酒を飲む理由|ぼーっとしながら自分と向き合う
言い訳と思われても仕方がないのだけれど、よく酒を飲んでいます。一番よく飲むのは日本酒、もちろんビールもワインもウイスキーも好きです。
食事をする理由については、他者との交流のためであると過去に書いたことがあります。味を求めるだけでなく、栄養摂取だけでもなく、交流の機会としての役割が大きいのです。
酒にももちろんそういった効用は多く、「飲みニケーション」といった言葉もあるほど、酒を飲みながら人と仲良くなることはたくさんあります。
ただ、僕はひとりで酒を飲むことも同じくらい多く、飲みニケーションとは無縁な、ひとりで自分と酒と向き合いながら過ごす時間をとても大切にしています。
作家の中島らもが言う様に「飲酒とはすこぶるメンタルな行為」であり、金はかかるし時間もあっという間に過ぎるくせして、その時のことをよく覚えていないことさえあります。
そんな無意味に思える、ひとり酒を好んでいるのも、この忙しない社会に出て仕事をするようになってからのように思います。職場では生産性を求め続け、消費者としてはデジタルコンテンツに囲まれ、日々のニュースはネガティブで不安を煽るものばかり。人々は常に成長を求められながら、発展していくことにだけ頭を使うことを余儀なくされている気がしてきます。それでいてなかなか繁栄することもできていない。
しかし、そんな状況にあっても、そんな社会と個人の人生は本来は相容れないものであり、もっとゆっくり物事を考えたっていいはずなのです。
そんな瞬間を求めて、ひとりで黙々と酒を飲んで過ごすことが多くなってきました。ひとりで酒を飲むのは、何もダンディズムを気取っているわけでもなく、誰とも話さずぼーっとしたいからに過ぎません。
とにかく資本主義的な余計なことを考えずにぼーっとできる時間を求めているのです。もしも仕事をしておらず、近くに美しいビーチや雄大な山が拡がっていたりしたら、わざわざ酒を飲まなくてもいいのかもしれません。
市街に住んでいると自然に近づくよりも、酒屋に行って酒を買った方が手っ取り早くぼーっとすることができます。こうして酒に頼る生活が続いていってしまう。
最近は若くしてFIREをして悠々自適という人も多くなっているようです。もしもそうなれたら、自然の近くに身を置いて、酒を飲まずともぼーっとしながら暮らすことができるようになるのでしょうか。
もしかしたら暇に耐えきれず、暇つぶしのために酒を飲んでしまうかもしれません。
酒はただただそこにあるだけ。どう向き合うのかは飲む人次第なのだな。