人に迷惑をかけるぐらいなら

たまたま筋トレしながら母と見てたNHKの番組。
95歳のおじいさんが、認知症になったおばあさんを見ていて、時々来る娘が撮っているというドキュメント。

ある場面で、ご飯を家でつくってくれる人から家に電話がきて、おじいさんがとった。
おばあさん「誰からとね?」
おじいさん「料理作ってくれる人からやね。今から来るって」
おばあさん「そんなら何か用意せんとね」
おじいさん「別にいいとね。顔洗ってきいんしゃい」
撮ってる娘さん「いいんよ、来てくれる人が全部やってくれるから」

おばあさん無言で家の奥に歩いて行き、洗濯物を大声で喚きながら叩く。

見ていて「そりゃこうなるだろうな」と思った。
家に人が来るっていうのは、大抵招く時。
おそらくこのおばあさんは病気の前は人が来るって時は準備したり料理したりしたんだろう。
人が来てやってくれる、ということに違和感を覚えるのはすごくよくわかるし、その違和感の処理が病気でできなくて物に当たるのもわかる。

ヘルパーさんは来てくれるだけでありがたい、という利用者さんも居ると思う。
でも、その人が今までどんな役割を家でしてきたかをちゃんと見聞きして、プラスチックのお皿を出してもらうとか、火や包丁をなるべく使わないよう記憶にある味つけをおばさんから教えもらって一緒にやるみたいなことができたら、おばあさんは笑顔になるんだろうなって。

番組を見ているおばあさんの範囲で、ではあるけど。

別の場面で「殺してくれ!こんな人の厄介になるんなら包丁持ってきてくれ!」と叫ぶ時があった。
娘さんは「そんなこと言わんといて」と言う。普段は温厚なおじいさんは声を荒げた。「みんなよくしてくれるだ!そんなん言うんなら死ね!」と。
「みんな私のことバカにする!」と。
今まで人の面倒を見てきた側が、面倒を見る側に回る。
自分だったら、何もしなくていい、と言われたら呆然とする。病気のためとはわかっていても、だ。それで人に迷惑をかけるから死にたい、という気持ちもよくよく理解できる。

こういう時自分が娘さんだったらどうするかな。紛いなりにも福祉を勉強してきた人間としてどうするかなと考えた。

その怒りを受け止めて、一緒にやるせない悲しみに寄り添ってあげることはできるだろうか。
「ちょっと待っててね」として、少し距離を置く。
数分経って荒げた声が治ったのを確認して、一緒にお茶飲もう、と話しかけて、昔の話を聞く。

このぐらいかな。
プロならもっといいアプローチが出てくるんだろうか。
かつて認知症の祖父がいたとき、僕は家族として適切なかかわりができなかった。
家族に手をあげる祖父を力ずくで止めることしか、高校生の僕にはできなかった。

両親が認知症になる可能性ももちろんある。
もしそうなったときのために、今まで両親が家庭で、外で担ってきた役割をしっかりと観察していこうと思う。

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