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(2020)シン・フェイン文学3 ──ジェリー・アダムズの獄中文学とハンガーストライキ

今年2月、アイルランド共和国の下院総選挙で第二党に躍進した「シン・フェイン党」。アイルランド語で「我々自身」を表すこの党は、英国の支配に抵抗する「リパブリカン」勢力によって20世紀初頭に結成され、軍事部門IRAを擁し、「北アイルランド紛争」を闘った。しかし長期にわたる紛争を経て、徐々に武装闘争から議会戦術に方針を変え、90年代末の和平合意にこぎつける。現在のシン・フェイン党は、一貫して北アイルランドからの英国の撤退を求めつつもかつての武闘路線を捨て、貧困問題などに取り組む合法的な議会政党であり、未だ英国領である北アイルランドでは自治政府の連立与党、アイルランド共和国では前述のように第二党である。

 武闘路線から議会主義への転換は、35年にわたって党首を務めた北アイルランド出身の政治活動家ジェリー・アダムズ(1948-)らによって推進された。本連載では、文筆家でもあるアダムズの小説を紹介している。昨年夏号では紛争を背景に敵味方の交流を描く短編を扱った。本年冬号では獄中生活を描く短編を扱った。いずれも、シン・フェイン党に代表されるリパブリカン・ムーブメントの抱える矛盾が党首自らによって描かれており、リパブリカンの正義を喧伝するプロパガンダには失敗しているところが特徴だ。

 こんにちのシン・フェイン党の路線に影響を与えたもののひとつは、アダムズの獄中経験と同房の友人たちの存在だろう。そこで今回は、獄中記『十一号棟』(1990)を紹介する。収監中の文章をもとにしたこの短編集は、アダムズ自身と同房者らの獄中闘争をユーモラスに伝えるとともに、のちのより悲惨な獄中闘争の前日譚として、そしてとりわけ1981年に大規模なハンガーストライキで落命した同房者らへの追悼として編まれている。

彼らはなぜ命がけで政治犯待遇を求めたか?

1981年、サッチャー政権下の北アイルランドの収容所・ロングケシュ(別称メイズ)で行なわれ、11ヶ月の間に23名の収監者が参加し、十名が落命した大規模な集団ハンガーストライキ。アマゾンプライムなどでも視聴可能(3月13日現在)な映画『HUNGER』(2014, 英)は、このハンストを指揮した活動家ボビー・サンズの死を克明に描いている。サンズをはじめとするリパブリカンの収監者らは、英国政府に対して収容所内での「政治犯待遇」を要求し、相次いでハンストに入った。本来ハンストは死を前提としない抗議手段だが、サンズらはリパブリカンのそれまでの獄中闘争に効果がないと判断し決死のハンストを行なった。

彼らにとって政治犯待遇とは何なのだろう。なぜそれほど大事なのか。
アイルランド島の一部を北アイルランドとして領有する英国にしてみれば、北アイルランド問題は長らく「英国内の暴徒たちの起こした一地方の問題」だった。しかし領有された側にとってはそれどころではない。アイルランド島全土を統べる共和国を目指し北アイルランドからの英国の撤退を求めるリパブリカンを単に暴徒、即ち「一般犯罪者」と呼べば、英国の侵略もそれに対する抵抗も「なかったこと」にされ、問題は矮小化される。政治犯待遇を巡る獄中闘争は、英国の干渉を拒否して勃発した北アイルランド紛争の縮図であり、政治犯待遇の要求は問題を「なかったこと」にされないための手段だった。

ハンストの歴史はケルト社会に遡る。だが、政治犯待遇を巡るリパブリカンの獄中闘争は最初からハンストだったわけではなく、決死のハンストに至るまでにさまざまな段階があった。
北アイルランド紛争の60年代末の激化を受け、70年代初頭から、主にリパブリカンを対象として、非常拘禁法「インターンメント」や、拷問にもとづく「特別法廷」が運用され始めた。最初、これらの恣意的な収監制度によって捕らえられた者は、一般犯罪者としてではなく戦争捕虜に準ずる「政治犯」として扱われた。監視の下ではあるが、仲間同士の集団自治生活が認められ、囚人服ではなく私服の着用をはじめとし、一般犯罪者とは異なる待遇が与えられた。収監者にとっては、脱獄や暴動・言論による獄外へのアピールと並んで、政治犯待遇に基づいた生活を維持すること自体が獄外へのアピールであり、一種の獄中闘争だったといえるだろう。彼らは収容所の規則とは別に収監者独自の規則や組織系統をつくり、自治生活の維持に努めた。
しかし76年春、英国政府は政治犯待遇を廃止し、収監者らを一般犯罪者として扱うよう定める。政治犯待遇から一般犯罪者待遇への移行は段階的に行なわれ、従来の政治犯らは徐々に一般犯罪者房に移され、囚人服を支給されて少人数に分断され、看守の暴行を受ける。政治犯待遇を巡る収監者らの獄中闘争は、一般犯罪者呼ばわりを拒否して囚人服の代わりに毛布のみ着用する「ブランケット・プロテスト」・排泄物を房内に塗る「ダーティ・プロテスト」・そして前述の大規模なハンストにシフトした。ハンストは国際的に報道され共感を呼び、獄外アピールとして成功した。しかし英国は交渉を拒否し、彼らを政治犯と呼ぶことを拒んだ。死者が10名に達し、彼らの要求が一部のみ認められた時点で、ハンストは中止された。

なおこのハンストは非暴力平和主義礼賛の文脈で語られることもあるが、彼らは全員IRAやその分派として活動しており、単純に非暴力平和主義のみに回収するには無理があるだろう。暴力であれ非暴力であれ何らかの活動を「なかったこと」にする権利は、少なくとも他人にはない。

獄中から英国を混乱させる男たち

アダムズはこのハンストの数年前、同じロングケシュ収容所に収監されており、サンズと同房だった。10代でシン・フェイン党に加入したアダムズは、60年代末より公民権運動と連携し、北アイルランドのカトリック住民の権利回復を訴えていたが、紛争の激化に伴いカトリック地区を武力制圧した英国軍と交戦し、72年から77年まで断続的に収監されていた。彼自身はサンズらとは異なりIRAではなかった(諸説ある)。

同じ収容所と言っても、アダムズの逮捕時にはまだ政治犯待遇があり、アダムズやサンズを含む収監者は大戦中のプレハブ兵舎を改造した政治犯房で集団生活を送っていた。政治犯待遇の廃止はアダムズの収監中、76年春に決定された。前述のように政治犯待遇から一般犯罪者待遇への移行は段階的だったので、アダムズは一般犯罪者房に移されず、77年に釈放された。一方サンズの収監は続き、新築の一般犯罪者房に移された。この一般犯罪者房「Hブロック」は刑務所然としたコンクリ製・H字型のパノプティコンで、管理棟(Hの横棒部分)に4つの棟が連なる。ハンストやブランケット・プロテスト、ダーティ・プロテストはここで行なわれた。映画『HUNGER』などで描かれるHブロックとアダムズの短編や自伝に登場するプレハブの政治犯房は、当然別様である。

アダムズらの獄中闘争も数年後のサンズらのそれも一貫して北アイルランド紛争の縮図である政治犯待遇を巡るものだが、方法は異なる。アダムズらの獄中闘争は基本的に、できるだけ犠牲を出さず自治生活を維持する前提で行なわれるものだった。それでも収監中に家庭を失ったり身体や精神を病んだり、脱獄を試みて落命する仲間は出た。加えて獄外の武装闘争により、住民の疲弊に伴うリパブリカン運動への反感が高まっていた。アダムズはこのような犠牲を減らしつつ世論の支持を得、収監されずに済む運動の新方針を同房者らと模索し、獄外のリパブリカンに訴えた。議会戦術・貧困対策・教育対策・国際社会への情報発信などが提案された。彼の釈放後、党内のヘゲモニーはアダムズら元収監者の党員に移り、こんにちのシン・フェイン党がつくられていった。

アダムズら元収監者のシン・フェイン党幹部は、かつての同房者サンズらを死なせまいとしたが叶わなかった。アダムズらに可能な策は、これまでのように抗議を「なかったこと」にされないよう、世界の注目を集めることだった。例えば囚人に被選挙権を認める英国の法律を利用し、獄中ハンスト中のサンズを英国下院議員選に立候補させた。当選後の登院を度外視しつつ英国・北アイルランド・アイルランド共和国の各地で立候補する作戦は、英国の統治機構に参加せず支持率を見せつけるためのシン・フェイン党の伝統的な議会戦術のひとつである。サンズは北アイルランドのカトリック系住民らの支持を集めて当選し、「自国の国会議員を死なせる英国政府」への批難の世論を喚起した。

英国がサンズらとの交渉を拒否したのは、彼らの出自がIRAなど「テロリスト」だという理由による。また、サンズらのハンスト中に獄外のIRAが報復として実行した看守の殺傷は、逆に英国の態度を硬化させると同時にリパブリカンへの世論の支持を削ぎ、サンズらに不利となった。のちにアダムズが推進したIRAの武装解除は、この苦い経験によるところが大きいだろう。リパブリカン内部から批難されつつも行なわれた武闘路線から議会路線への転換は、サンズらに対するアダムズなりの弔い合戦でもあった。

このような政治活動とは別に、アダムズはかつての同房者らを追悼し、肯定する役割を文学に託した。逆境の闘士を称えるプロパガンダではなく、噂好きでおしゃべりで時に少々精神がおかしなことになっている仲間たちを噂好きでおしゃべりで時に少々精神がおかしなことになっている自分自身が描く、風変わりな追悼と肯定の獄中記である。

とりみだし獄中通信

アダムズは収監中、偽名を用いてベルファストのリパブリカン系新聞に記事を寄せていた。これらの一部は編集・加筆修正され、獄中短編集『十一号棟』として90年に刊行された。タイトルはアダムズが収監されていた政治犯房の番号に因む。

『十一号棟』はほぼ語り手=アダムズの一人称で書かれ、獄中通信・小論文・フィクション・エッセイなどさまざまな要素を併せ持つ。政治犯房──アダムズの言葉によれば「有刺鉄線だらけの我等が象牙の塔」──での、例の政治犯待遇の廃止が決定する直前・75年冬から、決定以降・76年冬までの1年を、時系列に沿って26篇でたどる構造だ。ハンストの数年前に書かれハンストの10年後に編集されたこの本は、収容所の内外で徐々に悪化する時局と待ち受ける悲惨なハンストの影をユーモラスな口調ににじませ、サンズをはじめやがて落命する同房者らの元気な日の姿を描く追悼であり、ハンスト前日譚である。

冒頭の表題作「十一号棟」は、収容所の日常のリアルを獄外に向けて紹介する獄中通信だ。この短編は初出時の新聞では「インサイド・ストーリー」のタイトルで掲載されており、単行本化に当たり広範な読者層を想定して書き直された。かつての建国の英雄たちのように悲壮な闘争に明け暮れるかと思いきや、1台しかないテレビの番組表を巡って喧嘩し、噂話に一喜一憂するごく普通の兄ちゃんたち、おっさんたちが描かれる。しかし、数年後のハンストを予期させる描写がさりげなく織り込まれ、彼らの運命を暗示している。また、話が進むにつれて語り手自身の陥りかけている狂気がちらつき、おかしみの中に不穏な空気を醸し出している。

最初の部分を見よう。舞台は75年冬、ロングケシュ収容所の政治犯房、夜七時。細長いカマボコ型の元兵舎1棟をいくつかに区切った1房に、30人ほどの男たちが暮らしている。粗末なベッドに三角座りした語り手アダムズは、寒さに震えながらプラスチックのカップで薄いお茶をすすっている。

 隣のベッドのやつは頼もしいリパブリカンだ。「マクスウィニーは我々にどう死ぬべきかを教えた」──自分のロッカーに向かって彼はブツブツつぶやいている。ちょいと二週間ばかし接見の許可が出なかったというわけだ。

アダムズは解説しないが、「マクスウィニー」とはリパブリカン運動のアイコン的存在の一人、テレンス・マクスウィニーを指す。19世紀末から20世紀初頭にかけての文学者・活動家で、アイルランドの独立に向けてリパブリカン運動に加わるマクスウィニーは、英国に対し一方的に独立を宣言したアイルランド共和国の自治体選挙に立候補・当選するが、反乱に加担したとして英国に逮捕され、他のリパブリカン収監者と抗議の集団ハンストを行ない、世界の注意を惹き、英国に批難を集めつつ落命した。つまり、1981年のサンズらと極めて似ている。サンズもマクスウィニーを尊敬しており、サンズ自身の自己規定においてもリパブリカン運動全体の文脈においても、彼らのハンストはマクスウィニーを意識して行なわれた。

話をアダムズに戻せば、この「隣のベッドのやつ」は、数年後にハンスト死する収監者らの運命を仄めかすと同時に、いにしえのマクスウィニーと近い将来のサンズらを繋ぐ存在として描かれていることは想像に難くない。『十一号棟』に登場する同房者らの中でほぼ唯一名前を持たず出自の説明もないこの男は、やがて落命する仲間たちの象徴だろう。ちなみに「二週間ばかし接見がない」ためにハンストを考えるのは、家族や友人に忘れられて悲しむからではなく、政治犯待遇によって週1度許可されているはずの接見が当局の恣意的な采配で中止されることへの抗議の文脈による。サンズらのハンストと同じく、政治犯待遇が争点である。

アダムズは続いて、収容所の設備を紹介しながら集団生活の様子を述べる。雨漏りのする房には2段ベッドが並び、10代から60代の男たちが寝そべり、落ち込み、いらつき、運動し、掃除し、祈り、TVのニュース番組を待ち構えている。「ブリキ板でできたシュールな煉獄だ」とアダムズは言う。「仕切りが必要だし、壁だってコンクリかレンガのほうがいい」。まもなくできあがる一般犯罪者房がコンクリ製、かつ収監者らを少人数に分断するものであったことを考えると、この言葉は皮肉だ。

収監者らは掃除や洗濯、コンテナに入って届く食事の分配や皿洗いを当番制で行なう。食事は数人のグループごとにとり、差し入れの食料もグループ内で分け合う。収容所当局の規則とは別に収監者独自の軍隊式の組織系統や規則があり、収監者の選挙で選ばれた「司令官」が諍いの調停や獄中闘争の指揮、情報網の統括、当局との交渉に当たる。収監者らの自己規定は、政治犯待遇に基づく自治生活を維持する「営巣中の兵士」だった。
収監者らは議論したり読書したり脱走計画を練ったりする兵士然とした活動の他に、手工芸にハマったり運動場をぐるぐる歩く。これを眺めるアダムズは、彼らが常に反時計回りに歩く謎の現象に文字数を費やしている。アイルランド出身の文学者・ベケットの不条理小説を思わせる描写だ。

しかし最大の気晴らしは「噂=scéal」をでっち上げて流通させることだ、とアダムズは言う。アイルランド語で「scéal(シキアウ)」は噂、小咄、物語の意味を併せ持つ。見ていないものを見てきたかのように語る技術や、ここにいない誰かの発話を自分の話であるかのように語る話法は、アダムズの短編にもしばしば登場するアイルランドの口承文化だ。

 噂の製造元はだいたい我が友──エグバート、セドリック、ユアマンだ。噂が何周かする間に出どころは完全に失われる──語り、語り直し、要約し、また要約されるうちに消えてなくなる。この同志たちが悪気なく吐いた一言が、じきにBBCニュースによるものと言われ、全く申し分ない出典──IRAのトップとか北アイルランド政府の上級役人とか──を持つようになる。そして、もちろん誰しも、自分自身で何かちょっと加える。

エグバート、セドリック、ユアマンは『十一号棟』全体を通して狂言回しの役を担う同房の友人たちだ。実在の人物というよりは同房者らの集合的な人格を担わされたフィクショナルなキャラクターだろう。ボビー・サンズを筆頭に実名で登場する同房者もいるが、彼らもヒーローとしてではなく、普通の兄ちゃんとして描かれる。
彼らは、獄外の家庭のトラブルや政治的状況全体に対する無力さにしばしば抑鬱状態となる。

 何人かの同志は神経症を発症した。何人かは悲惨なことになった。何人かの同志は医療設備が整っていないために死んだ。ある同志などは英国軍に撃たれて死んだ……。
 しかし、概ね、我々は怒りを収容所当局にぶつけるためにとっておく。我々は点呼を撹乱し、きちんきちんと反抗し、自分たちの組織を作り、やつらには理解できない本を読み、やつらの指示を無視し、脱獄を試み、脱獄に成功する。総合的にみて、我々は我々の仕事をしているだけなのだ。我々は十一号棟で政治犯待遇を楽しんでやる。仮に我々が政治犯待遇を持たないとしても、これらすべてをなんとかしてやってのけるだろう――たぶんもっとうまくいかないだろうが。

この「予言」は数年後に実現した。サンズらのハンストののち、一般犯罪者待遇下の収監者ら数十人は管理棟を囲んで制圧し、ロングケシュから集団脱走する。彼らの中にはアダムズのかつての同房者もいた。映画『メイズ大脱走』(2017, 愛・英・独・スウェーデン)はこの事件に取材し、ハンストによる死者と国際的な注目をもってしてもごく一部の要求しか認められず、政治犯待遇を得られなかったリパブリカンの心境を描く極めて暗い脱走劇である。
本文に戻ろう。半ば自分に言い聞かせるように述べるアダムズに、ユアマンが「噂」を吹き込む。来年の4月24日までに全員が釈放されるというのだ。リパブリカンの重要な記念日、英国に対して一方的に独立を宣言した蜂起の日である。

 一言たりと信じないぞ。だいたい、どうして彼にわかるんだ? ユアマンはあてにならないからな。ひょっとして、彼の兄貴が教えたのかもしれない。彼の兄貴の親友は、ロンドンの英国内務省の役人のしわくちゃ爺さんの友達の娘と婚約した男の親族と結婚しているじゃないか。きっとそれだ。そう思わない?
 四月二十四日か。ちょっと見てみよう。お、月曜日だ。知ってるかい、月曜日というのは釈放日和なんだ。もしこれが日曜だったら、確実にユアマンに言ってたね、「この嘘つきが!」。でも、そういうわけにもいかなくなってきたぞ、だろう? 

ユアマンは「来年」と言ったが、アダムズは独自の理屈で曜日を優先させ「月曜の4月24日」をカレンダーで探したか計算したと思われる。アダムズの逮捕以降、4月24日が月曜になるのは直近でも1978年で、「来年」ではない。これまでの客観的で冷静なナレーションが躁転し、非合理が混じり始める。
アダムズは浮き浮きと噂の流通に加わる。

 「ああエグバート、英国内務省から来た手紙の話を知ってる? 四月の釈放の件だよ、聞いた? 収容所所長のオフィスの壁にコピーが貼ってあるんだって!」

続く25篇はこの、少々おかしなことになっている「信用できない語り手」アダムズによって語られる。同房者らとの交流、密造酒作り、ハトの飼育などのエピソードや、脱獄計画や暴動の記録、運動の新方針を巡る議論、教会批判などの小論文、政治犯待遇の廃止が決定した日の房内の動揺と絶望、その日から少しずつ様子がおかしくなる友人、そしてクリスマスにはしゃぐボビー・サンズの姿などが、「我々は皆、ロングケシュに打ちのめされるのだけはごめんだと思っている」という著者の言葉を通奏低音として、時に明るく時にシリアスに綴られ、肯定されている。

信用できない語り手たちへ

最後にこの信用できない語り手による短編をもう一つ紹介する。『十一号棟』の中で最も短いホラーめいた「犬畜生」は、暴動の最中に釘爆弾を拾って爆死した犬の思い出を語る同房の友人ユアマンを巡る掌編だ。この犬のエピソードはアダムズの自伝『夜明け前』(1996)にも登場する。自伝でも、ユアマンの台詞とほぼ同じ言葉を選んで書かれている点が興味深い。同房者らの集合的な人格を担わされたフィクショナルなキャラクターであるユアマンは、著者自身の分身でもある複合的な存在なのだろう。自伝におけるアダムズ自身も、一部複合的でフィクショナルな存在かもしれない。もともとアダムズはシン・フェイン党の機関紙の編集に携わっており、いくつもの偽名を使い分けて自分で記事を書いては活発な議論を演出していたという。政治活動家としてプロパガンダを行ない、一方でプロパガンダになり得ない文学を綴るアダムズの矛盾と多面性が垣間見える。

「犬畜生」は、政治犯待遇の廃止が決定されたのち一般犯罪者房への移送を恐れるどんよりした十一号棟の仲間たちの会話で始まる。彼ら──例のエグバート、セドリック、ユアマン、アダムズ──はホームシックが嵩じて、地元ベルファスト郊外のバス停を数えている。やがてユアマンが、彼の住んでいたマーフ街に現れる「犬の幽霊」の話を始める。

「俺は絶対、夜中にはマーフを歩かなかった」ユアマンが言った。「ハーボの犬が殺されてからは決して……」
「ああ、俺は気にしなかった。一度その……それを見たし、声を聞いたこともあるがな」エグバードが言った。
めいめいが沈黙し、何かを考え込んだ。
「よし、続けよう!」セドリックが口火を切った。「ハーボの犬の話を聞かせろ。とりあえず、ハーボって誰だ?」

ユアマンによると、ハーボはユアマンの隣人で、ボーという犬を飼っていた。カトリック地区での住民と英国兵の衝突が起こるたび、ハーボとボーは乱闘の真っ只中で暴れていた。ボーは英国兵に噛みつき、彼らに向けてハーボの投げる石を拾い、飼い主の元に持ってくるのだった。

「根っからの愛国者だったんだね」セドリックが合いの手を入れた。
「根っからの喧嘩好きだったんだろ。それだけさ」ユアマンは続けた。「ある日、英国兵の駐屯所の真ん前のデイヴィスモア公園で大きな衝突が起こった。誰かが釘爆弾を投げた。それは、英国軍の暴徒鎮圧部隊のすぐ横に落ちた。ボーも参戦していて、いつものように乱闘の真っ只中にいた。ボーは釘爆弾を見て、それをくわえあげた。喜んで飛び跳ねて、尻尾をブンブン振っていた。そしてハーボめがけて走ってきた……」
「ハーボは弾丸のようにグレナリーナ・ロードに向かって走り出した。犬が追った。白熱のチェイスだった」ユアマンは沈痛な面持ちで言った。「最後に見たとき、ボーはデイヴィスモア公園の角を曲がっていくところだった。〝そいつを離せ、ボー! そいつを離せ!〟 ハーボは叫んでいた」
「そして、釘爆弾が爆発した」エグバートがため息をついた。

皆は爆死したボーをハーボの家の裏庭に埋める。しかし英国軍は捜査のためにボーの死体を掘り起こした。

「……というわけで、俺は夜中にあのあたりを歩かない。ボーの吠えるのが聞こえるって話があるから。本当に、幽霊みたいな声で。マーフに住んでいる誰かが殺される前に聞こえるそうだ」ユアマンは言った。

まだまだ続きそうな友人たちの会話から抜け出したアダムズは、最後に読者に向けて語りかける。

 ボーに関する話は事実だ。私もその場にいた。君たちはきっとユアマンが夜中にマーフを歩きたがらない本当の理由をわかったに違いない。何、わからない? よし、それじゃあ……。
 いや、やめておくか。眠った犬は眠らせたままにしてやろう。

この「謎かけ」について考えてみよう。「釘爆弾」を投げたのはユアマン本人ではないだろうか。爆弾を拾った直後の犬の描写は、着地点を観察していた者ならではだ。着地点を観察しているのは、通常それを投げた者である。アダムズはユアマンの投げた爆弾が何を引き起こしたか知っているが、言わないのではないだろうか。
ユアマンが同房者らの集合的な人格を担わされたフィクショナルなキャラクターであることを考えると、このアダムズの沈黙は、同房のIRA「テロリスト」らが何をしたか知っているがそれを言わない、つまり、少なくとも文学においては断罪しない、という彼自身のスタンスの表明だという解釈も可能だろう。「言わない」ことと「なかったこと」にすることは別だ。政治活動において武装闘争を否定したアダムズは、文学においては同房者らを全員、全肯定することができるのだ。

ともあれ、何を言って何を言わないかの選択にこそ何らかの真実があるだろう。経験談であれ自伝であれ噂であれ、信用できる語り手などどこにいようか。

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◾️ジェリー・アダムズの獄中短編集『十一号棟』は、Cage Eleven (Brandon, 1990)を底本とした。
「自伝」への言及は Before the Dawn: An Autobiography(Mandarin,1996)に拠る。
「十一号棟」の原型「インサイド・ストーリー」への言及は Lachlan Whalen, Contemporary Irish Republican Prison Writing (Palgrave Macmillan, 2007) に拠る。

◾️「北アイルランド」は英国の定めた呼称でありリパブリカンはこれに異を唱えるが本稿では知名度を優先する。
「リパブリカン」は「共和主義者」と訳されることもあるが、「南北統一アイルランド共和国主義者」であり、他国の共和主義とはニュアンスが異なるため訳さない。

◾️写真はロングケシュの同房者たち。前列右端がアダムズ、後列右端がサンズ。

◾️ジェリー・アダムズのプロフィール
1948西ベルファスト生まれ。1964シン・フェイン党及び周辺組織で活動開始。1967北アイルランド公民権協会参加。数年に及ぶ獄中生活。この頃から議会路線を呼び掛け、数十年かけて党を脱武力化し議会政党にする。1978シン・フェイン党副党首、1983-2018シン・フェイン党党首。1983-1992、1997-2011英国下院議員。1998-2010は北アイルランド議会議員兼任。1998の和平合意に至る交渉を担う。2011英国下院を辞し、アイルランド下院に選出。国際作家協会PEN会員。 

◾️山本桜子のプロフィール
ダダイスト。北アイルランド問題への興味から2000年と2001年現地に滞在。国際基督教大学卒業後、ファシスト党〈我々団〉団員。『メインストリーム』編集部。

(初出:『情況』2020年春号)

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