同性の友達が嫌いだった私
子供の頃から、同性が苦手だった。
保育園~大学まで、クラスや部活動でつるむのは基本的に同性である女の子だったし、幼馴染兼親友も女の子だ。
でも一部の仲良くしているお友達を除いて(いやそこも部分的に含めて)、「女の子ってメンドクサイ」って思ってきた。
男の子の方が気楽だし分かりやすいし。
女の子特有の、思ってもないのに「わかるーーー!だよね!」みたいなことを口にしちゃうのが、一緒にお手洗いに行ったり教室移動をするのが、同じ班になるために同じ授業を取るために興味のない選択を誰かがするのが、大嫌いだった。
心のどこかでバカにしてたと思う。
「なんで自分の責任で自分で決めないんだろう?」
ずっと訝ってた。
大学生以降、徐々に男性って割とダメな人多いな…ってなってきた。
意図的なのか無自覚なのか、本人の自己評価と実績にズレが見えたから。
男性の友達が誰かをバカにして見下して「あいつはバカだよね」みたいに言うのを、いやそれ言えるほどお前も成績良くないのでは…?と思っていたし、上司にゴマをすって役職だけが上がり、仕事が何もできなくていつも誰かに責任転嫁する男性陣を、仕事のできる女性社員は軽蔑してきた。
こんな実態とズレた自己認識で、苦しくないんだろうか?
自分を取り繕って大きく見せようとして、本当の自分を知ってるのは自分じゃないんだろうか?
(でも大体、そういうタイプは自分の中ではズレてないみたいだけど)
今の年齢になって、「あーーー無理!」って感じる人に性差がなくなってきた。
表面的には付き合うけど、どうも好きになれない人。
HSPの感覚的に「やばい!こいつに近付いちゃいけない」って人じゃなくて、悪い人じゃないけど軽蔑に近い感情を持つ人。
私、「嘘つき」が嫌いなんだ。
今日やっとわかった。
「嘘つき!」の一番古い記憶は、4歳の時。
クラスでオルガンを弾く女の子が、「これ、私が作曲したの~」と自慢してまわってた。
えっバイエルだよねそれ?と言えなかった自分を責める気持ちもありつつ、あまりの嘘っぷりにドン引きして「この子が言うことは他のことも全部信じられない」と強く思ったのを、よく覚えてる。
嘘は、見る人が見たらすぐにわかる。バレた時につらい思いをするのは自分だ。
そんな簡単にバレる嘘をつく人は信用できないし好きになれない。
(今にして思えば4歳児のそんな嘘くらい許してやれよとも思うけど、当時の私には一大事だった。笑)
その後も、髪を切って残念ながらあまり似合ってない子に「えー髪切ったの!?可愛い!似合う~」とほめる子、普段付き合いがない子が転校すると聞いて「さみしいーーー」とわざわざ言いに行く子、一緒のグループになりたい子が選んだ授業内容を確認してから自分も同じものを選んで「一緒だね☆」と寄って行く子 etc...
ずっとずっと嫌いだった。
私より成績の悪い授業で「ここはこうだから…!」とドヤ顔で問題の解説をする子、会議で問題提起をしたら「それ!まさに今そう思ってたところ」と言い出す人、理解していない私の報告を分かったふりをして上司に自分のことのように報告する人 etc...
心の中でずっと白い目で見てる。
みんなみんな、私の感覚では「嘘つき」に入るんだ。
だけど、本人たちはそんな意識がないのかもしれない。
私は私で自己評価が低すぎて、他人に認めてもらえない・一番になれない自分を蔑んでいて、その反転で、私に分かること・私が気付くことは世の中の平均以下だと思ってきた。
だから、私が嘘だとわかること、私の視座で言葉と行動や実績の整合性が合わないことに気付かないなんて、相手をバカにしてるの?失礼なの?それとも平均以下の私よりさらにバカなの?
みたいな黒くてドロドロした気持ちがわいて、嫌い!信じられない!ってなってたんだと思う。
ちょっとだけ人より繊細で、人の感情の動きに気付きやすいことを知らなかったから、本人すら気付いてない(かもしれない)本当の気持ちと言葉とのズレに、私は気付いてるのに周りは気付いてないって知らなくて、だからある意味絶望してたんだと思う。
そう。多分本人は知らないんだ。嘘をついてるって。
本心と違っても、誰かをほめたり慰めたりすると、相手が喜んでると思って自分が気持ちよくなる。
それを経験的に知ってるから、脊髄反射のように誰かと同じを選んだり思ってもないほめ言葉を使ったりする。
自分を大きく見せておけば、そう思い込んだ世界で生きていれば、ある意味安全で幸せかもしれない。
誰かの言葉を自分の言葉だと思い込めば、後出しジャンケンの結果しか知らない人には褒めてもらえるし、間違ってても他人のせいにできる。
そして私も、嘘をつくことはある。
知らないビジネスワードをふーんってスルーして後から検索するとか、職場の先輩(さほど好きじゃない)に本心をうまく言い換えて相手に嫌われないように表現するとか。
そういう時の自分にすごく気付いてるから他人の嘘も気になる反面、ひょっとすると私も、気付かずに嘘ついてるときがあるかもしれない。
だからもっと繊細だったり頭のいい人からは、「この嘘つきめ!」て思われてるかもしれない(苦笑
少し前に、友達に「さらは原理主義的なところがある」って言われてなるほどと思った。
例えば転校するさして仲良くない子に「さみしい」って言う人を嘘つきだと感じるのは、だってあの子が一週間学校を休んでもあなたはさみしくないしいないことにも気付かないでしょ?なのに寂しいはずがないじゃん?て考えるから。
でもひょっとすると、人は差異でしか判断できないことが多いから、「明日からいない」という事実を見て「今日までと違う」→「何かが減る」→「惜しい」という気持ちがわいて、だからその人にはその瞬間、本当にさみしいのかもしれない。
例え明日はもう、その人のことを一度も思い出さなくても。
そのことを、私は論理的に合わないから嘘だと判定する。そういうのが原理主義っぽいって。
わかる。
「いい意味で、下々の者はそう思うかもしれんけどな~、くらいに思って他人のこと見てたらええねん」みたいに言ってもらって、そのアイディアは採用したいなと思った。
決して自分は相手より優れてるとか高いところにいるとかじゃなくて、単に私とあなたは視点とか感覚的にとらえやすい範囲が違うってこと。
私が分からないことを私が認識しないように、相手が分からないことは認識してないんだから、私がとやかく言う・思うことじゃないんだよね。
そういう、ある意味泰然と見てたらいいみたいな意味で、下々~だったんだと思う。
心の構えみたいなものを意図的に持とうとするのは、ある部分すごく大切。
結局考え方なんて習慣だから。
この視点でいる自分を「普段」にしてしまえば、私はもっと生きやすくなる。
でも、その嘘、私は見抜いてるけどね(笑
読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!