人が苦手でも、人が好きでいい。
「人と話すのが苦手」「人といるのが苦手」
生まれてこのかた三十数年、そう思ってきました。
実際、得意だとは思いません。
すごく慣れている数えるほどの人以外と話すと、すぐに顔が赤くなり、汗が出てきます。
最近わかったのは、「人といたくない」わけでは、本当はなかったんんだなぁということ。
小さい頃からちょっと繊細で、幼馴染に道の向こうから呼ばれても
踵をかえして家に逃げ帰るような子だったらしいです(覚えてないけど)。
共感性が強く、自分の嫌なことが言えなかったせいか、
人との心の距離がよくわからなくて、相手の正解と自分の正解をどう処理していいかわからなくて
傷ついたと言えず傷つけられたと思い込んで、
心を守るために薄い仮面をつけたような私の人格ができていきました。
あとこれは今でもよくわからないのですが
長い付き合いの友達に言わせると、私の思考や嗜好はちょっと異彩だとのことで
その異質性を受け入れられないコミュニティでは、
「みんな」と同じ振る舞いからどこか自分がズレていて、つらかったんだと思います。
だから私は「人といるのが苦手」
でも、それ、ホントウデスカ??
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何年もかけて、自分の心を守るよりも守らない方が安全だと納得してから
人との関わり方が変わりました。
誰も「敵」じゃないし、やばい人とは物理的に距離を置けばいいし、私が笑顔で話しかければ向こうも笑顔になる。
私が、先。
少し前に会社の組織に変化があって、知らない人たちがたくさん、同じフロアで働くようになりました。
顔も部署も名前も知らないけど、きっと同じ会社の人だろう!といつも笑顔であいさつをして
何かの場で一緒になればちょっと声をかけてみたりして
少しずつお互いに顔のわかる人がふえてきた時、あれ?と思ったんです。
私、人と仲良くなりたかったんだ!
ちょっと挨拶するだけでもいいから、誰かと笑顔で安全に言葉を交わすことは好きだったんだ!
昔の私は、相手の求めてる正解が分からなくて不安だったし、近づけば傷つけられるんじゃないかとこわかったし
だから「人が苦手」と思うことで自分の正しさを自分に主張してたんだ!
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なんで私が「人が苦手」だと思うことで私は正しく私のことを理解してると思いたかったかというと
ちょっとHSPの傾向があって、ちょっと内向性の方が高くて、ちょっとだけ、繊細だったからだと思うんです。
私と真逆の、いつも面白いことが言えて聞き上手で人の輪にすぐ入れていつも人と一緒にいれる人にちょっとだけ憧れる反面、
私はそういう部類ではないことを知っていたから。
何かに熱狂するコミュニティや距離感を選べない関係性は苦手だし
ひとりの時間が必要だし、初めての場は情報が多すぎて疲れてしまうから。
「人と仲良くなりたい」私と、「ちょっと繊細」な私は
幼い私には並立していいものだとは、思えなかったんでしょう。
本質的に「苦手」なんだと納得することで、繊細な方の私を守ってあげたかったんです。
でも、ちょっと繊細で少し人と距離がある方が居心地がいい私も、
人と仲良くなるのが好き(o^^o)
それでぜんぜん、まったくもって、良いのです。
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あなたと私は「同じ」じゃないけど、仲間になろう。
むしろ「同じ」じゃないから、一緒に何かしたら新しいものができるよね。
そう考える人が私の世界に増えてきて
むしろ、私がそうなんだと思えたから、異彩だったとしても仲間がいると信じて世界を作っていけていて
ということは、私が信じていなかったから、昔は「同じ」じゃないとコミュニケーションが滞る人しか周りにいなかったんだと
わかったんです。
私が生きたい世界は、私が信じてるから生まれる。
いつだって最初は、私から始まってるって、楽しいですよね♪
読んでくださりありがとうございます☆サポートで美味しいコーヒーショップのミルクティを飲んで、またよい記事が書けるようにお勉強します!