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追悼 小説家 宇能鴻一郎氏

 今年2024年8月、小説家宇能鴻一郎氏が亡くなった。昭和の大衆文学小説家が、またひとり、いなくなってしまった。宇野文学のファンだった私はとても哀く、寂しさを感じた。

 とは言っても、継続的に小説を発表していたわけではないので、知らない方も多いであろう。

 宇能鴻一郎といえば、1970年代後半から「日刊ゲンダイ」で連載されていた「あたしシリーズ」。「あたし〜〜なんです」と言った冒頭から始まる官能小説である。私もこの官能小説から知った。例えば「あたし、かおる23才。OLなんです」と言った告白調の語り口で、その子の身に降りかかったエッチなストーリーが展開される。
 ちょっとコミカルでエッチなストーリーは、たちまち人気となり、日活ロマンポルノでもシリーズ化していた。

 その「あたしシリーズ」はもちろん面白かったが、女の私としては、継続して「読む」という気にはなれなかった。夕刊紙の連載ということで、男性がちょっとモヤモヤする、ということを意識していた小説の内容は、お定まりのエッチシーンが入り定番化していたから。
 その意識が一変したのは、古本屋で偶然見つけた宇野氏の単行本であった。1980年代後半だったろうか。正直どの単行本が初めだったかは定かではないが「狂宴」(1969年講談社)だったか。

 「え、宇能鴻一郎ってちゃんとした小説家だったんだ!」
大変失礼ながらエロ小説家だと思っていたが単行本小説は耽美作品であった。しかも文体は軽やかで親しみやすい。
私はその時初めて、芥川賞受賞作家であることも知ったのだった。

 それから私は古本屋巡りをして宇野作品を探しまくった。なかなか見つからなかったが、少しずつ集められていった。
「狂宴」を皮切りに、「魔楽」(1969年講談社)「伯爵令嬢の妖夢」(1968年講談社)「秘本西遊記」(1983年徳間文庫)「花魁小桜の足」(1988年双葉社文庫)「お菓子の家の魔女」(1975年講談新書)「獣の悦び」(1966年講談社)「密戯•不倫」(1965年新潮社)「鯨神」(1981年中公文庫)
ちなみに収集した本の中に「あたしシリーズ」は入っていない。そちらの小説文庫本はよく見かけた。

収集した単行本の中から少し紹介したいと思う。
「魔楽」1969年(講談社)
 この表題の小説が好きだ。日本人男性がインドへ行き、女装ダンサーに恋をするという話。インドへ渡航したことがある私は、この心情がよくわかる。
 インドの女性は一般人でもとても美しいが、そういった女性は上流階級の女性である。とても普通では声もかけられない。
 そんな中、ホテルで行われる観光客に向けたダンスショー。美しい女性が生地たっぷりのフレアースカートをひるがえし、腰を振りながら踊っている。その「妖しさ」は心を惹きつけられる。その踊り子を呼ぶと「少年」だと分かったが、「小悪魔みたいな魅力」に引き下がることは出来ない。
 男は意地汚い舞踊団の団長から、その少年ダンサーを引き離し、自分で囲うことにした。
誰にもわからぬようにアパートを借りるが、インド人に秘密は通用しない。ダンサーは、可哀想な同僚をそのアパートへ引き入れてしまう。そんなことから団長にもその場所が知れてしまい、さらに逃げなければならなくなった。
 男は地位ある会社も、日本の生活も全てすて、そのダンサーにかける。男はいけない事だと悟りつつも、そのダンサーの「艶麗さ」「妖しい魅力」に勝てなかった。ダンサーは全てを悟り、「私は稚児の役目を果たさなければならない」と、ついにそういった関係になっていくのである。
 男は「要するに私は堕落しきってしまったのでしょう」と、インドでダンサーのヒモと成り下がり、暮らしていたのである。

「お菓子の家の魔女」は、食と女を「喰らう」小作品が満載されている。宇野氏は食通で知られて、食に関する本も書いている。

 また、切腹小説も書いている。1967年「週刊サンケイ」で発表された。(これは単行本「逸楽」講談社に収録されている)

 「腹の逸楽」
 レズビアンショーをやっている女たちと知り合いの友人が紹介してくれ、彼女らの部屋を訪ねる事になった男。壁には腹を切ろうとするポーズの写真が飾られていた。男はヌードのその姿よりも、お腹と臍の美しさに目を惹かれた。「お腹」と「臍」の描写が細かく表現されているが、これはおそらく当時切腹研究家の中康弘道氏に取材したのだろう。
「臍にくべて乳首は美しくない」とも表現されている。
 部屋には女3人がいた。ショーの二人と、もう一人はタチ役のかずみが連れてきたという、若い女。タチの相方リカは、屈託なく飾られている写真は自分だという。
「あたい、切腹って大好き。勇ましくて、ちょっとエッチで」
ところが女3人の口論が始まる。若い女に自分の位置が奪われることを悟ったリカの嫉妬からだ。リカは部屋を飛び出す。気まずくなり、男はホテルの部屋へ帰る。
 ホテルへ訪ねてきたリカ。慰めていると、リカを探して例の2人も訪ねてきた。
 そこでも口論となったので、なだめるために、まずレズビアンショーを見せてもらうことにした。
いかにも演出通りのショーが一通り終わると、若い女はそれこそ嫉妬心を燃やし、「私だってできる」とオナニーショーを披露する。正直、迫力が違った。リカの嫉妬はさらに激しくなる。
 そこで男はリカに提案する。一人のショーが見たい、と。「お腹を見せて。ベリーダンスのようにお腹を中心に動かしながら」
リカは支度にかかるが、とても長い時間を費やした。

 再び登場したリカは、白襦袢姿で短刀を用意していた。
「花の女白虎隊が飯盛山に座っているのよ」と話しながら、ショウは始まった。切腹の手順描写は本物である。これも中康氏に取材したことであろう。
 初めに見たリカの腹の写真。あの美しい腹が切り裂かれていくのを想像し、男は引き込まれていく。襦袢のしごきが短刀で切られ、ハラリと落ちた。短刀は本物だったのだ。リカは短刀を股間に当てる。男は感動のあまり声にならずとも、リカに叱咤していた。
(引用)「切れ、切れ、そのまま刃に力を込めろ。お前の性を切り開いて、腹にまで持ち上げろ。その瞬間こそ、お前の腹の美しさは十分に発揮できるのだ。死んだってかまわないじゃないか。一生に一度だけでも、お前がそれほど美しい瞬間に、美の瞬間それ自身になり変わることができたら、そのまま死んだってかまわないではないか。何なら己が手を添えてやろうか、、、」
 リカは実際に切りだす。陶酔の余り痛みも感じないのか。うっとりと目を閉じている。見ていた二人の女は泣き出す。
 そしてリカは優しい表情で命尽き果てた。

 こうして端的に紹介しても文章の面白さは伝わらないが、とても飄々としながらも心理描写が丁寧に描かれているのが、宇能鴻一郎作品である。

 純文学から官能小説に転身したのも、理由があってのことであろう。

1962年芥川賞受賞作品


私は宇野氏にインタビューしたかったが、断られたことがある。その掲載誌がSM雑誌であったからかもしれない。しかし、一般誌でもインタビュー記事などはあまり見たことがなく、マスコミに露出する事自体が嫌いだった可能性もある。晩年は再び純文学を書いたそうだが、まだ読んでいない。

 作家の神秘性を保ったままの宇能鴻一郎氏。
宇野文学の全てを知ったわけではないが、好きな作家の一人として、いくつかの本を収集できたことを嬉しく思っている。
早速晩年の作品を読んでみよう。

 耽美小説をありがとうございました。
でも一度、お話を伺いたかった。
宇能鴻一郎でなく、本名に戻った今は、幸せかもしれませんね。
ご冥福をお祈りいたします。


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