「わたしは仕事ができない」と自覚したい:仕事人としての段階(5/6)【さらば、noteを書く理由(12)】
1~4はこちら。
見える世界が変わった
その日から、と言うと言い過ぎですが、その日をきっかけに、仕事人としてのわたしは明らかに見える世界が変わっていきました。
実のところ、当時の職場では評価が下がりました。なぜか。
わたしがビジネスをしてなかったことに気付いてしまったからです。
象徴的な話として、それまでわたしは自分より役職が上の方々については、無条件に一定以上尊重する姿勢を取っていました。
礼儀的な意味ではなく、
「そのポジションにいるということは、どんなひとであっても優れたところがあって、自分なんかには計れない側面があるはず」
と考えていました。言い換えると、「上のことは自分に関係ない。仮にうまくいかなくても、自分のせいじゃない」ということです。
間違いではないかもしれませんが、今のわたしの考えだと、それは「仕事人」ではありません。ただの「タスクを処理する人」です。
もちろん、自分の極端なバイアスや一方的な思い込みで他人を評価することが愚かなのは言うまでもありません。ただ、それと同じくらい「経営者や上司は優秀に違いないから言うことを聞こう」というのも愚かです。
師匠に学べば学ぶほど、その奥深さと、実践はおろか理解の難しさを知り、同時に今まで無条件にスルーしていた方々を見て、
「このひと、大した成果も出してないのに偉そうだな……」
と思うことが多くなりました。
そう。よく見てみると「成果を出してない」のに自信満々に振る舞うひとがとても多いのです。
じゃあどうしてそういうひとたちが要職に就いているのかというと……これも観察と師匠の教えを通して理解しました。
要するに「上司の役に立つ部下が出世する」のです。
そして上司の役に立つ部下が出世すると、その部下にも「役に立つ」ことを求めます。それが積み重なるとマネージャー層や経営層が、言葉を選ばずに言うと「忠実な犬だらけ」になり、組織が腐敗する……というのが師匠の教えでした。
本来は「成果を出す」人間が出世すべきです。
成果が出ることと上司の役に立つことが一致するならそれが最も良いことでしょう。ただ、「上司の役に立つ」ことばかりを優先する組織で、成果が出続けるわけがありません。
市場の変化があまりなく、昔確立したビジネスモデルが陳腐化しない間はそれでも会社は傾かないそうですが(むしろ現状維持にとっては社内闘争に明け暮れているほうが良い)、ひとたび環境が変化すると腐敗した組織ではどうにもならず、破綻までまっしぐら……という話です。
わたしは経営者ではありませんが、経営を自分ごととして捉え始めました。
果たして今の会社は、組織は、経営者や上司は、わたしの仕事人としての熱を傾けるだけの価値があるや否や? という問いを立てるようになりました。
そして「その価値はない」と思ったら「じゃあどうする?」と考えます。
それから……ただ黙って見ているのでも、いきなり切り捨てるのでもなく。
あの日の師匠のようになることまではできなくとも、
「変えろ!」
と訴えかけよう、と決めました。
もちろん下の立場の者が上の立場の者に直接説教をしても効果はありませんから(逆効果ですから)、方法は限られます。
でも、少なくとも働く以上、「経営者や上司の満足度を高めること」ではなく「成果を出すこと」……すなわち「顧客にとって価値ある存在になって、長期利益を出すこと」を目指して働くことに決めました。
タスクの処理ではなく、仕事をしたいと思ったのです。
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