老子63:無為自然の洞察
老子の第六十三章は、シンプルでありながら深い洞察を含んだ言葉が特徴です。まず、その原文を掲げ、現代語訳を示し、最後に独自の解釈を試みます。
原文
現代語訳
解釈と洞察
老子の第六十三章は、日常生活や仕事、さらには人間関係における行動の指針を示しています。ここでは「無為」や「無事」といった概念が中心的なテーマとなっていますが、これはただ消極的で何もせずに過ごすことを意味するのではありません。
「無為を行う」とは、無理なく自然体で行動することを指しています。これは、何かを成し遂げようとするときに、過度に力を入れたり、無理をしないということです。自然な流れに身を任せ、力を抜いているからこそ、物事が円滑に進むという考えです。
「無事を処理する」というのは、表面的には何も起こっていないように見える状況でも、常に準備をし、細心の注意を払うことの重要性を教えています。何も起こっていない時こそ、物事をスムーズに進めるための準備ができる時期なのです。
「味無味」は、平凡なものや日常の中に価値を見出す姿勢を表しています。普段何気なく過ごしている日々の中にこそ、深い意味や価値が潜んでいることを教えてくれます。例えば、自然の中で感じる風の心地よさや、シンプルな食事の美味しさを味わうことが、それに当たります。
老子はまた、大きな目標や難しい課題に取り組むときには、小さな一歩から始めることを勧めています。大きな目標に圧倒されるのではなく、まずは小さなことから着実に進めていくことで、最終的には偉大なことを成し遂げることができるという教えです。これは「千里の道も一歩から」という諺と共通する考え方です。
最後に、聖人(すぐれた人)は、大それたことをしようとはしないと老子は述べています。これは、偉業を成し遂げる人々が、目立たず、謙虚な姿勢で日々の小さなことを大切にしているからこそ、結果的に大きなことを達成するということを意味しています。
この章を現代に生かすためには、日々の生活や仕事の中で、焦らず、無理せず、そして小さなことを大切にする姿勢を持つことが重要です。日々の積み重ねが、やがて大きな成果を生むことを信じて、地道に努力することが、老子の教えを実践する道だと考えます。
老子の「無為自然」の思想を実践したと考えられる現代および近代の日本人を三人挙げ、それぞれについて簡単に解説します。
1. 宮沢賢治(1896年 - 1933年)
宮沢賢治は詩人・童話作家であり、その作品には自然との調和や人間の心の純粋さを追求するテーマが繰り返し現れます。彼の生涯は農業や教育にも深く関わり、自然との共生を重視しました。賢治は、自分の生活や作品を通じて「無為自然」の思想を体現し、無理なく自然の摂理に従いながら人間らしい生活を送ることの重要性を訴えました。彼の思想と活動は、自然との一体感を持つことで得られる幸福を示し、老子の「無為自然」に通じるものがあります。
2. 河合隼雄(1928年 - 2007年)
河合隼雄は臨床心理学者で、日本におけるユング心理学の普及に貢献しました。彼はまた、日本文化と心理学の融合を図り、東洋思想を重視したアプローチを取っていました。河合は、無理に問題を解決しようとするのではなく、自然の流れに身を任せて心のバランスを保つことを重視しており、この姿勢は「無為自然」の理念に非常に近いといえます。彼の治療法や教育活動は、患者や生徒が自然な形で自己理解を深めることを促し、無理なく自己成長を遂げることを目指していました。
3. 鍵山秀三郎(1933年 - )
鍵山秀三郎は、イエローハットの創業者であり、「凡事徹底」や「良樹細根」などの著書を通じて、日常の小さなことを大切にする哲学を広めました。彼は掃除などの小さな行いを積み重ねることが、やがて大きな成果を生むという考え方を提唱しました。この姿勢は、老子の「無為自然」の教えを実践しているといえます。鍵山は、自然体で無理のない努力を続けることが、最終的に大きな成功につながると信じ、それを実証しました。
これらの人物は、それぞれの分野で「無為自然」の思想を日常生活や仕事、社会活動に取り入れ、その教えを実践してきたといえるでしょう。彼らの生き方や思想は、現代においても「無為自然」を生きるための指針となります。
老子を一言で表現すると「無為自然」とよく言われています。また「水の如く」とも言われます。こうした一般的な評価はともかく、わたしは物事の判断や決断、意思決定の際に「自然か不自然か」という基準を設けています。是非はありません。為念、わたしがそうしているというだけです。
「自然か不自然か」という視点で世間や社会を俯瞰すると、不自然な判断や人為的な操作は様々な形で現れます。いくつか例を挙げて説明します。
1. 過度な経済成長主義
経済成長を至上命題とし、短期的な利益を追求するために自然環境を犠牲にするような行動は、不自然な判断の一例です。たとえば、森林の伐採や過剰な開発が行われ、自然のバランスが崩れると、長期的には環境問題や資源枯渇といった深刻な結果を招きます。これは、自然の摂理に逆らい、無理に成長を押し進めることで、結果として持続可能性を損なうことになります。
2. 人為的な市場操作と経済政策
金融市場や経済政策において、自然な市場の動きに逆らって過度に介入することも、不自然な行動といえます。例えば、中央銀行が金利を極端に操作したり、過剰な財政刺激策を行うことで、バブルの形成や市場の歪みを引き起こすことがあります。これらの人為的な操作は、最終的にバブル崩壊や経済危機といった形で自然な調整力が働き、逆効果をもたらすことがあります。
3. 個人のライフスタイルにおける過度な管理
現代社会では、健康管理や美容、ライフスタイルにおいて、自然な生活リズムや個人の本来の状態を無視し、過度に管理やコントロールをしようとする傾向があります。例えば、過度なダイエットや美容整形、24時間効率を求めるライフスタイルは、身体や精神に負担をかけ、自然な健康状態を損なうことがあります。こうした行動は、自分自身の自然なリズムや限界を無視し、社会的なプレッシャーに迎合する結果、不自然な状態を生み出します。
4. 文化や伝統の強制的な保存
文化や伝統を守ることは大切ですが、それを強制的に保存しようとすることも不自然な場合があります。たとえば、ある伝統行事や習慣が時代の変化と共に自然に廃れていくのは避けられないことですが、それを無理に復活させたり、保護するために過剰な資源やエネルギーを投入することは、不自然な判断といえます。自然な形で文化が変遷していくことを受け入れることも必要です。
5. 教育や人材育成における過度な標準化
教育や人材育成において、画一的な基準や方法に固執することも不自然な操作です。すべての子供や学生が同じ進路や学習方法で学ぶべきだとする考え方は、個々の自然な能力や才能、興味を無視することになります。このような教育システムは、創造性や多様性を損ない、最終的に個々の人間の成長を制約する結果となります。
6. 自然災害への過度なコントロール
自然災害に対する備えや対策は重要ですが、自然の力を過度にコントロールしようとする試みも不自然な行動です。たとえば、大規模なダム建設や河川の大規模な改修は、短期的には災害を防ぐかもしれませんが、長期的には生態系に影響を与え、さらに大きな自然災害を引き起こすリスクがあります。自然の力を完全にコントロールすることは不可能であり、むしろ自然と調和しながら共存する道を模索することが求められます。
これらの例からわかるように、不自然な判断や人為的な操作は、短期的には利益や効率をもたらすかもしれませんが、長期的には自然の摂理に逆らい、調和を乱す結果を招くことが多いです。老子の「無為自然」の思想は、こうした不自然さに対する反省を促し、自然な流れやバランスを尊重する姿勢を教えている気がしてなりません。
自然な感情を無理に抑圧することもないでしょう。
気に入らなければ不自然にポジティブを気取って作り笑いを浮かべることもありません(笑)
小さな秋を見つけました。
赤とんぼやショウリョウバッタが飛んでいました。
風が少しだけ涼しく感じられました。
今日もご覧頂き有難うございます。
念水庵