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自分を変えるのは時間がかかっても大丈夫

新しい年がはじまり、早くも4日目。

今年の我が家のお正月休みは、これでもかというほど、のんびりしている。お節料理も大掃除も簡素化して、我が子達といつもよりも多く話したり、遊んだりしている。グータラのんびり。

例年なら、もう少し大掃除や料理、出かける場所など計画を立てて、テキパキ動いていた気もする。でも、なんとなく今年はそれをしたくなかった。ゆっくり心身を休めて、身近な家族や自分の時間を作るほうが今は大切にしたかったのだ。

大人になり、自分の家族を持った今の私には「こうすべき」という家のルールはないし、わざわざ厳しく指摘する人もいない。そもそも皆、自分の人生を充実させることでいっぱなのだから、自分の過ごし方や未来のことは「好きに創ってもいいんだよな。あなたも私も」という気持ちだ。

頭の中に長年ある、自己批判や自分ルールに引き続き気づき「では、自分はどうしたいのか?」を都度見直していこうと思う。

何度でもそれらは出てくるけど、何度でも丁寧に向き合い、選べばいいのだ。

私たちは、どっちでも選べる。

そのようなモードで、子ども達が寝た後は、時間を気にせず本を読んだり、漫画を読んだりとマイワードに没入して楽しんでいる。作家さんや漫画家さんが創る独特の世界感やキャラの細やかな設定、表現方法や展開のテンポ感など「やっぱりすごいなぁ」と感心しながら読むのが楽しい。

しあわせだなぁと、と思う。

今日は義実家へ年始の挨拶に行った。山奥なので本当に静かな場所だ。山奥の夜道(帰り道)を運転していると、高確率で鹿やイノシシの群れがサッと目の前を通り過ぎるような山奥。「リアルなサファリランドやん!」と結婚当初は驚いていたけど、流石に今は「またおるな」と、冷静に眺められるようになった。

温かく迎えてくれる、義母と義兄。楽しそうにはしゃぐ我が子と、久々の実家にホッとくつろぐ主人。

ここにくると、時間の流れがいつもよりゆっくりに感じる。人は、居る空間や場所によって時の流れ方が違って感じるのだろうな、とこういうとき強く思う。不思議。

おかげで、今日は普段の喧騒から離れてボーっとして過ごせた。ふと窓の外を見ると、寒い冬の日差しを浴びながら、倉庫の屋根の上で猫が日向ぼっこしていた。 

屋根の上で、のんびり毛づくろいする猫。

猫は、マイペースで自由に生きているように見えるから、昔から好きな動物だ。多分、憧れの生き方だからだと思う。

「あ!ねこが屋根の上おる!」

と我が子達も窓の外を競って覗き込んでいた。我が家の近所ではあまり見ない光景。確かに、ちょっと珍しいよねぇ、と小さく2つの後ろ姿を見て笑みがこぼれる。

長男と次男、競うように窓の外を覗いていた。今日1番好きなワンシーン。

子どもの冬休みも後もう少し。非日常の空間もそろそろ終わりが見えてきた。少し、名残惜しいような、待ち遠しいような感じだ。

明日から、少しずつ通常運転に戻そう。

こういうとき、今の私は「日常も非日常の日々もどちらも好きなんだなぁ」と実感する。数年前までは「ずっと休みがいい」「もう、生きたくない」などと考えていた時期もあった。

人は、いつからでも変われるらしい。そして、変わるのは時間がかかってもいい。

むしろ、長年のかけて積み上げてきた習慣や考え方などは「長年かけて変えていくぞ」くらいの気持ちのほうが、挫折せずに現実的だと思っている。

もちろん、早く変わるに越したことはないけれど、その変化の過程すらも楽しめばいいのだと思う。自分の成長や変化を焦らないこと。

そんな風に考えられるようになってきた。

非日常の中で気づいた、自分の生き方や考え方の変化。明日も、のんびり楽しもう。

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さおり
最後までお読みいただき嬉しいです♪ありがとうございます!これからも心を込めて執筆していきます。