最新の記事

なんとなくすごそうに見える人と、本当にすごい人の違いって一見してわかりづらい。なんならある程度付き合っててもわかりづらい。「この人何してるんだろう」という人は大抵危ない…あ(察し)

同じことをずーーっと非難し続ける人ってそこにしかエネルギー注げないから、結果生活や思考が乏しくなる。許せないことがあった時、ちゃんと話し合いができるような立場や関係性があれば良かったのだが、そういう人ほど物事をおおごとにしようとする。かかわってる人のことは考えず、正義のためだけに

確かに当事者や経験者だからといって語る必要性はない。ただ、語ることで自己認識できるなどがある一方、語りに自分の役割や義務感を覚えてしまうようになると、その意味は変わってくる。当事者性+専門性を説く人もいるが、専門職と当事者が組むこともできる。が、その場合のマネジメントは難しい

方法やツールに目が行きがちだがうまくいった試しはない。それが真にわかっていたら私は自分の使い方を把握していると思われる。自分のことは自分が一番知っているのか、あるいは一番知らないのか。そもそもそんな単純なものなのか、そんな複雑なものなのか。就活でやった「私ってどういう人?」が必要

どこまでも「個人絶対」「自由こそ正義」を信じて疑わない人たちもいれば、「組織への帰属」「前例をくれ」という人たちもいる。ただ、だからこそグレーゾーンが大切だというのはわかるが、そのグレーが完全中立ではなく、多くが前者寄り。主張と信念がごちゃごちゃになってる人もいる。いやはや。

生きづらさという言葉が、生きづらさを感じていない、自覚していない人たちに届く言葉をずっと考えている。どうあってもリベラル寄りの概念ではあるのかもしれないけど、「常識」と「空気」と「わかりやすさ」の匂いを感じられればその層にも届くはず。ただ、ある意味生きづらさとは対局の概念だ…。

  • 月の裏側

    0 本