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禅の道(90)家と庭

「家庭」という言葉がはぐくむ穏やかな時間

「家」と「庭」と書いて「家庭」と読みますが、この言葉から皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
人によっては温かい家族の団欒や、四季折々の草花が咲く庭を思い浮かべるかもしれません。あるいは、慌ただしい生活の拠点を連想する方もいるでしょう。いずれにせよ、「家と庭」という言葉には、私たちが日々暮らす空間とそこに心の安らぎが宿っているように思います。


出張と猫のお世話、そして「帰る場所」

私は明日から会議のために福島県へ出張します。一泊二日の予定ですが、来月からはほぼ毎週出張になる見込みです。会社員で土木技術者として働く身としては、こうしてこの歳でも仕事があることは本当にありがたいですし、楽しみでもあります。

出張中は家族である猫たちの世話を長女にお願いしています。わざわざ往復で50km以上の道を車で来てくれるので、その手間を思うと頭が下がる思いです。私自身は当たり前のように出かける前に「行ってきます」、帰宅したときに「ただいま」と声をかけますが、こうした習慣を改めて考えると、「家」がいつでも帰る場所であることの大切さを痛感します。


DIYと庭づくりが育む愛着

家には庭が続いていて、休みの日には少しずつDIYで部屋の造作を行い、庭づくりにも取り組んできました。部屋の天井や壁、床、外壁など、手を加えるたびに家への愛着はどんどん深まります。庭も同様に、自分たちの手でつくった池や小川、ちょっとした植栽ひとつとっても、心を込めて整えれば整えるほど、その場所がよりかけがえのない空間になっていきます。

入口の濡れ縁に腰を下ろしてぼんやり日向ぼっこをしていると、「春になったらあそこにモミジを植えよう」「今年の夏はキュウリやトマトを育ててみよう」などと、自然に小さな計画が湧いてきます。このように心地よい空間を想像しながら、少しずつ手を動かす時間は何よりの癒しになります。


禅の心と「終の棲家」

禅の教えでは、日常のなかでこそ心の在りようが試されるとされます。華美な装飾や特別なものがなくとも、今ある場所を丁寧に整え、一瞬一瞬を大切に過ごすことが大事です。家に手を加え、庭を手入れする作業は、そのまま自分の心をととのえる作業でもあります。

こうして長年かけて育んできた我が家は、日々の暮らしを通じて穏やかな心をはぐくむ場所になりました。どこか懐かしい故郷の家にも似ていて、ここで過ごす時間は安心感に包まれます。まさに「終の棲家」と呼ぶにふさわしい空間だとしみじみ感じます。


おわりに

「家庭」という言葉は「家」と「庭」の組み合わせにすぎないかもしれません。しかし、その二文字の間には、人と人とのつながりや、四季を楽しむ豊かな時間、そして忙しい日常からふと立ち止まって心を休める瞬間が詰まっています。

これからも忙しい日々の合間に、DIYや庭づくりを続けながら、小さな変化や成長を楽しんでいきたいと思います。そして、出かけるときには「行ってきます」、帰ってきたら「ただいま」と声に出して、自分にとっての大切な帰る場所に感謝しながら過ごしていきたいものです。

ただ今。


ご覧いただき有難うございます。
念水庵 正道

ようやく庫裡の玄関ができました。

玄関


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