禅の道(49)古武術に学ぶ
禅と古武術に学ぶ「シンプルな術」
無駄なところに力を入れない
禅と古武術の共通点の一つに、「力を抜く」という教えがあります。武術の達人は、どれだけ大きな力を出しても、無駄な箇所に力を入れていては、本来の動きが鈍くなるといいます。同じく禅では、力を込めるのではなく、自然体でいることを重視します。たとえば、坐禅の姿勢。背筋を伸ばし、腰を立てるけれども肩や首は力まない。これは、身体全体が一つのまとまりとなり、無駄が削ぎ落とされている状態です。
古武術もまた、この自然体の大切さを説いています。剣を振るとき、槍を操るとき、相手に打たれたときでさえ、「無駄な力」を抜くことで、柔軟でしなやかな動きが可能になります。この「力を抜く」というシンプルな術が、どれほど深い知恵に基づいているかを考えると、心に響くものがあります。
日常生活のなかに全ての鍵がある
武術や禅は、「特別な場」でのみ実践されるものではありません。剣道家や合気道の達人が口をそろえて言うのは、「日常が稽古だ」ということ。お茶を淹れる動作、掃除をする手つき、歩くときの一歩一歩——これらすべてが、身体を鍛え、心を磨く場となるのです。禅でも同様に、「作務(さむ)」と呼ばれる掃除や料理などの日常作業が修行の一環とされています。
これらの行動は一見単純ですが、そこにこそ深い意味があります。例えば、包丁を使って野菜を切る際、刃の向きや手の角度に注意を払い、全身のバランスを意識してみてください。それだけで、まるで武術の型を練習しているかのような感覚が生まれます。すべての動作が整い、無駄がないとき、そこに「美しさ」が現れるのです。
身体の使い方
古武術の教えには、「重心を低く保つ」「丹田を意識する」「呼吸と動きを合わせる」など、身体の使い方に関する多くの智慧があります。これらは単に武術のためではなく、日常生活においても大いに役立つものです。腰を立て、膝を少しゆるめた正しい姿勢で立つだけで、重い荷物を持つときも、長時間作業するときも、身体への負担が軽くなります。
禅における坐禅の姿勢も、これと共通しています。骨盤を前傾に立て、背筋をまっすぐ伸ばし、呼吸を丹田に落とすように。これらは、禅と古武術が日本の自然な身体の使い方を通じて深い知恵を共有していることを示しています。
日本人が培ってきた「シンプルな術」
日本の古来からの知恵は、複雑でなく、極限までシンプルな中にその本質を見出します。無駄を省き、自然のリズムと一体となること。それは、禅と古武術が教える生き方そのものです。
私たちの日常もまた、その鍵を見つける場です。背筋を伸ばして歩き、肩の力を抜き、膝を少しゆるめる。一つひとつの動作を丁寧に行うことで、自然と心と身体が調和していきます。この「シンプルな術」によって、私たちの生活はもっと豊かで楽しいものになるでしょう。
さあ、今この瞬間から、動作の一つひとつに意識を向けてみませんか?それが、あなた自身の「道」を見つける第一歩になるかもしれません。
武術研究家 甲野善紀先生は、大好きな先輩者のひとりです。
この方の実践から磨き上げられた「術」に深い敬意を表します。
↑は、とてもためになる情報でした。
とくに「膝をゆるめる」箇所は、必見・必聴です。
子どものころの「起立!気をつけ~」の影響は大ですね。
むかしの日本人に膝痛は、ほとんどなかった——なるほど納得です。
甲野先生の本の紹介
私、おもわず買ってしまいました。
もはやこれは「道術」だ。
ご覧いただき有難うございます。
念水庵
にゃんすいあん日記19日目
この器は、ふたりがやってきたときに使った瀬戸物。
あれ以来、これでずっと仲良くふたりで食べています。
自動給餌器の器よりも、温かみを感じるからでしょうか。
この器のところで、私を待ちます。
いじらしくて、ジーンときます。