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【UWC体験記㉝】As We Know It (性被害体験等共有イベント)への参加ー自分の過去と向き合う

PeaCo Monologueと並び、私たちの学校だからこそ開催が可能なとても特別なイベント。

性暴力などの被害の他にも、自殺未遂や差別、摂食障害など、他の場所では簡単に話すことのできない体験を生徒たちがステージ上で語るものです。

1年目には観客として参加し、その後2年目には私自身がステージに立つことを決心し、今までの人生とじっくり向き合うきっかけをくれました。


学校に開催を止められた??

1年目、当初の開催予定だった3月のFemiCon(フェミニズム会議)の最中、直前になってこのイベントが延期されたと主催者たちからメールがあります。

すぐに流れた噂では、生徒たちにより語られる体験があまりにも過激で全校生徒たちの前で話す内容として適切かどうか分からない、と学校側に止められたとのこと。その日は学校中でこれは大きな話題となり、私も登壇する予定だった友達が泣いているのを見ます。

するとその日中に、とある生徒が校長宛へのメールを生徒全員にも一緒に送ります。「こんなにも勇気を持って大切なストーリーを語ってくれようとしている同級生たちを学校が制限するなんて許せない」と。そのあとには10人近くの生徒たちがそのメールに返信する形で同様の思いを校長宛にぶつけます。

その日は特に学校側からアクションは無かったのですが、すると次の日、学校中に真っ赤な文字で印刷されたポスターが多く貼ってあるのを私も見かけます。

そこには、「学校が検閲をしている。学校が私たちをつぶそうとしている」などと言った学校では言えないような言葉がたくさん含まれた学校への抗議文。さすがにこれにはイベントの主催者たちが反応し、「これは間違った方法での反応だから学校との再度の話し合いを待ってほしい」と。

生徒たちの反発、そして主催者たちの学校との必死の交渉の結果、数日後、開催されることが発表されます。

登壇者たちの勇気に涙

事前に多くの警告が出され、このような内容が少しでも苦手な人は参加しないようにと念押しをされた上で始まったこのイベント。大幅に私の想像を超えてくる内容でした。

「私の太ももへ」という題で、どんな体型でも自分は美しいんだと力強く語る人や、ヒジャブを被った女性たちの権利を訴えるような人。女子のスポーツ界での差別に対して訴えるパフォーマンス。

このようなとても説得力のあるパフォーマンスをできる人はACでは多くとにかく感心するばかりなのですが、より衝撃的だったのは自分の個人的な経験を語る人たちのパフォーマンス。

元彼への手紙の形式で語られたのは、その彼から幼いころからそれとは知らずに何年も性被害を受け続けながらも「愛されているから」と思い逃れることができなかった過去。その人から言われた言葉などの詳細を恐れることなくはっきりと話し、「もう私はあの頃の私とは違う。さようなら」というパフォーマンスでした。

他にも、トランスジェンダーであるがゆえに受ける差別、そして受けた性被害などを赤裸々に語る人も。こういう被害を受けた人たちがいることは分かっていたはずなのに、自分と同年代でいつも一緒に過ごしている友人たちから語られると、心がとても苦しくなります。

自身がかなり傷ついた過去の経験で思い出すのも辛いはずなのに、それを全校生徒の前で堂々と話してくれている。これも全て、他の人たちに同じ経験をしてほしくないから、そして他の被害にあった人も同じようにそれに気付いて声を上げて助けを求められるようにしたいから。

そしてイベント終了後、LGBTQである自分が「男らしくない」と親から罵倒された経験を語ってくれた友達のところに行くと「10年間話せなかったことをACだから言えたんだ…」と涙しておりここで初めて、このイベントが過去の傷ついた経験を乗り越える役割もはたしていることに気付きます。

この日の登壇者たちの勇気、そしてこんなイベントが生徒主催で行われることが可能なこの学校にいることには感謝するばかりでした。


とある気付き

2年目の24 Hour Race本番1週間前。準備で大忙しの中、24 Hour Raceのファンドレイジングの目的であった、Modern Slaveryや人身売買についてリサーチをしていました。

いくつものウェブサイトを渡り歩いていた時、「あれ?」と急に心臓の鼓動が早くなり、冷や汗が流れます。直接Modern Slaveryには関係ない内容ですが、自分とは全く無関係だと思っていたようなことについての記述が、私のとある過去の出来事にものすごく重なったのです。

詳しくは書きませんが、性被害や犯罪被害とは言えないものの、自分ではかなり傷つき、それでも忘れようと記憶を封印しようと思っていたもの。ウェブサイト上で、自分に起きたことに名前が付けられているのを見て、初めて「自分は悪くなかったんだ」と気持ちを楽にしてもらえたのでした。

このあまりにも大きな衝撃の中、次に頭に浮かんだのは「私がこれを伝えることで同じような経験をした人を救いたい」ということでした。私が長い間モヤモヤを引きずっていたものが1つのウェブサイトを見ただけでこんなにも救えるのなら、私も他の人にこの情報を伝えたい。

ただもちろん、SNSなど公開した場でこの話をすることはできない。そこで思いついたのは1か月以上前に出演者の募集が締め切られていたAs We Know Itへの出演でした。その場で急いで主催者に連絡を取り、簡単に内容を送ると、「同じような話をする人は誰もいないよ」と出演を許可してもらえました。

「語る」ことだけの難しさ

この夜の勢いで出演まで決まったものの、出だしが遅れている分、24 Hour Race終了後にはすぐに原稿を書いて提出する必要がありました。これはまず学校のカウンセラーに提出され、この内容で生徒の前で話しても大丈夫か、そして登壇者自身のメンタルの状態が大丈夫かを判断してもらうためです。

そしてこのチェックを経て本番の1週間前に初めて登壇者全員が顔を合わせ、お互いに自分の原稿を読み合います。プライバシーのため小さな楽器練習用の防音室に15人ほどで入り、1人ずつ読んでいきます。

昨年と違い、ほとんど全員の登壇者の語る内容が自分が体験した暗い過去についてのもの。どの話もあまりにも重く、毎回心が不安定になりそうなぐらいなのですが、そんな内容でもお互いに賞賛し合ってしまうほどみな表現や構成が上手で、「パフォーマンス」と呼べるもの。

こんな人たちの中で大丈夫かな、、と私も初めて自分の原稿を口に出してみるのですが、今までほとんど語ったことのないもの、ましてやそこまで仲良くない人もいる中では思った何倍も緊張します。そしてびっくりするほど、特に具体的な記憶を語るときには言葉を出すことだけでもものすごくエネルギーを使いました。

それでも、その場にいるみながお互いを信頼して自分のとても個人的な経験を語っている中では自然と連帯感が生まれ、「ここは安全な場所だ」と感じることができます。

その日から1週間はほとんど毎日のようにそのメンバーで集まり、原稿の練習やポスター撮影、全体で行うパフォーマンスの練習などをしていきます。すると不思議なことに毎日のようにどんどん登壇者たちの距離が近くなっていくのを感じます。

事前撮影したポスター

リハーサル以外で他の登壇者に会うときにも、今までほぼ話したことが無かった人とも自然と「仲間」であるという意識があり、ふと目を合わせると「本番の心の準備はどう?」などといった会話をいつも交わすようになりました。

そして2回目、3回目と自分の原稿の練習を重ねるうちに、当初の「恥ずかしさ」や「怖さ」よりも「こんなに勇気を出してやっているんだから最大限に良いパフォーマンスにしたい」という気持ちが勝り、言葉1つ1つにおいて「強調」「静かに」「だんだん強く」「ゆっくり」などをまるで楽譜のように色分けしてびっしり書き込み、毎日自分でも夜寮の他の人が寝た時間を狙って何度も繰り返し練習しました。

前日の夜は同じ寮の同級生の登壇者2人と遅くまで練習。お互いのパフォーマンスを聞き合い、アドバイスをし合います。

そして当日は本番前に最終リハーサルを照明なども全て込みで行い、最後にみんなで食堂で夕食を食べ、夜のイベント開始に備えることになりました。

As We Know It本番

そして夜7時からのイベント開始前から多くの生徒たち、そして事前に応募した先生方がホールに集まってきます。舞台裏からどんどん観客が入ってくる声が聞こえ、私たちは緊張するもののお互いに「ついにこの時が来たね!」と、とても楽しみに。

そして最初は出演者全員でのオープニングパフォーマンス。どんどん加速する手拍子と足踏みでリズムを鳴らしながら1人ずつ自分のパフォーマンスの中のキーワードを思い切り叫んでいきます。「汚れ」「ホモ」「信頼」「デブ」「黙れ」といった強いワードばかり。

そのあとは主催者たちによる詩の朗読があり、ついに最初の登壇者のパフォーマンスが始まります。そして内容の重さを鑑みてACのイベントでは今までには無かった、6つ目のパフォーマンスのあとには一回休憩も入ります。

性被害の他、拒食障害で病院に運ばれるまでになったり、昔親戚が自殺し自身もリストカットを繰り返したり、交際相手に心理的虐待を受けたり、私は既に何度も聞いていますが、それでも本番でのみなのパフォーマンスを舞台裏から聞いて、とても感情的になります。

そして私自身のパフォーマンス。白いスポットライトの中スツールに座り、マイクで話し始めます。まさか誰にも話すことはないと思っていたことを学校のほとんどの生徒たち、そして一部の先生たちの前でこんなにも堂々と、丁寧に語っている。その事実が信じられないままパフォーマンスが終わり、他のメンバーたちのもとに帰り、皆から「お疲れ様」とハグしてもらった時に「自分は本当にこれをやり遂げられたんだ」と感無量でした。

全てのパフォーマンスが終わり、最後には登壇者が全員ステージ上に座りアカペラグループのリーダーの三人が「Scars to Your Beautiful」という曲を歌う中、最後のサビで合唱で加わります。この時、主催者から1人1本、造花が渡されました。

最後の歌のパフォーマンス

自分はどんなであっても美しい、というメッセージが込められたとても感動的なメロディのこの曲には、ステージ上の私たち以上に目の前の観客の生徒たちが泣いているのが見えます。

そしてこのイベントは終了となり、ステージ上に観客であった多くの生徒たちが上ってきて私たちに感謝の言葉を伝えに来てくれます。「あなたは本当に強いね」といった言葉を私も多くの友人に泣きながらかけてもらい、このACというコミュニティに所属できた幸せ、そして自分がこのイベントに登壇できた幸せをかみしめました。

こうして全てが終了となりましたが、この経験は私にとってポジティブなものでしかなく、この時に味わった感動や一緒に支え合った仲間たち、そして自分の勇気の象徴となったあの一本のプラスチックの花は宝物になりました。


自分の人生を振り返る

イベント次の日になっても数多くの生徒に「昨日はお疲れ様」と声をかけてもらえるほか、私が話した内容についていろいろと質問をしてくれる人たちも。私にとってはこのイベントに出た目的が「他の生徒に伝えたい」だったため、私を傷つけないようにとその話題を避けられるより、どんどんディスカッションしてもらえた方が嬉しい。

そして他にも、私が以前から関わりのあったイベントに来ていた先生方からも内容について声をかけられることが多々あり、イベント後にもじっくりと自分で振り返りをするきっかけになりました。

その中で、考えれば考えるほど、過去に起こったと思っていたことでも自分の現在の性格などに影響が出ていることに気付いていきます。私はその後も卒業間近まで、暇さえあれば自分の幼少期からを振り返り、良い意味でも悪い意味でも自分の原点を探るようになりました。

すると分かっていくのが、おどろくほど今の「自分」という存在が過去から見て説明がつくということ。今までは自分の性格には統一性がなく、「自分が後悔しない選択」をしようと思っても中々自信が持てないことばかりだったのですが、じっくり見ていくと自分の今までしてきた選択にはきちんと整合性がある

自分が貫きたくても貫けていなかったと思っていた信念なども、よく考えるとその状況ではより優先度の違う別の信念を貫いていたりして、今になるとちゃんと納得できるものも出てきます。

一方で、長い間自分の中で直したくても上手くいっていないものは、突然現れたものではなく、自分の過去に由来するものであることもいくつか特定でき、自己理解にどんどん自信が持てるようになりました。

今では、As We Know Itに参加した当初の目的は他の人のためでありながらも、私自身の方がその何倍もの恩恵を受けたことに気付いています。そしてACを離れて少し経つ今になって改めて、この若さで自分の学校でこのイベントを経験できたことのすごさに驚き、とてつもなく感謝しているところです。

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