昼寝は最高に気持ちいい|人間的な営みと競争社会
貴重な休日を有意義に過ごしたいという気持ちを持ちながら、お昼を過ぎたあたりで少し疲れが出てきてしまい、ついつい昼寝をしてしまうことがあります。
そのまま結構な時間が経過してしまい、休日にやりたかったことはできないまま、貴重な休日の時間を昼寝に費やしてしまう結果に後悔するのです。
睡眠や昼寝が仕事のパフォーマンスに良い影響を与えるといった、睡眠に関するポジティブな研究結果もよく目にしますが、僕が感じる後悔とはパフォーマンス云々の話ではなく、目が覚めた瞬間に貴重だった休日の数時間が目の前から消え失せてしまったような、あの感覚のことを言っています。
少なくとも僕は「昼寝をしよう」と思ってしているのではなく、ついつい昼寝をしてしまっているだけなので、目が覚めた時に後悔を伴ってしまっているのです。
しかし振り返ってみると、平日の夜に眠りにつくときに比べて、休日に昼寝をする瞬間というのは非常に気持ちがいいものでもあります。
また、「昼寝」という言葉そのものからは、どことなく幸福なイメージを想起させられるという人も多いのではないでしょうか。成長や競争の概念から解き放たれた、平和な印象を抱くことができるのです。
そんな平和的で最高に気持ちがいい営みであるのならば、昼寝をもっと肯定的に捉えて堂々と眠ってしまった方がいいんじゃないかと考えるようになりました。
「寝る間も惜しんで働く」とか「寝る暇もない」といった表現で忙しくしている人に比べて、「昼寝は最高に気持ちがいいよね」と言っている人には、どうしても怠惰な印象を持ってしまいます。
ただ、それは経済活動に重点を置いた社会規範のうえで抱いている感情なだけであって、本来の人間的な営みとしては怠惰ではなく本能的で当たり前のことだと思います。
青い空と白い雲を見つめ、ビールを片手にギターをつま弾き、暖かくなってきたら昼寝をしてしまう、そんな詩人の様な生活を想像すると、それこそが人間らしい生き方なのではないかと思うことがあります。
とはいえ、現代が成長を求める競争社会だという事実は変わらないため、その現実のなかで昼寝を「後悔」と捉えるか「人間的」と捉えるか、それによって休日の過ごし方に影響が出てきます。
すぐにどちらかに振り切ることはできそうもないので、まずは昼寝はしても短時間で起きれるように工夫をして過ごそうと思います。昼寝の前にコーヒーを飲むという、少し前に流行ったコーヒーナップを取り入れてみます。
将来的には余裕のある人生観を身に付けて、堂々と最高に気持ちの良い昼寝ができるようになりたいものですが、そんな日は本当に訪れるものなのでしょうか。