⑤本来の自分を取り戻す
自分とは何だろう?どんどん足していたけど
全部自分なんだなあ。
ケアのラスト
何についてお話しするかなーと思っていたら不意に
話題は弟のことに。
誘導瞑想の中で
パーっと目に浮かんだ光景は
海辺で一番下の弟を抱っこしている幼少期の私。
弟は赤ちゃん、私は年長さんくらいでした。
話しかけてみると
「可愛いでしょー。私の弟」と溺愛の様子。
何度かやりとりをするうちに
「あなたが一番可愛いよ」と
幼少期の私に声をかけてみて欲しいと。
その瞬間、「今の私」から大粒の涙が溢れました。
幼少期の私は「そんなことない」と否定したけれど
何度も声をかけると
「そっかーわたし可愛いのね」と
とっても嬉しそうな顔をしました。
何かして欲しいことあるかな?と聞くと
「抱っこがして欲しい』
その際も「重くない?」と必ず気遣う私。
抱っこをたくさんしてもらえ
満足そうな子どもの私は
砂浜を駆け回り、天真爛漫に駆け回っていました。
作り笑顔でない、無邪気な笑顔で。
守るべきもの、守りたい人はたくさん守ってきた。
けれど、私だって守ってもらうべき存在だった。
甘えてもいい存在だった。
感じとれてしまうからこそ
「人のため」に動きたくなるし
いつの日か「人の為に」が使命となり
自分を大切にすることを忘れてしまっていた。
強みであると同時に
「人の為」が原動力すぎて
エネルギーも体力も消耗させていたことに
気づいた。
泣いて笑って、体いっぱいで喜びも
表現して天真爛漫な私に会えたことで
楽しいことをそんまんまの自分で
広めていきたいし
ただただ感じる楽しさ・自分に許可をする
心地よさを
体感して欲しい。という本質にも出会えました。
自分に出会っていく過程では
きっとみたくない自分も見るし
涙が出ることもある。
そんな時に安心の場、安心の人がいれば
とても心強い。
私はそうでした。
今、私はほんとある一定の人に向けて
noteやインスタグラムを更新しています。
明日からプログラムの詳細を発表します。
きっと届かない人には届かない。
でも、届く人にはきっと届いている。
それでいい。
あなたにあった寄り添いや向き合い方、
タイミングもある。
流し見していいはずのブログやストーリに
目や手を止めてくれている人がいる。
出会いも偶然ではなく必然。
今までもがいてきた、歩んできた道のりは
あなたしか歩めない道。
何かを外に出そうとしなくても
唯一無二のストーリがみんなあります。
自分が生きてきた今までの頑張りを体から感じ
自分の感じているものを許可する・楽しむ
そんな6ヶ月を必要な方々と過ごせることを
祈っています。
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