健康的な食生活と無添加とジャンク|社会的接点としての食事
その昔、20代前半だった僕が闘病生活を終えて実家暮らしをしていた頃、ジョギングや筋トレに精を出しながら、健康的な食生活を意識的に実施していたことがありました。
病気が胃がんだったこともあり、様々な不安から健康的な生活を送りたくなるのは無理もないことです。がんは遺伝子のエラーが原因であることを考えると、どれだけ一般的に健康的な食事をしても罹患リスクはあるのですが、当時の心理的影響からそういった思考を抱くようになっていたのです。
そして、この時は実家で療養をしていたこともあり、僕の健康志向は両親にも波及することになっていきます。
両親も今までの運動習慣や食生活を見直すこととなり、毎日のようにしっかりとジョギングやウォーキングに精を出してから、栄養素を意識した食事を摂るようになります。
「身体に良いものをバランスよく食べよう」「毎週必ず適度な運動をすることを心掛けよう」といった会話が常にされるようになり、実際にその生活を実行していきます。
そうすると、生活に変化が生じることになるため、今まで気づくことができなかった健康的な生活の魅力に引き込まれるようになっていくのです。
この時に、ふと立ち止まって俯瞰した視点でこの現象を見ると、目的が「健康」になっていることに気づきました。「健康」が目的となり、その目的に向けて行う様々な行為を楽しむようになってしまっているのです。
生きるための手段である食事を目的と取り違えてはいけないと指摘した「食べることは生きること」というソクラテスの格言がありますが、まさにこれと同じ現象が「健康的な食生活をすることが目的」として顕在化してしまったのです。
もちろん不摂生な食生活をするよりも、健康的な食生活を送った方が心身ともに健やかに過ごすことができますが、だからといってそれが人生の目的になってしまうのは本末転倒です。
コロナウイルス渦の真っ最中に人との食事が極端に制限されていた時、僕はこの機会にと思って質素な食生活だけをして暮らしていました。胃を摘出していることから、負担の掛かる食事をすることに億劫になっていた時期だったのです。
タンパク質は納豆や豆腐などの大豆製品から摂取し、野菜を中心とした食生活を続けていました。また、添加物を身体に取り入れることも極端に減少させていたのです。
この生活を続けていると、当時の闘病生活の時と同じように、自分の身体が健康的で非常にクリーンな清々しい感覚になります。そしてその感覚を継続したくなり、自然と脂っこいものを避けるようになります。
こうなると元の食生活になかなか戻れなくなってしまい、コロナウイルスが収束に向かいかけた時にも質素な食生活を続け、知人友人との食事の際にも重い腰をあげる必要が出てきてしまいました。
質素で無添加な健康的食生活を送ることは、クリーンで清々しい気持ちで生きることができる魅力的な行いだと思います。
しかし、食事というのは自分や家族だけで完結する場ではなく、周囲のコミュニティや外部の人との会食の機会でもあります。社会との接点なのです。
こういった現象を実体験として体感した結果、僕は今ではマクドナルドのハンバーガーをしょっちゅう食べるようになりました。職場の部下とは仕事で何らかの達成をした時に串カツを食べに行って祝杯をあげています。
一周廻ってジャンクでファストな食事や脂っこい郷土料理を楽しむようになったのです。
健康的な食生活はこれからも意識していきたいと思っています。
しかしその一方で、食事を変えると生き方が変わることは意識した方が良いように思います。美味しいものを魅力的な人とともに食べていきたいからです。
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