『慈恵の涙』
難波のブックオフで偶然見つけた、藤原新也『西蔵放浪』。
下巻しかないのが妙に気になったが迷いは無用、200円で購入。
読み進めると、チベットの土地に伝わるというある神話の記述があった。
一、その昔、この地の天上を支配してる神様が居たのである
一、天上から、生きものの居ない干上がった不毛地を眺めていて不憫に思ったのである
一、そして、下界に向かって慈恵の涙をぽつりぽつりと落としたのである
一、不毛の地に、小さな湿った部分ができたのである
一、そこに緑ができたのである
一、その緑の孤島に、猿が生まれたのである
一、それが、わたくしたちの祖先なのである
…ここでいう涙とは雪であり、そして雨である。
台風が過ぎ去った今、その意味がよく分かる。
雨の最中、台風の目にいるであろう京都の晴れた風景を忘れることはできない。
周囲は雲に覆われるなかで、ただそこだけポツンと陽に照らされていた。
山道、眼前は霧で先が見えない。
一方で遥か遠くには黄色の灯り。
そのとき、
「この雨は大地を浄化するためのものだ」
そう確信したのだった。
…そしてまた、色を取り戻す。
霧は晴れ、全ては純化された。
人々の顔まで晴れ晴れとしているような錯覚さえ覚える。
…どうやらこの神話の一説を読むためだけに惹き寄せられていたらしい。
下巻だけがバラ売りされていたのはそういうことである。
本に"読まされた"のだ。
台風一過と同時に頭の霞が晴れたような不思議な感覚を覚える。
そしてその瞬間に、迷いなく書物を閉じた。