図書館の居心地の良さを分析
図書館に通っていた頃がある。20代前半に病気で仕事を辞めてしまい、少し体調も良くなってきた頃だ。
時間だけが有り余っており、将来への不安は募るばかり。そんな時に簡単な資格勉強と読書をするために市立図書館に足繁く通っていた。もちろん勉強の合間には本を探して読書することもあったと思う。
本は基本的に本屋で物色して買うタイプだけれども、図書館に身を置くことが何か特別な感情を抱かせてくれたのかもしれない。
本は身銭を切って買うことによって、その本を読む動機が強まると思っている。だから、無料で本を借りることができると言われても、あまり心は動かない。
だけどそれでも図書館に行きたくなるのは、何とも不思議なものだと思う。
文学全集は並んでいるし、勉強している人はたくさんいるし、何よりも本屋のように広告がなくBGMも流れていなくて静かだ。
税金で成り立っている公園の様な公共の存在だからなのかもしれない。「市民である」という感覚が自然と感じられるんじゃないか。
宇沢弘文が唱える「社会的共通資本」なのかもしれないし、斎藤幸平が唱える「コモン」なのかもしれない。市民で共有する空間とは心地が良いものなのだろうか。
だから、闘病をしていて無職だった当時の僕が、市民という所属感を図書館で感じることができたのも自然なことだったのかもしれない。
今度仕事を失ってしまった時は、また図書館の世話になろうと妄想している。