったの・・」
おばあさんが、拍子抜けしたように言った。
施設からの帰り道、恭子はバス停までの暗い道を歩きながら、泣きたい思いだった。みじめだった。房子を喜ばせようと、必死にもてなしたこの日々は、何だったのだろう。
辺鄙な所だから、バスは頻繁には来ない。タクシーも来ないので、バス停を過ぎて歩き始めると、少ししてバスが通り過ぎていった。
体は鉛のように重い。手術した両足が、長く歩くとまだ痛んだ。
歩きながら、涙がポロポロ出た。悲しくて、悔しかった。既に帰っていた卓雄は、メールで迎えに行こうかと言ってくれた。けれど、そんな迷惑をかけたくなかった。
電車に乗ってからも、房子のことをずっと考えていた。野口さんに向けた、房子の曖昧な作り笑いが頭から離れない。
尽くすことなら、いくらでもできる。ただ、喜んでくれさえすれば・・・。過去の房子とのいざこざも、そんな悔しさが原因のことばかりだった。情のない、ひどい人だった。話しても、通じない人だった。そうして、ストレスをためて、爆発した・・・。
房子が、
「あ~、ゆっくりできた!」とか、「おいしいものを思う存分食べた~!」と喜んでくれたら、それだけで恭子の気持ちは充たされたのに・・。
そして、思った。
房子は他人に、娘が優しくしてくれるなんて、間違っても言えないのだ。自分は娘に辛く当たられ、施設に追い出された可哀そうな人、ということになっているから。
いや、以前もそうだったように、恭子の行為はすべて当たり前であり、優しくしてくれるなんて思ってもいないのだろうか。久美や他人には、優しいお礼の言葉を連発するのに。
帰ってから、恭子の話を聞いて、卓雄が
「実の親なのに、自分のことばかり。恭子に愛情がないんだよ」
と怒った。恭子がかわいそうだ、と言ってくれた。
久美と亜美にもメールで報告すると、やっぱり怒って、同情してくれた。
亜美は、どんなに恭子が尽くしても、房子のあの感じは変わらないのに、優しすぎる、と言った。
久美も優しい言葉をかけてくれたけれど、房子の久美にかける優しい表情を見ている彼女には、それほど強い怒りの気持ちがないのが分かった。
それから何日か経った日曜日に、房子と何度も行った施設に近いスパゲティのお店で、房子の誕生日会を開いた。
子供達と孫達、十八人全員が都合をつけて集まった。店の大きな部屋は予約していた。
アレンジメントを頼んで、和菓子のお店で房子が好きそうなお菓子の詰め合わせも用意して、持っていった。
房子は九十五歳になる。誕生日を祝うのも、これが最後になるかもしれない、と恭子は毎年のように思った。その日は誕生日の少し前だったし、房子にはただ、お昼にスパゲティを食べよう、としか言っていなかった。
そうして全員がスタンバイして、昼頃房子を施設に迎えに行った。サプライズでびっくりさせるはずだった。けれど、レストランに到着して、みんなの顔を見ても、房子はそれほど驚いた顔はしていなかった。
その日は、房子は食事中、詰まらせることもなかった。ケーキは食べきれず、施設に持ち帰った。
家族がみんな房子のために都合をつけて集まって、良い会ができたと、恭子は満足だった。
房子の入院・そして、また家に
ある日、施設から電話がかかってきた。四月の終わりごろのことだった。
房子が部屋で転倒して大腿部を骨折したという。施設の近くの病院に、施設のスタッフが付き添って行ってくれていた。
その病院に、恭子が通うには遠いので、なるべく近くの病院を探して、替えてくれるようにお願いした。かくして、房子は介護タクシーで、ストレッチャーに乗せられて最寄りの総合病院に運ばれてきたのだ。
幸男にも連絡した。卓雄と恭子が付き添っている病院に、幸男も後からかけつけた。
以前、塾で転倒して、反対側の足の骨折をした時には、房子が血液をさらさらにする薬を飲んでいたために、手術前にその効き目を無くす一週間が必要だった。けれど、今回運ばれた病院で、担当した若めの担当医は、手術まで長引くリスクの方が高いと判断して、その日の夜のうちに手術がおこなわれることになった。
久しぶりに会った幸男とは、必要最小限の事務的な話だけをした。幸男も、恭子に任せるしかないからだろう。おとなしかった。
それから、リハビリも含めて、約一ヵ月、恭子は毎日病院に通った。
病院へは、バスを乗り継いで行くのが楽な行き方だった。けれど、そうすると、バスを待つたびに時間がかかる。荷物を持つのも重い。そこで、がんばって自転車で通った。病院まで、どんなに一生懸命ペダルをこいでも片道四十分かかった。
五月になると日差しは強い。アスファルトから熱と光が反射する。額に汗が流れ、前髪がへばりついた。
病院に行く途中までの道は坂が多かったし、右折して大きな車道になってからは、車が続く危ない道だった。それでも、恭子は必死に毎日自転車を飛ばした。
ひどい母親だった。自分を苦しめた人だった。けれど、寝たきりにはしたくなかった。ぼけてしまって、恭子が誰かも分からなくなってほしくなかった。そんな最後にはしたくなかった。
S総合病院は、割合新しい、きれいな病院だった。
房子は、手術直後は看護師の目が行き届く広い大部屋にいたけれど、その後は四人部屋に移された。陽の当たる明るい部屋だった。
以前と同じように、そこでも房子は最年長のようだった。担当の医師はそれぞれ違うけれど、その部屋は、骨折している人ばかりだった。
恭子が部屋に入っていくと、房子は少しやさしい顔をして、「疲れたでしょう」と言った。その言葉に、恭子はとまどった。以前の入院の時とはなんだか様子が違っている。
恭子が毎日、四十分もかけて自転車で通うことを、房子は知っていた。けれど、それにしても、こんな言葉を、房子から聞くのは初めてだった。
房子の隣のベッドには、房子よりだいぶ若そうな人がいた。自宅の部屋のカーペットでつまづいて転んで骨折したという。
「だんだん足が上がらなくなるのよねぇ」と恭子に笑いながら言った。明るい人だった。
ある日恭子が部屋に入って行こうとした時、房子がその隣のベッドの女性に恭子のことを誉めて話しているのが耳に入った。遠い所を自転車で来てくれる、と房子が言っている。恭子は耳を疑った。いったいどうしたんだろう、と思った。
房子が他人に、恭子のことを誉めることなど、今まで一度もなかった。自分の自慢話を精いっぱいするだけだったのに。
房子は前回の骨折の時と同様に、歩けるようになるまで、自分でもがんばった。自分の体に関して、驚くほど前向きな人だった。
恭子は看護師の許可を得て、房子を車椅子に乗せて、廊下の奥の少し広いスペースに行って、歩行練習を手伝った。そこには壁沿いに金属の長いバーがついていて、トレーニングにはうってつけだった。
エレベーターで屋上にも行った。屋上には、ほとんど人気がない。低い木の植え込みが作られていて、金網の近くに、植え込みに囲まれたジグザグのスペースがあった。そのジグザクのスペースで、房子の手をとって、歩く練習をした。
屋上から、金網越しに道路を挟んだ家々のベランダに干した洗濯物が見える。吊るされたティーシャツやタオルを見ていると、金網のこちらにいる自分達が、非現実的な世界にいるような気がした。
そうやって、房子は徐々に回復した。施設に帰っても、リハビリはできないので、病院でその期間分特別に延長してくれて、毎日リハビリのトレーニングをやってくれていた。
そんなある日のことだった。房子が退院後の話をした。
恭子が当然施設に帰ってからの話だと思って聞いていると、どうも様子が違う。房子は家に帰る話をしているのだ。びっくりした。どうして急にそんなことになったのだろう、と思った。
房子は、「家に帰りたい」とも、「帰っていいかしら」とも言わなかった。ただ、「帰るから」とだけ言うのだ。
あっけにとられながら理由を訊くと、恭子が遠い所を通ってくれて、心を動かされた、とか、怪我をして、施設で暮らす自信がないとか、果ては、施設にいると年金が消えていくだけなので、そのお金を、亜美が最近購入することになった家のローンに充ててあげたい、などと言った。
考えてもいなかった突然の話なので、恭子は意表を突かれ、とまどっていた。最初は現実味がなかった。房子が家に帰ってくるなんて、夢にも思っていなかった。
けれど、房子が本当に家に帰ろうと思っていることを知ると、じわじわとうれしさがこみあげた。
房子の口からは、「恭子と一緒に暮らしたい」などという言葉は決して出ない。それに、心にもない亜美のことなど持ち出して、言い訳にしようとするところが可愛げがなかった。
それでも、恭子はびっくりしたし、うれしかった。
その日、病院を出て、夕暮れの街道を自転車で走りながら、恭子は興奮していた。
(母が帰ってくる! 母が帰ってくる!)
胸の中で繰り返した。
施設に行くことになったあの時、成り行きでどんどん事が進んでしまったけれど、決して望んだ結果ではなかった。やりかけていた仕事を途中で放り投げたような、挫折感でいっぱいの気持ちだった。無念だった。
もう、帰ってくることなんてないと諦めていた。まさか、こんな展開になるなんて。
卓雄や亜美たちは、何て言うだろう。恭子の苦しい日々を知っている彼らは、きっと猛反対するだろう。恭子の愚痴を聞くのは、もううんざりだと思うだろう。
けれど・・・、最後は恭子の気持ちに任せると、きっと言うだろう。
家に帰って伝えると、案の定、みんな大反対だった。特に、房子のひどい行為や冷たさを実際に見てきた亜美は、強く反対した。
「帰る理由を、関係ない私の家のローンのお金にかこつけるなんて、ずる過ぎる」と怒った。
「おかあさんは、また、おばあちゃまの打算やお芝居にうまくだまされてるんだよ」
と言った。
久美も、
「おかあさんがどれだけがんばっても、おばあちゃまはまた、感謝もしないよ。おかあさんの自己満足だよ」
と言った。
卓雄は反対もしなかった。恭子の気持ちに任せているようだった。房子が帰ってくれば、また卓雄に一番迷惑がかかる。それなのに、止めた方がいい、とは言わなかった。
久美の言うことも、亜美の言うことも、当たっている、と思った。その通りだった。
房子があの人柄である限り、きっと以前と変わらず、もめごとは起こるだろう。それに、これからは、間違いなく「介護の日々」になる。大変だろう。
どちらをとっても、きっと後悔する、と思えた。けれど、房子を施設に入れたままの後悔の方がはるかに大きい、と恭子は確信した。
とにかく、施設に入居させた経緯が、自分で納得できていなかったのだ。
後になって知ったことだったが、房子は、幸男には、家に帰る理由を、「施設ではリハビリができないから」と言ったという。誰に対しても、なんとかもっともらしい理由をつけるのが、いかにも房子らしかった。
房子を受け入れることに決めて、それから退院までの日々、恭子は房子に、少し強気になって、いろいろ約束させた。
まず、携帯電話を止めさせた。これまで、房子は恭子の知らない所で、事実と違う話をあちこちにしている。それがトラブルの原因
のひとつだった。恭子達の前で、ちゃんと本当の話をしてほしかった。
他の人との話は、家の電話でもできる。よほど内緒の話がしたかったら、恭子のスマホを使って、自室でかければいい、と思った。
ただ、房子との連絡用に、家族とだけ電話ができる携帯電話を契約しようと思った。
お金は、施設の時と同様に、恭子が管理する。勿論房子に許可をとるし、通帳も見せる。
房子が施設に行く前のように、あちこち湯水のように贈り物をするのを防ぎたかった。
また、何でも隠さないで、親しく話してほしい。嘘をついたり、黙り込むのもやめてほしい、と強く言った。それが、むしろ一番の願いだった。
何を言われても、房子は家に帰りたい一心で、素直にうなずいた。確かに、その時は、恭子にすべてを託す気持ちになっていたのだろう。そして、足の怪我をして、よっぽど体に自信がなくなっていたのだろう。
ただ、後に、携帯電話を取り上げられたことは、相当不自由なようだった。
それから、恭子は激しく忙しい日が続いた。
まず、施設の部屋の片づけ、引っ越しが大変だった。引っ越し業者は頼んだけれど、遠い施設に何日も通うわけにはいかなかったので、一日で終わらせようとして、長い時間片づけ続けて、その結果、無理がたたって、その日から辛い坐骨神経痛に悩まされることになったのだ。
帰ってくる家の準備も大変だった。新しいケアマネージャーが来てくれて、介護用品の手配もした。危険な所や不便なところにポールを立て、バーをつけた。トイレには、手すりもとりつけた。そうやって、すっかり介護のための家に用意されていった。
そうして準備が整ったところに、房子は帰ってきたのだ。
「帰りたい」ではなく「帰る」ではあったけれど、房子は自分で意思表示をした。
恭子は、今度こそ、房子と心がつながるのではないかと、期待していた。
家に帰って
後から思い出しても、家に帰ってからの数日が、初めて房子と心が通い合う、穏やかで、幸せな日々だったと思う。
房子は素直で、よく話をした。恭子も、今度こそ房子と心がつながる、と思えた。
ところが、元気だった房子の様子が、だんだん変わっていった。はあはあと息遣いが苦しそうになってきたし、表情もまた、以前のように暗い。施設に入る前に通っていた内科を受診すると、肺に水がたまっているようだと言う。
それからまた入院ということになった。今度はS総合病院より少し恭子の家に近いC総合病院だった。
C病院ではしばらく、ベッドの空きがなかったので、救急病連に入れられていた。その後普通病連に移されたが、S病院と違って、六人がぎゅうぎゅうに詰め込まれた感じで、カーテンで囲むと歩くスペースもなかった。
そこには二週間ほど入院して、溜まった水分を抜くために、利尿剤が点滴でいれられた。けれど、そうしているうちに、房子はどんどんやせ、どんどん元気がなくなっていった。
表情も、S病院にいた時のように明るくない。以前のように、恭子に嫌な言い方もするようになった。
病院に行って、
「何か要る物はない?」
と訊く恭子に、
「例えば?」
と、意地の悪い顔をして訊き返すのだ。すっかり元通りの房子になっていた。
房子がC総合病院を退院してから、恭子は忙しくなった。新しいケアマネの工藤さんがプランを立ててくれて、デイサービスに通うようになり、訪問介護の人が来て、入浴させてくれ、訪問マッサージも来るようになった。
病院に通うのも大変なので、それまで行っていた内科から、工藤さんの紹介で、訪問医師に替えてもらうことになった。
すると、その訪問医師も房子の体調が安定しないので、不定期に頻繁に通ってくれる。そのたびに、薬局に処方された薬をもらいに行くと、混んでいるので、たいてい一時間は待つのだった。
ケアマネの工藤さんとプランを作成する日や、介護の人達の集まりも頻繁にあった。
デイサービスの日には、風呂に入れてくれるので、持って行く着替えやタオル、薬の準備、連絡ノート、などの準備に、抜かりはないかと緊張する。送迎のバスの時間に遅れないようにと、これも緊張した。
そのうえ、肺に水がたまってしまう房子の食事や水分の管理が大変だった。食事の塩分を考えたり、水分を調節する。飲んだ水分の量を、いちいちメモしていった。
けれど、この水分や塩分の調節は、しばらくすると、水分を抜きすぎて元気がなくなることも考えて、工藤さんが、普通の食事にもどすことを提案してくれた。房子の食事の量は、ずいぶん少なくなってきていたので、少しでも食べられることを優先したのだ。
この頃、恭子はいろいろなことがいっぺんに重なった。
北海道の施設に入っていた卓雄の母親が亡くなって、ふたりで北海道を訪れた。
それまで遠くの社宅に住んでいた亜美が、恭子の家から車で二十分くらいの所にある大きな中古の家を、迷った末に買うことに決めた。その手伝いもした。
恭子自身も、体の不調や怪我が途切れることなく続いていた。房子の施設を引き上げる荷物の片づけと掃除で無理をして以来、ひどい坐骨神経痛が治らず、ちょっと立っていると、呻くように痛くなる状態が続いていた。
おまけに、雨の日に自転車で房子の薬をもらいに薬局に行って、転倒して、右足のじん帯を切り、ひざの骨にヒビが入る怪我をした。
それが治ってしばらくして、今度は右足の甲の骨を折り、しばらくギブスをして松葉杖をついた。
房子に比べれば勿論若い。けれど、恭子は無理をして、あちこち体が痛んでいたのだ。そんな恭子を目にしても、房子は冷たかった。
ささいなことでも自分の体の心配をするというのに、房子は、恭子の体や足を気遣うことはなかった。
房子は再び家に帰ってからも、他人には相変わらずのパフォーマンスをした。高齢であり、体も以前に比べて弱っているのに、気持ちだけは変わらない。他人に良く思われるこが、房子のすべてだった。
デイサービスから帰ってくると、房子はバスから降りる時に、中に残っている人達のところにわざわざ行って、元気よくお別れのハイタッチをしてくる。降りた後は、迎えた恭子に荷物を持ってもらい、手をつないでもらいながら、笑顔でバスを見送る。九十五歳の枯れたおばあさんとは、とても思えない元気なしぐさだった。
そうして、元気でかっこいいおばあさんをひとしきり演じた後、家に入ると、恭子に靴を脱がせてもらって、玄関を上がり、ソファーにへなへなと崩れこむのだ。ありったけのエネルギーを使い切った壊れる寸前の機械のようだった。そしてそのまま何時間も眠り込んだりした。
房子の演技は、訪問してくれる医師にも向けられた。中年の医師は、呼吸器が専門だったので、心臓が弱っている房子にはちょうど良かった。
医師はいつも男性か女性の看護師を連れて現れ、ざっくばらんで親しげな話し方をした。
医師がくると、房子は、
「先生がいらっしゃるのを、待ちわびていましたぁ」
と、甘えた声と笑顔で迎えた。そして、つぎつぎ新しく不調な症状を訴えて、薬を追加してもらった。
話の途中で、なにかの拍子に、房子は肩をすくめたり、まるで少女のようなジェスチャーをする。おまけに帰る時には医師の手を両手で握りしめて、ほおずりした。房子の最高級の親愛の情を表しているのだ。恭子は房子の、このオーバーなジェスチャーが、こびているようで、嫌でたまらなかった。
これは、房子が先天的に持っている才能なのだろうか。何も考えずに、自然にこんな演技ができてしまうのだろうか。普段家の中で、暗く、無口な房子が、まったく別人格になるのを見て、恭子は恥ずかしくたまらない。いたたまれない気持ちになった。
けれど、医師にしたら、まんざらでもないのだろうか。穏やかな笑顔で帰っていく。これが普段の房子だと思っているのだろう。
医師は、穏やかないい人だった。房子がかぜをひいて、痰がからまって苦しい時には、
「辛いねぇ、楽にしてあげるからね」
と房子に言葉をかけた。
恭子はその頃、坐骨神経の痛みを抱え、膝の怪我もしていて、床に座ることができない状態だった。医師にこんなに心から優しい言葉をかけてもらう房子が、つくづくうらやましかった。
訪問の医師が来始めて少ししてから、房子は一時、危ない状態になったことがあった。食べられないし、水分を抜いているから、骨しかないほどにやせている。そこへ痰がつまって苦しそうだった。意識も無くなりそうで、医師達がきていても、口を開けて眠っていく。
もう、死んでしまうのではないかと思った。
このまま房子が死んでしまったら、この数か月間の恭子の体を酷使し続けた日々は、浮かばれないではないか。悲しすぎる、悔しすぎる、と思った。
自分ひとりで死なせてしまったら、と責任を感じて、幸男にも電話した。久しぶりだった。もう、長くないかもしれないから、会いにきてあげて、と言った。電話のむこうの幸男は、素直な声だった。
けれど、房子がそうして横たわっている間、幸男が来ることはなかった。
それでも房子はまた徐々に回復していった。
少しずつ食べられるようにもなった。歳を取って、やせてはいても、強靭な体だった。
そんな房子が突然言い出したことがあった。悠一が住んでいる家を売る、と言うのだ。
悠一の妻は認知症がひどくなり、寝たきりになって、意識がないまま長く病院に入っていたが、その後亡くなった。
その家は、房子が買った物だ。恭子達は、悠一に与えるものだとばかり思っていた。
自宅にローンを払ってきた幸男や恭子と違って、悠一は、これまで住居のためのお金が要らなかった。恭子の家より都心には少し近いけれど、もう、ずいぶん古い家だ。房子はいつかはその家の整理をしておきたかったのかもしれない。
房子はその家を売って、悠一と幸男、恭子の三人に分ける、と言う。どうして急にそんなことを言い出したのか分からなかった。
自分が長くないことを思って、だろうか。
幸男がかわいいからだろうか。あるいは、骨折してS総合病院に入院している時に、毎日自転車で通った恭子に、気持ちがほだされたからだろうか。
恭子もびっくりしたし、卓雄は悠一がかわいそうだと恭子に言った。
けれど、当の悠一は、もう話にならない人だった。房子に言われるままに、恭子はあちこちの役所に出向き、書類を集めた。不動産屋にも相談した。
悠一が住んでいるその家は、古いうえに、書類の管理が杜撰な房子は、大事な書類がなにもない。あちこちたどっていくそれらの作業は大変なことで、延々と時間がかかった。
しかし、あんなにお金に執着し、他人に贈り物をし、お金の力で自分の人気を維持しようと努めてきた房子だったが、もう、自分の限界を知ったのか、以後お金のことには恭子に任せて、一切関知しなかった。
悠一の家を売る話の相談で、幸男はあれから初めて恭子の家にやってきた。房子が瀕死の状態で連絡しても、とうとう来なかったのに、遺産の話になって、初めて顔を出したのだ。
房子はこの時初めて、幸男に、恭子に世話になっている、礼を言ってちょうだい、と言った。けれど幸男は相変わらず、恭子に礼など言える人間ではない。房子にそんなことを言われたことが腹立たしいらしく、憮然とした表情のまま、何も言わなかった。
そうやって、房子の少ない親族は、ばらばらに崩壊していった。
悠一はもとより幸男を嫌っていたが、家のことで、房子を恨み、幸男や恭子を恨んだのだろう。
そうして、介護も何もしないで房子に庇護され続けた幸男は、労せずに房子の遺産を手に入れることになったのだ。
衰えた日々
ある日、薬局に房子の薬を取りに行く時に、房子から投函するように頼まれた絵手紙を見て、恭子はがっくりした。
薬を待っている間に、何枚かの絵手紙の絵を見ていた。相変わらず、房子の絵はうまい。
ピンクのユリや、庭のさざんかの花が、墨と絵の具でのびのびと描かれている。
けれど、その絵の横に書かれた短い文を読んで、ショックを受けた。時に判読し難い房子の癖のある字で、
「怪我をして、《施設から》やむなく娘の所にもどりました」
と書いてあるのだ。なんてことを言うのだろう、と思った。「やむなく」だなんて。S総合病院で家に帰る、と言った時、房子は「やむなく」だったというのだろうか。それが本心であり、あの時恭子に言った言葉は、計算づくだったのだろうか。なんというしたたかな人だろう、と思った。
家に帰ってから訊いても、房子は勿論質問には答えない。顔をゆがめて、
「《恭子に絵手紙の投函を》頼まなければ良かった」
と言うだけだった。
房子のしたたかさは変わらなかった。演技するのも変わらない。
デイサービスに行く時に、恭子が玄関でかがんで靴を履かせていても、いつもなら当たり前のように黙っている。けれど、バスの世話係の人が覗いているのを知ると、途端に態度が変わる。
「ありがとう」「ありがとう」と、房子は何度もやさしく礼を言った。
恭子のことをお手伝いさんのように扱うのも、変わらなかった。
デイサービスに行く時に、忘れ物がある時に、玄関で、
「眼鏡が欲しい」
と言って、足の悪い恭子に階段を上らせるのも平気だった。
「悪いけど、取ってきてくれる?」などという言い方を、房子は最後までしなかった。
房子の付き添いで出かけて、疲れ果てて帰ってきても、房子は帰るなり、
「今日は、冷たいのが飲みたい」とか、「あっついお茶が飲みたい」と恭子に言う。
自分のことしか考えられないのも、ずっと変わらなかった。
再び家に帰ってきても、やっぱり房子は何も変わらなかった。「優しい老人」とはいかなくても、世間で見かける普通のおばあさん、普通の母親になることは決してなかった。
けれど、気の強さとは逆に、房子の体は目に見えて衰えてきていた。
以前から便を出す力が無くなって、自分で下剤や浣腸を使って、失敗をすることが多かった。下着からズボンまで総取り換えしている間に、がまんができずに床まで汚すことも何度かあった。
そうかと思えば、数日出なくて、「敵便」をしてもらうことも多くなった。「敵便」というのは、肛門から指を入れて、大便を摘出する行為だ。
最初に敵便をしてもらったのは、デイサービスでだった。その後、家で看護師に何度もやってもらった。恭子も手伝った。緊急事態で、恭子がひとりでやらなければならないこともあった。
食べたものが飲み込みにくかったり、痰がとれなかったり、便が出にくいのは、筋肉が衰えていくからなのだろう。そういう房子を見ていると、かわいそうになる。
しかし、それにしても、房子は自分の体の不調を、あまりにオーバーに訴え過ぎた。
少し転んだりぶつけたりすると、房子はすぐに骨折している、と訴える。歩けるなら折れていない、大丈夫だから、と言うと、不満そうに、ぶすっとして黙ってしまう。
片足の甲を骨折してギブスをあて、松葉杖をついている恭子が、卓雄に助けてもらって、車椅子に乗った房子を病院に連れて行ったこともあった。後になって思い出しても、妙な光景だった。
レントゲンの結果は、勿論何でもなかった。
目の痛みでも、房子は大騒ぎをした。房子は何の痛みにも、これ以上ないほどオーバーに痛がるのだ。
「目が痛い」「目がつぶれる」と言って、顔をしかめて死にそうな表情をする房子を、最初は卓雄の手を借りて、駅向こうの目医者に連れて行った。房子をどこかに連れて行くには、もう車椅子で行くしかなかった。歩くのは、ほんの少しの距離だ。
その最初の目医者で、何も異常がないと言われたのに、房子はもっとちゃんと診てくれる所がいい、と言う。もう一件の目医者にも行き、近くの目医者には、恭子が車椅子で連れて行った。
目医者に行くたびに、一、二時間待たされる。半日がつぶれた。あんまり繰り返すので放っておいたら、房子は、
「こんなに痛いのに!」
と、泣き真似までした。
卓雄が、
「行かないと、おかあさんはいつまでも言うよ」
と言う。仕方なく、ケアマネの工藤さんに紹介してもらって、かなり遠くの少し大きな目医者に行った。そこで何も異常がないことが分かって、房子はようやく諦めたようだった。
それにしても、大騒ぎをして、卓雄が仕事を休んで行ったというのに、房子は申し訳なさそうな顔ひとつしない。それどころか、房子は、
「何もなくて良かったわね」と言ってほしかった、と不満そうに言うのだ。卓雄とふたりで顔を見合わせてしまった。
房子はどうして、これほど医者にかかりたかったのだろうか。重い病気や怪我で、心配してほしかったのだろうか。自分に注目してほしかったのだろうか。
ちょっとしたことで死にそうに大騒ぎするものだから、次に騒いでも、またか、と思ってしまうのに。
恭子は、自分の体も同じくらい心配してくれればいいのに、と思ってしまう。
そうは言っても、房子の体力はどんどん落ちていっていた。階段を上るのも、限界を越していた。房子がトレーニングのためにがんばると言っても、かわいそうで見ていられなくなった。房子はすでに96歳になっている。
それまでにも、ずっと気にはし続けていた。けれど妙案がなかった。一階に、くつろげる部屋は、たった一間しかないのだ。そこに房子のベッドを置いたら、何もできなくなる。
ずっと以前に、留学生のひとりが、外から上がる案を考えてくれたこともあった。階段に滑車をつける、という案もあった。けれど、どれも無理があった。
そこで、とうとう意を決して、房子の寝室を一階に移すことを決めた。それと共に、居間を二階に移さなければならない。房子が楽になるのとひきかえに、卓雄はかなり不便になる。けれど、卓雄は快く了解した。
そうして、部屋の大移動をした。
二階の房子の部屋から、ベッドや机、タンスを持ってくると、居間にはもう、寝転がるスペースもない。大画面テレビは二階に設置し直し、一階には房子の小さなテレビを持ってきた。そうやって一階の居間は、すっかり房子の勉強部屋兼寝室に変ったのだ。二階の一部屋には、房子の衣類や本、アルバム、雑貨など、夥しい荷物がそのまま置いてある。一階の居間にそれ以上持っていくことは無理だった。
それからは、夕飯が終わると、卓雄は二階に行ってくつろぐようになった。そうするしかなかった。
一方、房子はずいぶん楽になっていた。食事が終わると、隣りの部屋にすっと移動できる。今まで通り、机で絵手紙を描いたり、テレビを観たりして、寝たい時にはベッドに横になった。おまけに、ほとんど寝るまで恭子が近くにいる。卓雄の不自由さとひきかえに、房子は快適さと安心を手に入れていた。
恭子も一安心だった。これで、房子は亡くなるまで、恭子の家で安心して暮らせるのだ、と思った。
しかし、その後も房子の衰えはどんどん進んでいった。恭子の力では風呂にも入れられないので、氷のように冷たい房子の足を、湯を入れたバケツを持ってきて温めるようになった。
湯の中で温まった房子の足をとって、タオルで拭く。それでも房子の口から、ありがとう、とは出てこなかった。
下り坂
二月の九七歳の誕生日を前にした冬、房子はちょっとしたかぜをひいた。恭子もひいた。どちらが先だったか分からない。
微熱は出たけれど、大したこともないと思ったのに、数日咳が続いた後、房子は痰が喉にからんで、いつまでも苦しそうだった。
新しく替わっていた年配の訪問医が、いつも処方しているたくさんの薬に加えて、抗生剤も処方してくれた。咳止めや痰切りの薬も飲んだ。けれど、なかなか治らない。痰が喉にひっかかったままの房子は、ひっきりなしにグエグエと、耳障りな音を立てていた。
思えばそのかぜが、房子の「最後」の始まりだったのだ。思い返してみて、恭子はそのかぜを軽くみていたことが悔やまれた。
百歳に近づいているとはいえ、それまで強い房子を見てきた恭子は、房子が重篤な病気になる、もしくは死が訪れるなど、現実のことになるとは到底思えなかった。房子はこれまでも、痛い、苦しい、死ぬ、と何度も騒ぎ、恭子達を振り回してきた。そのたびに房子の大げさな演技にうんざりしてきていた。
訪問医が帰る時に、玄関に見送りに出る恭子に「もうそれほど長くはないです」と耳打ちしても、どこかで(房子に限って)と思っていた。
ところが、そのうち房子の様子がおかしくなってきた。「オスの猫が2匹いる」とか、「〇〇さん、花火を上げて!」とか妙なことばかり言う。ぎょっとしたけれど、最初はいつもの房子の演技かとも思った。
テーブルの前に座っていても、房子は飲んだはずの薬を手探りで探している。突然手を挙げて天井を指したり、訳の分からない独り言をぶつぶつつぶやき続けた。
房子は体力こそ衰えてきてはいるけれど、頭は確かなほうだった。それが、急におかしくなり、恭子はとまどった。半信半疑で、知り合いの何人かに頼んで房子と電話で話してもらったけれど、時々は普通でもあり、微妙だった。
ところが、症状はどんどんひどくなり、房子は寝たきりになってしまった。一日中眠り続け、目を薄く開けても、普通の会話は一切ない。寝ながらひとりで何やらしゃべり続け、大きな声でうわごとも言う。目の前の相手が誰だか分からず、房子は喜怒哀楽のない能面のような顔をしていた。
「認知症」について、恭子は勿論知っていた。けれど、これほど急に来たことにあわてた。あんなに頭のしっかりしていた人が、と信じられなかった。
ベッドのわきで、魂が抜けたような顔をしている房子を見ていると、痛ましくて、恭子は涙が出てきた。寝たきりになる方が、まだましだった、と思う。このまま房子が訳も分からない人になってしまうのかと思うと、絶望的な気持ちになった。そんな覚悟なんて、できていない。
恭子は房子が心配で、それから数日、房子のベッドの下に布団を敷いて寝た。
そんな時に、訪問してくれていたケアマネの工藤さんが、「大丈夫ですよ。体の水分が足りなくなった時に『せん妄』が起こりやすいですが、治りますよ」と言ってくれたのだ。本当にありがたい言葉だった。
工藤さんは、助産婦の仕事もしていたことがある経験豊富な、割合年配のケアマネさんだ。工藤さんの言葉には説得力があった。
工藤さんが言うには、『認知症』と『せん妄』は違う。房子の症状は、『認知症』ではないと言う。絶望的になっていた恭子に、明るい気持ちがやっと少し戻った。
工藤さんが言った通り、房子はその後、意識は次第に戻り、以前と変わらない会話ができるようになった。本当にうれしかった.。
けれど、房子の体は、その時を境に、みるみる衰えた。かつての元気な房子には二度ともどらなかった。
それでも恭子は、房子がまた元通りに力強く復活すると思っていた。九十六歳という年齢を考えれば、その先に明るい見通しがあるはずもないのに、房子に限って、死に近づいているとは、到底思えなかった。
房子はちょっと歩くとはぁはぁ息切れした。食も急激に落ちて、ほんの少ししか食べられなくなっていた。
恭子は、房子の調子をみて、天気の良い日にはなんとか外に連れ出そうとしてみた。少しでも陽に当たる方が体にいいような気がしたのだ。けれど、房子は押し車につかまっても、もう数歩歩くのがいいところだった。
それでも房子は最後まで強い人だった。
年末には、二階に移動した大画面テレビで一緒にNHKを観るために、房子は久しぶりに、一段一段、はぁはぁ言いながら階段を上った。房子の体を考えると、無理をさせることを躊躇したけれど、一階で一緒にテレビを観るには場所がない。できればみんなで年末を過ごしたかった。
房子の意思を確かめると、自信なさそうではあったけれど、それでも一緒にテレビを観て過ごしたい気持が分かった。
房子のために思い切り温かくした部屋で、房子は半分以上ソファーで眠りながらも、満足そうだった。
恒例になっている恭子の子供達とのおおにぎわいの年始の集まりにも参加した。亜美が数年前に購入した大きな家で、房子は自分の皿に盛ってもらったたくさんの種類の料理を少しずつ食べ、その後、別室に敷いてもらった布団で、気持ちよさそうに眠っていた。
その後房子はどんどん食べられなくなっていった。食べても戻してしまう。ゼリー状の栄養価の高い物を、少しだけ食べた。
医師も、もうあきらめているようだった。苦しい時にはこれを使うようにと、睡眠薬の座薬を処方してくれていた。
けれど、体がそんな状態になっても、房子の強さは健在だった。
こんなこともあった。
ある夜、房子がベッドから、隣りの台所にいる恭子を呼んだ。房子は、手の感覚がない、痛い、と訴えた。房子はベッドの中で両手を丸め、顔は苦痛で歪んでいた。
痛いとか、苦しい、と訴える房子はいつも、地獄の釜にでも入れられているようなすさまじい顔をする。顔のすべての皺を歪め、目をぎゅっとつぶり、入れ歯を外した唇を、あえぎ声とともにパクパクさせる。
恭子がそばに行って、どうしたらいいか尋ねると、房子は分からない、と言った。
恭子はその時、自分も足を痛めていた。たてつづけに骨折や捻挫をしていた上、房子の荷物の片づけ以来、坐骨神経の痛みに苦しんで、長くは立っていられない。ベッドの枕元に腰をかけて、房子の両手をぎゅっとつつんだり、さすったりしてみた。
房子の細くて長い指は、骨の上に薄い皮が波のようによれてまとわりついているだけで、強くさすったら、ポキッと折れてしまいそうだった。五本の指は不揃いで、短くなっている指もあれば、第一関節から内側に曲がってしまっている指も何本かあった。
気をつけて触らないと、痛がるし、折れそうだから、恭子は房子の枕元で注意深くさすり続けた。
しばらくさすってから、恭子は手首の下の方からさすってみようと思って、右手を房子の体の反対側に回そうとした。
その時恭子は、房子が昔編んでくれた毛足の長い赤いモヘアのセーターを着ていた。
恭子の右手が、房子の顔の上を動いた。顔から30センチは離れていた。
ところがその時、
「目に入る!」
と、鋭い声をあげて、房子の手が恭子の右手を強く払いのけたのだ。びっくりした。
なんという力だろう、と思った。手の感覚がない、とか、痛いとか訴えていた、あの枯れた手の老人が。
目に入りそうな気がするなら、目をつぶればいい。顔をそむけたっていい。何も、強い力で払いのけなくたって・・・。
この、房子の強さを何度見てきたことだろう。弱って死にそうな房子を見るのも辛いけれど、房子のこの強さを見せつけられるたびに、恭子の気持ちは萎えてしまう。さっきまでの、なんとかしてあげたい、という気持ちが、どこかに行ってしまうのだ。
とうとう・・・
九十七歳の誕生日を過ぎて、三月の終わり、デイサービスの施設から電話があった。しばらく休んでいるので、登録を抹消されてしまうという。新たに登録し直すのはまた面倒なようだった。施設の人も、房子の体を考えて、迷っていた。
房子に訊いてみると、明確な返事がない。行きたいようでもあり、自信がなさそうでもあった。
房子はずっと風呂に入っていない。恭子が温めたタオルで体を拭いてあげているだけだった。施設なら、椅子に座ったまま湯に入る機械浴の設備もある。それを期待して、デイサービスに行くことに決めた。
玄関まではなんとか連れて行かなければならない、ということだったので、恭子は前日に予行演習をしてみた。自分も直前に足の甲の骨を折って、ギブスをしたまま台所をキャスター付きの椅子で往復していた。房子をベッドから起こして、そのキャスター付きの椅子に座らせて、倒れないように支えながら玄関まで移動する。危なっかしいけれど、なんとかできた。玄関からは、施設の車椅子で連れていってくれることになっていた。
けれど、後になってみると、そのデイサービスへの参加も、房子の体を一層弱めてしまったのではないかと、恭子は後悔するのだ。
当日、施設の車に送られて、房子は息も絶え絶えに帰ってきた。施設では何も食べられず、休んでいただけだったという。お風呂も到底無理だった。しばらくぶりに房子に会った仲間の老人は、房子の衰えた姿を目にして泣き出してしまったという。
無理だったのだ。かわいそうなことをした、と後悔した。
一層弱った房子は、もうベッドから起き上がることもできなくなっていた。
それからの日々、房子はベッドの上だけで過ごした。いつものように、何をしゃべるわけでもない。じっと天井を見つめたまま動かなかった。
時々台所から覗きにきてみた。あんまり動かないので、死んでいるのか、と心配した。
「何を考えているの?」
恭子が訊くと、
「何だろうねぇ・・」
と、空を見つめたまま房子は言った。房子の表情には、もう、なんの欲望も見えない。すべて諦めきった人に見えた。
何も考えていないなんて、あるのだろうか。考えているのに、言わないのだろうか。
こんな時になっても、房子は自分の心の中をさらけださない。
オムツを替える時にも、房子は何もしゃべらなかった。
寝たきりになってから、以前のパンツ型のオムツから、普通のタイプに替えている。ほとんど食べなくなってから、オムツを汚す回数も少なかった。
ベッドもそれまで使っていたものに替えて、介護用をレンタルしていた。その立派なベッドは、恭子達がずっと居間として使ってきた六畳の和室を四分の一近く占領していた。
べッドには、両サイドにやはりレンタルの転落防止用の柵が取り付けてある。高さは柵にかけてある大きなリモコンで調節できた。上体を起こしたり、下半身を上げたりもできた。
夜、恭子は和室と台所の間の戸を閉めると、房子に声をかけて、リモコンのボタンを押してベッドを高くした。房子は黙ってされるがままになっていた。
枕元に置いているティッシュの箱や、目薬やぬいぐるみが入った小さな籐の入れ物がベッドとともに持ち上がると、柵から落ちそうになる。房子は横目でそれを少し気にするそぶりをした。
手前の柵のロックを外して前に倒すと、恭子は房子のパジャマのズボンに手をかけた。
骨盤の骨だけしかないように見える房子の下半身は意外に重く、ズボンを下ろすために持ち上げようと思っても、手首に負担がかかり過ぎて無理だった。そこで、房子の体を半回転させて、向きを変えては徐々に下ろすことにしていた。
それでも、かなりの力が要った。腰の下に手を入れて、ぐっと持ち上げるように転がす。思わず「ヨッコラショッ!」とうめくように声が出た。
寒がりの房子は、パジャマの下にズボン下も履いている。恭子の声は、向こうに回転させたり、こちらに回転させたりするたびに、何度も出てしまう。房子に大変さをアピールしているようで嫌だったが、うっと力を入れるたびに声がでてしまう。
オムツ交換の一連の作業の中で、肝心のオムツに至るまでのこの作業が、恭子は一番苦痛だった。房子に長く生きていてほしいとは思うものの、次第に老いていく自分の手首が、この重みにずっと耐えられるだろうかと不安になった。
少ししか出なくなった便は、房子の体のよれた皺の間やひだの下に入り込む。お尻ふきの厚いペーパーを湯で濡らして拭いている間も、房子はまばたきも少なく、ただ天井を見ていた。
房子は何を考えているのだろう、と思った。
恭子がすべての作業を終えて、パジャマを元通り履かせ終わっても、房子は黙っていた。
天井から恭子の顔に視線を移して、じっと恭子の目を見ている。なんて感情のない、冷たい目をしているのだろう、と恭子は思った。
「ありがとう」でも「お疲れ様」でもない。
まるで、オムツを替える恭子が、あたかも房子を貶めていると責めているようにも見えた。
どうして黙っているの。どうしてそんなに冷たい目で私を見るの・・・。
「黙ってないで、なにか言って」
恭子がたまりかねて言うと、房子はやっと、冷たい目をしたまま、乾いた声でありがとう、と言った。
一週間ほどそんな状態が続いた。
その夜は、翌日恭子も房子も予定があった。恭子は夕方ある集まりに出ることになっていた。房子の介護を機に発行する小さな冊子のための会だった。それは恭子にとって、とても大事な会だった。
房子も卒業生のひとりが会いにきてくれることになっていた。
卒業生のTさんには、事前に、房子が相当弱っていることは伝えてあった。何も話せないかもしれない。長い時間は無理だろうと。
Tさんは、恭子より若い社会人だった。家には数回来てくれている。彼女も何かと気を使ってくれていたけれど、恭子もTさんの訪問時には、料理をがんばったり、できるだけのおもてなしをしていた。
房子はよく、Tさんに会いたいと言って、幼い子のように、泣き真似までしてみせた。
そんな房子を見て、恭子は、Tさんとは卒業以来の付き合いだとばかり思っていた。ところが、亡くなって手紙などを整理してみて、Tさんとの親しい付き合いは、ここ数年のことだと分かった。
それで分かったのだ。房子にとって、Tさんは、久美の替わりだった。房子から少し離れて行った久美に気付いて、房子は自分が心を寄せる相手を求めたのだ。その時期が、見事に合致していた。
昼にTさんが来てくれることになっているその日の早朝だった。二階に寝ている恭子は、猫の鳴き声のような声を聴いた。その声は、はじめは家の外から聞こえてきているように思えた。いつまでもくりかえされるその声は、しんとした暗闇の中で、恭子の名前のようにも聞こえる。
けれど、階下に寝ている、体の弱っている房子が、まさか二階にまで聞こえる声を出せるとは思えなかった。だいいち、房子のベッドには、二階で響く介護用のブザーをつけてある。
無視して眠ろうとしていると、追い打ちをかけるように、戸襖をがんがん叩き続ける音が聞こえた。房子だ。ベッドの横の戸襖を叩いているのだ。
恭子は起き上がって、階段を駆け下りた。
房子はベッドでもだえていた。苦しそうに顔を歪め、何かを訴えようとしているけれど、言葉にならない。水、と言っているようなので置いてある水飲み器を口に含ませたけれど、飲むわけではない。さかんにベッドの足元を指で指すのでベッドを起こしてみたけれど、房子はそれでも苦しい顔で前方を指さす。
「立ち上がるなんて無理よ。」
房子が何をしたいのか分からなかった。背中をさすったりしてみた。時計は四時を過ぎたところだった。
翌日は、来客がある。その用意をしなければならない。夕方には出かけなければならない。もう少し寝なければ。恭子は焦っていた。
それに、房子の死にそうに苦しそうな表情を、何度も何度も見てきた。目や指がいたくても、胸が苦しくても、房子はいつもこれ以上ないほど辛い表情を見せてきた。
医者には、苦しい時にはこれをと、睡眠薬の座薬を渡されていた。恭子はそれを取り出すと、房子のオムツをとって挿入した。
すると、房子はすうっと穏やかな顔になった。呼吸も落ち着いたように見える。恭子はほっとして、ベッドを直した。それから電気を薄くして、戸を閉めた。それが最後だとは夢にも思わず。
それから朝まで少し眠ることができた恭子は、階下に下りて、居間の戸を開けた。房子は眠っていた。
がたがた大きな音をたてる枕元の戸を開けても、房子は眠っているふりをすることがよくある。いつもと同じだと思っていた。またぁ、起きているんでしょ、と思いながら、
「おかあさん、おはよう!」
と言った。もう一度、大きな声で「おはよう!」
耳元でもう一度。それで恭子はやっと気づいたのだ。房子が冷たくなっていることに。触って確かめなければ分からないほど、房子は普段眠っている時と、変わらない顔だった。
口を開けているから頬の肉は落ち、顔全体が蝋のようにつるっとしていた。
それから恭子はどうしようもなく泣き続けた。「ごめんね」「ごめんね」と泣きながら謝り続けた。髪の毛がほとんどない頭をなで続けた。
ほんとに苦しかったんだ、死んでしまうくらい苦しかったんだ、と思うと、涙が止まらない。力を振り絞って恭子の名を呼び、戸襖を叩き続けた姿を思い浮かべると、かわいそうでたまらなかった。
朝までいてあげれば良かった。苦しみを分かち合ってあげたかった。せめて、私の腕の中で息を引き取らせてあげたかった。
あぁ、よりによって、なんで今日という日だったんだろう・・。時を巻き戻してほしい。
早朝の苦しんでいた房子と、冷たくなった房子の姿が、何度も何度も目の前に浮かび上がり、何度も何度も「ごめんね」と嗚咽した。
房子の顔は、眠っているように穏やかだった。座薬が効いて眠っていき、あの後苦しまずに逝ってしまったのかもしれない。けれど、あの時の別れ方は、どんなに悔やんでも、悔やみきれなかった。
葬儀場がすぐにとれなかったので、房子は一週間ほど家で眠っていた。
具合が悪くなってきてから、会いにきて、と連絡した幸男は、亡くなった知らせをしてから、やっとやってきて、遺体の前で、「おばあさま、ごめんなさい」と繰り返して、さめざめと泣いた。嘘っぽくて、背中を蹴飛ばしてやりたかった。
晩年の房子に、亡くなった時の喪主の話はしてあった。恭子はこれまで房子の介護を半ば放棄していた幸男に、どうしても喪主をさせたくなかった。葬儀の時だけ主の顔をして出てくることが許せなかった。そのことは、房子も最後には認めていた。認めざるを得なかった。そして、それは、幸男にも伝えてあったはずだ。
ところが、幸男はいざとなると、メンツが立たないと言って、気が狂ったように暴言を吐いて暴れ出した。
結局、「房子の命」だった幸男は、メンツのために、房子との最後のお別れである葬儀も欠席したのだ。
そして
房子の晩年に、恭子がよく考えていたことがあった。それは、ずっと気持ちが揺れ続けていた恭子が、房子がいつかもし亡くなったら、いったいどちらの気持ちになっているだろうか、ということだった。
房子の死を深く悲しみ、もめごとの多かった日々を後悔し、やってあげられなかったことを数え上げて泣き続けるだろうか。あるいは、常に自分ファーストで、強く、冷たかった房子のことを思い出して、恨んでいるだろうか。あれほど母性の欠落した母親も珍しい、と、恭子は今でも思う。
亡くなり方があまりに突然だったので、恭子はしばらくは猛烈な悲しみと後悔の淵に突き落とされていた。どうして別れの時にそばにいてあげられなかったかと、自責の念にさいなまれ続けた。もう一度、房子が苦しんでいたあの時まで巻き戻してほしい、優しい言葉をかけ、体をさすってあげたい、と思い続けた。
死後、整理していた書類の中に、房子の絵手紙や、デイケアで練習していた子供のようにへたくそな習字の紙を見つけるたびに、涙をボロボロ流して嗚咽した。
死という別れには、必ず「後悔」という悲しみがついてくるのだと思う。
けれど、一年もしないうちに、その思いが逆転していた。
恭子の中に蘇ってくる房子は、強く、冷たい姿ばかりだった。自分ばかりを偽りの姿に虚飾し、娘である恭子を他人に悪く伝えた房子の罪を生々しく思い出す。房子に振り回され、壊されていった自分の人生を、口惜しい思いで振り返るのだ。
亡くなった直後に亡骸と対面して「おばあさま、ごめんなさい」「おばあさま、ごめんなさい」と繰り返して涙を流していた幸男は、喪主ができないことにへそを曲げ、とうとう葬式にも来なかった。喪主をやらせないのなら、ビラを撒いて訴える、とまで言っていた。
自分のプライドのために、最愛の母親との最後の別れにも来ない幸男に、恭子は呆れた。何をするか分からない幸男が不安で、恭子は房子との大切な別れの瞬間である火葬の釜に入れられる時に、房子への想いに浸りきることができなかった。それだけが、後々まで悔しく、心残りだった。
その後のさまざまな手続きや挨拶に恭子が追われている時にも、幸男は房子が遺した金に執着し、毎月の出費額を訊きにわざわざ遠くの施設に訊きに行ったり、ケアマネの工藤さんに月々の経費を訊きに行っていた。
房子の月々の出費については、恭子は毎日きちんとノートにつけていた。ノートは房子が施設に入って恭子がお金の管理をし始めてからのもので、三冊も続いている。レシートもすべて貼ってあった。
その他の大きなものは銀行から引き落とされて通帳に記載されている。なにもあちこちに訊いて歩くような、みっともない真似をしなくても、と恥ずかしかった。
悠一も、房子が家を売ったことに腹を立て、亡くなったことを知らせても、とうとう来なかった。それまで住居費も要らず、房子に援助し続けてもらったというのに。
房子へのつながりは結局みんな「金」だけなのだと思った。重い病気の妻を抱えて大変な中、悠一は遠くの施設にわざわざ房子を訪問しに行っていた。それとても、住んでいる家のことで、房子とのつながりを保っておきたかったのではないか。今となっては、そんなふうにさえ思える。
房子はこうして、親族のつながりをぶつぶつと断ち切り、最悪の関係にして逝ってしまったのだ。
悠一が立ち退いた後、不動産屋に言われて、恭子は家を壊す前の立ち合いに出かけた。
そこは息を飲むほどの廃墟だった。こんな家に人が住んでいたのかと驚いた。かつて大学を卒業するまで恭子が住んでいた懐かしい家であったし、今でも夢によく出てくる舞台は、この家だった。
二階の部屋の天井の板が、何枚も壊れて垂れ下がっていた。どの部屋も、隅には、人が住んでいたことを疑うほど、綿ゴミが積もっている。
悠一が寝室にしていた一階の和室の押し入れにも、綿ゴミが広がり、おびただしいネズミの糞が積もっている。悠一は布団を敷いて寝ていたから、毎日こんな押し入れに布団を出し入れしていたのだ。
いくら年老いてきたとはいえ、なんとかできなかったのだろうか。恭子を誤解して、かたくなに拒んできた悠一を思うと、痛々しくもあった。
介護もせず、恭子のかわりにあちこちの役所を走り回ることもなく、幸男は悠一の家を処分したお金を当然のように受け取り、そのお金で借金を返済して、傾きかけている塾の経営をなんとかしのいでいるようだった。
幸男は、あんなに房子のことで世話になった卓雄とも、最後には警察官を呼ぶような喧嘩をして、憎悪する仲になっていた。
房子が亡くなった後、葬儀の前に、突然今から行くと幸男から恭子にメールがあった。けれど、その時運悪く、恭子はいつも行っていた少し遠くの美容院に、手入れもせず伸び放題だった髪を切りにいっていた。施術の最中、気づいて卓雄に連絡した時には、既に遅かった。恭子の家についた幸男が、二階に居て気づかなかった卓雄に、「何故すぐ出てこない!」と逆上したのだ。最初は訳が分からず当惑していた卓雄も、頭に血が上った幸男に我慢が出来ず、とうとう怒り出し、出て行ってくれ!となり、110番に電話する事態になっていた。卓雄も怒ると迫力があるが、幸男は頭から湯気を出し、訳が分からなくなる。
美容院から戻った恭子が仲に入ったけれど、その時以来、幸男は卓雄にひどい口をきき、怒りを露わにしている。それまで、どんなに礼を重ねても足りないほど世話になってきたというのに。
房子は、あの世で、この状況をどう思って見ているだろうか。
恭子は房子が遺したたくさんの手帳に時間をかけて目を通し、気になるところには付箋を貼っていった。
それから、何十冊もある銀行や郵便局の通帳をめくっていった。
生前房子は包み紙や紙袋のようなどうでもいいものは大事にとっておくのに、大切な領収書や契約書などを捨ててしまったりと、書類管理に杜撰なところがあった。通帳も、あちこちからバラバラと出てきた。銀行も何行もある。そして名義も、本人だけでなくいくつもあった。預け入れの上限が決まっているので、家族の名前を使ったのだ。すでにどの通帳も残高がゼロになっている。
通帳は、恭子の家に来るだいぶ前からずっとあった。その中の引き落とされた金額の横に、房子は時々鉛筆でメモを書いていた。それを見ていて驚いた。
「幸男 誕生日」「幸男 パソコン」と幾たびも幸男にそれぞれ何十万円も振り込まれている。五十万円というのもあった。定期的にも振り込まれている。幸男に直接送金できるカードも見つかった。
それは、恭子の家に来てからも、ずっと続いていたものだった。あれほど稼いでいた房子の銀行の残高が少ないはずだった。
そう言えば、恭子が借金をした後に、あのお金で、幸男の誕生日に車をプレゼントをしてあげたかった、という房子の言葉を聞いたこともあった。
幸男達が我が物顔に新しく大きな家を建て、住んでいるその高価な土地も、房子がかつては借地権を持っていた。房子が出て行った後に、いつの間にか自分達の物にしてしまっていたのだ。
幸男にとって、房子は何だったのだろう。
足りなければ、湯水のようにお金を援助し、仕事がなければあてがってくれる。頼めばどんなことでもかなえてくれる、スーパーマンだったのだろうか。
そして、房子にとって幸男は、何だったのだろう。生涯自分ファーストであった房子にとって、幸男は自分の分身であり、結局自己愛だったのだろうか。それとも犬やぬいぐるみを可愛がっていたように、愛情を注ぐ、愛玩物だったのだろうか。
「幸男は私の命です」「幸男と会えることだけを楽しみに・・・」
房子の言葉が蘇ってくる。
房子は本当に、自分を産んだ母親だったのだろうか。「尽くせるだけ尽くした」と言った房子の言葉が、今でも空々しく響く。
それでも、街をバスで通り抜ける時、ふと房子の手を引いて買い物をした時のことを物悲しく思い出す。
房子はある意味「魔性の人」だったのかもしれない。恭子の心の中をこれほどかき回し、揺れさせたのだから。
登場人物紹介
恭子:60代の主婦。兄嫁と折り合わず、家を飛び出してきた実母に苦しみ、「反感」と「情」の間で心が揺れ続ける。
卓雄:恭子の夫。定年間際のサラリーマン。
房子:恭子の実母。気が強いが、外では決して本性を出さず、優しく上品に振舞う。若い時に夫(恭子の父)を亡くし、塾を経営して蓄えたお金を偏愛する息子に貢ぎ続ける。
幸男:房子の長男。恭子の兄。若い頃から問題行動が多かったが、房子に溺愛され、生涯援助され続ける。仕事も長続きせず、結局房子の塾の講師におさまる。
悠一:房子の実弟。房子とかなり歳が離れている。
やすよ:幸男の嫁。人妻だったため、結婚には一波乱あった。房子は気に入らず、ずっと衝突し続ける。
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