嫌いなことをして生きていく
ここ最近、ネット上で「好きなことをして生きていく」といった情報をよく見る気がする。現代はインターネットをはじめとしたテクノロジーの時代なので、組織に縛られることなく個人が自由に仕事をすることが充分に可能なのだ。
これらを見て、僕もそうありたいとよく思っている。好きなことで飯が食える時代ならば、短い人生の中で嫌いなことをしている時間なんてもったいないではないか。
だけど、自分の仕事の遍歴を振り返ってみると、もともと嫌いだったことを仕事にしていたことに気づいた。20代の頃はIT企業でエンジニアをしており、今は営業をしている。どちらも学生の頃に「自分にはできない」と思っていた職種で、食ってくためにはしょうがないと、腹を括ってチャレンジしたのである。
そしてこれらの仕事に対して、今どう思っているのかと言うと、大変ではあるけれど決して嫌いではない。むしろ魅力を語ることさえできる。
ITで身に付けた知識とスキルはどこの業界でも活かすことができる。そしてパソコンもスマホも消費者として毎日利用するため、その仕組みを理解するうえでも当時の知識が役立つことは今でも多い。もちろん、理解できていないことの方が多いが、全く知らないのとは大きな違いだ。
そして何より、仕事に対する考え方を大いに学んだ。実直に作業をするのではなく「めんどくさい」と感じた冗長的な作業は一括化したり自動化することで一気に生産性が高まる。めんどくさがり屋の方が優秀になり得る世界だったりするのだ。
営業についても、人の心を動かす科学を追求するので、非常に魅力的な仕事だと思う。結果が全ての厳しい側面もあるけれど、成果が挙がった時の喜びは営業職の人しかわからない魅力なのだと思う。
また、日々の仕事で交渉をしているので、プライベートにおいても会話がうまく運べるようになっている気はする。つい先日も引っ越しの時に不動産業者とやり取りをしたが、非常にスムーズに話を進めることができ、カモられることもない。これも仕事で得た姿勢が良い影響をもたらしてくれている。
こうして考えてみると、僕は若い頃に食わず嫌いをしていた仕事を通して、たくさんの利得を得ていた。もし、若い時に「好きなことだけして稼ぐ」と言った考えで生きていたとしたら、当時は楽器演奏くらいしか好きなことはなかったから、ロックスターを目指して不発で終わるような人生になってしまったかもしれない。
もちろん「好きなことをして生きていく」ことを否定しているわけではない。30代も半ばを過ぎた今だって、僕は嫌いなことはしたくない。仕事に行くのは嫌だし、こうしてnoteを投稿するような好きなことで生活費が賄えたら幸せだなぁとよく夢想している。
何が言いたいかと言うと、嫌いな事でも真剣に取り組むとその魅力に気づけるという、至極当たり前のことだ。やってみて本当に嫌いだったらその時に辞めればいいと思う。
人生は短いけれど、そういう失敗をするのは誰にでもあることだし、まずはやってみることで魅力に気づくことだってある。