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禅の道(46)成道の日の朝に

12月8日、釈尊が菩提樹の下で悟りを開かれた日。この日は仏教徒にとって「成道(じょうどう)の日」と呼ばれ、非常に特別な意味を持ちます。釈尊が成道されたのは今からおよそ2500年前のこと。この日がなければ仏教という教えは存在せず、私たちは「仏の道」に触れることもなかったでしょう。

「悟りを得る」と「悟りを開く」の違い

よく「悟りを得る」という言葉が使われますが、釈尊の場合は「悟りを開く」と表現されます。この違いには深い意味があります。

  • 「悟りを得る」
    これは個人的な体験や知見を指すことが多いです。何かの真理を理解し、内面的な変化を得るという意味合いが強いです。

  • 「悟りを開く」
    一方、「悟りを開く」は、釈尊が得た悟りが個人の境地にとどまらず、万人に開かれる道となったことを意味します。釈尊は、自らの悟りを普遍的な教えとして共有することで、すべての人々がその道を歩むことができるようにされたのです。「開く」という言葉には、閉じられていた真理の扉を誰にでも見えるようにしたという慈悲の行為が込められています。

成道の背景

釈尊は29歳で王子の地位を捨て、出家しました。その後、厳しい苦行を6年間続けましたが、「苦行だけでは真理に到達できない」と悟り、菩提樹の下で瞑想を始めます。そして12月8日の朝、明けの明星を見た瞬間に大いなる真理を悟られました。

この真理は「四諦(したい)」や「八正道」あるいは「縁起」などとしてまとめられ、仏教の基本的な教えとなっています。釈尊がこの悟りを基に伝道を始めたことで、仏教が誕生したのです。

12月8日の意義

成道の日は、仏教の根幹を成す教えが生まれた瞬間を記念する日です。私たちはこの日を迎えるたびに、釈尊の慈悲と智慧に感謝し、仏教が示す「苦しみから解放される道」をもう一度見つめ直すことができます。

成道の日に思うこと

成道の日の朝は、釈尊が目を覚まし、大いなる悟りに至った瞬間の静謐さを感じる時間です。私たちも、日々の生活の中で、自らの心を観察し、何が大切かを問い直す機会としたいものです。悟りは特別な人だけのものではなく、私たちすべてが目指すべき普遍的な道です。

成道の日に、仏教の原点に思いを馳せてみませんか?


今日はまた、日本と合衆国にとって忘れられない「日米開戦の日」でもあります。来年は「昭和100年」です。昭和生まれの私にとって少年時代と青春を過ごした懐かしすぎる時代であり、あのアメリカと戦ったことが今でも信じられない思いでいっぱいです。

昨日の夜は、お隣の国の大統領弾劾に世界中の目が向けられました。混乱は今後なお続いていくことでしょう。戒厳令。およそ戦争前夜のような考えられない事態に思ったことは、本来の意味での「戒厳令」が敷かれることのないことを祈るばかりです。

この世は、平和であるときには考えられない「絶望」が生じます。戦争をはじめ、災害や飢饉、あるいはパンデミックなどなど。縁起でもないとお考えですか?これは人間世界の現実であり「りて起こる」必然です。偶然はありません。すべて原因があるゆえの結果であります。

この「絶望」のなかでも「希望」があります。それは真理を知って実践することです。多くの様々な人々が「困っている人を助ける」活動を行っておられます。その純粋な行いが「希望」であります。どのようなことが起こっても決して絶望しないよう、私は釈尊の教えを実行してまいります。

自分にできること、自分から。


ご覧いただき有難うございます。
念水庵


にゃんすいあん日記

このこたちの、みらいが、あかるいものでありますように(祈)


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