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【GS3】琉夏と琥一を語る - さよならジュリエット【ネタバレあり】

今回はGSシリーズ異例のW王子、桜井兄弟の感想と考察を語りたいと思います。
最初は琉夏単体で記事にしようと考えていたのですが、琉夏の物語は琥一の物語と補完関係にあるため、琉夏をメインに据えつつも兄弟まとめての記事にすることにしました。

  • 最初から最後まで全部ネタバレです。すでに桜井兄弟を複数ED攻略済み、もしくは攻略する予定がない方のみ読み進めてください。

  • 要所要所で台詞を挟んでいますが、わたしの記憶からの引用を含みますので、一字一句正確ではない場合があります。


■攻略経緯と第一印象


出会いはゲーム開始直後。入学前のプロローグで琉夏に遭遇します。
プレイ前にビジュアルだけ見た時の印象は「うーん白いギャル男だ・・・」だったんですが、話し方の柔らかさやほんのり漂う危うさと繊細さ、そして色気にぐっと心を掴まれ、えっ待って結構カッコイイかも・・・?と軽率に手のひらを返していくわたし。
未プレイ勢に分かりやすく表現すると、琉夏は『東京リベンジャーズ』のマイキーをもっとダウナー&アンニュイ&セクシーにした感じ。

そしてプロローグで琉夏とその兄・琥一は主人公の幼馴染であることが明かされ、いよいよ本編開始。
入学式に行こうと家を出たところで琉夏・琥一と遭遇します。
お約束の展開で琥一とぶつかり、スチル(一枚絵)が表示されます。

あの、本編開始早々、龍が如くみたいな作画の人がドアップでメンチ切ってくる乙女ゲームある・・・?

初手ひと笑いさせられたところで、二人が「兄弟」であるはずなのに同じタイミングで入学式を迎えることに疑問を持つ主人公。
気まずそうにする琉夏と「そういう家もあんだよ」と言い捨てる琥一。
琥一、グレすぎて中学ダブったのかな・・・などと安直な考えが一瞬過りますが、「そういう奴もいる」ではなく「そういう家もある」という言い方が引っかかり、これはもっとややこしい何かがあるな、と姿勢を正します。

事情が知りたい欲の高ぶりを感じながらも、一周目は設楽聖司の一途ルートをプレイしたかったので、桜井兄弟は2周目以降に構ってみることに決めました。

まとめると、第一印象は「儚い系マイルドヤンキー」と「龍が如く」。

▼設楽先輩について書いた記事はこちら


■シナリオ概要(琉夏ED1)


琉夏と琥一のEDはそれぞれ複数攻略済みですが、桜井兄弟の物語はEDによって世界線が異なるので、ここでは一旦琉夏の告白ED1の筋をざっくりとなぞってみます。

兄・琥一と弟・琉夏、そして主人公の3人は幼馴染で、小さい頃によく近所の教会(=はば学の敷地内)で一緒に遊ぶ仲でした。
ところがある日、突然主人公の引っ越しが決まります。
琉夏は教会の敷地に咲いていたサクラソウを指し「この花は“妖精の鍵”。心に思い描く人のところに連れて行ってくれる」と語り、だから必ずまた会えるよと元気づけてくれます。一方、琥一は「そんなの嘘だ」と一蹴。

そんなこんなで一度は離れ離れになった三人ですが、高校の入学式で再会します。
サラサラの金髪で肩までの長髪、前髪も長く左目はほとんど隠れている色白の琉夏。黒髪リーゼントで細く短い眉毛、色黒でがっしり体型で絵に描いたような不良の琥一。
そして二人の左耳にはお揃いのピアスが揺れています。
どうやら二人とも、しばらく会わない間にしっかり目にグレていた模様。
そこそこ名の知れた兄弟のようで、はばたき学園に着いて早々「あれ桜井兄弟じゃない?怖ーい・・・」と周囲から恐れられていました。
入学後は、二人とも本来禁止されているバイク通学で主人公の前に颯爽と現れたり、授業をサボって先生に追い掛け回されたりと、そのグレっぷりは伊達ではなさそうです。

中学までは二人揃って相当なヤンチャをしていたようですが、面倒ごとから「ずらかる」ために名門はば学に入学したと語る琥一。
とはいえ桜井兄弟に恨みを持つヤンキーはまだまだいるようで、学校帰りに悪名高い余多門(よたかど)高校の生徒たちに絡まれて一触即発のところを主人公が止める、という場面がたびたび起こります。
二人とも昔から空手を習っていたそうで、体格の良い琥一はもちろん、琉夏も相当喧嘩が強く、「痛みを感じない不死身の琉夏」として名を馳せています。

また、学校生活を送る中で、渡り廊下から飛び降りてみたり、屋上の手すりに立って一周するチャレンジをしたりと、危険な行動を躊躇なく、涼しい顔で繰り返す琉夏の姿を主人公は何度も目にします。
心配だから危ないことしないで!と訴える主人公に対し毎回「大丈夫、不死身のヒーローだから」などど飄々と躱す琉夏ですが、あるとき「でも、もしものことがあったら・・・」と言う主人公に対して「もしものことは、ふざけなくても起こるだろ」と悲しそうに吐き捨てます。

そして別の場面では、将来の夢について尋ねた主人公に「そもそも将来が無いって感じ。よく早死にしそうって言われる」「バカなことやってないと、俺、生きてるって感じがしないよ。バラバラになりそう」と答える琉夏。生への執着がないこと、それでいて生の実感を求めて危険な行動を繰り返していることの矛盾から、彼の心の不安定な浮遊感が伺い知れます。

そしてある日の放課後、琉夏に「俺の家に行こう」と誘われ、バイク二人乗りで連れ出される主人公。
そこは海辺に建つ「West Beach」という名の廃ダイナーで、琉夏と琥一はここで二人暮らしをしているといいます(土地と建物は父親の持ち物だそうで、一応不法占拠とかではない)。
当然ながら高校生の二人暮らしに疑問を持つ主人公に対し、「親は街の方にいる」「俺があそこにいると、コウは自由になれない。だから家を出た」「結局またついてきちゃったけどね」と語る琉夏。

真相は3年目のクリスマスイブに明らかになります。
琉夏と琥一は実の兄弟ではありませんでした。
琉夏の生まれは北海道。幼い頃に両親を事故で失い、親戚である桜井家に引き取られました。
突然家族を失ったショックや元々の性格で、学校ではいつもいじめられて泣いていた琉夏。
そのたびにいつも兄である琥一が助けてくれました。時にはヒーローのお面を付けて。
そして琥一は言います。「俺たちはヒーローになるんだ。だからお前も強くならなきゃ」。

琉夏は琥一の背中を追って、見違えるように「強く」なっていきました。
そして琥一は「琉夏の兄」として大切な弟を守るため、さらに強く頼れる存在となることを追求します。
その結果、誰もが恐れる最強「桜井兄弟」が誕生したのでした。

琥一の両親は琉夏を実の息子と同じように大切に思い、育て、琉夏のことを深く愛してくれています。
しかしながら、琉夏にとって自分はどこまでいっても桜井家の「異物」。自分の居場所は今でもずっと前の両親と過ごした日々。今はもう写真を見ないと二人の顔すらよく思い出せないけれど。
自分が居なければ、琥一はこんなに強くなる必要なんてなかったのに。琥一の両親にも別の未来や生活があったかもしれないのに。

桜井家で満ち足りた生活を送りながらも、いつもどこかで自分を異質に感じ、罪悪感を拭いきれない。そんな思いを抱えながら生きてきた琉夏。
そして幼少期に大切なものを失う経験をしたことで、「一度手に入れたら、あとは失うだけだ。だからいらない」と、自分が幸せになることを拒否し続けてきました。

ところが、高校入学とともに主人公と再会し、楽しい日々を共有したことで、琉夏は自分にとって幸せな居場所となってくれる主人公を求める気持ちと、幸せになることを恐れ拒絶する気持ちとの間で葛藤していました。
そしてようやく幸せになることを受け入れられかけた頃、琉夏は主人公が余多門高校の連中に絡まれているところに居合わせます。
自分と一緒にいると主人公にまで危害が及ぶ。このまま幸せになれるなんて、そんな虫のいい話なんてなかったんだ。
そう悟った3年目の1月半ば、明らかに様子がおかしい琉夏は主人公に意味深な言葉を残し、深夜に一人バイクを走らせどこかに向かいます。

そして翌朝、琥一から届いたメールを開く主人公。

「総合病院にいる。琉夏が単車で事故った。まだ意識が戻らない」

慌てて病院に向かった主人公に琥一は「骨折と裂傷で体中ボロボロだけど、命に別状はないらしい。奇跡的だそうだ」「親父は警察に行った。お袋は隣の部屋で休んでる。安心したんだろ、一晩中泣き通しだったから」。
主人公が病室に向かうと、麻酔で眠っていた琉夏は目を覚まします。
「ここ、どこ?」とまだ朦朧としている様子。そして訥々と語ります。

「すごく寒かった。空が広くて・・・ 」
「星が綺麗だった。もうこのままでいいと思った」
「家に、帰りたい」
「でも、僕の家は、もう無い。本当は、わかってたんだ・・・」

琉夏の目からは一筋の涙。
唐突な一人称「僕」が、小さいままの、あの頃の琉夏が、今でも心の中で亡き両親を求めて恋しい、会いたいと泣いている様を表すかのようです。

病室から戻った主人公に琥一は「これからも時々来てやってくれ」と言います。「あいつにはお前が必要なんだ。きっと、俺や親父やお袋よりも」。
愛されていると知りつつも、琉夏がずっと感じていた「異物感」に、実は琥一もなんとなく気づいていたのかもしれません。

校内に琉夏不在のまま迎えた卒業式。
サクラソウの話を反芻しながら教会に向かった主人公の元に、なんと制服を着た琉夏が現れます。
以下、告白台詞の一部抜粋です。

「ガマンしなきゃいけないって、幸せになっちゃいけないって、そうやって生きてきたのに・・・」
「また、オマエを好きになった。春に花が咲くみたいに、当たり前のことみたいに」
「幸せでいいんだって、教えてくれるから」
「こうしてるだけで、胸が張り裂けそうになる。苦しいよ・・・」
「あの頃から今でもずっと、心に思い描くのはオマエだ」

幸せへの拒絶、失うことへの恐怖を乗り越え、自分の存在をまずは自分自身が肯定し、主人公の存在を受け入れ、受け入れられることを選んだ琉夏。
告白の中に何度も「苦しい」という言葉が出てくるのが、琉夏にとってどれだけこの決断が重く痛みを伴うものであったかを物語っています。

そして主人公がOKすると、琉夏は一輪のサクラソウを主人公に手渡します。

「見つけたんだ。俺が、帰るところ」

モノローグで語られる卒業後のエピソードは主人公の進路によって微妙に異なりますが、琉夏は進学も就職もせず、変わらずバイトを続けて自活に動き出します。
West Beachを離れ、今度はきちんと家賃を払ってボロボロの一軒家を借り、DIYに勤しんで充実した新生活を始めます。
さらに一年後に大学を受験すると言い出すなど、突飛な発想や行動で周りを驚かせたり振り回したりするところは変わらないようです。

こうして琉夏ED1は終幕。
琉夏を攻略していると必然的に高パラで着地するので、主人公の進路はいつもなんとなく一流大学進学を選んでしまうのですが、ふらふらしている琉夏をしっかり支えていくために、就職を選ぶバージョンも見てみたいなという気持ちもあります。
ただ、この激重シナリオを何度も周回できるほどわたしの心は強くないので、やるならもうちょっと記憶が薄れた頃に・・・。

そして過去イチ気が進まなかったのですが、震える手を握りしめ、心を鬼にして、琉夏の告白を断るバージョンも見てきました。
設楽先輩のときは「わたしがいなくてもこの人は大丈夫だな」と思えるような切なくも晴れやかな結末で、それでも心がごっそり抉られたのですが、琉夏の場合は案の定、この人本当にこのままふらっといなくなって、消えるように死んでしまうんじゃないか、と思ってしまうような展開でした。
それでも「ちゃんと幸せになる」と言ってくれたので、その言葉を信じることにします。そしてもう二度と見ません。ちゃんとわたしが幸せにするからね・・・本当にごめんね・・・。

■「異物感」と「罪悪感」


さて、ここからは考察です。

シナリオ内でも触れましたが、琉夏を象徴するものとして「生に執着がないこと」と「過剰に生の実感を求めること」という、一見すると相反する2つの要素がとても印象的です。
彼が登場するのがときメモGSじゃなかったら満面の笑みで手首サクサクやってたんじゃないかと思ってしまうくらい、精神的な不安定さが際立っているキャラクターです。
その根底にあるのは、琉夏が自分自身に感じている「異物感」と、そこからくる「自分が存在していることの罪悪感」だとわたしは考えています。

先述の通り、琉夏と琥一は実の兄弟ではありません。
琉夏は幼い頃に事故で両親を失い、桜井家に引き取られることになりました。
そしてADVイベントで、琉夏は次のように語っています。

アイツ(琥一)は、誰からも好かれる気の良い奴だ。
俺とは違う。
俺を守るために、すすんで周りから怖がられるようになったんだ。

父さんと母さんも、俺が病気なんてしなければ、雪の夜道を車で走らなくてもよかったんだ。
俺は、俺を好きになってくれる人たちをみんな傷つける。
だから神様、もう許してください。
俺なら、どうなってもいいから。

桜井家の両親と琉夏の関係性に関するエピソードは多く語られていませんが、家を出てWest Beachで暮らす琉夏を心配する母の言葉を設楽先輩が伝えに来たり、事故に遭った琉夏が生死を彷徨う間、母親が泣き通しだったという描写があったりと、琉夏は桜井家で実の息子同然に、深く愛されて育てられたことが分かります。

琉夏自身ももちろんそれを理解していて、桜井家の両親を拒絶するような言動は見られません。ごく自然に「父さん」「母さん」と呼んでいます。
実の両親ことを「前の両親」と表現していることからも、「実と義理」ではなく「前と今」という真贋や優劣をつけない捉え方をしていることが伝わってきます。

それでも、自分は本来桜井家にいなかったはずの存在。
きっと琉夏は、自分に良くしてくれる今の両親からも、どこかで自分は同情されていて、「この子を愛してあげなければ」「幸せにしてあげなければ」という義務感から優しくされているのではないか、と考えているのではないでしょうか。

それを象徴するのが遊園地デートでのサンドイッチのエピソードです。
お昼におにぎりを持ってきたという主人公に、琉夏は大層喜びます。
父さんはコウと同じでアメリカかぶれだから、うちのお弁当はサンドイッチばっかりなんだ。というようなことを話す琉夏に、主人公は「おにぎりがいいってお願いしないの?」と尋ねます。
すると琉夏は「せっかく作ってくれるのに、悪いよ」。

本当はおにぎりが食べたいと思いながらも、これまでずっと母親に気を遣って「おいしい、おいしい」とサンドイッチを頬張ってきたのでしょう。
入院中、琉夏の母が食べきれないほどのサンドイッチを作って琉夏の病室を訪れるエピソードが描かれています(ADVイベントより)。

きっとこれまでの琉夏の桜井家での生活では、このサンドイッチと同じようなエピソードがいくつもあったのではないかと思います。
父や母の「琉夏に喜んでほしい」「笑ってほしい」「受け入れられている、愛されていると感じてほしい」という気持ち。実子であればわざわざ強く意識することもなく、自然に伝えたり受け取ったりできるはずの気持ち。
もちろん彼らの愛は本物だし、裏も打算もない。それは琉夏も分かっている。でもどうしても、ほんの小さな気遣いや頑張りを感じ取ってしまう。だから素直に自分の気持ちを言うことができないのです。
彼らの気持ちに応えたくて、「大丈夫だよ、伝わってるよ、幸せだよ」と意識的に伝えようとして、つい模範解答を探してしまうのでしょう。

そして琥一の存在。
琥一はいじめられていた琉夏を、「兄」としていつも助けてくれました。
でも、自分さえいなければ、琥一は「兄」になる必要なんてなかった。
本当は優しくて人懐っこい奴なのに、俺を守るためにコウは強く恐れられる存在になるしかなかった。コウに「兄」を背負わせたのは自分だ。
琉夏はそんな風に考えています。

このように琉夏は両親を亡くして以降、自分を取り巻く人々、自分を愛してくれる人々に対して「異物感」を常に感じているのです。
自分は本来ここにあるべき存在ではなかった。いるべきじゃない自分=異物がここにいるから、取り巻く人々の運命や生活を狂わせてしまう。

この「異物感」は生きていること、存在していることへの「罪悪感」に変わっていきます。
自分がいなくなることが最善であり、すべてが本来あるべき姿に戻る。
自分が本来いるべき場所、いるはずだった場所(=実の両親との生活)はもうない。だからこの世界に自分はもういらない。
自分の存在がみんなを苦しめるなら、いっそ居なくなった方がいい。
そんな「罪悪感」が常に付きまとうからこそ、琉夏は生に対しての執着がなく、痛みや自分が傷つくことに対する拒絶が薄いのだと思います。

そして、わざと自分を危険に晒すことでこの「罪悪感」を一時的に解消しようとしているのです。
死んでもおかしくないような行動をして、自らの意思で死に限りなく近づくことで、束の間の許しを得ようとしているのだと思います。
死んだら死んだでそれでいい。死ななければ「もう少し生きていていいんだ」と許された気になれる。
だから彼は危険な行動をしてないと「生きてるって感じがしない」「バラバラになりそう」なんですね。

実母はクリスチャンで、毎週日曜は家族で教会に通っていたと琉夏は語っています。
自分自身がクリスチャンかどうかは分からない、と言っていましたが、キリスト教の「死は救済である」という死生観も少し影響しているのかもしれません。
思えば「琉夏」の名づけの由来も、福音書を記したルカから取られているのでしょうか。

ちなみに、バレンタインで琉夏に高級チョコを渡すと「OLさんのチョコみたい」と言われて、主人公がOLさんからもらったことあるの?と尋ねて琉夏が誤魔化す、という一幕があります。
最初、わたしは「うわぁ・・・琉夏、OLのヒモ似合う。沼らせてそう」などとつい生々しいことを思ったのですが、今は考えを改めました。
琉夏は大切な人や居場所を失うことの痛みを誰よりも知っています。だから、利己的な動機で誰かの気持ちを弄んで利用して、安易に誰かにとっての大切な人になったりしないと思います。
だから、過去にチョコをもらったOLさんとも別に深い仲だったわけではなく、バイト先のお客さんとか、知り合いのお姉さんとか、それくらいの関係性の人からもらったんだと思います。少なくともわたしはそういうことにしています。


■「子供」であることの絶望と「大人」になることへの渇望


琉夏とのデートやイベントをこなしていると、彼から「子供」や「大人」という単語が発せられる頻度が高いことが分かります。
一部、奇跡的に手元に残っていた例を紹介しておきます。

「どんなに一緒にいたくても、離れなきゃいけない。悔しいけど、子供なんだな」(デートの終わり際)

「だから、俺らにとってこのパレードは大人の証。俺たち、いつの間にか大人になってたんだな?」(ナイトパレードのときめき会話)

「俺さ、こんなことも、1人で決められなさそう?」
「こっちもゴメン、捻くれてるワケじゃない。ただ・・・きっとコウにもそう見えるんだろうな」(フリーマーケットのときめき会話)

他にもたくさんあったんですけど、ものぐさなので全然手元に残しておらず・・・すみません。気になる方は探してみてください。

さて、これは彼が「まだ子供であることのもどかしさ」と「早く大人になりたいという欲求」を表していると考えています。

「子供」というのは等しく大人から守られるべき存在です。大人は子供を守る義務があるので、子供は保護者の監督下に置かれ守られることになります。
琉夏の場合、この「保護者」にあたるのは今の両親です。そして兄である琥一も、弟である琉夏を保護者のように守ろうとしています。
しかし先述のように、琉夏は義理家族にとって本来いるはずではなかった、背負う必要のなかった「異物」です。少なくとも琉夏はそのように考えています。
だから琉夏は彼らのためにも、そして自分自身のためにも、自分は一刻も早くその庇護から離れるべきだと思っています。

したがって、彼にとって「大人になる」ということは、誰にも守られず、誰にも自分という「異物」を背負わせず、自分一人きりで生きていけるようになるということ。
自分が「大人」になれば、両親も自分を庇護する義務がなくなる。琥一が「兄」である必要もなくなる。
大切な存在をつくらず、自分を大切だと思ってくれる存在から離れ、ひとり孤独の道を生きていくこと。そしてその先の生死には別にこだわらない。
それが自分にとっても世界にとっても最善の道であり、彼が背負う「罪悪感」から解放される唯一の道だと信じているのです。

だから彼は家を出てWest Beachで暮らし始めました。でも結局、琥一はついてきてしまった。
琉夏が琥一の同居を拒否しなかった理由は色々考えられますが(琥一が一緒なら、という条件を両親が出したとか)、わたしは琉夏が“琥一が琉夏に依存していること”を分かっていたからではないかと考えています。
これについては後程触れようと思います。

また、琉夏は誕生日前の下校会話で「誕生日にはどうしても一緒に過ごした人たちのことを思い出すから、いつの間にか終わってるくらいがいい」みたいなことを言います。
これは後に実の両親との思い出のことを指していると分かるわけですが、この時の琉夏の発言からは「誰かに側にいてほしい」というニュアンスは感じられず、どちらかというと「寝てたらいつの間にか終わっててほしい」くらいに汲み取れます。

しかし3年目のクリスマス当日のデートでは「クリスマスになると、どうしても小さい頃のこと思い出すから。ずっとそばに居て欲しかった」と言ってくれます。
これは主人公に自分の悲しい記憶を打ち明けたことで弱みを素直に見せられるようになったことと、自分にとって大切で、自分を大切にしてくれる存在を再び受け入れるための一歩を踏み出せたことを表すシーンだと思っています。

きっと今まで誕生日やクリスマスといったイベントのたびに起こる辛く懐かしい記憶の洪水に、人知れずたったひとりで耐え続けていたのでしょう。
そんな重い枷を背負った人間が、今後「大人」になってひとり孤独に生きていくことなんてできるわけがない。
「大人」だろうが「子供」だろうが、人はひとりでは生きられないのだから。

■学園演劇「ロミオとジュリエット」


3年目の学園演劇はシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」。琉夏がロミオを、主人公がジュリエットを演じます。
あらすじについてはあまりにも有名ゆえ割愛しますが、当初わたしは琉夏がロミオを演じる理由がピンときませんでした。

「ロミオとジュリエット」は元々、家柄が理由で愛し合う若い二人の恋が叶わず、悲しい結末を迎えるというお話ですが、琉夏と主人公の間には家柄や出自といった障害は特にないですし、3年目の文化祭の時期であれば好感度も上がりきって、デートに誘い誘われしながらときめきメモリあっている頃なので、尚更思い当たる節がありません。
強いて言うなら不良と普通の女子高生、くらいか・・・?それじゃ弱いよな・・・と色々考えを巡らせていたのですが、最後までプレイしきってようやく見えてきたことがありました。

琉夏は恐らく、「自分と主人公は生きている世界が違う」「自分たちは本来結ばれるべきじゃない」「主人公にとって自分が『異物』になってしまう」と、この頃からうっすらと感じていたのだと思います。
「ロミオとジュリエット」が悲劇であることも、より一層その思いに拍車をかけたのかもしれません。

琉夏は主人公への恋心を自覚してから、ずっと葛藤しています。
主人公には桜井家の両親や琥一のように、琉夏を愛したり守ったりする「義務」がありません。彼女は彼女の意志で琉夏の側にいてくれます。幸せになっていいんだよと受け入れてくれようとしています。
過去に囚われ、「どうせ失うくらいなら、最初から手に入らなくていい」と幸せを拒絶する自分と、「新たな居場所を見つけて、自分が幸せになることを許したい」と未来に一歩踏み出したい自分。

少なくともクリスマスイブに自身の過去を打ち明け、翌日のデートで「側にいてくれてよかった」と言っていた時には、未来に向けて踏み出そうとする琉夏の姿が見て取れました。しかしその直後の初詣では「いつも不安なんだ。誰かが不幸なのは、俺のせいじゃないかって」と後ろ向きな発言をしています。
まさにぐらぐらと揺れる天秤のよう。
学園演劇以降の彼は、とても不安定な状態でした。それでも前に進もうとしていました。

そんなとき、自分のせいで主人公が余多門高校の輩に絡まれているのを目撃し、彼のなかで不安が確信に変わります。
ただ純粋に幸せに生きている彼女に、こんなものを背負わせるわけにはいかない。
自分と一緒にいることで彼女が不幸になる。やっぱり自分はこのままのうのうと幸せになっていい人間じゃないんだ。
「大人」にならなきゃ。コウにも頼らず、自分ひとりでケジメをつける。
その結果自分がめちゃくちゃになっても、彼女と結ばれることができなくても、それでいい。寧ろそれが正しい。
そんな風に考えたんだと思います。

そして事件(事故)の前夜、琉夏は主人公のもとに現れ、再び劇中の掛け合いを始めます。
「さよなら、ジュリエット」と告げた琉夏に対し、主人公は「“さよなら”じゃなくて、“おやすみ”だよ、ロミオ?」と返します。琉夏は「そうだな」と言ったあと、「俺、オマエに会えてよかった」と言い残し、そのままバイクで走り去ります。
やっぱり自分はロミオで、彼女はジュリエットだった。結ばれてはいけなかった。
もしロミオが琉夏のように物語の結末を知っていたなら、ジュリエットに「おやすみ」ではなく「さよなら」を伝えたかもしれない。

文化祭のステージ、初詣の帰り、事故前夜の自宅前。
それぞれのシチュエーションで同じシーンの掛け合いがなされますが、そのたびごとに琉夏の心情が異なっているのです。
これを繰り返し見せることで、彼の葛藤と決意を表現するという名シナリオに仕上がっていると思います。
悲恋の物語はこの世にいくつも存在しますが、この琉夏の物語においては「ロミオとジュリエット」でないと成立しないのでは、とさえ思ってしまいます。制作者さんに拍手。

ちなみに、琥一を一途攻略しているときも学園演劇は「ロミオとジュリエット」です。
ただ、琥一の場合はめちゃくちゃあっさり終わります。なんならちょっと笑えます。
これも兄弟の対比がしっかりしているというか、琥一は劇中の役柄に自分自身を投影したりしないだろうし、湿っぽいのは似合いません。
そういうところも解釈一致でわたしはすごく好きです。

三角関係結成中の学園演劇も同じく「ロミオとジュリエット」ですが、これもまた相当面白かったです。
まさか兄弟のチャンバラが始まるとは思わなんだ。
これは必見なので、ルカコウの三角関係をプレイするときはなるべく文化祭終了まで三角関係をぶっ壊さないようにしましょう。
わたしは琉夏バージョンと三角関係バージョンをほぼ並行してプレイしていたので、案の定感情が迷子になりました。

■琥一との関係


さて、桜井兄弟について語ると言いつつほとんど琉夏の話でここまできてしまいましたが、大変お待たせしました、琥一の話をします。

・「兄」の呪縛

琥一は小さい頃、ある日突然同い年の弟ができ、「お兄ちゃん」になります。
始めはなぜ同い年なのに兄にしたんだろう?と思いましたが、琉夏を受け入れることになった時の大人たちの話し合いで、同い年だからといって急に双子というのは不自然だし、それなら誕生日が早い方がお兄ちゃんね、となったのでしょう。

琥一は昔から体が大きく、いわゆるガキ大将タイプの男の子でした。一方で琉夏は辛い経験をしたこともあってか、弱々しくいつも泣いていて、学校ではいつもいじめられていました。
そんな琉夏を琥一は「兄」として守ります。そして琉夏を「強くならなきゃ」と諭し、琉夏に変わるきっかけを与えます。

琉夏は本当に強くなりました。
でも、琥一にとってはいつまでも教室の隅でめそめそ泣いていた、弱虫のルカのまま。
だから琉夏が強くなったのと同じかそれ以上に、琥一も強く兄らしくあることを追い求めました。
その結果、地元で恐れられる最強の不良として名を馳せることとなります。
常に「兄」であろうとした彼は、いつしか琉夏に限らず友人たちから頼られることに満足感を覚えるようになりました。
「兄」であり「強く」あることが彼のアイデンティティになったんですね。
不器用な彼はそれ以外の全部を捨ててしまった。琉夏の兄であり、みんなの兄貴分であることでしか自分の存在意義を確かめられない。

琉夏はそれに気づいています。
琉夏は自分という「異物」のせいで、琥一を「兄」に縛り付けてしまったと思っています。
自分がいるとコウがコウらしくいられない。「琉夏の兄」であることをいつまでもやめることができない。
だから琉夏は何度か「大人」になろうとして、琥一から離れようとしました。

恐らく1回目がはば学の受験。でも、彼はついてきてしまった。
そして次はWest Beachへの引っ越し。このときも結局彼はついてきた。

琥一は琉夏を守ってあげることで、自分の存在意義を感じることができます。その対象である琉夏がいなくなってしまったら、自分はこれから誰を守ればいい?誰の「兄」として生きればいい?
もう兄じゃなくて、自分のために生きていいんだよ。と言われても、彼に残るのは“誰かのために”過剰に強くなりすぎた自分だけ。
不器用な彼はこの生き方しか知らないがゆえ、琉夏を手放すことができないのです。

・琉夏への依存

そして琉夏はそんな琥一の依存に気づいていて、だからこそ琥一を強く拒絶することができません。時々衝動的に琥一から距離を取ろうとするけど、琉夏は自分がまだ琥一にとっての「子供」=守るべき弱く頼りない存在であることを理解しているので、結局は受け入れるしかない。一方の琥一は、自分が琉夏の兄であることに縛られ、それ以外の生き方が分からなくなるほど自分が琉夏に依存していることに気づいていません。

琉夏は誰かに寄りかからなければ生きていけないし、琥一は誰かを支えていなければ生きていけない。でも琉夏は自分が寄りかかる誰かは不幸になるから孤独と破滅の道を選ぼうとするし、琥一は自覚がないままいつまでも琉夏を守らねばと追いかけ続ける。一人じゃ生きていけないくせに一人になろうとする琉夏と、一人で生きていけないことに無自覚なまま琉夏に依存する琥一。この二人の対比はあまりに美しく、あまりに残酷です。そして自覚がない分、琥一の方が琉夏よりも厄介な因果に巻き込まれているのかもしれません。

琥一攻略中のイベントで、琥一が琉夏を庇って警察に連行されるシーンがあります。このとき、琥一はとある暴力事件が琉夏の仕業だと思い込み、琉夏を庇って「俺がやりました」と嘘の自白をし、警察に連行されてしまいます。結局琉夏はこの件に関与していませんでした。琉夏は琥一が思っていた以上に大人になっていて、琥一だけが前に進めていなかったということが分かる、なかなか苦しいイベントです。そのときの琉夏と主人公のやりとりで印象的な台詞があります。

「アイツはさ、バカで乱暴で、自分の気持ちもよくわからなくて、でも・・・いいヤツなんだ。きっと、誰かのためにしか生きられない。そして、その誰かは、もう、俺じゃない。・・・俺たちはもう、大人にならなきゃ」

琉夏はすべてわかっていて、そのうえできちんと大人になろうとしていました。今後琥一が守ってあげるべき存在はもう自分じゃない。そして主人公に「コウを頼む」と託します。

自分がいなくなったら、守る対象を失った琥一は潰れてしまうかもしれない。でも主人公がそばにいてくれれば、琥一はこれからは主人公を守ってあげることで、自分のアイデンティティを失わずに済む。
これからは自分(琉夏)じゃなく、主人公のために生きてほしい。
一足先に大人になった弟の愛が垣間見える一幕でした。

・自己犠牲と承認欲求の共存

琥一は身内への愛と自己犠牲の精神の塊のような人間です。
彼のアイデンティティは「琉夏の兄」であることで、「桜井琥一」であることではありません。
それなのに、心のどこかから「自分という人間を見てほしい、認めてほしい」「自分という人間を受け入れてほしい」という悲痛な叫びが聞こえてくるような気がします。
それが分かるのが、彼からもらえる誕生日プレゼントです。

1年目:オールディーズのCD
2年目:ビンテージミルクグラスのマグ
3年目:サクラソウの七宝リング

まさに古いロックやビンテージが好きな琥一らしいプレゼントのラインナップです。
この他、クリスマスやホワイトデーにもらえるものも、SR400のキーホルダーだとか、バイクの写真集だとか、どう考えてももらう相手のことより自分の趣味全開の品ばかりです。

GS男子は割とこういう自分の趣味関連の品を贈ってくるパターンが多いとはいえ、さすがに琥一のラインナップは群を抜いて「自分」推しです。

誰かのためにしか生きられないはずの琥一が、これだけ自分の趣味全力押しつけ系のプレゼントを贈ってくる理由はなんなのか。
単純に「女の喜ぶモンなんてわかんねぇ」的なことなのかもしれませんが、一応修学旅行のときにはお花のポプリみたいなやつ買ってくれましたよね。

恐らくですが、琥一は本来誰よりも承認欲求が強く、「自分と同じ目線で物事を見ていてほしい」「自分と同じものを好きだと感じてほしい」というエゴともいえる願望が強い人なのではないでしょうか。
エゴとこだわりが強いからこそ、「自分は琉夏を守ってあげなければならない」という考えから抜け出すことができず、誰かを守る強い自分というアイデンティティに固執し、依存を自覚することも、そこから脱却することもできないでいるのかもしれません。

あるいは、「肯定されたい」「受け入れられたい」そのために着けた仮面が「大切な人を守る強くてかっこいい兄貴」だったのかも。
献身的に生きたいと願い、その生き方でしか自分を肯定できないくせに、プレゼントから垣間見えるのは、意外にも自分を受け入れてほしがっているエゴイストな一面、という人間臭さも琥一の魅力のひとつですね。

■幸せへの道は険しい


琉夏と琥一については、それぞれの告白EDに加えて三人EDもクリアしました。
そしてわたしは未だに、彼らと主人公がどのEDを迎えることが正解なのか、答えを出せずにいます。
これまで以上に暗い話になるので、彼らとのハッピーエンドの余韻をぶち壊されたくない方はご注意ください。

・琉夏と結ばれた場合

琉夏と結ばれるEDでは、主人公が琉夏にとって「異物感や罪悪感を感じることなく、自分を無条件に自然体で受け入れてくれる居場所となること」でハッピーエンドを迎えます。

ただこれはゴールではなく、あくまでスタートラインに立っただけ。

自分の異物感や罪悪感に異常なまでに敏感な琉夏は、今後主人公に何かあるたびに「自分のせいなんじゃないか」「他の誰かと結ばれる方が幸せなんじゃないか」などと思い悩む未来が目に見えています。
人はそんなに簡単に変われないし、幼い頃に刻まれた悲しい記憶が簡単に塗り替わることもない。

根本的な考え方や感じ方を変えるには途方もない時間と根気が必要です。
つまり、これから琉夏は主人公に依存して生きていくことになります。それは琉夏と主人公にとって幸せなのでしょうか。

そして琥一は二人を祝福し見守りつつも、なんだかんだ琉夏から離れることができずに「お兄ちゃん」を続けていそうです。
それでも琉夏は主人公と共に前に進もうとして、琥一から距離を取ろうとするかもしれない。そうなったとき、琉夏だけでなく妹分の主人公も失った琥一は、失意の人生を送ることになるんじゃないだろうか・・・。

・琥一と結ばれた場合

警察沙汰イベントを経て、琥一の庇護対象が琉夏から主人公になり、今後琥珀一は主人公のために生きていくという展開です。
でも、これ何も解決してないんですよね。

これまで琉夏に依存していた琥一の依存先が主人公へとすり替わっただけ。
このまま順調に結婚して家庭を築いて・・・と進んでいけばまったく問題はないし、きっと良い旦那さん・良いお父さんになってくれる思うのですが、もし主人公と離れてしまう未来があったとしたら、琥一はいよいよ力を奮って守る対象がなくなって、深い闇の底に落ちてしまいそうな気がします。

そして主人公と結ばれなかった琉夏は「大人」になろうとして、ひとりでふらっといなくなって、きっと琥一の前からもいつの間にかいなくなって、本格的に孤独の道を歩み始めるでしょう。
それは「人に依存しない生き方」ではあるけど「幸せ」ではないし、何度も言いますが琉夏が「孤独」に耐えられるタイプには思えません。
見えている択だけでいえば、琉夏は「孤独」か「依存」かを選ぶしかないのがとても辛いなと思います。

・三人EDの場合

これも現状維持でしかない。待ち受ける未来はどちらかと主人公が結ばれる、またはどちらとも結ばれずにずっと友達のまま。

琉夏は卒業後、1年遅れて大学を受験するというモノローグがあって、前に進もう、大人になろうとしていることが伝わってきますが、琥一はどうでしょうか。
お父さんのお仕事を時々手伝うようになった、というようなことが綴られていたと思いますが、それも結局「自分軸」がないのが引っかかります。

琥一がはじめて「自分軸」でアクションを起こしたのが主人公への告白ともいえるかもしれません。
自分はずるい人間だ。主人公にも琉夏にも、自分自身にさえも嘘をついていた。
本当はずっと主人公のことが好きだったのに、琉夏の手前、格好つけて勝手に身を引いた。自分のことも騙していた。彼の告白ではそんな内容が語られていました。

そんな琥一が初めて自分はこうしたい、たとえ琉夏を傷つけても、と意思表示をしたのが主人公への告白だったのかもしれません。
もっと自分軸で、自分だけのために生きていいんだよ。そうすることがコウくん自身のためにも、きっと琉夏のためにもなるよ。そんな風に言いたくなります。

ここまで色々不安要素ばかり綴ってしまいましたが、ルカコウの二人がお互いのことを心の底から大好きで、信頼していて、大の仲良しであることは疑いようがない事実です。
それぞれ依存や縛りを一旦手放して、もう一度向き合うことができれば、いい距離感で二人とも幸せになることができると思っています。
主人公がどちらと結ばれようが、ずっと幼馴染のままだろうが、ずっと3人で軽口叩き合いながらワイワイしていてほしい。
それだけがわたしの願いです。桜井兄弟に幸あれ。

■その他:小ネタなど


大方予想はしていましたが、思った以上に長い上に全体的に暗い話になってしまいました。
ここからはわたしが個人的に好きだと思った要素やシーン、イベント等について羅列して、本記事の締めくくりとさせてください。

・琉夏のスチルがどれも見事で美麗すぎる。スチルのクオリティは全シリーズの中でGS3が最も高いとは思っていましたが、中でも琉夏のスチルが群を抜いて良すぎます。ビジュが大爆発している。
一方コウくんのスチルは半分くらいメンチ切ってて笑った。お化け屋敷のスチルが好き。

・三人喫茶店会話の「お互いのことについて」が大好き。二人の掛け合いが本当に漫才してるみたい。コウくんが大真面目なところも含めて面白い。琉夏の「なんっでやねーん!」がキレキレで大好き。

・コウくんは常に兄貴感がすごいけど、時々親戚のおじさん、いやそれすら通り越しておじいちゃんみたいになるの笑ってしまう。特にローズクイーン獲得したときのコメントが最高。「ローズ・・・なんだ?」ってなるのも「シャバゾウ」とかいう語彙が出てくるのも毎回笑う。

・琉夏が事故って入院したとき、初見ではめちゃめちゃ動揺してしまったんだけど、イベント直後にいつものBGMが流れて普通に下校イベントが始まって、何も考えられないまま作業的にポチポチしていたとき、ああこれ現実でもそうだよな、と思った。悲しいことや辛いことが起きても、容赦なく日常って押し寄せてくるものだし、浸っていられる時間なんてないんだよな。改めてすごいゲームだと思いました。2回目は親友の新名くんがいたので、狂ったように彼をデートに誘って気持ちを落ち着けてもらっていました。しかもやたらと静かな場所に誘うという無駄なリアル志向。冬の海とかね。

・三角関係2回目をプレイしていたとき、普通にやってもつまらないなと思ったのでテニス部に入部し、晴れてクラブマスター獲って進路はプロテニスプレイヤーを選んだんですが、モノローグがめちゃくちゃあっさりしてて笑ってしまいました。がんばったのに・・・!
駆け出しプロテニスプレイヤーとフリーターのカップルを想像するとなかなか面白いですね。絶対に生活がやばい。


▼推しやシリーズへの愛をぶちまけています。良かったらどうぞ。


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