街中華や近所の居酒屋の未来
中年に差し掛かってきたからか、街中華や近所にある庶民的な居酒屋の雰囲気が心地よく感じるようになってきた。
瓶ビールを注文するとあっという間に栓を抜いて出されてくる。小さなコップに自分で注いで、それを飲みながら注文した料理がやってくるのをのんびりと待つのが心地よい。
テーブルは若干油がべたついていて、店内には煙や湯気が立ち昇り、キッチンでもホールでも大きな声が飛び交っていて活気がある。もの凄く人間味を感じる空間なのだ。
こういったお店は飲食店のビジネスモデルが急速に広まった未来にも生き残ると思う。ロボットが街中華の店員より効率的に清掃をした場合でも、その店の雰囲気は醸成されないのだ。だからこういう雰囲気を楽しみに行く客がいる限り生き残るんじゃないか、というのが僕の考えだ。
しかし、結局のところ、こういった仕事がいわゆる「3K(きつい、汚い、危険)」に分類されがちであり、給料も高いわけではないから、お店の数は減っていってしまうだろう。
それは確かに寂しくはある。ただ、その数がゼロにはならないのであれば、残っているお店は、よりそういう雰囲気を醸成し続けるはずだ。
ロボットのように隅まで行き届いた清掃ができず、ほどほどにべたついてしまったテーブルや、店内に充満した湯気や匂い。デジタルに置き換えることがうまくできずに、大声でコミュニケーションを取らざるを得ない店員たちの活気。雑だけど素早く栓をポンッと抜いて出てくる瓶ビール。
こういった得も言われぬ雰囲気がますます醸成されていく街中華だけが生き残っていくのかもしれない。
街中華や居酒屋までも、勝者総取りの時代になるんだろうか。
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