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自分でつくれる自己肯定感

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自己肯定感が低くてもなくても、自分でつくっていけるアイディアをこつこつと
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#自由

自由と自己中の境界を分けているもの

みんな全部自分の自由に生きたらいいじゃーん という話になると必ず、みんな好き勝手にしたら問題が起きるじゃないか…!の件が出てくる。 これ、根深い話なんじゃないかなーと思うのね。 私も人生の長い時間、「人に迷惑をかけるから」「誰かの不利になるから」「嫌な思いをさせるから」 みたいな感じで「自由な自分≒悪いこと」のように思ってやってきたから 真面目ゆえに自由じゃなくて生きづらい人の気持ちがちょっとわかる。 だけど実は、「自由」と「自己中」は、全然、別モノで。 その間の一線に深

自己肯定感の手前に必須の給水ポイントがある

世の中でジココーテーカンがもてはやされ(?)るようになってだいぶ久しく 私も、どうやったら自分で自分の自己肯定感を作れるかを考えてこの #note にヒントを書いています。 なのですが! ど頭から「自己肯定感」を何とかしてうまくいこうとしても、うまくいかないんです。 というお話が、今日のテーマです。 自己肯定感を自分で製造できるようになる手前で立ちはだかる どうしても避けて通れないポイント。 それが、「自己受容」。 この自己受容と自己肯定感ってナニ?ちがうの?を 2ペアず

生きやすい自分になるための、質問力

思春期くらいから、生きづらさというか、周りの世界との折り合いのつかなさみたいなものが 頭の片隅でチラチラとしていました。 別に不幸でもない。困っているというほどのこともない。 でもなんか、居心地が悪い。 そういう生きづらさみたいなものに大人になってから向き合い始めて 時間はかかったけど、気付いたこと、理解したこと、納得したことがたくさんあって 生きづらさを変えていくチャンスや方法が誰にでもある!って思えるようになったから #note でそこを解消していくアイディアや私自身の

自由に憧れる、ワガママを許さない私へ

美人になれなかった私、ピンクが着れない私に引き続いて 自由になりたかった私の話がしたいなと、思うのです。 最近あーそうだったのか!ってわかったのは、 私の生きづらさや思考の引っかかりは全部 この「自由になりたかった」に繋がっていそうだなってこと。 それに気付いた時、 「私、自由になりたかったんだ」ってことを自分で認められた時、 ボロボロと涙がこぼれてきました。 昔だったら「涙なんか流してなんだよ。そんなに自分が可愛いのかよばーか」って、自分を否定しただろうなと思うけど

主役へのオファーを受ける気持ち錬成術

久しぶりのワークショップを開催して、改めて思ったことのひとつに 自分が動き始めたところが、周りが動き始めるスタートポイントだということがありました。 前に世界が変わるのは自分が変わるからだって話を書いたので同じことなんだけど。 今回はどちらかというと、動いてみて分かったこと。 動かすための勇気を、どう自分が作ってきたのかの、再確認。 ワークショップをやることは、普段大して活躍もしてないイチ会社員の私にとって (普段教える仕事に携わっていないという意味で)ちょっとハードル

はじめっからさいごまで、自由

「なぁんだ。はじめっから自由だったんじゃん」て思う。 ↑ちょっと前にアレクサンダー・テクニークの学校のお友達とメッセのやり取りをしてて、彼女から届いた言葉。 これ、じわじわと、良さがあふれてきて、そうだよね、ほんとうそうなの!ここまで来れてわたしたち天才だよね! てなってる。 私が今通ってる学校は、年齢も性別も専門も全然別、 入学年度&学期も年間の取得単位数も違う人がごちゃまぜでクラスにいるから ずっと年下だと思ってた人が実は5つ以上年上だったとか、めっちゃ年上だと思っ