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自分でつくれる自己肯定感

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自己肯定感が低くてもなくても、自分でつくっていけるアイディアをこつこつと
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#HSP

ココロの話はアタマの習慣

他者の言動に振り回されて自分のメンタルや調子が左右されがちなみなさま。 心・メンタルの話をメンタルっぽいことで解消しようとしていないですか? マインドフルネスとか。コーチングとか。メンタルトレーニングとか。 それらに意味や効果がないわけでもダメなわけでもない。 状況や段階によってうまく使い分けていくものだと思う。 で、ついででもいいので、ここで抜け落ちているものにも目を向けてほしいのです。 メンタルっぽいものを始める前に、思考の習慣を変えたいのです。 心のことは頭で分

どう思われるかに一所懸命で、どう思いたいかに無頓着

「見せることに一所懸命で、見られることに無頓着」 電車でお化粧をする人を評して友人が言った言葉です。 この言い回しが私はとても気に入っていて、というのも汎用性がとても高いからです。(以前も何かの例でブログなどに書いた記憶が…) 今回のテーマは、タイトルの通り「どう思われるかに一所懸命で、どう思いたいかに無頓着」です。 もう少し丁寧に書くなら「(自分の言動が相手に)どう思われるかに一所懸命で、(自分自身が相手を)どう思いたいかに無頓着」。 繊細だったり不安が強いが故に相手の

想像の中の「敵」と、私は戦わなくていい。

他人の感情を自分の感情のように受け取ってしまう。 自分がHSPだと知って、この受け取り方はみんな一緒なのではないんだと気付いて、他人の感情との距離の取り方を少しずつ離すようにしてきた。 流れ込んできてしまうものは仕方がない。 でも、できるだけ流れ込まないような環境に自分を置くことはできるし、「あなたはそう感じているのね」と客観視するように習慣づけるようにしてきて、ずいぶんと楽に生きられるようになったと思う。 ところが習慣というのはこわいもので、これは他人の感情だよー。ってい

人間関係に怯えないための選択

人間関係に怯えない秘訣は、相手の正解を受け止めること。 どんな言葉も感情も、発した私と受け取った相手が全く同じ風に感じているなんてことは、ありえない。 伝わっていたり共感できたり理解できたりしていても、それは同じじゃなくて、すごく伝わったとか似てたとか、そういう感じ。 逆に、こう伝えたかったのに違う風に伝わった・受け取られたってこともきっとたくさんある。 伝わったと思ったけどほんとはちょっと違ったってことも、あるかも知れない。 もしそうだったとして、私が何かを発したその

癖を手放したい時、必要なのは自分への「ありがとう」

自分の癖に気付いてしまう瞬間って、どんな時があるでしょうか? 癖、つまり習慣は、意図的に習慣化したことでない限りは自分で気付かない・気付きづらいから習慣なんだと思います。 人の歩き方や食べ方、喋り方なんかをちょっと観察すると、みんなそれぞれの癖があることに気付きますよね。 でも、自分にはそれが「普通」で「当たり前」だからあまり自覚がない。 その習慣に気付くのは、人から指摘されるか、人と比べた時がほとんどだと思います。 そしてどっちの場合も、ちょっとドキっとするのでは? 普通

「思いやり」と「私がしてほしかったこと」の違いって?

共感性が高かったり繊細だったりする人ほど 「自分がしてほしかったこと」を他人にしてあげようとする傾向があるなと思う。 もしくは、 「自分がされたくなかったこと」を自分に禁止して、制限して、 他人と接しようとしてるんじゃないかなって。 自分がされて傷ついたから、嫌だったから、本当はこうしてほしかったから、でも言えなかったから、 してほしかった接し方を相手にしようとする。 それを相手も望んでるんだって思うから。 「自分がされて嬉しいことを相手にしよう」 「自分がされて嫌な事は

同性の友達が嫌いだった私

子供の頃から、同性が苦手だった。 保育園~大学まで、クラスや部活動でつるむのは基本的に同性である女の子だったし、幼馴染兼親友も女の子だ。 でも一部の仲良くしているお友達を除いて(いやそこも部分的に含めて)、「女の子ってメンドクサイ」って思ってきた。 男の子の方が気楽だし分かりやすいし。 女の子特有の、思ってもないのに「わかるーーー!だよね!」みたいなことを口にしちゃうのが、一緒にお手洗いに行ったり教室移動をするのが、同じ班になるために同じ授業を取るために興味のない選択を誰か

人が苦手でも、人が好きでいい。

「人と話すのが苦手」「人といるのが苦手」 生まれてこのかた三十数年、そう思ってきました。 実際、得意だとは思いません。 すごく慣れている数えるほどの人以外と話すと、すぐに顔が赤くなり、汗が出てきます。 最近わかったのは、「人といたくない」わけでは、本当はなかったんんだなぁということ。 小さい頃からちょっと繊細で、幼馴染に道の向こうから呼ばれても 踵をかえして家に逃げ帰るような子だったらしいです(覚えてないけど)。 共感性が強く、自分の嫌なことが言えなかったせいか、