朝、珈琲を淹れるカップをお湯で温めた。温かいカップで飲む珈琲、カップ囲う両手が温かい。深煎りブルーマウンテンの甘みを感じることができたら、なんだか、うれしくなった。
昨日の夜は悲しくなったら、どかどか悲しみの沼にはまり、涙が出たけど。きっと、そろそろ泣きたかったんだと思う。なぜ、そんなにも悲しくなったのかと考えていたら、自分が大事にしていることが見えてきた。私は日頃から人の言葉を拾う。拾っては打ち返すレシーバーだ。そこにポツンと言葉が落ちていて、誰も拾う気配がなかったら拾ってしまう。その言葉が拾われるのを待っているのではないかと、考えてしまう。だから、自分の言葉がポツンと置き去りになったことが、やけに悲しかったのではないか。なるほどー。
拾われなくても、置いておけばいいではないか。いつか誰かが拾うかもしれない。そのまま土に溶けてなくなることもあるだろう。
こうして今、温かいカップで珈琲を飲んでいたら、大したことないと思えている。温かい布団で眠ることができて、朝、珈琲をのむことができる。日常が、悲しみを癒してくれる。
日常や壊されてしまったひとたちのことを思い、また、悲しくなった。夜寝て、朝起きて珈琲を飲む。贅沢なことなのだ。特別なことはしなくていい。今ここにある日常を大切にしよう。
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