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沼るならネットより本|現実逃避先としての読書
世の中にはあらゆるエンタメが跋扈している。YouTubeには無料で面白いコンテンツが無限に存在し、サブスクを契約すれば映画だって定額で見放題だ。
これらは中毒性もあるもので、いわゆる「沼」という状態に陥るほど、人々は何かのエンタメにはまり込んでいく。仕事や勉強、人間関係で辛いことがある時、これらは現実逃避先となっているのだと思う。
現実逃避としての娯楽はやっぱり楽しい。仕事がしんどくても、こういった束の間のやすらぎがあれば頑張れるものなのだ。
ただ、個人的にはせっかく現実逃避をするならば、インターネットよりも本の方がいいと思っている。
僕は20代の前半に正社員ではなかった頃に書店でアルバイトをしていた。そこで多くの本に必然的に触れた経験から、何かあれば本を読む習慣がついたのだが、これが自分の人生において大いに役に立ったのである。
仕事がしんどい時の通勤電車で、病気の再発に怯えながら待つ病院の待合室で、コロナウイルスによる長期に渡るステイホームで、黙々と本を読んでいた。僕にとっては、こういった時期の現実逃避先はいつも本であり、たくさんの本を読んできた。この時間にネットを活用して多くの人と出会い、現代的な人間関係を構築することもできたかもしれないが、これでよかったと思っている。
これだけネットが発展した時代であれば、他にもたくさん楽しいコンテンツはあっただろう。だが、現実逃避先がインターネットの場合、自分に都合良い部分ばかりつまみ食いをしてしまい、何も得られず時間ばかりが過ぎていくケースが多い。情報が多すぎてあちこち目移りしてしまい、深く何かを考えることに繋がらないのだ。
しかし、本の場合は数百ページを読むことで必然的に長く思考する時間を過ごすことになる。読書にハマってしまい、沼ったとしてもそこには教養がある。その後の人生の役に立つなら、沼った経験は大きな価値になる。
レイ・ブラッドベリの『華氏451度』では本の所持が禁じられた世界が描かれていたが、本を読まない人間の文化は衰退していくことがわかる。
インターネットのない世界に戻りたいとは思わないが、本が淘汰されてしまう世界にはならないでいただきたい。