追い込まれると人は何とかするもの
タイトルの通りですが、追い込まれると人は通常よりも高いパフォーマンスを発揮し、あらゆる困難な出来事にも何とか対応してしまうものだったりします。
仕事もまさにそうで、取引先と定めた納期があるからこそ成果物を生み出すために必死で努力をし、目標売上があるからこそ利益を上げ続けることができるのです。
僕は自分自身が怠惰な人間であるという自覚が若いころから強く、何かを頑張らなければいけない時は「追い込まれる環境に身を置く」という工夫で自分自身を奮い立たせてきました。
その最たる例が海外ひとり旅で、特にアジア圏をひとりで訪れてできるだけ現地の人に近い暮らしをするように旅をしていました。
僕は23歳の時に胃がんの治療で胃を全摘出しているため、当時は一般の人のように食事をすることができず、体力も著しく低下している状態でした。
しかしそんな身体でも、死を意識する経験をしたからこそ好奇心を抑えることはできず、わずかな休みを見つけ、ひとりで海外まで積極的に行っていたのです。
アジアと言えばお腹を下すことで有名なくらいなので、胃を摘出した人間がアジアにひとり旅に行くことは、多くの人から心配され反対されていたものです。
それでも僕はそんな環境に病気を乗り越えた身体で身を置きたかったのです。
療養中の数年間は実家で暮らしていたこともあり、胃を摘出している身体である状況を周囲が認知して接してくれることが多くあります。配慮を求めることができる環境なのです。
これらは患者にとって非常に有難いものではありますが、回復傾向にあるなかでは、いつまでが配慮が必要なのかがわからなくなってくるものです。まるでいつまでもこのまま配慮され続けるのではないかと錯覚してしまいそうになります。
そして、人はどうしても甘えてしまう生き物であるため、手を差し伸べられるとその手を掴んでしまいそうになります。
しかし、海外にひとりで行くと、そこには自分のことを知っている人は誰もいません。
目的地まで自分で移動し、自分で選んだ宿に泊まり、料理も自分で注文して選ぶ必要があります。自分の行動は全て自分が責任を負う環境です。
この環境によって決断する能力と行動する習慣が身に付きました。
アジアでは道行く人たちにたくさん話し掛けられます。どこで覚えたのかわからないイケないものの日本語を囁きかけてくる売人に囲まれながらも、目的の宿まで歩みを止めるわけにはいきません。
レストランで食事を摂る時も、胃を摘出した身体であることから、細心の注意を払って注文する必要があります。それでも現地語だけのメニューからどんな料理が来るのか推測しなければいけません。
こういった環境にたくさん身を置いたことによって、日本で暮らしている時にも自分に課した責任を負う習慣がついたように思います。
これは療養中に配慮が長引いて優しくされていた時には芽生えていなかった感情です。
安心安全な環境というのは素晴らしいことですが、厳しい環境は人を成長させてくれます。
そして安心安全な環境においても、偶発的に病気になってしまうことは避けられません。そもそも安心安全な環境などないのです。