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正法眼蔵についての私見。

以下は、全てわたしの主観的な受け止めであります。
正法眼蔵しょうぼうげんぞうの解釈は多岐に亘りますから、議論は致しません。
わたしはこう思っているということです。
当然ですが、曹洞宗の公式見解ではありません。

日本曹洞宗の宗祖である道元禅師が著した「正法眼蔵」の核心が「釈尊への回帰」といわれる理由は、道元禅師の教えが直接的に釈迦の原初の教えに立ち戻ることを目指しているためです。
以下にその主な理由をいくつか挙げます。


1. 釈尊の教えへの純粋な回帰

道元禅師は、仏教が中国に伝わり、さまざまな解釈や宗派が生まれる中で、本来の釈尊の教えが薄れていると感じていました。「正法眼蔵」は、その原点に立ち戻り、釈尊の教えの純粋な形を再び追求しようとする試みです。

2. 実践重視の強調

釈尊の教えは理論だけでなく実践を重視しています。道元禅師も坐禅の実践を強調し、「ただ坐ること」(只管打坐しかんたざ)を中心とした修行を提唱しました。これは釈尊が示した瞑想の重要性を直接受け継いでいます。

3. 禅の本質の再確認

道元禅師は、禅の本質を再確認するために釈尊の教えに回帰することが重要であると考えました。仏教の真髄を理解するためには、直接的な体験と悟りが必要であり、それは釈尊が示した道であると考えました。

4. 中国禅仏教への批判

道元禅師は、中国の禅宗における形式主義や儀礼主義を批判し、よりシンプルで純粋な修行の形を追求しました。禅師は、これが釈尊の教えに忠実であると信じ、そのために釈尊への回帰を訴えました。

5. 経験からの直接的な知識

道元禅師は、釈尊の教えが直接的な経験と知識に基づいていることを強調しました。「正法眼蔵」では、この直接的な知識と体験が仏教の核心であり、修行を通じてのみ真の悟りが得られると述べています。

まとめ

「正法眼蔵」は、道元禅師が釈尊の教えの核心に立ち戻ることで、仏教の真髄を再確認し、それを現代に生きる人々に伝えるための作品です。このような理由から、道元禅師の教えは「釈尊への回帰」として評価されています。


道元禅師は、正法眼蔵をすべて書き直そうとされました。十二巻本と呼ばれるその最後となった巻は「八大人覚はちだいにんがく」です。釈尊の遺言とも合致いたします。余計なものをすべて白紙に戻して、釈尊の教えすなわち仏教の原点に立ち帰ることを強く望まれた最期であられたと、わたしは痛切に思っております。

宗門では威儀即仏法いいぎそくぶっぽう作法是宗旨さほうこれしゅうしと申します。
これは形式を重んじるということではありませんし、儀式が重要ということをことさら強調しているわけでもありません。
教えられたとおりの手順を踏んで修行に努めなさいということです。

釈尊が阿含経で「ただ道を教える」とされた所以であります。
道を歩むか歩まないかは、教える者の責めに非ずです。

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原点回帰(イメージ)

ご覧いただき有難うございます。
念水庵

四行日記
釈尊の教えは膨大な数に上る。
すべてを理解し実践することは不可能。
何か一つを徹底していくことが重要。
坐禅を選んだ幸せ。


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