なぜ高台に昇りたくなるのか|宇宙船地球号的意識の醸成
行ったことのない街に旅行へ行くと、大抵の場合は展望台の様な場所があり、そこからは絶景が見えたり街の全体像を眺めることができたりします。
僕は旅行に行くと、必ずと言って良いほどこういった高台に行っています。どうしても行きたくなってしまうという感覚に近い。
上から見渡さないと得られない視座や感覚というものがあります。街中にいると自分の現在地もわからず、東西南北のとちらを向いているのかさえわかっていません。
しかし、高台から街を見下ろすことで、その街の全体像を意識することができ、尚且つ自分の現在地や向いている方向もわかります。全体像を意識しながら、その街の経済や物流、交通状況を見渡し、更にはその街で生活する人々のことを客観的な視座でイメージすることができるようになります。
こういった視点を得たいという欲求が、僕を高台まで向かわせているのだと考えています。
アメリカの思想家であるバックミンスター・フラーは「宇宙船地球号」という概念を提唱しました。地球上の資源が有限であることや、国家間の安全保障を語る際に使われる考え方です。
この言葉が使われるようになったのは1960年代です。今ではGoogleマップやGoogle Earthを使えばだれでも地球の全体像をすぐに見ることができますが、それ以前の人類は地球の本当の全体像を見ることができなかったのです。
地球の全体像を眺めることができれば、格段に視野が広がり物事も冷静に計画立てて考えることができるようになります。物流も観光も貿易も、全て計画が立てやすくなります。また、地球の資源は無尽蔵に利用すると枯渇してしまうこともわかり、同じ地球に暮す人々が国家間で争いをするのも愚かであるとわかるようになります。
当時から考えると革命的な視点を、現代人は当たり前のように享受できているわけです。デジタルが人間にもたらしたのは効率性だけでなく、こういった人々の根本的な価値観にまで至っています。
「宇宙船地球号」の概念が勃興していた60年代に、人類はアポロ計画で月に降り立つまで宇宙開発を続けました。米ソ間で宇宙開発競争が繰り広げられ、莫大な予算のもと遂に月に到達するまでになります。
そして、国家が得たそれらの情報は当時の活動家やコミュニティによって、少しずつ民主化され公開されるようになり、今ではイーロンマスクのSpaceXを始めとした民間企業が宇宙開発をするまでになりました。
こうして人類が宇宙に行くための猛烈な活動と成果を振り返ってみると、宇宙から見る地球の視点を誰もが本能的に欲していたのかもしれないと思えてきます。
誰もが身近なコミュニティ内の縛りのなかだけで人生を終えたいとは思っておらず、外に出て世界を知り、客観的で大きな視座を得たいと本能的には思っているのでしょう。
高台を見つける度に、街の全体像を見降ろす習慣は、これからも続きそうです。
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