夫の厄払いに行って、妄想。
今年、夫が大厄だという。そのお道に詳しい友人が言うには、本人だけではなく家族や身近な人にも災いがふりかかる可能性があるらしい。
ということで、これまで一度も行ったことのない厄払いに行ってみることにした。
厄払いで検索してみるといくつか候補が出てきた。お正月最後の休みで車は混みそうだと思い、公共交通機関で行けるところを選んだ。福岡市東区の筥崎宮へ行くことにした。
午後2時を過ぎ、ゆっくりスタートで出かけると、バスも道も混んでいなかった。バス停から筥崎宮まで歩く道端に面白そうなお店や古い街並みを見つけて楽しかった。やっぱり初めての街はいい。
筥崎宮につくと、厄払いの受付をした。
名前を呼ばれるまで待つ。待合席には、灯油ストーブが置いてあり、懐かしい匂いがした。先生たちがストーブの金網にお弁当包みをひっかけて温めていた保育園を思い出す。
夫の名前が呼ばれた。お連れの方もご一緒にどうぞというので、コリスと私も一緒に入った。ぜんぶで5組のお祓いが行われる。低く通る声で厄払いの儀式が始まった。太鼓や鈴の音も鳴り響く。
ふと、バカなシナリオが頭をよぎる。夫の厄を恐れ、珍しく率先して厄払いに行こうと夫を誘った妻。ところが、厄払いに同席した妻が厄払いによって消えてしまう……。そう、夫の厄は妻だった。
頼りない木のベンチに腰掛けたまま、頭を下げるように言われる。お祓いの白いフサフサや大量の鈴が、頭の真上でシャンシャンと鳴る。ズドドドドンッ。ズドドドドンッ。ノリノリの太鼓も場を盛り上げる。ズドドドドンッ、何かが迫ってくる。お迎えに来る。「わたし、消えないだろうか」
「これにて儀式は終了いたします」
私の姿は消えることのないまま、厄払いは終了した。もし、私の姿が消えていたら「ママ、厄だったんだね」と、コリスと夫は話すだろうか。そんなことあるわけないと思いながらも、ホッとした。まだこの世に生きるチャンスを与えてもらった。私のなかの厄だけ持っていかれたかもしれない。驚くほどに、都合のいいことばかりを考える。気持ちの切り替え早すぎ、前向きすぎ、自己肯定感高すぎ、と夫がイラつくわけだ。
おみくじを引くと、「争いごと」は良くないから即刻手を引けと書かれていた。年越しキャンプでは、元旦の夜明けからひどい争いごとを繰り広げてしまったが、今日、ここからは、穏やかに過ごしていきたい。神様がそこまで言うのなら、聞いておこう。
これまで人生で一度も厄払いに行ったことがなかった。自分の大厄も何食わぬ顔して生きてきた。それなのに、夫の大厄が気になったのは、近年のいろんな出来事と、年越しキャンプの嵐の幕開けがあったから。なにごとも、最後は気持ちの問題なのだろうけど、しっかりお金を払って神様にお参りしたら、ホッとした。自分の体がまだ残っていることにも、ホッとした。