自由に憧れる、ワガママを許さない私へ
美人になれなかった私、ピンクが着れない私に引き続いて
自由になりたかった私の話がしたいなと、思うのです。
最近あーそうだったのか!ってわかったのは、
私の生きづらさや思考の引っかかりは全部
この「自由になりたかった」に繋がっていそうだなってこと。
それに気付いた時、
「私、自由になりたかったんだ」ってことを自分で認められた時、
ボロボロと涙がこぼれてきました。
昔だったら「涙なんか流してなんだよ。そんなに自分が可愛いのかよばーか」って、自分を否定しただろうなと思うけど
アメリカのアレクサンダー・テクニーク教師であるキャシー・マデンが
「涙は心の化学反応なのよ。だから我慢したり禁止したりしなくていいわ。だって勝手に起きることだから」と
レッスンで私がわけも分からず涙を流すたびに言ってくれる。
おかげで最近は、あまり涙をNG事項にしなくなってきたなーと、ちょっと成長を感じてる♪
自分自身の本心に気付いた時に出てくる苛立ちや否定の気持ちは、
ずっと自分が「気付いて」いたからだと、今は思えるようになったのね。
もしくは、今まで自分が慣れていた気持ちから新しい自分に移り変わる瞬間の
未知の世界に一歩踏み出すときの不安感が、否定を選んでしまうのかも?
だけど涙をつくる化学反応の材料は
そこに至るまでにかけてきた心の時間や、
生きづらさを誰かのせいにすることで苛立った気持ちのぶつけ先にしていたこと、
だけど「自分で自分の気持ちを今選べるよ」っていう小さな小さなアラートが鳴っていたこと、
そのほか自分が守ってきた自分の「重み」なんじゃないかなぁって、思うのです。
私が今まで積み重ねたもの1つ1つの重み。
ってことは、涙のもと、大切なものなんじゃない?
私が涙を拒否して、生きづらさを持て余したまま、30余年過ごしたのは
呪いの言葉と闘っている本当の理由の存在に
心の奥底では気付いているけど認めたくなかったんじゃないかな。
生きづらさは大切な「お知らせ」なのかもしれない。
涙を生んだ気付きは過去の自分からの「ありがとう」かもしれない。
それを感じずに生きていける人もいるし、
本当に、生きづらくない人もいるかもしれない。
なければない方がいいのかも、しれない。
だけど、我々は、気付いてしまったのです。(大げさ?)
気付いたとうこと、それはちょう盛大なお祝い事だ^^
だって気付いているから、これから先の新しい自分に向かって進めるんだもん。
進歩だ。進化だ。深化だ。
つまりそれって、今と違う景色を見に行けるっていうこと。
開拓することは、知らない世界に出て行くことは、
不安でこわくてどこか寂しいことだけど、
その先が自分にとってのブルーオーシャンだって信じることを諦めない人には
その景色がどれだけ素敵で美しいか、見えるはずだから。
そんなことを考えていて、今わかった私の「答え」。
私はずーーーっと、過去の私を「救済」してあげたかったんだなぁ。
昔自分が言われた納得のいかない言葉から救ってあげたかったのに、
今目の前で起きていることと闘ってばかりいたんだ。
自由になりたかった。
禁止事項を守ってなくても愛される確信を持った、自由な私でいたかった。
誰の許可を待つのでもなく、私が私の責任と自由のもとに、どんな些細なことも大きなことも、選んでいい。
それが本当に自由ってことなのに、私は誰かの許可を待っていて、
でも女の子でいていいこともピンクを着ていいこともワガママを言っていいことも甘えていいことも頼っていいことも
私が許可制だと信じるに至る言葉を投げた人たちはそんなつもりもなく、しかもその瞬間に忘れてしまっているから
むしろそんなもの自分で決めるのが当たり前だから
許可をくれる人がこの世にいなくて、ずっと苦しかった。
過去の言葉と真正面から闘うために自分にいくつも課してきた「禁止事項」を
何も禁止していない人がうらやましかった。
憧れてた。
あいつらはワガママだから!敵だ!と思いながら、でも吸い寄せられていく自分がいたり、した。
(あまりに自由がすぎるやつはホントにダメなやつだったりするけどw)
ということは。
私が自由になれれば、その時の私にはきっと、すごく自由でちょっとダメな人たちは不要になっているんだろうなぁってことにも
自由になりたい自分を認めたときに、気付いたのね。
羨ましくて好きな人たちが不要になる世界は、ちょっとさみしいだろうなと想像するけど、
卒業が「清々しい」気持ちの出来事になるだろうって予感のもとは、そこにあるんだと思う。
(前にこんなnoteを書いたよ↓)
この清々しさは、自分が新しい自分を獲得していく予感とつながっているからなのでは。
私に自由を許してくれるのは、私しかいなくて
親や兄弟や恋人や友人や先生や、
ほかの誰かが許可してくれないと自由じゃないなんて、
そんな不自由なことがあっていいはずない。
そもそもそんなこと、あるはずがない!私の不自由さは、幻想!
私が私の責任で、選んでいいし選べるし選ばなくてもいいってことを、知ってるかってことが「許し」なんだと思う。
ってことは、私が私の望みを知ってるの、最強じゃない?(o^^o)
読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!