禅の道(26)刹那消滅とは?
今日は最初に数学を使って「一弾指」の時間を計算してみましょう。弾指とは仏教で指を弾くことです。曲げた人差し指を親指の腹で弾き、親指が中指の横腹に当るときにパチンと音が出ます。この弾指の時間を道元禅師の著作にもとづいて計算してみます。
まず、上記の64億という数字ですが、これを現代の億の単位で計算すると誤ります。鎌倉時代の初期において「億」は万のすぐ上の位でしたから、現代の数字に置き換えると64億9万は、649万になります。したがって一日は649万9千9百80刹那、つまり24時間で6,499,980刹那になります。
一刹那=6,499,980÷24=270,832.5(時間当たりの刹那の数)
一刹那=270,832.5÷3,600=75.2312.5(毎秒当たりの刹那の数)
つまり、一刹那の時間は約1/75秒(13ミリ秒)です。
きわめて短い時間ですね。
道元禅師は、1弾指の間に65の刹那があると述べられていますから一弾指の時間は、0.8秒ほどになります。
まあ、こんな計算はご参考までに。。。
さて今日の本題に入ります。
「刹那消滅(せつなしょうめつ)」とは、仏教哲学の核心的な教えの一つで、すべての存在は一瞬ごとに生起し、存在し、そして消滅していくという真理を指します。この考え方は、仏教の「無常」の教えと密接に関わっています。以下かんたんに説明します。
1. 刹那とは?
「刹那(せつな)」は、非常に短い時間の単位を意味します。
例えば、指を鳴らすその瞬間のような、ごく短い一瞬を指します。この時間単位は具体的な物理的測定とは異なり、変化の最小単位として考えます。
2. 刹那消滅の意味
「刹那消滅」とは、すべてのものが存在し続けているように見えても、実際には一瞬一瞬で生じては消えている、という教えです。
生起(しょうき):物事が生まれる。
持続(じぞく):しばらく存在する(実際には瞬間的)。
消滅(しょうめつ):存在が終わる。
このプロセスが非常に高速で連続的に繰り返されているため、私たちには「続いているように見える」のです。
3. 日常での例え
映像:映画やテレビの画面では、実際には静止画が連続して映し出されていますが、それが高速で切り替わることで動いているように見えます。これが「刹那消滅」に似ています。
炎:ろうそくの炎は同じもののように見えますが、燃え続けることで常に新しい炎が生まれ、古い炎は消えています。
川の流れ:川の水は常に新しい水が流れてきているのに、一つの川として存在しているように見えます。
4. 刹那消滅と無常
この教えは、仏教の「諸行無常(しょぎょうむじょう)」、すなわち「すべてのものは変化し続ける」という基本的な真理の具体的な表現です。
私たちの体や心も瞬間ごとに変化しています。
この変化を受け入れ、執着しないことが「解脱」への道とされています。
5. なぜ「刹那消滅」を理解することが大切なのか?
執着を手放すため:物事は本質的に一時的なものであると理解することで、物や人、感情への執着を減らすことができます。
今を大切にするため:一瞬一瞬が大切なものであり、二度と同じ瞬間は訪れないと理解することができます。
苦しみの根源を理解するため:「刹那消滅」による変化に逆らおうとすることが苦しみ(苦)の原因であることが分かります。
「刹那消滅」は、私たちの日常のあり方や、物事への向き合い方を根本から見直させてくれる仏教哲学の深い洞察です。理解することで、無常を受け入れ、より自由で平穏な心を得る助けとなるでしょう。
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よく、念水庵の「念」にはどのような意味が込められているのですか?といった質問を受けます。この念という漢字は今の心と書きますので、刹那の漢訳として、またサティ(sati:注意・気づき)などの意味もあります。八正道の正念ですね。瞬間瞬間に生きている実感と申しておきましょう。
この刹那消滅の道理を理解してこそ「菩提心を発する」という志が生まれてまいります。まさに仏道を歩む決意、第一歩でございます。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵