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④言葉ではわからなかった私の想い

思考って、言葉って人が持つ大切なものだけれど
自分に平気で嘘をつかせてしまうものでもある。
と思う経験をしました。

私は一つだけ人に話すと、
泣いてしまう事柄があります。

それは高校生の時、児童養護施設や児童相談所で
働くことを諦めたこと。
子どもの人なっつこさに可愛さだけでなく背景を色々と感じ取った。

進路の相談をした際に両親に(良心からなのは分かっている)反対を受け
文献を読み漁っていた時期で
自分が燃え尽き症候群になるという姿も浮かび
進路の考えを変えた。
納得をしていたつもりだった。

人は大袈裟というかもしれないけれど、
将来私が出会うであろう、
命を救えただろう子どもたち。
そんな子どもを私は見捨てた。
結局自分を守るのかと
私はずっとずっと自分を責めていました。

当時の私に、今の私が会いました。
出てきた言葉は
どうして大人が子どもを守らない
知っているのに
どうして見放すことができるの?
」などなど。

ファシリテーターさんの声かけでハッとした。
「本当にやりたかったのかな?
過去の私に聞いてみてごらん」

「うん」と言えなかった。涙が溢れた。
私は守って欲しかった。
仲良くして欲しかった。
笑顔で過ごしたかった。

「自分のことをあなたたちは大好きなのか?」と
両親に聞いて
「もちろん大好きだ」という言葉が返ってきて、
両親と当時の私とで抱き合って泣いた。
それを嬉しそうな眼差しで今の私がみていた。

「うん」と言わなくても
白状なやつだって誰も責めない。
誰かのために生きようとしなくても、いいんだ。
そう思えて心がほぐれた瞬間でした。

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結局は人間はいいカッコをしたくなる。
思考で、言葉で感じることを潰して
「本当にやりたいこと」と
自分に嘘をつくこともできただろう。
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けどしたくなかった。
「本心からやりたいことではなかった」
と認めることの方がより勇気がいることだった。

でも認めたこと、気づいたことで
背負っていたものが
ふっと降りた。

あまり人が苦手にならない私ですが
「自分の保身ばかりの人(上司が部下を守らない)」
「自分の為に相手を貶める」
「自分の機嫌で人を振り回す」度が過ぎた人が苦手でした。

嫌い、嫌には
自分のできなかった欲求も投影される。
「自分を守る」卑怯なことでなく
とてもとても大切なこと。

私は私のために生きていい。

あなたもあなたの為に生きていい。
生きるって何だろうね?
私は「自分の命を全うすること」と感じたよ。

あなたはどう感じますか?

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