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語学学習は本当の自分に還るセラピーなのでは?

特に誰にでも理解されるゴールは決めていないけれどフランス語の勉強を続けてる私。
この数ヶ月で何か変化があったか?といえば、
フランス人の友人(知人)が出来たこと。

久しぶりに会うことになった友達のパートナーや友人がフランス出身だったのがきっかけだった。

英語が出来ない私にとって
まさか母国語が他言語の人と日本にいて新しく出会うなんて想像していなかったのでとてもありがたいラッキーな出会いだと思ってる。

しかも一人はフランス語・英語・日本語が話せる‼︎
日本での生活も長いようなので
会話は日本語でもできるけど
どうせならやっぱりフランス語で会話をしてみたい。笑

でもやっぱり難しいー!!!

フランス語教室での会話は何となく出来ることも増えてきていると感じることもあるけれど
それは語彙レベルに合わせてゆっくりと
話してくれている先生たちのおかげであることも理解している。

はい。そうなんです。
フランス人同士のリアルな会話は英語圏の人同士の会話よりも凄い。笑

「え?今の言葉だったの?音にしか聞こえなかったんですけど?何でそれで会話が成立してるの???」 

と驚きと感動が多い。
海外での生活経験のある友人も言っていたので
私だけでなく多くの人が感じるのだと思う。

私は元々、相手の言葉からだけでなく
表情、声のトーン、様子などからも
キャッチする力が良くも悪くも強い。
(日本人特有の…空気を読みすぎる。に値するのかもしれない…)

なので感覚的に彼らの会話の様子が
伝わってくる部分もあるため
教室で耳にする言葉よりもリアルな会話を耳にすることが出来るので楽しいし彼らの発する言葉と行動が見られるのも良い刺激。

私は多分恵まれてる。
基本的に英語で交流されてる中、英語が話せず、幼児レベル(いや、それ以下だ)のフランス語しか分からない日本語話者の人間なのに
イヤな顔はされてない。と思う。笑

その理由はそんな私でも問題ないキャラ?だからと
認めてくれているのか分からないが英語を日本語に通訳してくれる友人がいるのと、日本語が理解できる人たちもいるからだ。

そんな彼らは言葉の壁があっても
感覚的に一緒に過ごすことに不思議とストレスを感じない。

私は陽気な方でもないけれど、
リズムやノリが合う人が多くなかった。
それによって生じていた人付き合いへの抵抗が
彼らとは自然と薄くなる感じ。
当たり前のことだけど、今までは自然と根っからの日本人としか交流していないので、その違い・経験に新鮮さを感じる。

そういえば、友達に言われたことがある。

「彼ら(外国人)は日本人の空気を読んで察して欲しい(言葉を選らんでほしい)なんて気は全くない。アナタの思ってることがそのまま知りたい。」ってスタンス。

無意識にも相手の空気を読んでしまったり、
相手の発する言葉と本心の違いに気づきやすい感覚を持つ私。
「どっちの言葉(気持ち)と話せば良いの?」などの混乱が生じたりし、自分が本当の気持ちを言えていないことで知らないうちに溜まっていく本心との小さなズレに疲れ果ててしまう。
私のような人間には「空気を読むのが当たり前」という気質を持つ
人間関係は長くは継続しないということ。
この意味を強く理解できるようになった。

なので、彼らのような感覚のスタイルはストレスが軽減される。

そんな私でも日本人の友人はいる。
しかし、自分にストレスがかからないで過ごせるその人達も良い意味で日本人らしくない感覚の持ち主ばかりだということ。
(表現者・アーティスト気質な人たちだからだと思う)

「日本人だから」「外国人だから」という言葉で
自分の事もだけど人の事も先入観で人を見る気はない。
一人の人間同士として向き合いたいというのが中心にある。

つまり気の合う人達とは
シンプルに似たもの同士が集まりということだ。

一つ前に書いた記事と被ることになるけれど、
私は自分を理解し、自分に正直な選択をすることが出来るようになっているという事だと思う。

ここまでは“感覚的”なもの…

やっと、ここからが本題!
そんな親切な彼らときちんと向き合うにはやはり共通言語が必要!大事にしたい!

例えば、人に親切にしてもらった時にちゃんとお礼・自分の気持ちが言えないなんて失礼すぎる!
そんな自分に対してのストレスが生じてしまう。

「ありがとう」くらいは英語でもフランス語でも言えるけど…
もっと伝えたい事あるんだよっ!って!!

そう…
語学学習は自分の本当の気持ちと出会う作業なのではないかと感じてる。

ここで、まだ整理がついていない部分も少しある。
細かい感情表現を表す言葉を添えすぎると一番伝えたい本質の部分が薄れてしまう様な気がする。
まるで味付けしすぎて素材の味が消された料理の様なイメージ。

文字だけで表現する作品である小説やエッセイなどは読み手にそのシーンをイメージさせるために様々な言葉の表現が必要だけれども
人との会話は常に生もので交わす時間は止まらない。
気持ちを伝えるときはシンプルで的確である方がスムーズなのでは?

"ごちゃごちゃ言ってないでストレートにどうぞ!"ってこと。笑

以前、「言いたいことはあるのに、いざとなると上手くフランス語が口から出てこない…」と
フランス語教室のカウンセラーに相談した時に言われたことがある。

「それは、余計な日本語を知っているからそれが邪魔するんですよ。」

なるほど…!

私たちは大人になるにつれて自然と余計な言葉も覚えてしまう。
決して悪いことではないのだけれども、
その自然と身についた癖は、時にコミュニケーションを複雑化させる。
日本人(日本語)同士でのコミュニケーションでも
相手と同等の語彙力・表現レベルで向き合わないと上手く通じ合えないことが発生する。

大人になると、変なプライドから賢く見られたかったり、
スラスラ話せる人に見られようとしたりし
余計なモノで自分を縛ってしまい…
結果的に本音が上手く伝わらなかったりしてしまう。

アルファベットのフランス語での読み方からスタートしたレベルの私にとって新しい言語の語学学習による脳への刺激は自分の心が発したピュアな部分の感情に気づき、それを言葉(フランス語)で表現することで、無意識に自分で隠してきていた本心・本音に近づかせていく行為な気が最近している。

「ナゼか分からないけれど興味が湧いたからやってみよう!」という直感にしたがうってこうゆうことなのかも。
私にとってフランス語は本当の自分に還る一つのツールなんだってね。

私のフランス語教室との出会いに関しての記事をまとめたマガジンもありますのでご興味がございましたらこちらもどうぞ!
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Saoriii/ 空中と文字使いの見習い
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