遠くへ行った恋人を訪ねて(前編)【物語と現実の狭間(2)】
彼女は落ち着いた雰囲気だった。
可愛いと綺麗の真ん中にあるような顔立ちだったけど、幼さは感じさせなかった。表情はいつも優しげに笑っている印象で、集団の中で自分を主張することはあまりないのに、その場にいるだけでなんとなくほっとするような存在だった。
それでいていつもどこか遠くを見てるみたいで、矛盾するようだけどそこにいるのにいないような、ひとつフィルターを挟んで世界に存在しているような空気を纏っていた。
彼女はわたしと同じ大学で、同じ学部で、同じ学年で、同じサークルだった。でもそれ以外の共通項はあまりなかった。
真面目に講義に出て模範的に学ぶ彼女に対して、わたしは入学直後から「好きなことしかしたくない」みたいな、なんのために大学に入ったのか疑問視されても仕方ない生活態度だった。
けど、不思議とそれなりに話は弾んだ。
今思うと彼女がわたしに合わせてくれただけかもしれないけど、個人的にメッセージのやり取りもたくさんした。いろいろな考えを交わしていくと、彼女は話しているときの印象よりずいぶんドライで、現実的で、なんというか"強い"考えを持っているひとなんだなと思った。
ギャップは彼女の魅力を少しも損なうものではなく、むしろ好ましいものだった。それはそれで落ち着いた雰囲気に合っていた。
「さらばは、影響力が強いから」
と、苦笑混じりで言われたことがある。褒め言葉じゃない。
わたしはわりと思ったことをはっきり言ってしまう癖があって、以前からそれが時々問題になることがあった。このとき具体的になにかが起きていたわけじゃないけど、
「控えろとは言わない。でも自分の言葉が誰かに影響を与えやすいことは自覚したほうがいいよ」
という意図のようだった。
そんな彼女から聞いた、忘れられない話がある。
置いてきたひとなんだ
「昔のことだけど、私、引っ越した恋人を追いかけて引かれたんだよね」
どういう話の流れでそんな話題になったのか、全く思い出せない。
ただ、重大な告白をするような雰囲気ではなく、日常会話と変わらないテンションで唐突に滑り出たのは覚えている。
「そうなんだ」
と、わたしはごく平凡な相槌しか打てなかった。
彼女には以前、付き合ってた恋人がいたらしい。
そのひとが遠くへ転校してしまうことになったが、どうやらはっきり別れることも、遠距離で続けると決めることもないまま自然に終わった。
そしてしばらく時間が経ったあと、彼女は恋人の引っ越し先を訪ねたという。
それ以上の詳細が彼女の口から語られることはなかった。
だからどういう気持ちで彼女がそんな行動に出たのか、事前に連絡はしていかなかったのか、会ってみてどう引かれたのか、そのあとどういう気持ちで帰ったのか……そもそもそれが高校時代のことなのか、もっと前のことなのかすら今も知らない。
彼女は終始他人のことを話すような口ぶりで、未練や痛みはおろか、どんな感情も乗っていなかった。でもそれは「全然たいしたことじゃない」ということを示すわけじゃなく、むしろ逆だと感じた。
どうして彼女がそんな話をしてくれたのかは解らない。けどわたしはその話を聞いて、彼女の幼さを感じさせない雰囲気とか、いつもどこか遠くにいるような空気に納得した。
このひとは、置いてきたひとなんだ。
中途半端な別れをそのままにできず、押しかけてしまうほどの激しさを持っていたひとで……だからこそ傷付いて、くたびれて、もしかしたら諦めて、緩やかに絶望している。
わたしはやりきれなさを感じた。
今からでもなにかできないかという気持ちになったが、彼女はそんなことを少しも望んでいなかった。というより、わたしのそれは彼女のためというよりは自己満足のためで、そんな浅はかな思いを彼女は見透かしていたに違いない。
それなのに当時のわたしは彼女の
「さらばは、影響力が強いから」
という忠告を忘れ、そこで思ったことをはっきり口にしてしまった。
傷付いていないわけがない、にもかかわらず少しも感情の揺れを見せない彼女を心配している体で、そういう「本心」を引き出そうとすらした。
おそらくあのとき、彼女はわたしに対して「閉じた」のだろう。
その後も仲が悪くなるようなことはなかったが、いつの間にか、気が付いたら疎遠になっていた。
今なら、距離を置かれても当然だと解る。
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